序章
ナナガ国には、治安維持警備隊第二部隊、と呼称される部隊が存在する。
対妖魔戦闘の為に招集されたその部隊は、様々な蔑称をもって呼ばれる、侮蔑の対象だった。
穀潰し部隊、宿主狩り部隊、血税を食い荒らす寄生虫……。
そう彼らが呼ばれる背景には、彼らの多くが、貧困によって部隊に入らざるを得ないようなヒエラルキー下層の人間である事が挙げられる。
また宿主と同化した妖魔は元の人物と区別がつかず、そんな風に下級・中級妖魔と化した家族を殺された者は、憎悪を彼らに向ける。
だが、対妖魔部隊であるにも関わらず、彼らに高位妖魔への対抗手段はない。
もし出現すれば、妖魔狩りである『珠玉』が来るまで、自分の命を賭けて時間を稼ぐ事しか出来ない。
市民も多く死ぬ。
故に、嘲られる。
普段相手にする中級妖魔も、油断出来る相手ではない。
下手を打てばあっさりと殺される。
故に、第二部隊の死亡率は高い。
第二部隊の隊長に就任したばかりのカーズは、だからこそ常に戒める。
「油断をするな。手柄なんかくれてやれ。危なくなればすぐに逃げろ。自分の命を、一番惜しめ」……と。
彼が一人の男と出会ったのは、いつものように第二部隊を率いて中級妖魔を追い込んでいた時の事だった。
※※※
何で、こんな事になった、と男は心の中で繰り返していた。
生来体が小さく、いつもイジメられていた。
父親は酒に、母親は男に溺れていて助けてはくれなかった。
学校にすら通えない、最底辺を這いずる人間以下のゴミ……それが彼だった。
彼は常に飢えていた、彼は常に望んでいた。
腹を満たしたい、俺をバカにする奴らを見返してやりたい……。
そうしたある日、通行人からパンをかすめ取って口の中に押し込みながら、彼が蹲って隠れていた時の事だ。
何かが、彼の中に芽生えた。
手を伸ばせば、何にでも届きそうな感覚、奪い取れそうな感覚……とでもいうべきものが。
その感覚に戸惑っているとパンをかすめ取った相手に見つかり、相手が腹を思い切り蹴ってきた。
せっかく食ったパンを吐き戻しながら相手の足を手で掴むと、その足が萎びた。
同時に、今まで感じた事もない力が、自分の足に籠るのを感じる。
試しに、倒れこみ、自分の足を見て悲鳴をあげる男の頭を、彼は思い切り蹴ってみた。
面白いくらい吹き飛んだ。
体に触ると、触った場所が萎びて、代わりに彼は触ったのと同じ所に力を漲らせた。
はは、おもしれー。
男の全身をミイラみたいにしてやり、気分が良くなった彼は、食い物を奪いながらどんどんどんどん触って行った。
その度に、彼は力を増して行った。
なのに。
ちきしょう、ちきしょう、ちきしょう。
彼は心の中で繰り返しながら、自分を追い詰める奴らを憎悪する。
一人一人は弱っちいくせに、徒党を組んでちみちみちみちみと、彼を苛立たせる事ばかりしてくる。
撃たれたところが痛ぇじゃねーか。
斬られた所が痛ぇじゃねーか。
なんでこんな事になった。
俺は腹一杯飯が食いたかっただけなのに。
俺をバカにした奴らを見返してやりたかっただけなのに。
ちきしょう、ちきしょう、ちきしょう。
力が足りない。
もっともっと、力が欲しい。
もっともっともっともっともっともっともっと……!
路地裏に追い詰められた彼は。
さらに、何処かに手を伸ばせそうな感覚を覚えた。
ここじゃない、目の前の奴らじゃない、別の場所。
見えない遠くに、手が届きそうなものがある。
力だ。
なんでも良い、力がいる。
俺を追い詰めるあの雑魚どもに触って、萎びさせて、嘲笑ってやるだけの力がーーー!
彼は見えない遠くへ手を伸ばし。
掴み取ったものを、ずるり、と自分と同じところへ引きずり込んだ。
※※※
「人をミイラにする妖魔だ、なるべく触らないように追い詰めろ! 奴は一人ずつしか殺せない! 後衛は逃げ遅れた前衛の援護を優先しろ!」@
カーズは、今のところは危なげなく妖魔を追い詰めている第二部隊の連中を、油断なく見守りながら声を張り上げた。
後衛は、怒鳴りあいながらも隊列は乱さずに妖魔の行く先へ銃弾を撒いて目的地へ誘導する。
前衛は、なるべく妖魔から距離を取りながら、銃撃の援護を受けて後退すると見せかけて袋小路へと誘い込んで行く。
数年前に襲ってきたあらゆる物を『ひっくり返す』力を持っていた高位妖魔と違い、この妖魔は力こそ強くすばしっこいが、広範囲に影響を及ぼすようなタイプではないと、カーズは見ていた。
それでも、二人やられた。
アハート、ウェルズーーー奴らはもう、リタイアだ。
その事実に奥歯を噛み締めながら、カーズは成り行きを見守る。
「カーズの旦那ァ!」
後ろから掛けられた声は、聞き覚えのある声だった。
ミズホ国からナナガ国へ派遣されている『デンキ』と呼ばれる者の一人、着流しを身に付けたハヤミだ。
「何だ」
戦況から目を離さないまま答えるカーズに、ハヤミは近づいてきて、ぼそり、と言う。
「どうにも、宿主と妖魔の同調が強まってる気配がしまさァ。力が増して……不味い塩梅だねェ」
高位妖魔に成り掛けている、という事だろう。
カーズはハヤミの言葉に舌打ちして、剣を抜くと前線に向かって駆け出した。
「どうなさるんで?」
「高位になる前に仕留めるしかないだろうが!」
カーズの睨む妖魔は、中級から高位へ変貌しようとしているとは思えないほど緩慢な動きで……と言っても常人よりはかなり速いが……ブツブツと何かを呟き続けている。
見た目は小柄な男に向けて一直線に走りながら、カーズは声を張り上げた。
「代われ、リーガル!」
妖魔の真正面に居た黒い肌のスキンヘッドの男に声を掛け、カーズは妖魔の前へ躍り出た。
妖魔が伸ばしてくる手を剣の腹で叩くように跳ね上げ、返す刃で袈裟斬りにする。
だが、腹に食い込んだ刃は浅い。
反撃を加えて来るかと思った妖魔は、目の前のカーズではなく、何もない明後日の方向にある虚空へと手を伸ばし……何かを引き抜くように拳を握って引いた。
同時に、カーズの頭上に、何かの気配が生まれる。
それを感じたカーズは後ろへ跳んで転がり、下がりつつも前線の隊列を崩していなかったリーガルの横で跳ね起きた。
「何が出た!?」
確認しながら自分でも目視するカーズに、リーガルが答える。
「さぁな。新手の妖魔だったら笑えねぇ話だ」
低い声の告げる通り、そこに、人ではない何かが居た。
黒い昆虫のような外殻に、手にしているのは一振りの片刃の長剣……に見えたが、それは右手と一体化しているようだ。
硬質なフルフェイスメットのような頭部には、一対の赤い目が光っている。
見たこともない奇妙な生き物。
人の形をしたそれは、今まで目にした妖魔ともどこか違う。
「なんだぁ?」
「妖気は……感じやせんがねェ」
黒い生物に気を取られている隙に、最初の妖魔がリーガルへ向けて地面を蹴った。
「ッ下がれ!」
それを見たカーズは、リーガルの頭を地面にねじ伏せるように押さえ付け、手にした剣を瞬時に逆手に持ち替えながら、伸びてきた妖魔の掌を体ごと押し倒すように突き抜く。
全体重を刀身に乗せたカウンターは、肉を貫く鈍い音と共に鍔元まで妖魔の腕に食い込んで行き、カーズの眼前で掌が止まった。
人をミイラに変える力を持った掌が、皺の一筋まで見えるような至近距離で。
「……!」
流石に肝を冷やしたカーズだが、妖魔の腕は自身を貫くカーズの剣を握り込むようにもぎ取りながら、すぐに視界から消える。
「逃げやした!」
「囲め!」
隣で同じように頭を伏せていたハヤミの言葉に、即座に指示を出したカーズだったが、妖魔は崩れた包囲を凄まじい速さで潜り抜けてあっという間に路地の角へと辿り着く。
その妖魔の背後で、後衛の放った銃弾の群れが跳ねる音が虚しく響き……妖魔は、姿を消した。
「クソがッ!」
毒づきながらもカーズは目線を残った黒い生物に向ける。
だが、黒い生物は第二部隊を襲ってくる気配もなくその場に立ち尽くしていたかと思うと、不意に糸が切れたように倒れ込んだ。
体を覆っていた外殻が溶けるように崩れたかと思うと、現れた中身が身に付けた指輪の中にどういう理屈でか吸い込まれていった。
残ったのは、見慣れない全身にプロテクターを貼り付けたボディスーツを身に纏う、黒髪の男。
「人間、ですかねェ?」
「さあな」
ハヤミの言葉に雑に応じて、カーズは慎重にうつ伏せの男を蹴り転がした。
仰向けになり目を閉じている男は、浅い呼吸を繰り返しながらも目覚める気配はない。
「こいつは、妖魔じゃないんだな?」
ハヤミに確認すると、彼は起き上がりながら頷いた。
リーガルも、横で頭を振っている。
「乱暴だぜ、隊長さんよぉ。首が痛ぇ」
「命とどっちが大事だ?」
「どっちも大事に決まってんだろうが」
空気のように文句を吐くリーガルに、カーズは軽く笑みを浮かべた。
「それだけ元気なら、もう少し働けるな。コイツはお前が担いで連れて行け」
「あぁ!?」
嫌そうな顔をするリーガルに、カーズは軽く首を傾けて目を細める。
「嫌なら、お前も運ばれる側になるか?」
「……冗談キツいぜ」
カーズの気が立っているのをようやく悟ったのか、リーガルは倒れた男を担ぎ上げた。
「一体、何者なんでしょうねェ?」
ハヤミがリーガルの背中を見送りながら言うのに、カーズは軽く肩を竦めた。
「目覚めたら聞く。それよりも……」
カーズは、逃げた妖魔が気になっていた。
「高位妖魔へ変化するなら、『珠玉』への依頼が必要だ」
「……取り次ぎやすよ。詳細は、追って連絡しまさァ」
ハヤミの苦みを含んだ言葉に、カーズは頷いた。
『珠玉』の到着まで、どの位掛かるか分からない。
ハヤミが去った後、カーズは、自分も妖魔捜索の準備を行う為に動き出した。