価値無し
僕は、無価値な人間だ。
そう断言できる人間は、この世界でもそうそういない。
「え、僕かい? いやだなぁ」
当然、平々凡々たる僕にはそのような断言はできそうに無い。自らを無価値だ、とそう一丁前に自らを卑下できる時点で、僕からしてみれば尊敬の対象だ。よく厚顔無恥にもそんなことを他人の前でのたうちまわれるものだと、感服してしまうね。
僕は、自らを無価値だと断ずることすら出来ない。心のどこかで、自分は選ばれし人間なのだと、いつか勇者として異世界に召喚されるような人間なのだと、ああ、恥ずかしながら思っている。
「恥ずかしいね。とても恥ずかしい告白だ」
こんな初心な中学生が初恋の女の子に向けるラブレターよりも恥ずかしい告白を、恥ずかしい僕はよくも臆面無く出来るものだ。「我」ながら感心しちゃうね。
そもそも、ここで言う「僕」や「我」って何なのだろう。
僕は、当たり前のように太陽系の第三惑星地球上に生を受け、当たり前のような会社員の父親と専業主婦の母親を持ち、そして当たり前のように学校に通い、当たり前のように友人たちと交友関係を築き、当たり前のようにそこそこの青春活動に勤しんでいる。
成績は優秀。運動は人並み。生徒会では重要な役職も占め、文化祭ではクラス代表として皆をまとめ、数々の部活動に参加した。交友関係は幅広く、趣味もゲームや読書、ネットサーフィンに散歩と多趣味。彼女いない歴が年齢と比例している。
ああ、これらの僕という個を装飾するオーメントは何ともすばらしく、
「何とも、つまらない」
なんとつまらない人間だろう。
勉強が出来る? それが、その人物の価値になるのか?
様々な部活動や生徒会活動に勤しんだ? そんなものが、その人物の価値になりえるのか?
わからない。履歴書に書かれるようなあらゆる出来事は、ある意味その人物を評価するにあたってはトップレベルに無意味なものに見えるのは、僻んだ僕の悪性格ゆえかな。
ああ、分かっているよ。君の問いたいことは。
『じゃあ、一体何が人間の価値だって言うんだい?』
君はそう問いたいんだ。
え、違うって? んー、そうか。でも、僕はこのことについて話したいから、君の意見は取り入れないことにするよ。
結論から言うと、それは僕にも分からない。
ただ単に学力という側面から言えば僕は非常に価値のある人間ということになるけど、それって上を見れば五万と価値ある人間が存在している。いや、五万じゃ効かないな。少なくとも、僕がフォンノイマンと同時代に生まれていて、彼と僕のどちらかが必ず死ななければならない状況に陥ったら、僕は間違いなく自らの死を望むね。それが全体への利につながる、って奴だろう?
そうだな。僕は自分の中に自分を見つけられない。そして自分の中に自分の価値を見つけられないんだ。
「青臭い? ああ、そうかもね。うん、きっとそうだな」
月並みな表現をすれば、アイデンティティクライシス、というやつだろうね。思春期や青年期特有の麻疹みたいな病さ。この年頃の少年少女は、自分は何のために生まれてきて、何者で、何をなすべきなのか、みたいなこれまたこっ恥ずかしい妄執に囚われるんだと。
つまりは、僕もその一端って奴なのかな。うん、なるほどきっとそうだ。これが麻疹なら、寝れば明日にはすっきり治ってることだってあるはずだ。なら、何の心配も無い、そうだろう?
そう言って、もう何年が過ぎたか分からないけどね。
『○○君ってすごい頭いいよね』
とは、名前も思い出せない女子のお言葉。
『○○のこと嫌いな奴なんているのか? お前のこと好きになってくれる人、絶対いると思うけどなー』
とは、顔も思い出せない男子のお言葉。
「泣けてくるね、泣けてくる。こんな僕に、もったいないお言葉だ」
彼らの言葉は、一瞬だけ僕の自尊心を肥大させ、自分が価値のある有能な人間だと錯覚させてくれる。その錯覚の中で生き続けていられれば、どれだけ幸せだろうか。
けれど、賢い(おろかな)僕は、すぐに彼らの言葉から現実に舞い戻ってくる。
やあ、また会ったね「現実」。元気にしていたかい? 出来ればもう二度と会いたく無かったよ。くそったれなお前なんかと。
「ああ、勘違いしないでくれよ」
別に僕は厭世的、ってわけじゃないんだ。
不幸にも小さいころに妹を亡くし、不幸にも両親からの日常的な虐待に耐え続け、不幸にも自らの学費を自らで稼ぎ、不幸にも学校のお友達にいじめられ、不幸にも不治の病にかかっている。
なんて、物語的な主人公的な魅惑的な不幸的エピソードは一切無いのさ。
「ほらね、つまらない。現実ってやつはさ」
でも、現実さんも僕に向かってこう言いたいだろうね。
『くそったれなのはお前だ。お前の方がつまらない』
仰るとおりだ。返す言葉も無いよ。
うん、僕はつまらない人間だ。
こうして、絶望した僕は家の近くのビルから飛び降りて自殺したのだった。
と、終わってしまえれば楽なんだろうけど、そうは問屋が卸さないのが僕の面倒なところなんだよ。
第一、自殺を図る勇気があるような人間がうだうだと小難しくくだらない思考をこねくりまわすと思うかい? 僕よりもまともな一般常識をお持ちの皆さんなら明白だろう。
結局、自分の人生ってのは何のためにあるんだろう。
好きなことをして生きようって、某動画師は声高に叫ぶよね。
好きなことを仕事にはするなって、某漫画家は低くうなるよね。
ああ、何て自分勝手なのだろう。彼らは誰もが正しくて、誰もが間違っている。
だから、答えなんて分からない。通り一遍の表現をすれば、答えなんて無い、って言うのが答えなのかな。
何とも一休さんもドン引きのくだらない問答になってしまった。
これじゃあ、いくら無価値の僕といえどお天道様に顔向けできないな。
「これは僕という存在の今の自伝であり、事典であり、時点でもある」
なかなかに洒落た言い回しだと思わないかい? あ、思わない? そう……
人並みに喜んで、人並みに悲しんで、人並みに悔しがって、人並みに怒って、人並みに頑張って……
「頑張ってないな、僕」
あはは。何でも中途半端なんだよね。何をやるにしても中途半端。人並みレベル。決してその上へ行けない。行かない。行こうとしない。
だからかなぁ、自分に価値を見出せないのは。
価値ってのは、見出すものなのかな。
分からない。
分からないなぁ。
「うん、お手上げみたい」
こうして僕は肩をすくめる。
それが当たり前であるように。
それが常識であるように。
それが人並みであるように。
「やっぱり僕は、価値無しだ」
特に深い意味はありません。ジャンルを「純文学」とか「ヒューマンドラマ」とかにするのは片腹痛かったのでやめました。