第二話 老騎士、ドン・クラリネ
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村を出てから4日目。
ヴァネッサの生まれ育った村は北の方にあって肌寒かったが、南下するにしたがって暖かくなってくる。
練習も兼ねて、人目につかない所では【具現化】して走り、距離を稼ぐ。
1回に【具現化】し続けることのできる時間は、10分から20分程度。
だが、狼の移動速度は自動車並みに速いので、かなり距離が稼げる。
本来10日はかかる道のりを4日で駆け抜け、この地方では大きめの町、クーヴァーのそばまで俺たちはたどり着いた。
「タクヤさ~ん、髪の毛、変になって無いですよね?」
髪の毛を撫でつけながら、本日10回目になる質問をヴァネッサがしてくる。
彼女は、産まれてからずっと村から出たことが無いらしく、町を前にしてガチガチに緊張していた。
「大丈夫だよ。ちゃんと纏まってる」
そろそろ、投げやりな返答になっているが、彼女は気がつかない。
「記念すべき、巫女デビューの日です。ビシッと決めますよ!」
「いや、俺の姿は他人からは見えないし」
「心構えですよ。それに浄化のときは【具現化】するじゃないですか」
「そうだけどなぁ」
「あっ、狼に乗ってワタシ降臨!
というのはどうでしょう。超格好良くないですか?」
「そういうお話があったな。でも、それは襲う側の話だからやめとけ」
そんなたわいも無いことを話しながら、俺たちはクーヴァーの門をくぐった。
この世界の一般的な村や街の作りでは、中心部に領主の館があり、その周辺に貴族や豪商の家が立ち並ぶ。
さらに周縁部には一般庶民の家があり、外縁部はスラムが広がる。
「で、これからどうするんだ?」
「まずは領主さんのところに行って、呪いの場所の確認ですね」
ヴァネッサがそう言ったとき、彼女のお腹からくう~という音が聞こえた。
「ま、まずは、ご飯にしましょう」
ほっぺたを赤くしながら早足で歩く彼女を追って、石畳の中央どおりをしばらく歩き、手頃な食堂に入った。
「おや、可愛らしいお客さん、いらっしゃい」
少し太り気味のオバさんがメニューを渡してくれる。
メニューを一目見ると、ヴァネッサの目が丸くなった。
「う、流石に都会は物価が高いです」
「払えるのか?」
「この、一番安い定食にしておきます……。
すみません、梅定食ひとつお願いします」
「あいよ~」
パンとシチューの定食を持ってきてくれたオバちゃんに、ヴァネッサが尋ねる。
「実はわたし、巫女なのですが、呪いでお困りの方はおられないでしょうか?」
「あらま、残念だったねぇ。実は、半年ほど前に神官様がいらしてね、
この町の周囲の呪いを、み~んな浄化してくださったのさ」
屈託のない笑顔でそう言い残すと、食堂のオバちゃんは奥に行ってしまった。
「タクヤさん、どうしましょう……
浄化のお礼をあてにしていたので、お金がないですぅ」
形の良い細い眉をヘの字に歪めながら、ヴァネッサが泣きそうな顔をする。
「まぁ、俺は食べなくても平気だけどな」
霊体というのは便利なもので、食べたければ食べることもできるし、食べなくても問題ない。
きっと、【具現化】中に怪我をしても死ぬことは無いのだろう。
ヴァネッサは、暗い顔をしながら、財布のコインを一枚、二枚と数えている。
「はぁ、ウェイトレスでもやって、路銀を稼ぐしか無さそうです」
ヴァネッサがため息をついた時。
「なぁ、アンタ」
食堂の親父さんが、カウンターから話しかけてきた。
「え!?だ、大丈夫ですよ、食い逃げなんてしませんよ」
体を半分飛び上がらせながら、ヴァネッサが答える。
そんなことを考えてたのか、コイツ……。
「いや、そうじゃなくて。巫女さまなんだろ?」
「はい、まだなり立てですけど」
「守護霊は使えるんだろ?ちょっと頼みがあるんだ」
「呪いの浄化ですか!?」
「魔物の方だ。
じつは、この町と西の村を繋ぐ道に、魔物の群れが出没しているんだよ。
そのへんの山に呪いが落ちたんだろうな。
それで、西の村から来る酒が滞っているんだ」
「へぇ、詳しい話を聞かせてください」
「ありがとうよ、これはサービスだ」
親父さんが、深皿に盛られた具だくさんシチューをおまけしてくれる。
ヴァネッサの頬がにやりとつり上がり、口の端からよだれが垂れ始めた。
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「先月、西の方をアガルタが通過したんだ。
それから、街道に魔物が出没し始めたのさ。
町から兵隊が派遣されたんだが、犬頭だけでなく人食い鬼まで現れたらしい」
「人食い鬼ですか!それは怖いですね」
「ヴァネッサ、人食い鬼って何だ?」
横からヴァネッサに確認してみる。
「人食い鬼は、身長2mくらいの人型魔物で、
人間の肉を食べる、すっごく危ない魔物です」
「そこに、守護霊様が居るのか?俺にはよく解らんが、まぁ頼もしい」
親父さんが、目を細くしてあさっての方角を見つめる。
「だもんで、領主さまは人食い鬼退治の部隊を派遣しようとしているところさ。
人食い鬼の事が漏れるとパニックになるので、一般人は知らない事だけどな。
巫女様なら、領主さまの館に行けば歓迎してくれるはずだぞ」
「ありがとうございます。早速行ってみます」
「おう、騎士のドン・クラリネって言う奴に、食堂の親父からの紹介って言えば通じるはずさ」
この町は人口がかなり居るようで、大通りは石畳で舗装されており、両側に露店が並んでいる。
人々に活気があり、表情に余裕がある。
領主の館に向かって町をぶらぶらと歩いていくと、道端に寝転がってだだをこねている子供が居た。
「やだやだ、飴買ってぇ~」
「いう事を聞かない子は、アガルタから不死の王が来て連れてかれますよ!」
母親にしかられた子供は、しぶしぶ立ちあがって、母親のスカートの裾を掴んで歩いていく。
何処の世界でも同じだな、とほのぼのしたが、不死の王という言葉が気になった。
魔物に、犬頭や人食い鬼のような強さランク(?)があるのなら、不死の王というのも、いつか戦う事になるのかもしれない。
「ヴァネッサ、不死の王って何だ?強い魔物なのか?」
ヴァネッサは一瞬立ち止まり、俺の顔を見つめる。
「えと、アガルタに住んでいる、魔物達の王と言われています」
「ふ~ん。強いのか?」
「伝説では、不死の王が現れると、国が滅ぶと言われています。
でも、きっと子供を泣きやませる為のおとぎ話ですよ。
それより、食堂の親父さんからお小遣いもらいましたし、飴たべませんか?」
ヴァネッサは、露店のほうに振り向くと、うれしそうに駆け寄って、色とりどりの飴を物色し始めた。
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領主の館は、2階建ての石造りの建築物である。
この世界では、「呪い」が落ちるとその場所には住めなくなる。
そのためか、総石造りの建物はあまり見かけなかったのだが、さすがに領主の館ともなるとそういうわけにはいかないらしい。
館の門の前で、槍を持って突っ立っていた門番に、ドン・クラリネを呼び出してもらう。
「すみません、騎士のドン・クラリネさんはおられますでしょうか?」
「なんだ?クラリネさんの知り合いか?」
門番は、怪訝そうな顔で問い返す。
「はい、そうです」
「ほほ~。クラリネさんも隅に置けないな、こんな可愛い娘と知り合いなんて。
呼んでくるからちょっと待ってろ」
門番の一人が、通用門から館の中に入り、彼を呼びに行く。
「ヴァネッサ、知り合いなのか?」
こっそりと彼女に聞いてみる。
「これから知り合いになるから良いんです」
ヴァネッサも門番に聞えないよう、ひそひそ声で答えを返した。
しばらく待つと、館の扉が開き、一人の男が門番を引き連れて現れた。
白髪頭をきっちりと撫でつけた、50歳くらいに見える紳士。
浅黒く日焼けし、服の上からでも解る鍛え抜かれた肉体から老いは感じられない。
緑に染め上げた麻のチュニックを着こなしている。
目つきは鋭く、全てを見透かすように俺たちを見つめている。
「わたしたち、食堂の親父さんの紹介で、魔物退治に来ました」
横で聞いていた門番が笑いを抑えきれずに吹きだす。
俺の姿は、普通の人には見えない。
ヴァネッサのような少女が「魔物退治」といっても笑い話にしか思えないだろう。
だが、騎士ドン・クラリネは、ニコリともせず、目を細めて俺の方を見る。
「その歳で巫女か。……、大変だな」
「俺の事が見えるのか?」
今まで、ヴァネッサ以外の人間は俺の事を見る事が出来なかった。
しかし、彼は俺の事を見る事ができ、さらに声まで届いているらしい。
「うむ。立ち話もなんだ、ついてこい」
ドン・クラリネにくっついて、館に入っていく。
すれ違う役人たちが、奇異の目でクラリネとヴァネッサの二人を見つめる。
事前に食堂の親父に聞いた話では、彼は領主の叔父にあたり、この町のナンバー3。
結構なお偉いさんなのである。
そんな彼に従って、俺たちは、館の右奥にある彼の執務室に通された。
室内は、質素だが頑丈そうな家具が並び、彼の性格が感じられる。
「まぁ、その辺に座れ」
彼の勧めに従って、ヴァネッサはソファに座る。
ドアが開き、メイドさんがカップに入ったお茶を持ってきてくれた。
クラリネ爺さんとヴァネッサの分だけだったが。
「ワシも昔は神官だったのだ。猪の守護霊が居た。
だが、旅立つその日に荷馬車に轢かれ全治2カ月。
遅れを取り戻そうと、守護霊を全力で走らせたら、落馬して全治1カ月。
なんとか大山脈までたどり着いたものの、100年に一度の大雪で足止め1か月。
しびれを切らして大山脈に特攻したら、雪崩に巻き込まれ全治2カ月。
挙句の果てに、守護霊に愛想を尽かされたのじゃ……」
「そ、壮絶な人生ですね」
「まぁ、そういう人生もあると言う事だ」
いやぁ、それは守護霊やってる側にとってはどうなんだろう?
『主人を守って生き返り』にはカウントされないんだろうなぁ きっと。
「そんな昔話を聞きに来たわけでも無いのであろう。要件は何だ?」
「私たち、食堂の親父さんに、人食い鬼が出た って聞いてきたんです。
魔物退治の手助けをさせてもらえないでしょうか?」
「人食い鬼程度なら、我々だけで十分だ。手助けは不要」
彼は、あっさりとヴァネッサの頼みを跳ねつける。
「えぇっ!わたし、巫女ですよ、守護霊も居るんですよ。強いんですよぅ」
ヴァネッサが必死になって彼に取りすがる。
「ふん、守護霊を見せてもらおうか。同道してもらうかは、それから決めよう」
彼に促され、俺たちは館の中庭に出た。
中庭は、手をかけた花壇や木の植え込みで飾られているが、中心部分は直径10mほどの円形の空間がある。
「よし、守護霊を具現化させてみろ」
「はい。【具現化】」
彼女の呪文で、俺の体は狼に変身する。
町まで移動する間に何度か変身して来た事もあって、だんだんとこの姿もなじんできた。
「ほぅ、銀狼か。氷のマテリアだな。他にどんなマテリアを使える?」
「えっ?」
ヴァネッサが、なんだそれ?という表情をする。
「えっ?」
クラリネ爺さんが、そんな事も知らないのか?という表情をする。
二人と一匹の間に十数秒の沈黙が流れた。
「思っていたよりも初心者らしいな」
クラリネ爺さんが腕組みをして考え込む。
「おい、守護霊。この小娘についていても無駄かも知れんぞ。
こいつから離れて、ワシのような、やりがいのある主人に鞍替えしないか?」
爺さんの口元は笑っているが、眼は笑っていない。
まるで、俺を睨みつけているように。
「やめとくわ」
脳裏に送別会の日のヴァネッサの姿が浮かび、俺は即答した。
もし、俺が離れれば、彼女は一人ぼっちに戻ってしまうだろう。
「だめ、だめですよぅ。タクヤさんは、わたしの守護霊なんです」
ヴァネッサが慌てて、俺と爺さんの間に割り込んでくる。
爺さんは、そんな俺たちを見ながら軽くため息をついた。
「よろしい、同道を許可する。守護霊のイロハを教えてやろう。
出立は明日だ。鐘8つに遅れるなよ」
■
なんとか爺さんの許可を得て、俺たちは魔物退治に加わる事ができた。
前金を手に入れ、夕暮れの街並みを歩いて、食堂に戻る。
「ふふふ、ここでタクヤさんが魔物をやっつければ、もっとお金が稼げますよ!」
「なんか、爺さんの口ぶりだと、買いたたかれたっぽいけどなぁ」
「良いんです、お仕事が無くて、給料ゼロと比べれば、大きな前進ですよ」
「食い逃げしようとしてたもんな」
「そんなこと無いですっ!ちゃんと、ウェイトレスするつもりでした~」
とりあえずの旅費はなんとかなり、首尾の報告も兼ねて食堂の親父のところに行くと、食堂の2階に泊めてくれた。(夕食付)
食堂は日が落ちると酒場となる。
旺盛な食欲でヴァネッサが夕食をもがもがと食べていた時、館の門番をしていた男が数人の同僚を連れてやってきた。
彼は目ざとくヴァネッサを見つけると、声をかけてくる。
「なぁ、あんた。巫女さまだったんだってな」
「はい、まだ駆け出しですけどね」
「魔物退治って守護霊がいるのといないのとでは段違いだから、助かるよ」
「そうなんですか?」
横から、同僚らしき男が口を挟んでくる。
「そうそう。魔物ってのはさ、時々変な能力を使うやつがいるんだよ。
毒とか病気とか。でも、守護霊が触れば一発で治せるんだぜ」
「へぇ。そういえば、クラリネさん、昔は神官だったんですってね」
「あの人、荷馬車に轢かれて大怪我して、安静にしていなきゃならない時にも、
魔物が出たら、大剣を持って飛び出して行ったんだってな。
だから、なかなか傷がふさがらなかった って聞いたことあるな」
「そうそう。
それに、呪いと聞くとどんな辺鄙な場所でも浄化しに行ってたらしいな」
「魔物退治もだよ。
人食い鬼は子供を攫うからって、特に退治に熱心だったって聞いた」
「巫女様にこういっちゃなんだが、俺たちはあの人の旅が失敗してよかったと思ってるんだよ」
兵士たちは、クラリネ爺さんの話になると、我先にとネタを出しまくる。
「クラリネさんは、皆さんに慕われているのですね」
「そうだよ。旅を失敗したからって、クラリネさんをバカにするやつが居たら、俺らがゆるさねぇ!」
「「そうだそうだ」」
酒の勢いもあって、酒場はだんだんエスカレートしてくる。
「おい!てめぇら明日は魔物退治だろ!
今日の飲み代は奢ってやるから、しっかり働いてこい!」
まだ宵の口ではあるが、酒場の親父さんの一喝で爺さんをネタにした宴会お開きとなった。
兵士たちが、親父の啖呵を背に、どんどん酒場から追い出される。
「あんたもさっさと寝ておきな」
「はい、ありがとうございます。クラリネさんって、兵士さんたちに人気があるんですね」
「面倒見の良いやつだからな。ガキのころから何人も子分連れて走り回ってたぞ。
ま、そんな奴だから、旅に失敗したってとこでもあるな」
「へぇ~」
「明日は早いんだろ?早く寝な」
「はい、おやすみなさい」
親父さんに一礼して、ヴァネッサは食堂に2階のあてがわれた部屋に入り、お湯で体を拭いてからベッドに寝転がる。
「タクヤさん、わたしも、クラリネさんのように、皆に慕われる巫女になれますかね?」
「う~ん、なれると思うけど、旅を失敗しちゃうのはどうかなぁ」
「そう……ですよね。変なこと聞いちゃいましたね。
おやすみなさい、タクヤさん」
彼女は寝返りをして、向うを向いてしまった。
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翌日。朝も早い時間に親父さんに叩き起こされ、俺たちは集合場所へと向かった。
既に集合場所には20人ほどの兵士たちが整列しており、俺たちが合流すると、人食い鬼の姿が見えた場所に向かって歩き始める。
途中で一泊し、明日の昼ごろには問題の地点へ到着する予定である。
我々の一団には、2頭立ての馬車が2台用意されており、片方は食糧などの荷物運搬用。
もう片方は、クラリネ爺さんとヴァネッサが乗る。
そして、馬車の中で、ヴァネッサは爺さんの「授業」を受けていた。
「初めて守護霊を具現化する時、何を思い浮かべた?」
「雪の草原です」
「だろうな。その結果、コイツは狼の姿で具現化された」
爺さんが俺を指さす。
「ワシは、世界を何処までも駆ける力をイメージした。
その結果、守護霊は猪となった」
遠く、懐かしいものを見るように、爺さんは空を見上げる。
「守護霊は祈ることで我々の前に現れ、願う事でその姿を具現化する。
ゆえに、他のマテリアを獲得することで、守護霊を違う姿で具現化する事ができる」
「違う姿?」
「そうだ。風のマテリアを得ることで、鳥に具現化することができるし、
大地のマテリアを得ることで、猪になることもできる」
「他のマテリアは、どうやって得ればいいんですか?」
「風なら、風の強い場所、火なら暑い場所といったように、関連する地域に行けばいい。
そうすれば、守護霊は自然のエネルギーを吸収し、別の形態に変化できるようになる」
「それだけでいいんですか?」
「あぁ。守護霊の方はな。あとは、巫女側のイメージ力だ。
最初のマテリアは、術者のイメージがそのまま現れる。
だが、他のマテリアは、属性に応じて具現化するイメージを変える必要がある」
「イメージを変える?狼のままではダメなんですか?」
「雪原を走る狼というイメージから、そいつが産まれた。
だから、氷の魔法を扱うことができるし、牙や爪で戦い、速く走ることができる。
だが、水の中に入った狼に、どのような事を願える?巫女が願えることしか、守護霊は出来ない」
「う~ん……」
考え込んでしまったヴァネッサを尻目に、俺は爺さんに尋ねる。
「ところで、爺さんはどんなマテリアを持っていたんだ?」
「ワシは、大地と水、炎の3つを持っていた」
「他にはどんなのがあるんだ?」
「マテリアは7種類ある。水、大地、風、炎、雷、氷」
「あと一つは?」
「名前すらわからん。だが、存在するということだけ解っている」
「誰も知らないマテリアってことか」
「あぁ。もしかすると、それがアガルタ解放のカギになるのかもな」
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その夜。夜が更け、皆が寝静まっていく。
交代で当直を行う兵士たちの声が微かに聞こえる。
ヴァネッサは、女性ということもあって、特別に馬車を使わせてもらっている。
「タクヤさん、誰も知らないマテリアって、どんなのでしょうね?」
「他のが、風とか水とかだからなぁ。地震とか?」
「それは大地になるんじゃないですかね。きっと食べ物ですよ。
おいしいものをたくさん作り出せるんです」
にこにこしながらヴァネッサが語る。
「それはそれで凄いけどなぁ」
もし、そんなマテリアがあったら、世界は平和になるのだろうな。
そんな事を話し合っているうちに、彼女は寝てしまった。
傍らから、ヴァネッサの規則正しい寝息と寝言が聞こえてくる。
食事と同じように、霊体である守護霊は、眠らなくても支障は無い。
ヴァネッサの傍らを離れ、馬車の周囲を一回りしてみる。
万が一の事を考えて、野宿の時にやっている習慣だ。
すると、同じように見回っていたクラリネ爺さんが俺を見つけ、近寄ってきた。
「小娘はもう寝たのか?」
「あぁ。旅は初めてみたいだし、疲れてるみたいだ」
「そうか……。これから先は、もっとつらい旅になるからな」
爺さんが、俺のことをじっと見つめる。
「爺さんは、神官としての旅は、どのあたりまで行けたんだ?」
「ワシ自身の旅としては、半分といったところだな。
だが、他の神官の付添で、最後のほうまで行ったことはある」
「へぇ。どうなったんだ?」
「どうにもならんよ。アガルタは空に健在。
力を削ぐことができたのかすらわからん」
爺さんは何かを思い出すように空を見上げ、そしてため息をついた。
「タクヤ とか言ったな。
おまえは、自分が生き返るために、彼女を利用しているのだろう?」
「う~ん……」
利用していると言われればそうだろうが、一方的な利用と言われると違うような気もする。
それに、「奴」から口止めされているので回答できず、俺は口ごもる。
「言えない……か。そうだろうな。ワシの相棒もそうだった。
ワシは、お前たちの旅について行くぞ。悪い話ではなかろう?」
「頼りになる道案内が居るのはありがたい」
姿は見えても触れることは出来ないので、俺たちは形ばかりの握手をして、その日は別れた。
翌日。
人食い鬼の目撃情報があるあたりに到着して一息つき、昼食の準備をしている最中に、それが起こった。
右手に広がる森の方角から、鳥たちが飛び去っていく。
鳥たちを追うように、鹿やキツネ、その他たくさんの動物たちが森から逃げ出し、我々の横を通り過ぎて全速力で逃げていく。
残されたのは、我々人間だけ。
「全員、警戒!魔物が来るぞ」
クラリネ爺さんの声が、皆を我に返す。
兵士たちが武器と盾を構えて、整列する。
「弓隊、構え!」
号令から3分とたたないうちに、森から十数頭の犬頭が走り出してきた。
だが、弓隊の正確な射撃でぱたぱたと打ち倒される。
生き残った犬頭も、抜刀した兵士たちに軽々と倒された。
倒れた犬頭は空気に溶け込むように消えて行く。
流石に訓練された兵士だけあり、ただの村人とは練度が違う。
魔物の攻撃の第一波が終わり、一呼吸ついたとき、遠くで森の木が折れる音がした。
「小娘!守護霊を具現化させろ。来るぞ」
森から姿を現したのは、体長2mほどの人型生物が2体。
全身の皮膚が赤く、頭には二本の鋭い角。
口からは黄ばんだ鋭い牙がのぞき、動物のものらしき血で口元が赤く染まっている。
「あれが、人食い鬼です。【具現化】」
ヴァネッサの呪文で、俺の姿が巨大な銀狼に変わる。
実際に対峙してみると、俺の体長は3mを超えるため、人食い鬼よりも大きい。
人食い鬼達が俺の姿に怯え、躊躇するのがわかる。
呪文で足止めをしようとしたとき、大木を片手に、森からそいつが現れた。
体長は、人食い鬼の倍ほど。見上げなければ全身が視界に入らない。
青黒く、ごつごつとした皮膚と、三本の角を頭に持った巨人。
人食い鬼と並ぶと、子供(それも幼稚園児)と大人くらいの体格差がある。
数体の人食い鬼と、十数体の犬頭を引き連れた巨人が、文字通り「森を割って」我々の眼前に現れた。
「なぁ、ヴァネッサ。人食い鬼って、2mくらいじゃなかったっけ?」
「そうですね」
「アレ、4mはありそうなんだけど」
「そうですね」
「なんか、違う魔物なんじゃね?」
「じゃ、そういうことで」
ヴァネッサが素早く俺から離れ、兵士たちのほうへ駆け去っていく。
「頑張れ~、タクヤさん ファイッ」
さっきの戦闘を見た感じ、多少数が居てもクラリネ爺さんや兵士たちが人食い鬼や犬頭に後れを取ることは無さそうだ。
俺のそばにいるよりも、向こうに居た方が、ヴァネッサにとって安全。
そう考えて、俺は意識を巨人に集中する。
巨人の皮膚は岩のように厚みがあり、魔法で凍らせてもダメージが通りそうにない。
悩んでいてもしょうがないので、意を決して巨人に向かっていく。
だが、巨人は巨体に似合わぬ身のこなしで、手に持った森の木を威嚇するように振り回す。
周囲の人食い鬼や犬頭がとばっちりで巻き込まれ、木に弾き飛ばされて消滅していく。
巨人は無尽蔵とも思える体力で大木をめちゃくちゃに振り回すので近づくことが出来ない。
距離を取って呪文を唱えようとした時、横合いから人食い鬼に組み付かれた。
なんとか人食い鬼を振り切った時、目の前に巨人の大木が迫る。
俺はとっさに跳躍し、巨人の懐へと飛び込む。
直撃こそ回避したものの、木の太い枝が俺の脇腹をえぐり、毛皮が削られて血が滴る。
傷の痛みに顔をしかめながら、飛び込んだ勢いのまま、巨人の脛に噛みつく。
牙が肉を切り裂く嫌な感触があったが、すぐに手ごたえが無くなり、地響きとともに巨人が地面に倒れた。
距離を取って奴の足を確認すると、俺が噛みついた場所はドス黒く変色し、ごっそりと溶け落ちていた。
「どうだ、巨人め!タクヤさんは強いんですよっ」
クラリネ爺さんの後ろでヴァネッサがなんか言ってる。
「魔物も呪いと同じで、守護霊が攻撃すると浄化できるんだ。
巫女なら、そのくらい知っとけ!」
「ぐふぅ」
クラリネ爺さんがヴァネッサの頭に拳骨を喰らわせて、俺の気持ちを代弁してくれた。
ゲーム的に言えば「防護点無視」と理解した。それなら話は早い。
「【停滞】」
呪文を唱えると、俺を中心にして周囲の地面が凍りついていく。
転倒した巨人の半身を氷が包み、動きを封じる。
周囲の魔物達もまとめて凍りついた。奴らはなんとか抜け出そうともがいている。
俺は氷の上で転ばないようにゆっくりと歩きながら、一体一体魔物達を踏みつぶしていく。
クラリネ爺さんの言うように、魔物達は、俺が爪でひっかくと、呆気なく溶け去って行った。
凍結範囲内に居なかった魔物たちも、連携が崩れたところを兵士たちが各個撃破していく。
そして、最後に巨人の喉笛を牙で切り裂き、魔物達を全滅させた。
「タクヤといったな。お前、なかなか良い戦闘センスを持っている。
本気でワシの守護霊にならないか?」
今度は、爺さんの眼も笑っている。
「タクヤさんはわたしの守護霊なんですぅ!」
頬を膨らませながら、ヴァネッサが反論する。
クラリネ爺さんは兵士たちを3隊にグループ分けし、周囲の索敵と残党狩りを行った。
俺たちは、爺さん率いる精鋭部隊と共に巨人の痕跡を逆行する。
原因と思われる呪いは、小一時間ほど歩いた先にあり、森の中にぽっかりと異質な空間が存在した。
呪いから溢れ出す瘴気が周囲の植物を枯死させ、禍々しい雰囲気を醸し出している。
しかし、俺が一歩足を踏み入れて浄化すると、そこはもとの澄んだ泉に戻り、周囲に動物たちの気配が戻ってきた。
キャンプ地に戻って、他のグループと合流し、情報交換をすると、他のグループでも、数頭の犬頭や単独の人食い鬼を発見、殲滅したらしい。
まだ、魔物たちは居るかもしれないが、魔物は定期的に呪いの瘴気をあびないと消えてしまう。
たいした負傷者も出さず、このミッションは完了となった。
「小娘、喜べ。ワシがお前の旅に同道してやろう」
「う~ん、わたし、旅を失敗したく無いんですよねぇ……」
「マテリアも知らん初心者が何を言うか。それに、タクヤも了承済みだぞ」
「えっ!?」
ヴァネッサが目を丸くして、非難するように俺の方を見る。
「さぁ、明日から旅をしながらみっちり巫女のイロハを教えてやろう」
ニヤリとクラリネ爺さんが笑い、ヴァネッサが泣きそうな顔をした。