第2節:妖魔
「なぁ、報告しなくて良いのかよ?」
ブレイヴの護衛を任せていたリーガルの言葉に、カーズは軽く目を向けた。
「する必要があるのか?」
「絶対、バレたらややこしい事になるだろうが」
呻くように言うリーガルに、カーズは表情を変えないまま吐き捨てる。
「もうなってるだろう。今更一緒だ」
二人がいるのは、病院の近くの路上だった。
ブレイヴが、姿を消したーーーそうリーガルの報告を受けて、カーズは周辺の捜索に出たのだ。
カーズは、ブレイヴの現れた経緯を本部に報告していなかった。
中級妖魔を逃した時に、近くで倒れていた民間人……そう虚偽の報告をした理由は、ただの勘だ。
妖魔に呼び出された人間、などと報告すれば、ブレイヴは今頃、身柄を拘束されていたかも知れない。
実際その後話した内容も信じ難い話ではあったが、彼は、この世界の人間ですらないのだ。
戸籍もないような人間の扱いがどんなものか、カーズは貧民街で散々目にしてきた。
「大体、逃げられたのはお前の落ち度だろう。処分される気か?」
「何で俺が処分だ、ふざけんなよ。一人で24時間見張ってろってのか」
リーガルの反論に、カーズは軽く手を上げた。
「まぁ、無理だな」
「分かってんなら突っかかるんじゃねぇよ」
「最初に突っかかってきたのはお前の方だろうが」
カーズは、ブレイヴが逃げた、とは思っていなかった。
第二部隊の人間を護衛として数人、病院周りに配置していたが、病室の前に待機させていたのはリーガルだけだ。
彼と話した感触、身に纏う雰囲気から、恐らくブレイヴが本気になったら誰にも見つからずに逃げられるだろうとは予想出来た上に、逃げる必要があるとは思えなかったからだ。
第二部隊側としても、人手はさして不足はしていない。
が、だからと言って、表向き被害者の警備でしかない病院の護衛へ通常以上の人員を割けるほど余裕がある訳でもない。
目下のところ、第二部隊は逃げた妖魔の探索が最優先事項だ。
「ああクソ、面倒クセェ」
リーガルは、口こそ悪いものの普段は気の良い男だ。
しかし、カーズと違って他人に対しての割り切りが早いところがある。
「だから最初から報告しときゃ良かったんだよ。そうすりゃ、俺がこんな手間ぁ掛ける必要なかっただろうが」
「別に嫌ならついて来なくて良いぞ」
リーガルの報告を受けて、捜索に出たのはカーズの意思だ。
彼に付いて来いと言った覚えはなかった。
「俺はあの野郎に、金預けてんだよ!」
「何だ、賭けたのか?」
「ぼーっと突っ立てても暇だろうが。ちっと暇つぶししただけだよ。……だがあの訛り野郎、絶対ぇイカサマだ。こないだ貰ったばっかの給金、半分も持っていかれたんだぜ!?」
カーズは彼のぼやきに、クック、と喉を鳴らした。
リーガルとブレイヴなら、どう考えてもブレイヴに軍配が上がる。
「笑うんじゃねぇよ」
「残念だったな。だがどうせ別の博打でスるんだろう。潔く諦めろよ」
リーガルは大して賭け事が強い訳ではないのに、女や飯より博打が好きだ。
その割に借金で身を持ち崩す訳でもないので大目には見ているが、余った給金を全て注ぎ込むせいで、第二部隊を抜ける事もない。
「そういう訳にゃ行かねぇ。今度、デカい馬のレースがあんだよ。取り返さなきゃ賭けれねぇだろうが!」
「なら、文句を言わずに黙って付いて来い」
言いながら路地を折れたカーズの視線の先に、うずくまる黒い影が見えた。
何かさらに言いかけたリーガルも口をつぐむのを見て、カーズも表情を引き締める。
「おい」
明かりの届かない場所にいるその影に声を掛けると、影がピクリと反応して起き上がった。
影は、二人の人間だった。
片方は寝転がったまま動かず、もう片方はこちらを振り向く。
その手が、微かな光の照り返し受けてカーズの目に映った。
明らかに人ではないような鋭いかぎ爪が、血に染まっているのが見える。
「……妖魔!」
「あの中級か!?」
カーズとリーガルは、同時に剣を引き抜いた。
こちらへ向けて駆け出して来た妖魔は、この間の中級に比べれば格段に動きが遅い。
「別枠だ! リーガル、回り込め!」
「おうよ!」
振るわれた妖魔の爪を剣で受けたカーズは、それが下級妖魔であると確信した。
二人でも、どうにか相手に出来る。
「くたばれ!」
吼えたリーガルは、剣を握るのと逆の手で拳銃を引き抜いて、妖魔へ向けて発砲した。
正確な狙いで足を射抜かれた宿主が姿勢を崩し、カーズは剣を捻って力の抜けた爪を弾くと同時に、右足を思い切り相手の腹に蹴り込む。
息を詰まらせて後退する妖魔にリーガルが斬りかかったが、妖魔は横に跳ねて逃げた。
「リーガル!」
空振りしたリーガルに警告しながらカーズは駆け出すが、背中に隙を見せた彼を妖魔の爪が襲う。
しかし、その爪がリーガルの体に届く前に。
妖魔が、凄まじい音と共に吹き飛んだ。
妖魔と入れ替わるようにそこに立っていたのは、見覚えのある黒い鎧の男。
だが、以前見た時と違い右手に剣がない。
「……ブレイヴ?」
カーズの呼び掛けに答えないまま、ブレイヴは足を前後に開いた。
そのまま左手の掌を妖魔に向け、右手をかぎ爪の形に曲げて体の脇に構えた姿勢で、深く腰を落として構え。
「ーーー勢ッ!」
鋭い掛け声と共に掻き消えるように妖魔に肉薄し、右の掌底で妖魔の胸元を撃ち抜いた。
ドン、と重い音が響き、妖魔が体を震わせてから、ゴポリ、と口から血を滴らせる。
ブレイヴが腕を引くと、妖魔はそのまま地面に崩れ落ちて動かなくなった。
「死んだ、か?」
「……ああ、殺した」
長く息を吐きながら残心の姿勢を保っていたブレイヴが、構えを解いてカーズの呟きに答える。
「これが妖魔か」
「そうだ」
見下ろした男の死体を眺めるブレイヴに言うと、彼は鎧を収納してカーズらを振り向いた。
「一撃か……」
カーズは、複雑な思いで呟いた。
如何に生身に近い下級妖魔であっても、人を素手で、それも一撃で殺すなど、武道の達人であっても中々出来る事ではない。
鎧自体の強さもあるのだろうが、ブレイヴの腕前にカーズは戦慄すら覚えた。
そして同時に、第二部隊にその鎧があれば、と思う。
全員があれを纏っていれば、第二部隊の死亡率は格段に下がるに違いない。
世界に、たった一つしかないだろう鎧。
ブレイヴが、別世界からの異邦人、という事実を、カーズはにわかに現実味を帯びて感じた。
「おいコラ、ブレイヴ! この訛り野郎! てめぇ逃げてんじゃねぇよ!」
カーズの思索をぶつりと絶つリーガルの悪態に、カーズは我に返った。
ブレイヴが、リーガルに目を向けて軽く口の端を上げる。
「逃げた訳ではない。近くに、俺の装殻に似た反応があったから探っていただけだ」
「どういう意味だ?」
「装殻が、自身と同じものが近くにいるのを検知したんだ。例の妖魔とやらかと思ってな」
カーズは、下級妖魔を退治した安堵から一転、気を引き締めた。
「場所は!?」
カーズの問いかけに、ブレイヴは首を横に振る。
「反応が消えた。妖魔というのは擬態したりするか?」
「する、が。その、鎧が感じた反応というのは、妖気か?」
「おそらく違う。俺が検知したのは装殻反応だ。装殻は、収納状態であれば一般的には反応が消える。妖魔が人の姿になっていれば、こちらから察する事は出来ない」
「……何故、その反応を妖魔だと思った?」
カーズの問いかけに、ブレイヴは首を傾げた。
「どういう意味だ?」
「自分と同じ反応があれば、普通は自分と同じ異邦人が居るのかと思うもんじゃないのか?」
ブレイヴは、ほう、という顔でカーズを見て、それからまた笑みを浮かべた。
「鋭いな。その可能性は考えていなかった」
「バカにしているのか?」
「いや、言葉通りの意味だ。……俺が自分に似た反応を妖魔だと思ったのは、それが『自分の反応』だったからだ。理解しづらいだろうが、装殻には固有周波がある。一人一人、人間の顔が違うように、装殻の反応が違う」
ブレイヴは淡々と言い、カーズが理解しているのを見定めてから、言葉を続けた。
「この世界に来た時に、俺はおそらく、例の妖魔に装殻の一部を奪われた」
ブレイヴは、自分の左手をひらひらと振る。
「元々、俺の装殻は双剣持ちだ。だが目覚めた時、左手の追加武装が消えている事に気付いた」
「……あの妖魔は、消えた時に剣なんか持っていたか?」
カーズがリーガルの問いかけると、リーガルは少し考えてから口を開いた。
「いいや。あんたにぶっ刺された剣くらいしか持っちゃいなかったな」
「あの中級は、人をミイラにする妖魔……じゃないのか?」
カーズは考えた。
二人の隊員がやられた後、妖魔の動きがさらに速くなり、ハヤミが高位化の兆候を口にした。
そして、ブレイヴが現れた時点で、彼は既に、右手にしか剣を持っていなかった。
「奴の能力は人間のミイラ化ではなく……まさか、他人の力を奪う事、か?」
カーズは、あの中級妖魔を、触った相手をミイラにする能力の持ち主だと思っていた。
そうではなく、実際は活力に類する力を奪われたせいで、人間が老化していたのだとしたら。
「もしそうなら、奴は、他人の力を奪えば奪う程、強くなる……!」
妖魔はそもそも人を殺して強さを増すものではあるが、あの中級妖魔が、人以外のモノからも力を奪えるのだとしたら。
そして、ブレイヴから鎧の力を奪ったのだとしたら。
「……装殻の力を得たのなら、その妖魔は既に、常人では対処出来ん領域に達している可能性があるな」
厳しい顔のブレイヴの口にした推論は、カーズがあまり認めたくない可能性そのものだった。