第六話 守護霊と不死の王
■
ワシの姿で、船に駆け込んだ後、倒れこむようにヴァネッサはダウン。
あてがわれた船室で爆睡している。具現化し続けた疲労が出たのだろう。
クレアが心配して、ヴァネッサの看病をしている。
そのため、俺がクラリネ爺さんに、ざっと経緯を説明した。
爺さん達の方は、やはり馬車に乗った後「飲み物」を勧められたが、二人ともそれを固辞。
彼らの馬車は、徐々に速度を落とし、気がついた時には「道に迷っていた」とのことで、俺たちの馬車と引き離され、ドバルの町に戻されたらしい。
そのあとは、毎朝定例の押し問答。
侯爵付きの騎士は、ドバルの憲兵隊長にすべてを押し付けて、さっさと逃げ帰ったそうな。
「ふぅむ。まぁ、何れにしろ、良く帰ってきてくれた」
「あぁ、大変だったよ」
「大変続きで悪いが、カレーに戻るぞ」
苦い顔をしながら、クラリネ爺さんが説明を続ける。
「じつは、プロイセ帝国とフランク王国との間で戦争が始まった」
フランク王国は、カレーを王都とする、農業と交易の国家。
食糧が豊富で、交通の要所でもあるので、人々に活気があふれている。
一方のプロイセ帝国は、フランク王国の北東に位置する軍事国家。
土地は痩せているが、鉱山があり、鉄工業が発達している。
「本来、巫女や神官は国に属すべき存在では無い。
だが、プロイセ帝国は守護霊の力を使って侵略戦争を行っているようなのだ」
俺たちが不在の間、フランク王国の大臣から、海峡を超えて知らせが届いたらしい。
巨大な猿の守護霊。それが大岩をぶん投げて、国境砦を攻撃したのだ。
クラリネ爺さんは、昔、フランク王国で騎士叙勲を受けた事もあって、むげに断れないそうだ。
「ワシはちと、行ってこなければならない」
「俺たちも一緒に行くよ。戦争に出る気はないけど、守護霊を相手にするなら俺たちが居た方がいいだろ?」
「そうしてもらえると助かるな。案ずるな、ヴァネッサの事はワシが必ず守る」
「頼んだ、爺さん」
男同士で、握手の真似事をする。
霊体だとこういう時に張り合いがないが、思いは伝わる。
「やっぱり船旅は良いねぇ」
カレーの港が見えてきたあたりで、クレアが復活したヴァネッサと一緒に甲板を歩いてきた。
「そういえば、クレアさん、船酔いは大丈夫なんですか?」
行きは一時間ともたずにダウンしたクレア。
彼女は、ヴァネッサの問いに答えて、ドヤ顔で足元を指さす。
「良く見てごらん、甲板からちょっとだけ浮いているだろ。
タクヤに教えてもらった風魔法【浮遊】さ!」
「おぉ!」
浮遊したらしたで船酔いしそうなものだが、魔法で浮く分には平気らしい。
魔法、テラぱねぇっす。
■
カレーの街についた俺たちは、王様直々に出迎えられた。
国境境の砦は、優秀な警備隊長が詰めているらしく、守護霊の攻撃にもめげずになんとか持ちこたえているそうだ。
俺たちは、急かされるように馬車に分乗して、戦端の開いている最前線へと向かう。
フランク王国は、国土に肥沃な土地が多い。
馬車に乗って通過する土地は、畑や牧草地が広がるのどかな景色だ。
だが、そのまま馬車で数日ほど進むと、徐々に緑が消えていき、緑がまばらに生える枯れた土地が多くなってきた。
プロイセ帝国の主要農産物はジャガイモ。
鉱業と、掘り出した鉱石を使った鉄工で知られる。
俺たちは国境の砦へとたどり着いた。
砦の外壁は、痛々しいほどに崩れかけている。
破壊跡は不自然に丸く壊れていたり、ひび割れていたり、人外の力が動いていることが読み取れる。
砦の城壁の上に登って周囲の状況を見ていると、右腕に包帯を巻いた中年男性が一人、俺たちを案内してきた騎士と連れだってこちらにやってきた。
包帯には、痛々しく血の跡が残る。
「私が、この砦の警備隊長です」
「ドン・クラリネだ。よろしく」
クラリネ爺さんが気を利かせて、さりげなく左手で握手を求める。
「お噂は、かねがね伺っております」
彼の手を握り返してから、警備隊長はぎこちなく敬礼を行った。
彼に詳細を尋ねたところ、襲ってきた守護霊は一体。
形態は濃い茶色の巨大な猿。聞いた感じではゴリラかオランウータンのように思える。
その守護霊が城壁に岩を投げつけたり、魔法でぶち割ったり暴れまくったあと、突然消える。
「守護霊の姿は、そのゴリラだけでしたか?」
「あぁ。ゴリラ以外のが襲ってくる事は無かった」
「それは良かったです」
ヴァネッサは、俺に目配せしてから、胸をなでおろす。
マテリアを入手すると、守護霊は変化できる形態が変わるだけでなく使える魔法も増える。
聞いた限りでは、大地系の魔法が確認できるが、それ以外のマテリアは所持していないようだ。
「奴は、毎日昼過ぎに攻撃を仕掛けてきます。
この砦も、今までなんとか持ちこたえてきましたが、もう長くは無いかと……」
警備隊長が、悔しそうに腕をふるわせる。
「隊長さ~ん、お薬の時間にゃよ~」
そのとき、どこかで聞いた事のある明るい声が、城壁の下から聞えてきた。
あわてて城壁から下を見ると、猫耳と猫しっぽの獣人が、こちらに手を振っている。
「パルック!」
「げ、巫女様にゃ」
パルックは慌てて周りを見渡して逃げだそうとする。
「クレアさん、お願い」
ヴァネッサはクレアに目くばせすると、柵を乗り越えて、城壁の上から飛び降りた。
小さな砦ではあるが、城壁の高さはゆうに5、6mはある。飛び降りるのはちょっと危険。
「あいよ、【浮遊】」
「ぐにゃぁぁ」
呪文がまにあったのかどうか。微妙なタイミングで、下からくぐもった悲鳴が聞こえてきた。
下を見ると、ヴァネッサは逃げようとしたパルックに馬乗りになって、猫娘を取り押さえている。
「うぅ、痛いにゃあ、あたしは何も悪いことしていないにゃ」
「じゃあ、なんで逃げようとしたのっ」
「巫女様が凄い顔して睨んでくるからだにゃあ~」
激突のショックで目を回しながら、パルックが答える。
【浮遊】のおかげというより、パルックがクッションになってくれたおかげでヴァネッサは無事だった気がする。
「パルックさんは、医療の心得もあるので、手伝ってもらっているのですよ~」
城壁の上から、警備隊長がフォローをしてくれた。
「そうだにゃ~、早くどいてほしいにゃ~」
「あ~酷い目にあったにゃ」
服のホコリを払いながら、パルックが立ち上がる。
顔にくっきりと青あざが出来て、三毛猫っぽくなっているのが笑える。
「彼女のおかげで、この砦は助かっているのですよ。
うちの医官は、苦い薬を飲ませたがるおっさんばかりですから」
「照れるにゃ~」
「ところで、お前はどうしてここに居るんだ?」
クラリネ爺さんがパルックに尋ねる。
「あたしは薬師だにゃ。薬が必要なところには何処でも行くにゃ。
ここは、バカ売れだにゃ~」
耳と尻尾をうれしそうにぴこぴこ動かしながら彼女が答える。
「パルックさんの薬は、良く効く上に、あんまり苦くないですからね」
笑いながら、警備隊長が横から口を出す。
「当然だにゃ、苦ければいい ってもんでもないのにゃ」
今のところ、守護霊の城壁破壊と守備兵の補修作業の繰り返しなので、投石のとばっちりによるけが人はいるが、死人までは出ていないらしい。
「でも、そろそろ潮時です。あと数日で城壁は崩れます。
街に戻ってください、パルックさん。今までお世話になりました」
隊長はパルックに向き直り、深々とお辞儀をする。
「隊長さんは良い人にゃね~。でも大丈夫にゃよ。獣人の逃げ脚は速いにゃ。
そんじょそこらのジャガイモ野郎なんざ、怖くないにゃ」
いつもの軽い調子で、パルックは笑いながら隊長さんに答える。
守護霊を大嫌いなパルックと、みんなに明るいパルックはどちらが本当の姿なのだろう。
そうこうしているうちに、日が暮れてきたので、俺たちはあてがわれた部屋に向かった。
部屋はあてがわれているが、国境砦らしく、石壁がそのまま見えている武骨な部屋。
男部屋、女部屋と2つ用意してくれたところに、隊長の気遣いを感じる。
男部屋に集まって、作戦会議を兼ねて夕食を味わう。
「とりあえず、守護霊をどうするかだな」
「やつが大地のマテリアだけなら、なんとかなると思う」
「お、タクヤは自信ありげだねぇ」
クレアが横からちゃちゃを入れてくる。
「そんな気がするんだ」
「属性の相性ってやつだ。氷のマテリアは土のマテリアに強い。
雪が大地の表面を覆って大地の力を遮断する といえばイメージできるか?」
クラリネ爺さんの解説に、俺たちは各自頷きあう。
「まぁ、万一の流れ弾ということもある。
クレアは魔法でヴァネッサを守ってやってくれ」
「うちにまかせとけ」
クレアが大仰に胸を叩き、下手なウィンクをする。
「さすがに、守護霊対決となると、ワシは何もできんな。
考えたくはないが、人間同士の戦いになったら、ワシがヴァネッサとクレアを守る。
明日は様子見ではあるが、戦場だ。早めに寝とけよ」
「あいよ」「おう」「はい……」
「ん?ヴァネッサどうしたの?」
ひとりだけ、少し元気のないヴァネッサを心配して、クレアが尋ねる。
「ここ、あの牢獄に少しだけ似てるなぁ と」
「あぁ、ヴァネッサのお父さんが書置きしてたってとこね」
「15年前か……。ワシがヴァンと旅をしていた頃だな。
耳にはしていなかったが、他にも神官が居たのか」
「へ!?」
ヴァネッサの顔が間延びして変な顔になる。
「クラリネ爺さん。そのヴァンって人、ファミリーネームは?」
「たしか、ヘイスカリだったな。
タカの守護霊に乗って、航行中の船に飛び込んで来た、おっちょこちょいな奴だ」
「ど、どうして教えてくれなかったんですか!?それ、わたしのおとうさんですっ!」
「そうなのか?そもそもお前、自分のファミリーネームをワシに言わなかったろ?」
「あれ、そうでしたっけ?」
この世界、ファミリーネームを持つのは、かなり珍しいそうだ。
人口が少なく、人の行き来があまりないので、普通はなんとか村のジムの子供のジョン、で通じる。
ヴァネッサの両親は、元貴族の知識人階級出身(宗教家)とのことで、ファミリーネームがあるらしい。
そういえば、ヴァネッサは教会で暮らしていたなぁ。
クレアは商人出身でファミリーネームは無く、クラリネ爺さんはクーヴァー侯爵家出身なので、ドン・クラリネ=クーヴァーとなる。
「いろいろと聞きたい事もありますが、今は一つだけ教えてください」
ヴァネッサがいつになく、真面目な瞳でクラリネ爺さんに問いかける。
「お父さんは、どうなったのですか?」
「済まぬが、わからんのだ。
旅の最後、水晶柱の森で、ワシはヴァンに置いていかれた。
ここから先は、一人で行く。帰ってくれと書き残されて」
爺さんの2回目の旅。
それは、ヴァネッサの父親、ヴァン=ヘイスカリとの旅であった。
水晶柱の森とは、旅の目的地である、最後の神殿を取り囲む異形の森林。
乱立する水晶の柱が風景を屈折誤認させ、森に入った人間を入った場所に引き戻す、迷いの森。
守護霊の助けなしでは通過できない。
爺さんたちは、翌日に森に入る予定で、森の手前でキャンプをした。
しかし、翌朝起きてみると、置手紙が残されていて、ヴァンの姿が無かった。
爺さんは、森のそばで1週間待ち続けたが、ヴァンは戻らなかった。
「ワシが語れるのはそれだけだ。
あの時、アイツに何が起こったのか、今も疑問なのだ。
お前の旅についていくことで、その疑問が解決できることを期待しておるぞ」
■
翌日、多少の緊張と共に起床する。
昼過ぎまでは何事もなく、のんびりとした時間が過ぎていく。
少し早目の昼食をとり、一休みしたころ、見張りの兵士が鳴らす警鐘が響き渡った。
「来たぞ~、プロイセだ!」
城壁の上の登って、彼方を眺めると、遠くの方に一群の兵士がいた。
遠目に、剣と盾を模した紋章のプロイセ帝国の旗が見える。
弓の射程距離外の数百m地点で彼らは停止し、盾を並べた防御陣形を取る。
しばらくして、陣形の前に身長4mほどの、巨大なゴリラが具現化された。
少し茶色がかった黒い毛並みと赤く光る両眼は、魔物のようにも見える。
ゴリラは具現化すると、砦の方に歩きだし、砦とプロイセ隊の中間地点まで来ると、激しくドラミングを行い威嚇してくる。
その雄叫びは、音の波となって砦を震わせ、兵士たちの士気を削ぐ。
「うるさ~い!【音制御】」
クレアの呪文で、ゴリラの雄叫びがかき消される。
「じゃ、こっちの番ですね」
「いつでもいいぞ」
「【具現化】!」
ヴァネッサの呪文と同時に、俺は城壁の上から飛び降り狼の姿で優雅に着地を決めた。
背後の砦から、兵士たちの歓声が聞こえてくる。
ゴリラはこちらを警戒したのか、ドラミングを中断させて俺の方に向き直る。
俺とゴリラの距離は200m程度。
一気に最高速度まで加速し、数秒で距離を詰める。
最後の十数mを一飛びで跳躍し、ゴリラの懐に飛び込む。
青い巨人と戦った経験が、俺の動きを滑らかにしている。
奴は慌てた様子で腕を振りかぶり、俺に向かって素人丸出しのパンチを繰り出してきた。
だが、パンチが俺にふれる寸前、俺の周囲に具現化された半円状の氷の防壁が、ヤツの腕を横滑りさせる。
2つ目のマテリアを入手することで得た、新たな氷の能力【氷殻】。
半球状の氷の防壁が、受け流す形で敵の攻撃を自動防御してくれる。
マテリアを得ると、新しい力を得るだけでなく、既に持っているマテリアも強化されるらしい。
ゴリラのパンチは氷の表面でむなしく滑り、奴は大きくバランスを崩した。
「おい、なんで守護霊が人間の戦争に手を貸しているんだ?」
「やむをえん事だ。俺の神官の妻子が、人質にされている」
中年男性の渋い声色で、ゴリラが答える。
「敵を倒さんと、人質が危ないのだ!」
ゴリラは体勢を立て直すと、後方に大きく跳躍し、呪文を唱える。
「【岩球】」
ゴリラの足元の地面が盛り上がり、大きな球形の岩が形成され、猛スピードで俺の方をめがけて転がり出した。
「【氷柱】」
魔法で作りだした氷の柱を、岩の進行方向に配置して進路を変更させる。
回避出来ない事は無いが、後方の砦に被害が及ぶのは避けたい。
俺は、プロイセ帝国の部隊を一瞥する。
かなり距離があるので、そこに神官がいるのかまではわからない。
「賭けてみるか」
俺は、目の前のゴリラを無視して、プロイセ軍に向かって走り出す。
ゴリラが砦に向かっても、神官の方を止めてしまえば、なんとかなると踏んでの事だ。
プロイセ部隊に近づくと、雨のように矢が降ってくる。
だが、矢は【氷殻】に当たって空しく弾ける。
幸い、部隊の隊長は「自分を犠牲に」という性格ではないらしく、どたどたとゴリラが走ってくる音が背後から聞こえる。
「オ、オットー!吾輩が無事に戻らないと、お前の妻子の命はないぞ」
狼の超聴力が、部隊の中心でわめきたてる裏返った声をとらえた。
そちらに目をやると、ひょろひょろした、勲章にまみれたちょびひげの男と、がっしりとした体つきの男が居る。
「退却しろ!」
隊長の号令のもと、プロイセ兵士たちはわき目も触れずに、一気に逃げ出していく。
ちょびひげは、先頭をきって走り出していた。
【具現化】を行うと、巫女との距離制限は無くなるが、距離が離れるほど、魔力消費が増大する。
ヴァネッサの限界距離に近くなっていたので、俺は追撃を諦めて、プロイセ帝国の部隊を見送った。
ゴリラの方は活動限界を迎えたと見えて、徐々に姿が薄まり、消えて行く。
砦に戻った俺は、拍手喝采で迎えられた。
「さすが、氷の巫女様だ!」「これで勝つる!」
大歓声のなか、ひとりパルックだけがふくれっ面をしていたが、今日のところは無事に済んだらしい。
その夜、隊長や主だった砦の人員を集めて、作戦会議に移る。
砦には、今日の完勝の余波が残り、昨夜とは一変した、明るい空気が流れていた。
「ジャガイモ野郎は、人質を取って神官を従わせているのか」
「信じられんな。神官を脅迫して、守護霊を戦争の道具にするとは……」
守護霊は魔物に対抗するためか、高い戦闘力を持っている。
さらに、どんな怪我をしても、具現化を解けば、傷は消える。
取り押さえるには、神官の方をなんとかするしか無い。
作戦会議では、神官の身柄確保をどのように行うかの方に議論が集中した。
「最悪の場合、神官様を殺す という手段になるかもしれません……」
隊長がぽつり とつぶやく。
そのとき、会議室のドアが激しくノックされ、一人の兵士が中に入ってきた。
「隊長、プロイセの軍使が、こんな書状をもってきました!」
兵士は、一通の丸まった書状を手に持っている。
書状には、赤い蝋で封がされ、プロイセの剣と盾の紋章が記されている。
隊長が書状を受け取り、クラリネ爺さんと顔を見合わせる。
「開きます」
隊長は小刀をどこからか取出して、丁寧に封蝋を剥がし、中の紙を取り出して読み上げる。
「これは、プロイセの皇帝からの書状です。
明日の正午、守護霊同士の一騎打ちで雌雄を決したい と書いてあります……」
「ふぅむ。これは打開策になるやもしれん。タクヤ、ヴァネッサ、行けるか?」
「もちろん」「はいです!」
「とりあえず、時間稼ぎは出来そうだ。
相手が何をしてきても対応できるよう、見張りは厳重にな」
陰惨な方向に向かおうとしていた会議は、一応の収集を見た。
部屋に戻る途中で、ヴァネッサが話しかけてくる。
「タクヤさん、何か、何か手は無いでしょうか。
人質を取られて、無理やり戦う なんて悲しすぎます」
「一つだけ、方法はある」
【空の支配者】。
効果範囲の空気組成やベクトルを組み替える風系高位魔法。
人体は、周囲の酸素濃度を急激に低下させると、即座に意識不明を引き起こす。
先の戦いでは、プロイセの部隊を神官ごと昏倒させ、人質と交換できる高官を拿捕できれば良い と思って特攻したのだ。
だが、ちょび髭のあまりの小物ぶりに、躊躇してしまった。
「問題は、高位魔法だから、鷲の姿にならないと使えないことだ。
でも、今日は風のマテリアの能力は使っていないから、向うにはばれていないと思う」
「一か八かの賭けだな。昏倒させても、確保できなければ意味が無い」
クラリネ爺さんが、眼を細めながら俺の考えを一蹴する。
「ダメかぁ」
「いや、その策は悪くない。昏倒と同時に神官と人質を確保する方法さえあれば良いのだ。
明日には間に合わんが、なんとか神官と妻子を救う手立てを考えてみよう」
「お願いします、クラリネさん」
ヴァネッサが深々と、クラリネに向かってお辞儀をする。
「なに、ワシも元神官だからな。他人ごとではないさ」
一瞬だけ遠い目をしたあと、クラリネ爺さんは腕組みをして考え込み始めた。
■
翌日。
時間ぴったりの正午にプロイセ帝国軍の旗が見えた。
「面白みのない奴らだ。昼飯くらいゆっくりと食わせろ って」
「ジャガイモ野郎だからなぁ。飯がまずいのさ」
兵士たちの私語があちこちから聞こえてくる。
昨日の勝利の事もあり、緊張が緩んでいるようだ。
プロイセ帝国軍は、昨日と同じ、弓の射程距離外で一旦停止する。
そして、数騎の騎兵が砦の方に向かってきて、大声で叫ぶ。
「守護霊の一騎打ち、承諾されしか、否か?」
城壁の上から、隊長が叫び返す。
「受けた!こちらが勝ったら、軍を引いてもらおう。
そして、神官とその妻子の身柄を引き渡せ!」
騎兵が叫び返す。
「了承した!だが、こちらが勝ったら、砦とそちらの神官をもらうぞ!」
「あぁ、わかった」
騎士たちは、その答えに満足したのか、早足で駆け去っていく。
遠目で見ると、敵軍の中心部に真っ赤なマントを着た男が見える。
かれは、周りに何人もの騎士を林立させ、デカイ椅子に座っている。
周囲の騎士の中に、女性と小さな子供をはがいじめにしている騎士が見えた。
きっと、かれらが神官の妻子なのだろう。
「タクヤさん、今日のところは様子見です。
風のマテリアは使わないでくださいね」
「わかった」
「【具現化】!」
俺は、狼の姿に変わる。
時を同じくして、プロイセ側のゴリラも具現化した。
時間稼ぎも兼ねて、ゆっくりと歩いて近づく。
昨日の感触からいって、向こうの神官と守護霊は実戦経験が乏しい。
守護霊が具現化し続けられる時間、すなわち、主人の精神力の強さも、ヴァネッサの方が上のようだ。
あのグラン王国での試練は、ヴァネッサを大きく成長させたのだという実感がわいてくる。
グラン王国の厚化粧侯爵に、心のなかでちょっとだけお礼を言ってから、俺はゴリラに飛びかかった。
昨日と同じような肉弾戦が始まる。
こちらは、ゴリラと同じような、蒼い巨人との戦いの経験がある。
人型の生き物がどのように動くかを、筋肉の動かし方や体重移動で先読みし、軽々と向こうの攻撃を回避したり、【氷殻】でいなしたりし、徐々にプロイセ側の陣地へ近づいていく。
次の戦闘に備え、皇帝と人質の顔を拝んでおきたい。
「オットー。さっさと潰してしまえ!さもなくば、お前の妻子の命は無いぞ」
「皇帝陛下、やつは氷のマテリアの守護霊です。私の、大地のマテリアとは相手が悪く……」
「言い訳は聞きとうない!」
肉弾戦を繰り広げながらプロイセ軍に近づいていくと、神経質そうな皇帝の声を狼の超聴覚が捉える。
ふと、そちらの方に視線が流れた時、その隙を逃さずゴリラが呪文を唱えた。
「【大地の棺桶】」
俺の足元をめがけて、魔法が発動される。
左右から岩山が屹立し、両側から俺を閉じこめようとする。
「しまった!【氷柱】
一瞬の差で、俺の魔法が間に合い、氷の柱がつっかいぼうとなって裂け目が閉じるのを防ぐ。
閉じこめようとする大地の力と、氷結させようとする氷の力が拮抗して押し合う。
岩山はゴリラの魔力で徐々に巨大化し、俺を押しつぶそうと両側から迫る。
魔力の供給を止めれば、俺は押しつぶされてしまう。
風のマテリアを使えば、この場は逃れられる。しかし、奪還作戦に支障をきたしかねない。
俺が逡巡しているうちに、プロイセ側に動きがあった。
「子供の方を殺してしまえ!」
皇帝の命令に従い、騎士たちの一人が、はがいじめにしていた子供を皇帝の前に引き出す。
まだ5歳くらいの子供は、恐怖のあまり顔を真っ青にして立ちすくむ。
子供をめがけて、皇帝の側近が槍を振り上げた。
「やめてーーッ」
必死の叫びとともに、騎士をふりきった女性が駆け寄り、子供を抱きしめる。
次の瞬間、兵士の槍は、子供もろとも女性を串刺しにした。
二人の体から鮮血がほとばしり、地面を赤く染めていく。
「エリザ、パウル……」
オットーと呼ばれた神官が、よろよろと、二人のところに歩いていく。
「なぜ、どうして……
俺が、俺が神官になんてなっちまったから……」
オットーは崩れ落ちるように、地面にひざまずき、二人の死体を抱きしめる。
「オットー!まだ、一騎打ちは終わってはおらんぞ!」
騎士のひとりが、オットーを死体から引き離し、槍の石突で殴り飛ばす。
「うぁぁぁぁ!」
立ち上がったオットーは、懐から短剣を取り出し、自分の首筋を切り裂いた。
鮮血があふれ出し、妻子の流した血と混ざっていく。
「呪ってやる!貴様らを、この国を!」
そう言い残して、プロイセ帝国の神官、オットーは死んだ。
ゴリラが頭を抱えて苦しみだし、地面をのたうちまわる。
「オットー!オットー!、ぐぐぐがぁぁぁあ!!」
ゴリラからの魔力供給が途絶え、俺を挟みこんでいた岩山は地面に戻る。
ゴリラの肉体は、体表がどんどん黒ずんでいき、ぽこぽこと泡立つ液体の塊に変わっていく。
それは、今までに何度も見てきた光景を彷彿とさせた。
呪いから魔物が産まれる時の逆回しが、目の前で起こっている。
直感が俺に危険を教える。
反射的に大きく飛びのき、ゴリラから距離を取った。
ゴリラの泡の出方が激しくなり、水風船に針を刺した時のように破裂し、周囲に呪いが弾け散った。
ゴリラがいた場所を中心とした広い範囲が、どす黒い呪いの中に沈む。
プロイセ皇帝や側近たちは全身に呪いを被り、苦しむ間も無く全身を溶かされ、呪いの中に飲みこまれていく。
俺も呪いの飛沫をかぶったが、それらは浄化されて消えた。
「これは……呪い?」
俺は、茫然として飛散した呪いを見つめる。
指揮系統を失ったプロイセ帝国の兵士たちが、我先にと何処かへ逃げていく。
幸い、アガルタはこの場には居ない。だから、呪いから魔物が産まれる心配は無い。
いつものように俺が踏み込んで浄化すれば良いのだが、その一歩が踏み出せない。
何か、とてつもなく嫌な事が起ころうとしている予感がする。
俺が動けずにいたまま、時間だけが流れる。
「ニクイ……、ニクイ……、ノロワレロ、セカイ」
どこから、ガラスをこすり合わせるような、不快な声が聞こえてきた。
呪いの中心部が泡立ち、人間大の大きさの魔物が浮き上がってくる。
その体は皮と骨しか無く、全身に呪いで出来た漆黒の布を纏っている。
顔は頭がい骨に皮膚が一枚張り付いただけの不気味な姿。
眼窩にはぽっかりと穴があき、そこには不気味な赤い光が踊っている。
■
「不死の王だにゃぁ……
守護霊が不死の王になっちゃったにゃ、逃げよう、早く逃げよう!」
耳も尻尾も力なく垂れ下げたまま、真っ青な顔でパルックが震えだす。
「パルック、どういうこと?」
「獣人族の伝承だにゃ。
神官が怨念を抱いたまま死んだ時、守護霊は不死の王になるのにゃ」
不死の島の魔物達を統率する最強の魔物、不死の王。
出現すれば、国が滅ぶ と伝わる、最悪の存在。
「兵たちを砦から退避させろ!」
クラリネ爺さんが間髪入れず、隊長に指示を出す。
隊長はすぐに命令を発し、全ての兵を砦から退避させる。
「ヴァネッサ、うちらもいくよ」
「わたしは、巫女です。タクヤさんがあそこに居るんです。ここから動けません」
「強情だねぇ。やばくなったら【高速飛行】かけて逃げるからね」
「クレア、その呪文は何人まで行ける?」
ニヤリと口元で笑いながら、クラリネ爺さんがクレアに尋ねる。
「爺さんもか~。4人いけるよ」
「じゃ、お前もだ、猫娘。こないだのツケを払ってもらうぞ」
「あ、あたしは、……わかったにゃぁ」
首筋をクラリネ爺さんに掴まれ、周囲の3人の視線を浴びて、あきらめたように、パルックのしっぽがぱたりと落ちた。
■
狼の超聴力と風を操る力で、ヴァネッサたちの状況を把握する。
彼らの、いつもと変わらぬ姿に笑みがこぼれる。
笑うと、なぜかやる気が出てくる。
相手は、強力な魔物であっても、たった一体。俺が噛みつけば、崩れ落ちるはず!
意を決して呪いの中に踏み込み、不死の王を目指して全速力で駆けよる。
足元の呪いは非常に濃く、俺に触れても完全には消えない。
滑りそうな足元に気を付けながら、噛み砕ける距離にまで接近する。
あと一歩 というところで、不死の王が魔法を唱えた。
「【衝撃】」
空間を歪ませるような強烈な衝撃が、俺の全身を襲う。
【氷殻】が発動するが、防壁は粉々になり、衝撃の余波で弾き飛ばされた。
空中で一回転し、何とかバランスをとって、着地する。
不死の王は、ゆうゆうとした姿で、あたりを見回している。
その視線が、逃げていく兵士たちを捉える。
「ワレの見た風景、この世のモノどもにミセテやろう。【黒い雨】」
不死の王が腕を高く挙げて魔法を発動させると、呪いが球体となって浮かび上がり、不死の王ともども、空へと舞い上がっていく。
「ヤバい!」
俺は慌ててワシの姿へと変身し、空に舞い上がる球体を追いかける。
追いついたそばから呪いの球体に体当たりして、浄化していく。
だが、呪いの球体の数は多く、いくら浄化しても浄化しきれない。
俺があがいているうちに、かなりの上空にまで到達した。
無数の呪いが上空で弾ける。それは、細かな水滴となって、地上に降り注ぐ。
「【空の支配者】」
すべての魔力を放出して、周りを守ることに専念する。
風の流れが変わり、強烈な風が水滴を吸い寄せる。
飛行用の魔力も放出して魔法を使ったため、飛行に支障をきたした俺は黒い雨のなかを墜落していく。
朦朧とする意識の中、幻覚が見えた。
黒い雨の中、俺は妹を背負って、ひび割れたコンクリートの上を歩いている。
雨のせいで、体中が黒く煤けている。全身にけだるさがあり、熱っぽさも感じる。
だが、背中の妹は、とても冷たい。
俺たちは、何処かに向かって、ずっとずっと歩き続けている。
「タクヤさんっ!」
ヴァネッサの呼びかけで、白昼夢から現実に引き戻された。
供給された魔力で、なんとか体勢を立て直す。
辺りを見渡すと、俺の魔法で、砦は黒い雨の範囲外であった。
プロイセ帝国の兵士たちは、早めに潰走したのが功を奏したのか、視界のなかには居ない。
「守れた……」
そう思ったとき、具現化の効果が切れた。
俺は霊体の姿に戻り、ヴァネッサのもとへと強制的に引き戻される。
ヴァネッサは、魔力切れを起こして、砦の城壁で気絶した。
クラリネ爺さんが、急いでヴァネッサを抱き上げて、砦の部屋へと運ぶ。
俺は何もできずに、降りしきる黒い雨と、運ばれていくヴァネッサの姿を見ていた。
■
ヴァネッサは数時間ほど寝込んでいたが、やがて目を覚ました。
不死の王は、あのとき浮かび上がったまま、何処かへと行ってしまった。
戦場は、呪いの瘴気で虫一匹、草一本残らぬ、死の領域と化している。
砦では、緊急退避するときの混乱で怪我をした兵士がおり、パルックはその治療でおおわらわ。
クラリネ爺さんとクレアも気を利かせてくれたのか、ここにはいない。
部屋の中には、俺とヴァネッサの二人きりだ。
脳裏に不死の王の姿がよみがえる。
「ヴァネッサ」
「なんでしょう、タクヤさん」
「黙っていて、ごめん。俺は、本当はもう死んでいるんだ。
守護霊をやったら、生き返れる と言われた」
俺は、意を決して、ヴァネッサに自分の事を初めて語る。
『生き返れる』と「ヤツ」は言った。
それがあの姿なのだろうか。それは、俺が望んでいた姿では無い。
ヴァネッサやクラリネ爺さん、クレアたちと旅をしてきて、日本でなく、この世界での生き返りでもいいかなと思った事もあった。
だが。俺のゲーム感覚をあざ笑うかのように、悲劇が起きた。
俺と同じ守護霊が、魔物となって、たくさんの人を殺した。
「俺も……、あんなふうに不死の王になってしまうのかな」
何かを押しつけるように、ヴァネッサに話しかける。
「そんなことは、考えないでください。
タクヤさんがそうなった時って、わたしも死んでるってことじゃないですか~」
そんな無責任な俺にも、ヴァネッサは笑いかけてくれる。その微笑みが、眩しい。
「わたしたちは、ずっと一緒です。
わたしが死なないように、タクヤさんがわたしを守ってください。
わたしもタクヤさんを守ります。タクヤさんを不死の王なんかにさせません!」
力強いヴァネッサの言葉が、落ち込みかけていた俺を救いあげてくれる。
電車で出会った「ヤツ」は、主人を守れと言った。
きっと、あれは主人を守れなかった姿だ。
ヴァネッサを守り、そして生き返る。その図式は、今も昔も変わっていない。
「そして、生き返ってください!」
「そうか、そうだな、ヴァネッサ、ありがとう」
「タクヤさんに、ありがとうって言われたの初めてですね。
ところでぇ……、タクヤさん」
顔を真っ赤にして、ヴァネッサが何かを言いかける。
「なんだ?」
「もし、もし、生き返る事が出来たら、わたしを抱きしめてもらえますか?」
「あぁ、約束だ」
そのとき初めて、俺は本気で、この世界で生き返りたい と思った。
ヴァネッサや、みんなと一緒に。
現代知識チートもあるし、クラリネ爺さんは大貴族だ。
きっとイージーモードで、やっていけるんじゃないだろうか。
しかも、俺を慕ってくれる、美少女までついてくる。
目の前で真っ赤になっているヴァネッサを見ながら、俺はいろいろと妄想を膨らますのだった。