第1節:ブレイヴ
「―――訊きたいことがある」
数日の間、妖魔は行方知れずのまま状況は動かなかった。
カーズは焦りを覚えながらも、目覚めた男の事情聴取を行なっていた。
男は、カーズの言葉を聞いて眉をしかめた。
「……随分、言葉の訛りがキツいな。どこの田舎だ、ここは?」
カーズからしてみれば、訛りがキツイのはお前の方だろう、と言いたくなるような口調で言う男に、静かに言い返す。
「ここはナナガだ。訛っているのはお前の方だろう」
「聞いたことのない国だな」
「聞いた事がない?」
カーズは、男に対して逆に眉をしかめた。
ナナガの国の名を聞いた事がないなどという奴が、この世にいるとは信じがたい。
目の前の目覚めた男は、どこか冷静さを感じさせる物静かな男だった。
体格はカーズと同じくらいで、軍人のような雰囲気がある。
学がないようにも見えなかった。
荒くれ揃いの第二小隊の人間よりも規律というものに慣れている素振りを見せるのに、その上で退廃的な目をしている。
身に秘めた危険性の『質』が、ただの街のゴロツキとは違う、とカーズは感じた。
恐らく、彼を怒らせたら喧嘩にはならない。
表情も変えずに銃弾1発で人を始末するだろう……そんなタイプに見えた。
「俺はカーズ。名前を教えて貰えるか?」
異質な印象の彼に、ナナガの国を知らない事実を問い詰めるより前に、カーズはそう尋ねた。
「何故だ?」
「お前は妖魔ではなく、人間だろう? 人と会話をする時には最初に聞くようにしている。お互いに、いつ死ぬかも分からないからな」
「ヨウマ……?」
不思議そうな顔をする男に、何処かお互いにズレがあるような感覚を覚えたカーズだが、男の方も情報を得るよりも先にカーズを見定める事にしたようだ。
「名を知ったところで、何か変わるのか?」
「ああ。俺にとっては重要な事だ。相手を数字ではなく、人間だと認識する為にな」
カーズは、自分が入隊してから死んだ奴だけでなく、退役した奴の名前まで、誰一人として忘れていない。
特に隊長に上り詰める事を決めた後は、必ず頭に刻み込む事にしていた。
「数字ではなく、人間」
男はカーズの言葉を繰り返し、軽く皮肉げな笑みを浮かべた。
「面白い事を言うな。兵は、所詮数字だろう?」
「俺はこのナナガで、治安維持警備隊第二部隊の隊長を務めている。部下を、数字だと思った事は一度もない」
カーズにとって、それは譲れない一線だった。
敏感にそれを感じ取ったのか、男はカーズを凝視した。
お互いに目を逸らさないままに睨み合い、男はやがて言った。
「ブレイヴ。それが俺の名だ。苗字も何もない、ただのブレイヴだ」
「奇遇だな。俺にも苗字はない。元々孤児だからな」
ブレイヴは、その言葉に軽く眉を動かした。
「軍人にはよくある事だ。が、戦争の最前線でもないのにその若さで隊長まで上り詰める奴は、珍しいだろう?」
「そうだな。だがそれを知っているという事はお前も軍属の経験があるんだろう、ブレイヴ」
「ああ。中国でな」
「……聞いた事のない国だ」
ブレイヴは、静かに頷いた。
「お互いに知らない事が多そうだ。俺は、穴にでも落ちたのかと思った矢先に、気付いたらあの場所に居た。色々、尋ねたい事がある」
「情報の交換は、歓迎する。俺もお前に聞きたい事が幾つもある」
ブレイヴは最初の印象よりも親しみを感じさせる声音で言い、カーズもそれに答えた。
彼の審査に、カーズは合格したようだ。
逆もまた、同様だった。
このブレイヴという男は敵に回すと厄介だが、同時に味方であれば信頼出来る男だと、カーズは感じた。
情報を交換する内に、カーズは、ブレイヴが最初に纏っていた黒い外殻はどうやらマギリウヌのような科学技術が発展した国で開発されたものらしい、と分かった。
だが、カーズには指輪に収まっているというそれが、話を聞けば聞くほど、あまりにも高度な技術の産物であるように思える。
そしてその鎧の存在が、ブレイヴという男が自ら語った推測を信憑性のあるものにしていた。
「俺のように、まるで聞いたこともない国からの異邦人が現れる……そうした出来事の存在を、俺は昔、元々居た軍で聞いた事がある。『次元転移』とそいつらは言っていたがな」
「何だ、それは」
「この世界にも、星の概念はあるか? ……なら、別の星から俺がやって来たとでも思えば良い。不確定な情報だったが、俺が元いた場所では、一つの国の独占技術だったこの装殻という鎧の開発を、突然別の国が物にした事がある。技術の発展した国、マギリウヌとか言ったか? そこで作られる物を、今いるこの国が突然開発に成功したような話だ。その原動力になったのが次元転移者だった、と言われていた」
ブレイヴの語る言葉は、分かりやすく理路整然としていた。
カーズの理解を正確に把握し、それに合わせた話し方をしている。
生来賢いのだろう。
それも知識を鼻にかけたタイプの賢さではなく、相手に合わせる事を知る者の知恵を持つ、と言う意味で。
「妖魔の力によって、その次元転移とやらが引き起こされた、と?」
「この世界では、我々の世界でいう寄生殻……人の変異させた化け物の事だが……が自然発生するようだな。信じ難い話ではあるが、理解出来ない事もない。そして実際に次元転移した先にその妖魔とやらが居たとなれば、俺がそこに現れたのが偶然だとは考えづらいだろう」
「……それで、お前はこれからどうする?」
カーズの問いかけに、ブレイヴは考える素振りを見せた。
妖魔を倒したところで、彼が本当に転移して来た者ならば、元の世界に帰れるというものでもない。
妖魔の引き起こした災害が、妖魔の死によって元に戻るわけではないように、彼の来訪もまた一方通行だ。
「まぁ、元の世界に戻ってもやる事がある訳じゃない。今からこっちの世界の良さを知り、お前と親交を深める為に……女でも抱きに行くか?」
「何だと?」
「だが俺には金がないし、情報料代わりにお前の奢りでどうだ?」
ニヤリと笑うブレイヴは、先ほどまでの知的な印象はどこへ行ったのか、第二部隊の連中と変わらないような俗物的にニヤケた顔をしている。
読めない男だ、とカーズは思った。
だが、悪くない。
そういう奴の方が、カーズとしては付き合いやすかった。
笑みを返しながら、指を擦る。
「カードで賭けるか? お前が勝てば奢ってやる。負けたらその指輪と交換だ」
「悪くないが、やめておこう。この装殻は長く一緒に居た相棒なんでな」
肩を竦めながらブレイヴが言い、カーズは笑い声を立てた。
「行くところがないなら、元気になったら第二部隊に来るか? お前なら十分務まりそうだ」
「考えておこう。少し疲れた」
カーズは頷いて、話を切り上げた。
「寝てる間に、お前を呼び出した妖魔に、寝首を掻かれないように気を付けろ」
「頭の回る、抜け目ない警備隊長が守ってくれる事を期待して、ぐっすり寝させて貰おう」
「探し物が自分から出向いてくれるなら、お前を囮にするのも悪くないと思うが」
「俺は撒き餌か? 殺して構わないなら、逆に食ってやろう。手柄があれば部隊に入りやすいかも知れん」
「本当に出来るなら、幾らでも手柄はくれてやる」
軽いやり取りを最後に交わしたカーズは、病室を後にした。