第3節:消耗品
妖魔を探す、と言って動き出したブレイヴだったが、彼は数歩歩いたところでよろめいた。
「どうした?」
「……気にするな」
差し出したカーズの手をブレイヴは軽く払ったが、その手が触れた皮膚が熱い。
「熱があるのか?」
よく見るとブレイヴは顔色も悪く、額には脂汗が滲んでいた。
「大した事はない」
「どう見ても、大した事がないようには見えん。……無理をしたらまた倒れるぞ」
「妖魔を探しているんだろう? 装殻反応を検知出来るのは俺だけだ」
「おいおい、訛り野郎。そりゃそうかも知れねぇが、妖魔を見つけた時に倒れられたらそっちのが迷惑なんだよ!」
リーガルは、ブレイヴの肩を掴んだ。
「病院に戻れよ。別に妖魔に対応出来んのはテメェだけじゃねぇんだ、知ってるだろ?」
リーガルの言葉に、カーズはブレイヴに目配せした。
彼はジッと、こちらを見てくる。
この場で、リーガルにバレないように、彼にその言葉の真実を伝えなければならない。
「……だが、妖魔が本当に装殻を取り込んでいたら、太刀打ち出来ないだろう?」
ブレイヴの言葉に、カーズは首を横に振った。
「『珠玉』、は」
軽く、それが固有名詞である事を伝えるために言葉を区切ってから、カーズは続ける。
「対妖魔の専門家だ。相手が妖魔である以上、心配はない」
ブレイヴは、カーズの言葉の真意を探るような目を向けて来るが、こちらがリーガルにバレないように情報を伝えようとしているのを察したのだろう、黙っている。
カーズは、さらに言い募った。
「今、国内に『珠玉』はいない。ここ最近は厄介な妖魔自体が少なかったからな。ミズホの国からの到着が遅れているが、じきに来る。もしあの妖魔が高位化していたら、『いつものように』任せるだけだ」
自嘲するように、カーズはリーガルに笑いかけた。
「……元々、高位妖魔を倒すのは第二部隊の仕事じゃない。なぁ、リーガル」
「けっ、どうせ俺たちは、『珠玉』が来るまでの時間稼ぎの為の部隊だよ」
リーガルが、心底気に入らなそうに顔を歪めた。
そしてカーズの真意に気付かないままに、カーズの求める言葉を吐いてくれる。
「命張ってるってのに、守ってやってる奴らはボロカス言いやがるけどな。俺ら掃き溜めは、市民様にとっちゃ人殺しにしか見えないんだとよ。テメェが現れた時の、新聞の見出しを教えてやろうか? 『穀潰し部隊、中級妖魔すら取り逃がす』、だ」
「……そうか」
ブレイヴは、言いたかった事を理解したようだった、リーガルの物言いに皮肉げに笑う。
「なるほどな。……お前たちも、俺と同様の消耗品だという事か。兵は、どこでも同じだな」
その言葉に。
カーズは、ブレイヴの胸ぐらを掴み上げた。
「ぐっ……!」
無理をし続けていたらしいブレイヴは、抵抗も出来ずに息を詰まらせる。
「おいおい!」
リーガルが焦ってカーズの腕を掴むが、カーズはブレイヴの襟首を握り締めたまま彼を殺気を込めて睨み付けた。
「ブレイヴ。人殺しだの穀潰しだのは良い。……だが、消耗品と口にする事だけは、許さん」
豹変したカーズに何を感じたのか、ブレイヴの抵抗が緩む。
「言ったはずだ、ブレイヴ。俺たちは確かにクズかも知れんが、数字じゃない―――人間だ」
ブレイヴは、カーズを見ていた。
自分より年は上だがそれでもまだ若いはずのブレイヴの、間近で見る素の表情には重い疲れが滲んでいる。
まるで、耐え難い何かを長年背負い続けた老人のように。
「隊長さんよ。ちょっと落ち着けよ」
「……」
ブレイヴの肩を離し、仲裁に入ったリーガルにカーズが答えずにいると、彼はその野太い腕で無理矢理カーズとブレイヴを引き剥がした。
「カーズ、おい。てめぇがソレを気に入らねぇのは知ってるが、ブレイヴは病人だ。やめとけ」
リーガルは、第二部隊に入った時期こそカーズより遅いが年齢は近い。
カーズが隊長になる以前からの付き合いでもある。
ふー、と、深く息を吐いたカーズは、一度目を閉じた。
隊長に就任し、戦場では冷静で居るように務めているが、それでもまだ自分には我慢が足りない、とカーズは思う。
「謝りはしない。……だが、病院へ戻れ。ブレイヴ」
「……ああ」
ブレイヴは、今度は大人しく頷いた。
流石に帰り道の沈黙を気まずいと感じていたカーズだが、ブレイヴの方は特に遺恨はないようで、彼がポツリと口を開いた。
「……俺は昔、軍に居た」
「そうなのか?」
口を開いた彼に肩を貸していたリーガルの問い返しに、ブレイヴは頷く。
「ああ。だが、上層部にとって、その部隊は数字だったらしい。ゲリラ戦が得意な奴ばかりを集めて、俺の部隊は常に森林地帯の最前線に送られていた。だがある日、駐屯部隊の本拠地に呼び戻されたかと思うと、あの装殻を与えられたんだ」
当時最新型だったその鎧は、惜しげも無く部隊に振る舞われた。
「俺たちは馬鹿だった。そのまま駐屯基地を守れと言われて、遂に功績を認められたんだと舞い上がった。……実際は、戦況が悪くなり、その基地を放棄する事を悟られない為の捨て駒にされたんだ」
上層部と本隊は、作戦行動に入ると言って逃げ、敵の大攻勢を受けたブレイヴ達は必死に戦ったのだという。
「……だが、最後に生き残り、逃げ延びたのは俺一人だった」
生き残ったブレイヴは、祖国への復讐を決意し、装殻を改造し、当時の上層部の人間をテロリストとなって殺したという。
「だが、所詮は一人。追い詰められ、山林を何日も彷徨った。そして何かに引っ張られたかと思ったら、俺はここにいた」
それが、ブレイヴの疲れの理由。
死んだ仲間の命を背負い、守る為でなく奪う為だけに人を殺し続けた、その降り積もった暗い何かによって、彼は疲労していたのだ。
「だがお前は、そうして見捨てられ、復讐に走った俺を、人だと言った。鬼でも数字でもない、と……話を聞いた今でもそう思うか?」
「ああ」
躊躇いなく、カーズは答えた。
彼の感情はカーズにも理解出来るものだ。
良いように使われ、見捨てられた存在……退役した第二部隊の連中と、彼は何も違わない。
そうした状況をどうにかする為に、カーズは隊長になったのだから。
「お前は、人間だ。ブレイヴ。俺と、何も変わらない。意思を持つ人間だ」
「……そうか」
ブレイヴは小さく笑い、リーガルは何も言わなかったが、軽くぽんぽん、とブレイヴに回した手で彼の脇腹を叩いた。
「目的がなくなったなら、今度こそ人として生きれば良い。俺のようにな」
カーズは、照れ臭かったが、その感情を押し殺して彼に伝えた。
「俺は、近々結婚する」
その言葉に、ブレイヴよりもリーガルが驚いた。
「おいおい、マジかよ隊長さんよ!?」
第二部隊で結婚している奴なんか稀だ。
いつ死ぬかも分からない社会のゴミと、結婚するどころか付き合おうと思うような女なんて、そいつも同じゴミのような扱いを受ける人間しかいないと思っていた。
「どこで捕まえやがった!?」
「……前に、『ひっくり返す』妖魔が出た時、だ。お前はまだいなかったが、レイブンの治療に当たっていた女とな」
彼女は、他の奴らとは違った。
レイブンを助けてくれ、というカーズに、自分の誇りと第二部隊に対する感謝を滲ませて、礼を言ったのだ。
付き合う時、結婚を申し込む時。
どちらの時も彼女は……ケイトは了承し、カーズは、第二部隊の俺で良いのか、と聞いた。
彼女は呆れたような顔をしてから、まっすぐカーズを見て、言った。
1度目は、『第二部隊だの、医者だの、そんなものが人を表すと思うの? 随分とつまらないことを聞くのね』と。
2度目は『……貴方は貴方よ。私は肩書きではなく、貴方という人と結婚するの』と。
カーズには、彼女が眩しかった。
そして同時に、自分は間違っていない事を知った。
「人はな、ブレイヴ。自分を無価値だと思えばそのまま本当に無価値な人間になる。お前も、人を人として見ていない連中ではなく、人をきちんと見定める人間の方を向くべきだ。……お前の復讐は、終わったんだろう?」
カーズの言葉を噛み締めるように、ブレイヴは軽く口の端を震わせて。
「……そうだな」
と、小さく呟いた。