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第七話 海の涙

青い空、白い雲。じりじりと照りつける太陽。

海は青く、どこまでも広がっている。

俺の居た世界とは違い、海は澄みきっている。

時折、青い海とコントラストを描く赤いスポットが見える。

その周囲には多数の人食い鮫が群れているが、それは御愛嬌。

船長が言うには、運の悪いアザラシが鮫に捕食されたせいらしい。


国境砦の戦場に残った呪いを浄化しきるのに、結構な時間がかかってしまった。

季節は、既に夏。日差しがぎんぎんと俺たちを照りつける。

カレーから船に乗って、波に揺られること数日。

街中に水路が張り巡らされたヴェニスの街に辿り着いた。

このあたりでは、十数年に一度、イワシなど、小魚の大繁殖が発生する。

その小魚を目当てにアザラシが集まり、アザラシを目当てに凶暴な鮫が集まるという図式。

鮫からしてみれば、人間なんぞ、大き目のアザラシに見えるわけで。

この、人食い鮫ビックウェーブの時期には、大漁だけど超危険。

そんな曰くありげな港町、ヴェニス。

「クラリネさん?町中、サメ注意としか書いていないのですが」

ヴァネッサが目を丸くしながら町中を見渡す。

「そうだな。やっかいな時にあたったもんだ。

ただ、この時期、魚料理は美味いぞ?魚め、食う方も喰われる方も必死だからな」

クラリネ爺さんがうんちくをたれると、横からクレアが大きく頷く。

「だよね~。海に近づかなければいいさね」

「そういえば、クレアはここに住んでたって言ってたな」

「そうだよ。あれはニケン(弟)が産まれる前だから、うちもまだ5歳くらいだったかな」

クレアは懐かしそうに、町中を見渡す。

「結構、変わっちゃったから、案内もできないけどね」

彼女の親父さんは商人だった。最初は貿易で小金をため、内陸に自分の店を持ったらしい。


「さて、確認するぞ」

修学旅行の引率の先生のように、クラリネ爺さんがヴァネッサとクレアを呼び寄せる。

「ここヴェニスには、水のマテリアの修練ができる、水の神殿がある。

神殿は、ここから、少しだけ内陸よりにある。ヴェニスに流れる川の源流だな」

「あぁ、知ってる、知ってる。うちも、昔そこに行った事があるよ」

「あれ?クレアさんも、神殿に行ったのですか?」

ヴァネッサが不思議そうな顔をして尋ねる。

「神殿と言ってるけど、実は学校みたいな所なんだよ」

「学校?」

ヴァネッサがぽかんと口を開ける。

「そうだよ。町の子供たちに、勉強と水泳を教えてくれるのさ」

「うむ。図書館も兼ねているな。内陸出身の人間は、水棲生物のイメージがしにくい。

だから、図鑑や本で海の生き物を学ぶ必要がある」

「確かになぁ。田螺とかメダカとかに変化しても、活用しにくいからな」

クラリネ爺さんの言葉に、俺は納得する。

「ただ、水泳教室を兼ねている関係上、神殿の建物は男女別になっているのだ。

というわけで、クレア、ヴァネッサの事は頼んだぞ?」

朗らかな笑いを顔に浮かべながら、クラリネ爺さんが手を振る。

きっと、この後、酒と美味い飯にでも行くつもりだな。

「まぁ、こうなると思ってたんだよね。いいよ」

「と、ところで、何故に水泳なのですか?」

ヴァネッサの顔から明るさが消えていく。

「もしかして、ヴァネッサ、泳げないとか?」

かくかくと、ヴァネッサが首を振る。

「ヴェニスの人魚姫とよばれたうちが、特訓してあげよう!行こう ヴァネッサ」

「頑張れよ~」

クラリネ爺さんに見送られて、乗合馬車に乗って神殿を目指す。

学校を兼ねているせいか、幌の無い馬車には子供たちの姿が多い。

子供だけで馬車に乗っているところをみると、このあたりは治安がいいのだろう。

海の治安は最悪だが、住みやすいところみたいだ。


10分ほど馬車に揺られると、大きな建物が見えてきた。

建物は3つの棟から成っている。

「中央の一番大きなのが図書館だよ。

向かって左が、男の子学校、右が女の子学校だね。ヴェニスは水路が多いから、

万一落ちた時に備えて、みんな水泳をやっているのさ」

俺も、幼い頃はスイミングスクールに通っていた。

小学校の高学年くらいで辞めてしまったが、馬車の子供たちの雰囲気は、

そのときのスイミングスクールを思い出させる。


水の神殿に着いた俺たちは、まず正面の図書館に行って手続きを行う。

「巫女」という言葉を聞いて、受付の女性は、館長室へと案内してくれた。

館長は、50代半ばくらいの落ち着いた雰囲気の女性。

白髪を優雅にまとめ、ゆったりとした白い服を着ている。

聞いた話によると、彼女も元巫女。時間切れで旅に失敗して、帰ってきたらしい。

そして、ヴェニスで路銀を稼いでいたが、居心地の良さにそのまま定住することにしたそうな。

「あらあら、可愛らしい巫女様ですね」

「ヴァネッサ=ヘイスカリ と言います。よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ。巫女様は、何のマテリアをお持ちですか?」

「氷と風です」

「では、新たなマテリアの獲得の仕方はご存じですね。

水のマテリアに対して、守護霊様のお姿のイメージはありますか?」

「実は、わたし、あまり海の生き物というのを見る機会がなくて、

これといったイメージが無いんです」

「あらあら」

館長は、にこにこしながら口に手を当てる。

「そういう巫女様や神官様もいらっしゃいますね。

港で、鮫をご覧になったでしょう?

広い海には、あの鮫よりももっと強くて大きい生き物がたくさん居ます。

その知識についても、ここで得ていってください」

ヴァネッサは、館長が呼んでくれた女教師にマンツーマンで授業を受けることになった。

女教師といっても、年齢は40前後。

長年、水泳教師をしているせいか、浅黒く日焼けした筋骨隆々の「スポーツ(ウー)マン」だ。

彼女に連れられ、まずは海の生き物の授業を受ける。

まずは、鮫。

「鮫ってすごいですよね。鮫でいいような気もします」

「いいえ、じつは鮫は弱いんです」

ヴァネッサの感想に、女教師が反論する。

「鮫は、アザラシなどの自分よりも小さくて弱い動物を主食とします。

人間にしても、鮫の成体と比べると、半分以下の大きさしかないのです。

大人と子供ほどの体格差があるのですから、勝てて当然ですよね」

「ほほ~、そうなんだ」

隣でクレアが腕組みをする。

「鮫の天敵と言われているのが、シャチです。

大きさにして、鮫の1.5倍程度ですが、咬合力にして3倍。速度も3倍です。

シャチが鮫に引けを取ることは無いでしょう」

女教師は図鑑をめくり、白と黒で染め分けられた海洋ほ乳類の図を示す。

「じゃ、シャチなのかなぁ」

「他にも、クジラという生物が居ます」

「あ、お話で聞いた事があります。島みたいな魚ですよね」

「ええ、実際には、雄の成体で20から30mほどですけどね。

そのくらい大きくなると、尾びれの一撃で鮫は全身骨折して死にます」

「うわぁ……」

「他にも、イルカの頭突きで、鮫は内臓破裂して死にますね」

この女教師、鮫に恨みでもあるのかな?横で聞いてると、ディスりかたが半端無い。

「とはいえ、クジラまで大きくなると、小回りが利かないのでお勧めはできませんが」

「こっち側のページはなんですか?」

ヴァネッサは図鑑をどんどん繰って、カラフルな違うページに行く。

「こちらは、温帯に住む生き物ですね。

温帯の生き物は、毒で身を守るタイプが多いです」

「こっちは?」

「こっちは、伝説上の生き物になります。

クラーケン、シーサーペント、リヴァイアサン、いずれも簡単に船を沈める海の悪魔です」

「こういうのにすることは出来ないんですか?」

「それは、巫女様次第ですね。

具現化する存在を大きくすればするほど、巫女様に負担がかかります。

それに、海ではいくら大きくても良いのでしょうが、川や湖の事も考えると、

ほどほどの生き物にしておいた方が良いかと思いますよ」

「ありがとうございます」

「では、次は水泳の授業ですね」

女教師が、うれしそうに指の関節をぱきぱきと鳴らした。



予想していたことではあるが、縫製の技術が拙いこの世界で「水着」はごてごてしていて、体のラインは見えようがない。

ぱっと見には、半そで半ズボン。

この程度の露出度で男女分割する必要があるのか、俺には疑問ではある。

だが、この世界はそういうもんなのだろう。

水泳用のプールは、岩を削って造られた巨大なものだった。

奥行20m、差し渡し5m、深さは1.5mほど。

男子用にも、同サイズのものがあるらしい。

なんでも、昔ここに立ち寄った神官が、大地の魔法で、岩から削りだして作ったものであるらしい。

ちゃんと排水溝まで完備している。

それまでは、ため池を使っていたので不評だったとか。

水は、上流から流れてくる川の水を引いているそうだ。


「準備体操を始めます」

水泳教室の先生が、手足をぶらぶらさせ始める。

半そでから見える腕や太ももは、俺よりも圧倒的に太く、筋肉が波打っている。

ヴァネッサやクレアも、それをまねてぶらぶらさせる。

「これで、泳げるんですね」

「いや、どっちかというと、溺れないための運動かな」

手なれた感じで準備体操をしながら、クレアが答える。

「では、適当で良いので、軽く泳いでみてください」

先生の指示に従って、クレアとヴァネッサが水の中に入る。

クレアは綺麗なフォームで、クロールを泳ぎだした。

息継ぎでぶれる所はあるが、確かに自慢できるくらい、速度も安定感もある。

「クレアさん、素晴らしいですね。教えることはなさそうです」

女教師もべた褒め。

ヴァネッサは犬かきのようなよくわからないフォームで、すこしづつ進む。

だんだんと頭が沈んで行き、5mほどで水面から見えなくなった。

あぁ、沈んだな……。

女教師が、片手でヴァネッサを引き揚げながら、うれしそうに微笑む。

「これは、基礎からですね。やりがいがありそうです」

その笑みは、鮫が獲物を見つけたときのように思えた。


「いぎだくないですぅ~」

だだっこのようにごねて、ヴァネッサはクレアを困らせる。

今日は、水泳教室4日目の朝。

北国出身のヴァネッサが泳げないことはなんとなく覚悟していたが、ここまでカナヅチとは思わなかった。

今までもそれほど運動神経が良い方じゃないなぁ とは思っていたが、

水泳に関しては筋金入りらしく、まだ5mラインを超えることが出来ない。

クレアがなだめすかして、ようやくヴァネッサをベッドから引きはがし、水泳教室に連れていった。

昨日の「餌」は、かき氷だったが、今日はなんだったんだろうな。


午前中の水泳教室が終わり、昼食のために一度街へと戻る。

子供たちの中には、お弁当を持ってきて神殿で食べる子も居るし、併設された食堂で昼食を買うこともできるのだが、ヴァネッサが神殿から離れたがるので俺たちは街で食うことにしていた。

「今日は、ゴンドラの上でランチですよ」

ヴァネッサが腕いっぱいに屋台の食べ物を抱えて、ゴンドラをチャーターする。

「お嬢さんたち、よく食べるねぇ」

女性2人とは思えないほどにたくさん広げられた食べ物を前に、ゴンドラ漕ぎのおじさんが目を丸くする。

「あ、飲み物忘れた……」

「あの店、おすすめだぜ?よく冷えた、美味い果汁水があるのさ」

クレアのつぶやきを聞きつけた漕ぎ手のおじさんが、水路の反対側の屋台を指さす。

「へぇ、じゃ買ってくるから、ちょっと待ってて、ヴァネッサ」

「ワシも一緒に行ってやるよ。アイツはダチなんで、まけさせるさ」

「ふふ、それで2人とも万歳って話?おじさん、商売うまいね~」

「おっと、ばればれかい」

クレアと漕ぎ手は、笑いながらその屋台に飲み物を買いに行く。


「きょ~うも、た~くさん~売れたのにゃ~」

そこへ、何処かで聞いたことのある声が聞こえてきた。

それは、猫娘パルック。彼女は、先の国境砦では、いつの間にか居なくなっていた。

「パルック!ここであったが っとうあぁぁ」

ヴァネッサが勢いよく立ち上がろうとしたが、不安定なゴンドラの上でバランスを崩し、

あっちこっちへとよろよろとつんのめり、水路の中に落ちそうになる。

「巫女様ぁ、何をやっているのにゃ」

パルックがあわてて、ゴンドラの中に飛び乗り、ヴァネッサの体を支えようとする。

「ぐ、【具現化】!」

「え!?」「だめにゃ!」

軽くパニックになったヴァネッサが、事もあろうに、俺を狼に具現化させる。

俺は、ゴンドラそばの水路の上で実体化させられ、大きな水しぶきと共に水路に水没した。

陸地に這い上がろうと必死で前脚を動かす。

そのはずみで、爪がもやい綱をひっかけ、切断してしまった。

ゴンドラは、ヴァネッサとパルックを乗せたまま、陸地を離れ始める。

水音を聞きつけた漕ぎ手のおじさんがあわてて駆けつけてくるが、ゴンドラはどんどん岸辺から離れていく。

「ヤバイ、今は引き潮だ!」

潮にのったゴンドラはどんどん加速し、水路を駆け抜けていく。

俺は具現化を解除して、ヴァネッサのもとへと急いで戻った。



「きゃぁぁぁぁぁ!」

「うにゃぁぁああ!」

ゴンドラは、ジェットコースターのように、街の水路を駆け抜け、海へと向かう。

そのままの勢いで、水路と海との間に設けられている鮫避けの鉄柵を乗り越え、海に飛び出していく。

柵を乗り越える時、船底から鈍い音がして、板に大きく亀裂が入る。

海に出てもゴンドラの勢いはとどまらず、どんどんと外海に出てしまった。

軽快に海を駆け抜けてはいるが、亀裂から徐々に海水が入ってくる。

さらに、ゴンドラは、変な流れに捕まって、どんどんと陸地から離れていった。

「やばいにゃ、水を汲みださなきゃ!」

水がくるぶしを超えたあたりで、パルックがなんとか海水を汲みだし始めるが、焼け石に水。

船の中の海水がどんどん増え、ついにゴンドラは転覆してしまった。

「わ、わたしは泳げません~」

「落ち着くにゃ、下手に動かずにいれば身体は浮くにゃ!」

だが、ヴァネッサはばたばたと手足を無駄に動かし、沈んで行く。

俺は一足先に海中にもぐり、周囲を見渡す。

こちらの動きに気がついたのか、1匹の鮫がゆっくりとこちらに泳いでくるのが見えた。

「ヴァネッサ!鮫が来る」

「ごほ、【具現化】!」

俺の身体が狼の姿に変わる。

だが、ここは海中。自由に動くことすらままならない。

そして、襲いかかってくるのは、俺より一回り大きな鮫。

「【氷矢(アイス・アロー)】」

鮫に向けて氷の魔法を放ち、足止めを行う。

だが、海中での鮫の機動性はすさまじく、水の抵抗で失速している氷矢を軽々と回避して俺に向かってくる。

鮫の体当たりで【氷殻】が砕ける。鮫は俺の懐に飛び込み、前足の付け根に深々と歯を立てた。

肉が食いちぎられ、骨が砕ける嫌な音が響く。

「【氷柱(アイス・ピラー)】」

動きの止まった鮫の半身を氷付けにすると、動きを封じられた鮫は、海底に沈んで行った。

自分の体を確認すると、鮫に食いちぎられかけた前足は、激痛が走り、動かす事が出来ない。

具現化が解かれ、俺はヴァネッサの元に引き戻された。


俺が引き戻された時、ヴァネッサとパルックは、断崖の岩肌にある洞窟の中に退避していた。

洞窟の入り口は海の中に没しており、一旦海に入らなければ出入りできないようになっている。

この洞窟は、高さ5mほど、奥行きが10mほどの大きさで、奥は行き止まり。

天井には、光が漏れてくる小さな穴がいくつもあいており、人が通る事は出来そうにないが、採光と換気については考えなくてもよさそうだ。

天井から漏れてくる灯りで洞窟を見渡すと、上の方に潮の跡が見えた。

満潮になると潮で満ちてきて、洞窟の中は水没してしまうようだ。


「タクヤさん、わたしのせいで、パルックが怪我しちゃって……」

泳げないヴァネッサが下手に暴れたせいで、洞窟に入るときに、パルックが岩で足を怪我をしたらしい。

太ももあたりがざっくりと削られていて、そこからぽたぽたと血が滴り落ちている。

「それほど深い傷ではないにゃ」

パルックは、自分の服の裾を切り裂き、手早く傷口の血止めを行う。

塩水が傷口に沁みるのか、顔をしかめている。

霊体である俺は、海の中の行ける範囲まで行き、洞窟の外側の様子を確認する。

洞窟の外の海には、鮫がうようよ集まっていた。血は鮫を呼び寄せる。


「タクヤさん、海、どうでした?」

「鮫が集まってる。今、外に出るのは危ない」

「鮫は、血の匂いに敏感だからにゃ。でも少し待てば、何処かに行ってしまうにゃ」

パルックが俺の言葉に答える。

「そういえば、パルックは俺の声が聞えるのか?」

「獣人族の中でも、猫族は霊体の感知に長けているにゃ。

だから、居るのが解っていれば、守護霊の姿も見えるし、声も聞こえるにゃよ」

「そっか。待ち時間ついでに、ちょっと教えてくれないか?」

「何をにゃ?」

「どうして、守護霊をそんなに嫌うのか だ」

パルックは俺とヴァネッサのほうをじっと見詰めたあと、ひとつため息をついてから話し出した。

「いいにゃ、教えてあげるにゃ」


■パルックの話

「ずっとずっと昔。獣人にも神官が現れたにゃ」

パルックは、獣人に伝わる言い伝えを教えてくれた。

獣人はどの動物を取り込んでいるかで千差万別であるが、その生き方はおおまかに2つに分かれる。

一つ目は、森の外周に住処を構え、人間との付き合いを積極的に行う平地族。

二つ目は、森の奥に住み、人間どころか他の獣人ともほとんど付き合おうとしない森林族。

この森林族に、一人の神官が現れた。

彼は、守護霊を使役できるものの、人間のように旅をしようとはせず、

自分が生まれ育った森で、のんびりと暮らしていた。

だが、あるとき、平地族との取引で森を訪れた人間が、神官の存在を知ってしまった。


「呪いを浄化してほしい」「魔物を退治してほしい」

呪いや魔物で苦しめられている人間たちは、平地族を通してその神官に懇願した。

だが、神官は森から出ることを嫌がり、固辞し続けた。

その結果、だんだんと人間と獣人の間に亀裂が入った。

人間の神官や巫女は、呪いを浄化することを使命とする者も多い。

当然、獣人が相手であっても、彼らの頼みに応えて森に入り、呪いの浄化を行ってきた。

人間との付き合いも多い平地族は、何度もその恩得を受けてきている。

平地族からも、何度も神官に懇願したが、やはり神官は森から出ようとしなかった。

人間と獣人。

ずっと平和に暮らしてきた二つの種族は、坂をころげ落ちるように険悪な関係へと変わっていった。


「そして、ある日。神官の一家を人間が襲ったにゃ」

人間の過激派が、神官の一家に襲撃を行った。

当時、神官や巫女は同時期に世界で一人しかなれない と信じられていた。

役に立たない神官が居るのであれば、それは害悪となる。

そうした信念を持ち、過激派は動いた。

神官の住処は森の奥。襲撃には平地族の手助けもあった とパルックは付けくわえる。

守護霊の奮闘むなしく、神官を残して一家は全滅。絶望し、神官は自害する。

そして、遺された守護霊から、ノーライフキングが生成された。

「ノーライフキングは、近くにあった人間の街に襲いかかったのにゃ」

そして、ひとつの国が滅んだ。

手助けをした平地族。それが、パルックの先祖にあたる。

「守護霊は、両刃の剣にゃ。

あたしの一族は、守護霊に頼らずに呪いを浄化する方法を探しているのにゃ」

パルックの長い話が終わった。

天井から降り注ぐ光の位置がかなり動いている。

「見つかったの?守護霊を使わずに、浄化する方法」

ヴァネッサが問いかける。

「ある種の植物に浄化の力があるのがわかったにゃ。でも、まだまだ弱いのにゃ。

だから、あたしはもっと強い力を持った植物を探すため、薬師をしながら各地の植物を観察・採取して回っているのにゃ」

「そっかぁ、見つかるといいね」

洞窟に、沈黙が流れる。

「守護霊がいるから、アガルタなんてものがあるのにゃ……」

ぽつり とパルックが漏らす。

だが、俺は違和感を感じた。

守護霊がノーライフキングとなり、アガルタという玉座で世界を支配する。

もし、それが本当なら、守護霊は、アガルタよりも前から世界に居なければならない。

だが、俺が聞いた限り、守護霊の出現は、アガルタよりもかなり後になってからである。

大量の魔物を前に、民を守るため盾となった英雄王と契約したのが、最初の守護霊。



「あたしからも、聞いて良いかにゃ。あんたは、なんで守護霊をやってるのかにゃ?」

パルックが俺の方を見ながら質問する。

「一言で言えば、生き返るため だな。

俺は、こことは違う世界で産まれて、事故で死んだ。

でも、守護霊となって主人を守り切れば、生き返れる と言われたんだ」

予想外の回答に、ぽかんとした顔をするパルック。

「変な話にゃね」

「俺も、そう思う。

でも、それを言ったやつには、信憑性というか、誠意のようなものを感じたんだ」

「ところで、生き返るのは、どっちの世界なのにゃ?」

パルックが右手と左手、双方の指を一本ずつ立てながら質問する。

きっと、元の世界とこの世界のどっちで生き返るのか?を聞いているのだろう。

背後で、ヴァネッサが緊張する気配がした。

「たぶん、この世界なんじゃないかな」

希望も兼ねて、憶測を語る。元の世界での俺は、既に死人。

奴の口ぶりでは、今まで何人か「成功」が居たようだった。

でも、現実世界でそんな話は聞いた事も無い。

気が付くと、パルックが俺たちを見比べながら、にやにやしていた。


「さて、そろそろ鮫も居なくなったと思うにゃ。

あたしはこの怪我だから、海に出たら鮫を呼び寄せちゃうにゃ。

巫女様一人なら、守護霊の力でなんとかなるにゃよ。あたしを置いて、行ってほしいにゃ」

パルックは笑いながら、俺たちに話しかける。

「でも、でも、パルックを置いていけないよ」

ヴァネッサが反論する。

だが、現実として水中では、氷の魔法も風の魔法もたいした威力を発揮することは出来ない。

この辺りの鮫は大きいのだと体長5,6mはある。

先ほどの戦闘でわかったが、海中での機動性は鮫が圧倒的に優位。

泳げないヴァネッサを抱えてなら、陸地まで行くのがやっとだろう。

複数の鮫に襲われたら、対処しきる自信はない。

せめて、ヴァネッサが泳げたら、水のマテリアが使える。

そうすれば……。

「あたしは今まで、巫女様の事も、守護霊の事も、何も知らずに嫌っていたにゃ。

守護霊なんて居なくなれば良いって。そのツケが回ってきただけにゃ」

パルックは俺たちから目をそらし、岩肌をみながら語る。

その声には、少しだけ、涙が滲んでいるように聞えた。


「えい!」

突然、ヴァネッサが、パルックを海水の中に突き飛ばす。

既に潮の満ちが始まっており、深い所ではひざ下くらいまで海水が溜まっている。

「ギャ~、しみるにゃ~~」

傷口が海水に触れ、パルックが悲鳴を上げる。

滲みだした血が、海水をほのかに赤く染める。

「巫女さまっ、何をするのにゃ!」

「わたしは、ヴァネッサ。ほら、そう呼んで?」

「ヴァ、ヴァネッサ」

「うん、そう」

にこにこしながら、ヴァネッサはパルックの手を取って、海水の中から引き上げる。

「そういうことじゃ無いにゃ!

あたしの血が、また鮫を呼び寄せちゃうにゃ。これじゃ、二人とも助からないにゃ……」

「パルック、あなた言ったよね。

巫女の犠牲と引き換えの幸せなんて嫌だ って。

わたしも、あなたを犠牲にする幸せなんて嫌だ!」

「それとこれとは、話が違うにゃ!」

「同じだよ。

わたしは、みんなを助けたくて、巫女になった。

だから、あなたも助ける」

「でも、巫女さ……ヴァネッサは、泳げないにゃね?

それだと、水のマテリアは使えないのにゃ」

「そんなことは無いよ。わたし、気がついたの。

だって、空を飛べなくたって、風のマテリアがつかえるんだもん。

だから、泳げなくたって、水のマテリアは使えるんだよ!」

理論は間違ってないが、半ば逆ギレ的な事を言ってる気がする。

でも、この「流れ」を止めてしまうのも悪いので、黙っていた。


「水、水、泳げなくてもいい、泳げる必要なんてない」

ヴァネッサがぶつぶつ言いながら、胸の前で手を組んで集中を始める。

「泳げたって偉くない、泳げなくても行ける!」

そんなに嫌だったのかな、水泳の練習……。

その気迫が「願い」になったのか、俺の体が、新たな形に変わっていく。

神殿でヴァネッサはたくさんの海の生き物を学んだ。

その中から、鮫の群れに対抗しうる力を持ち、今の状況を打開できる存在が選ばれる。

細長く、陸上では動かしにくい体。だが、海の中に入ることで、その姿は本領を発揮する。

洞窟から、全長6mを超える俺の巨体が海の中に滑り出す。

「掴まれ、ヴァネッサ、パルック」

彼女たちが、俺の体に突き出たヒレに捕まる。

この姿は海竜(シー・サーペント)。俺の居た世界では、空想上の生き物。

こちらの世界でも、伝説扱いで語られる化け物。

細長い体に巨大な顎、水かきと鉤爪のついた両手脚。そして身体の各所に突き出た、方向転換用のヒレ。

視覚、聴覚、嗅覚、触覚、すべての感覚が、水中に対応し研ぎ澄まされていくのがわかる。

「【水中呼吸(ウォーターブリージング)】」

2人が水中でも溺れないよう、呼吸ができるようになる魔法をかける。

「あ、息ができる」

「それより、鮫が来るにゃ!」

洞窟の出口では、血の匂いを嗅ぎつけた十数匹の鮫が群がり、得物を求めていた。

やつらは、パルックの血の匂いを嗅ぎつけ、すぐにこちらに向かってくる。

水中を伝わってくる雑音で、鮫たちの位置や動きが手に取るように解る。

ヴァネッサとパルックを抱えたまま肉弾戦を行っても、やつらには負けない。

この新たな身体は、やつらを一蹴できる戦闘力を持っている。

だが、戦闘で流れた血はさらに鮫を呼び寄せるだろう。

それは面倒なので、水系魔法を試してみることにした。

「【弱水(シャタード・ウォーター)】」

この魔法は海水を変質させ、浮力や水抵抗を限りなくゼロにまで落とす。

血の匂いに惹かれて魔法の効果範囲に入ってきた鮫は、浮力を失って「落下」していく。

鮫のような原生的な魚類は、泳げなくなると鰓に海水を送り込む事が出来ず、呼吸困難に陥る。

奴らは、次々と海の底へと消えていった。

運が良ければ、魔法の範囲外で蘇生する事が出来るだろう。

俺は、自滅していく鮫を無視して、悠々と陸地に向かって泳ぎだした。

向かうのは、上陸できそうな岩場。

このまま港まで行くと、船を沈没させ、こっちが討伐対象になってしまう。

適当な場所で一旦上陸してから、ワシ形態と狼形態を使い分けて、大周りしてヴェニスに戻った。



やっと戻った港では、クラリネ爺さんとクレアが捜索用の船の交渉真っ最中。

時期が時期だけに、船の確保に難航していたところへ俺たちは帰ってきた。

「おぉ、無事だったか!」

「心配したんだから……」

クレアの眼には、うっすらと涙が見える。

「ごめんなさい。でも、水のマテリア、獲得しました!」

「えっ、ヴァネッサ、泳げるようになったの!?」

「そ、それは……」

クレアの問いに、目を泳がせるヴァネッサ。

「じゃ、あたしは医者に行くのにゃ~。いたた」

よろよろしながら、パルックが歩きだす。

傷は深くは無いものの、海中で失血したのが響いているらしく、顔色が青ざめている。

ヴァネッサがあわててパルックに駆け寄って、その体を支える。

「ねぇ、パルック。あなたさえ良ければ、一緒に旅をしない?」

「あたし、ヴァネッサに迷惑ばっかりかけてるにゃ……」

「ううん、大歓迎だよ。

パルックの目的が叶ったら、巫女や神官が居なくたって、呪いに対抗できるもの」

今まで俺たちが見聞きしてきた、巫女や神官の悲劇。

それは、魔物や呪いが原因ではなく、人間達の中から産まれてくる。

「ありがとうにゃ、ヴァネッサ」

パルックの眼から、一筋の涙がこぼれおちた。


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