第6節:覚醒
「限界機動!」
『命令実行』
カーズが妖魔に突っ込みながら言われた通りの言葉を口にすると、時間の流れが緩やかになったかのような錯覚に陥った。
周囲全てを見渡せるようなその感覚は、命の危機が迫った時のような感覚に似ていたが、一つだけ違う事があった。
その全てが緩やかな流れの中で、自分だけがいつも通りに動けるのだ。
空気が重く感じるような加速の中で、ゆっくり迫る最後の蜘蛛の足を、カーズは右腕の刃で薙ぎ払った。
普段と同じ感覚で振るった刃は、加速と相まって研ぎ澄まされた一撃と化していたようで、あっさりと蜘蛛の足を斬り飛ばす。
「これなら行ける……!」
妖魔の懐に潜り込んだカーズは宿主の本体に備えられた右腕を一刀両断してから、即座にV字に跳ね上げた刃で逆の腕を狙い、手首から伸びた爪部分を断ち切る。
そこで、装殻の声が響いた。
『限界機動解除』
緩やかな時の流れが元に戻るが、既に相手は攻撃手段を失っている。
「これで……! 出力解放!」
『命令実行』
虎の装殻が口許の装甲を展開すると、胸の中心が熱を持ったようにカッと熱くなる。
熱は右腕を通って刃に移り、刀身を真っ白に輝かせた。
「――《虎徹》!」
全身から白煙が吹き出して体に残った熱を押し出すと共に、虎の咆哮のような声を立てる。
肉体が膨れ上がるような力が全身に籠り、カーズは振り上げた刃を逆袈裟の形で妖魔に対して振るった。
しかし妖魔は既に完全に宿主の全身を呑み込んで、全身が強固な外殻に鎧われていた。
妖魔が爪を失った右腕を畳んでカーズの剣を受けると、腕の厚みを引き裂いた所で刃が止まり……本体に届かなかった。
「くっ……!」
漲っていた力が抜けると同時に真後ろに跳んで、カーズは食い込んだ刃を引き抜いたが。
その巨体をもってカーズに躍りかかった妖魔は、完全に蜘蛛のものと化した顔でカーズの左肩に噛み付いた。
「ぐぁ……!」
痛みに呻きながらも、押し倒されたカーズは即座に膝蹴りを妖魔の胸元に叩き込む。
「カーズ!」
リーガルの呼び掛けに応える余裕もなく、再度膝を蹴り上げると、妖魔がそれを嫌がるように身を起こした。
「こんな所で……くたばってらんねぇんだよ……ッ!」
妖魔の顎の力が緩んだ所で、カーズは無理矢理肩を口から引き剥がした。
次に自分の右足を胸元まで折り曲げると、足の裏で妖魔の顎を押し上げる。
カーズは浮き上がった妖魔の巨体の下から、横に転がって抜け出した。
そのまま勢いを利用して立ち上がり、妖魔に対して再び剣を構えるカーズに、伏せるような姿勢で上半身を前傾させた妖魔が威嚇を返す。
『警告/供給量低下』
鎧の声の意味は良く分からなかったが、そろそろ鎧が動かなくなる事を察したカーズは、焦りを覚え。
―――ケイトの呆れ顔が脳裏に浮かぶと同時に、自分をぶん殴りたくなった。
馬鹿かお前は、とカーズは自分を罵倒する。
お前一体、何様だ?
……決まってる。ナナガ国治安維持部隊第二部隊の、隊長様だ。
掃き溜めの。
ゴミクズの。
どうしようもないクソ野郎どもの。
猿山のボス猿の方がまだお上品で居られるような部隊の……一番ろくでもねぇ、隊長様だ。
焦るだと?
そんな必要がどこにある。
第二部隊で戦ってる時は、いつだってギリギリだ。
高位妖魔なんか逆立ちしたって倒せねぇ。
中級相手だって油断すりゃ殺される。
下級にだって、タイマンなら負けちまうような―――第二部隊は、そんな雑魚の集まりだ。
それでも、いつだって余裕な振りして。
妖魔どもをおちょくって、苛立たせて、判断力を奪って。
それでようやくちょっと生き残る確率が上がるって程度の、ちっぽけな人間。
自分だって、その一人でしかない。
俺はどうやって生き残ってきた。
腕っぷしか?
賢いおつむか?
いつだってヒイヒィ言いながら、足りねぇ頭を茹で上がるまでこき使いながら生き残ってきた分際で、ほざけるような事じゃねぇだろ。
俺が生き残ってきた理由は。
第二部隊が生き残ってきた理由は。
どんだけ嫌われようが、雑草みてぇにふてぶてしくのさばって生き足掻いて見せる、人並み以上の諦めの悪さがあったからだ。
だから観察しろ、思い出せ、最後の最後まで諦めずに集中しろ!
―――第二部隊を生き残らせる為に、俺に出来ることは、それしかねぇだろうが!
カーズは、妖魔を観察する。
奴は何故、すぐに飛び掛かってこない。
一体、何を警戒している。
考えろ、考えろ、考えろ。
触れれば、俺から鎧の力と命を奪えるんじゃないのか。
妖魔の今までの行動を思い出せ。
奴の力は『奪うこと』だ。
奴はブレイヴから武器を奪い、人間の命と力を奪ってきた。
だが今の俺は?
奴に噛み付かれたのに、ミイラになっちゃいない。
妖魔はどうやって力を奪っていた?
それは、手で触れて、だ。
蜘蛛の足も使ったが、あれだって手の代わりだったんだろう。
腹を薙がれたハーカスとアギーはどうだった?
アギーは生きてる。
ハーカスは、蜘蛛の足に刺されて死んだ。
つまり奴は、手か、蜘蛛の足である程度の時間触れなきゃ、力を奪えない。
足は全てもいでやった。
手も、両方奪った。
つまり奴は―――もう、他人から力を奪えない。
だから警戒している。
俺に殺されるんじゃないかと危惧している。
奴を殺す方法が、何かあるのだ。
奴は、力を奪う腕を犠牲にしてまで体を庇った。
それは何故だ。
這うような前傾姿勢で、攻撃的に食い掛かろうとしているように見えて。
本当は、強固な背中で体を庇ってるんじゃないのか?
妖魔は何を嫌がった。
俺の膝蹴りを喰らって、何故嫌がった。
そこに収まってる宿主が大事か。
それは何でだ。
奴の外殻が硬い事に何か関係があるのか。
ブレイヴから、鎧を奪った事と。
鎧は、装殻ってのは何だ。
肉体の延長線上だと、ブレイヴは言わなかったか。
『人間の肉体の』延長線上だと。
人であれば適合すると言った。
なら妖魔は?
高位に近い力を持ちながら、奴が宿主を喰っていない理由は……そこにあるんじゃないのか。
人でなければ。
宿主の肉体と、魂が生きていなければ。
ーーー奴は、あの硬い外殻を維持出来ないんじゃないのか?
本当は、まだ、高位妖魔ではないとしたら。
外殻さえ奪えば、第二部隊でも、まだ殺せる程度の妖魔なのだとしたら。
宿主を殺せば。
仮に妖魔が生き残っても、この鎧がなくても……残った妖魔は、殺せる。
カーズがそれだけの思考をしたのは。
ほんの、数秒の事だった。
レイブンがリタイアしたあの日から。
前任のギルバートと話をして、隊長になる決意をした日から。
カーズは、果てしなく何度も思考してきた。
第二部隊の連中を、五体満足に生き残らせる為に。
ひたすら、思考し続け、観察し続けてきた。
妖魔を。第二部隊を。
自分に、何が出来るのかを。
その成果が、今、結実した。
瞬発的な思考による弱点の看破。
カーズは、第二部隊に向けて指示を出す。
答えは、言葉にして発しない。
「第二部隊のクソ野郎ども!」
宿主と妖魔に、気付かれてはならない。
カーズが気付いた事を察すれば、奴は亀になる。
亀になり、何か打開策を見出そうとするだろう。
だからカーズは、仲間内にだけ通じる合図を出した。
「戦って、いつも通りに生き残れ。良いか……クズらしく、いつも通りに、だ!」
第二部隊は、カーズが率いるその前から『いつもの戦い方』を身に付けている。
妖魔をおちょくり、苛立たせ、判断力を奪い、こちらのペースに持ち込む戦い方を。
第二部隊の連中は。
クズではあるが、馬鹿でも、消耗品でもない。
理不尽な戦闘を生き残る為の技術のみを磨き上げてきた、妖魔に対する『生きた盾』。
命を守る事に特化した、第二部隊は。
カーズの言葉を正確に察して、動き出した。