第一話 巫女と守護霊
■
20人も入れば一杯になりそうな、小さな木造の教会。
中央に飾られた粗末な十字架に向かって、1人の少女が一心不乱に祈っている。
「来てください、守護霊さま。わたしに力をお貸しください」
うっすらと赤みを帯びた白い頬には汗が滲み、疲労が垣間見える。
気が付くと、俺は彼女の前に居た。
電車のヤツが守護「霊」といっていたとおり、身体がふよふよと宙に浮いている。
ゆっくりと顔を上げる彼女と目が合った。年の頃は16,7くらい。
小柄な体に、白と紫で染め分けられたシスターのような衣を身にまとっている。
頭にはなにも被っておらず、ゆるやかに波打つ青みがかった銀髪が法衣の上で揺れる。
俺を見つめる彼女の瞳が大きく見開かれ、安堵のため息とともに涙が流れ落ちる。
「守護霊さま……ですか?」
「うん、そういう事になってるらしい」
「わたしは、ヴァネッサと申します。
守護霊さま、これからよろしくお願いします」
少女がお辞儀をすると、長めの髪の毛がさらさらと流れ、美しい模様を作る。
髪の間から現れたうなじは、か細く、雪のように白い。
「俺は、佐々木卓也」
「シャシャ?……、シャシャキ様とお呼びすれば良いでしょうか?」
今さら気がついたが、どうも日本語とは違う言語で話しているようだ。
しかし、意思疎通はきちんと出来ている。
「タクヤで良いよ。様付けは要らない」
神様と違って、生き返り目的のギブアンドテイクの間柄だものな。
「タクヤさんですね、わかりました。わたしの事もヴァネッサとお呼びください」
「で、ヴァネッサ、ここは一体何処なんだ?」
そう言いつつ、手近な椅子に座ろうと手を伸ばすと、手は椅子を通り抜けた。
「ふふ、タクヤさんは霊体なのですから、【具現化】しないと、ものに触ったりは出来ませんよ」
彼女が微笑みながら教えてくれる。
そのとき、教会の扉が荒々しく開かれ、一人の中年女性が入ってきた。
その服装は、木綿らしき黄土色のシャツに長めのスカート、古ぼけたエプロン。
慌てて走ってきたのか、かなり息を荒げている。
「ヴァネッサ!アガルタが来たよ!ボンズの畑に呪いが落ちたんだって」
中年女性は、どかどかと教会の中に入ってきてヴァネッサの手を取り、何処かに引っ張っていこうとする。
「待って、チルダおばさん。わたし、巫女になれたのよ。だがら、大丈夫」
その言葉を聞いた中年女性は、反射的にヴァネッサの手をふりほどく。
彼女がヴァネッサを見る顔に、安堵や恐怖といった感情が見て取れる。
「し、守護霊様が、ここにいらっしゃるの?」
彼女には俺の姿が見えていないらしく、きょろきょろとあたりを見回す。
「そうよ、おばさん。
タクヤさん、いきなりで申し訳ありませんが、力を貸して下さい」
「手を貸すのは良いんだが、どうやって?」
「今から、わたしがこの世界でのあなたの体を作りだします。
その体で、呪いと戦ってください」
既に一度死んだ身である俺に、怖いものは無い。
「【具現化】」
彼女が呪文を唱えると、俺の姿は体長3mほどの銀毛の狼になった。
爪が木の床にあたって、カツカツという音をたてる。
この姿だと、モノに触れる事ができるらしい。
チルダおばさんと呼ばれた中年女性が、俺の方をみて目を丸くしている。
具現化とやらを行えば、ヴァネッサ以外の人にも、姿が見えるようになるらしい。
変化と同時に、俺は狼の身体の動かし方、それも戦闘に特化された使い方を理解していた。
そして、驚くべきことに、この世界での俺は「魔法」が使える。
「たぶん、10分くらいしか維持できません。急ぎましょう」
「わかった。乗れ、ヴァネッサ」
ヴァネッサは、恐る恐る俺の背中に跨る。
「あ、あの、毛を引っ張ってしまっても痛く無いですか?」
「ん?大丈夫だよ。それより、道案内を頼む」
俺はヴァネッサを背中に乗せて、中年女性が開け放った扉から外に飛び出す。
最初に目に入ったのは、ファンタジーでありがちな中世風の木造の家や畑。
この教会は村の中心に作られており、教会を囲むように同心円状に家が立ち並ぶ。
さらに向こうには畑があり、青々と茂る麦らしき植物が広がっている。
建築様式が日本では無い。
地理の授業で習った、中世ヨーロッパの牧歌的な風景。
ここには、現代世界なら普遍的に存在する、車や電線といった文明の利器がない。
上空から、微かに重量物が軋むような音が聞こえてくる。
見上げると、遥か頭上に巨大な物体が浮かんでいるのが見えた。
それが太陽の光を遮り、この村一帯は薄闇の中。
地球の常識では、ありえない光景である。
しかし、狼の姿であるせいなのか、俺はその異世界を冷静に受け止める。
「ポンズの畑はこっちです!」
ヴァネッサが銀髪を振り乱しながら、左を指さす。
俺は全速力で村を駆け抜け、柵を跳び越え、ヴァネッサの指し示す方向に直線的に走る。
この姿は、風を切るような速度が出せる。
すぐに郊外に広がる畑が見えてきた。
畑の真ん中には、半径2mほどの大きな黒い水たまりがあり、周囲に薄気味の悪い瘴気が広がる。
水たまりからは、身長1mほどの犬の顔をした人型生物が這い出てくる。
彼らはファンタジー的には「コボルド」と言われる、犬頭の人型魔物だ。
既に水たまりの周囲には、数匹の犬頭が出現しており、唸りながら周囲の村人たちと切り結んでいた。
犬頭と対峙する村人たちは大人が5人。それにヴァネッサと同じ年頃の少年も何人か混ざっている。
いずれも、さっきのおばさんのような粗末な木綿の服に身を包み、棒や剣を持っている。
村人たちはへっぴり腰で犬頭と戦っていた。
俺は、ヴァネッサを背中に乗せたまま、黒い水たまりに向かって疾走する。
「本能」としか言い様が無いが、適切な戦い方が頭の中に浮かんでくる。
疾風のように村人と犬頭が戦う上を飛び越え、水たまりの中心に体ごと飛び込む。
水たまりは俺の脚が触れたとたん、触った部分から蒸発し、跡かたも無く消えてしまった。
残留する瘴気が風に散らされて薄らいでいく。
頭上を飛び越えられた犬頭たちが、怯えたような表情でこちらを振り返る。
だが、切りかかってくる犬頭はいない。
俺は周囲を見渡し、取り囲む犬頭たちに呪文を放つ。
「【凍傷】」
犬頭たちの全身が蒼い氷に包まれ、砕け散る。
砕けた破片から黒い煙が吹きだし、犬頭達の死体は霧散していった。
■
ヴァネッサの話を聞くに、俺は異世界に送り込まれたらしい。
この世界では、科学技術がまだ発達していない。
だが、「魔法」は存在しており、その極みが「アガルタ」と呼ばれる浮遊島。
さっき、この村の頭上にあった巨大な物体だ。
その由来は一切不明。
何時から空にあるのか、誰が作ったのか、何も解っていない。
アガルタは世界の空を不定期に飛び回り、「呪い」と呼ばれる黒い液体を落とす。
液体は地面に落ちると、黒い水たまりとなる。
アガルタが上空にいる間、水たまりからは犬頭のような魔物が際限なく湧き出す。
液体に触れた土地は土が腐り、瘴気を漂わせる魔域と化す。
呪いに触れると肉が崩れ、瘴気を吸い込むと肺が爛れる。
アガルタの呪いを消す方法は、唯一つ。
【具現化】した守護霊が呪いに触れること。
だが、守護霊と契約できる人間は少なく、守護霊との契約期間は1年間限定。
そのうえ、呪いから産まれた化け物が各地を闊歩し、目に付いた人間を殺す。
化け物は食事という形で動物を捕食することがあるが、捕食よりも優先して、人間を殺す。
この世界で、人類はゆっくりと排除されつつあった。
■
ヴァネッサと俺は、この村に残る何カ所もの「呪い」を浄化して回った。
「浄化」と言っても、ヴァネッサが俺を狼に【具現化】し、俺が呪いに触るだけ。
底なし沼のように腐臭を放っていた場所が、俺が触れると元の姿を取り戻し、畑や牧草地に戻る。
全ての呪いの浄化が終わった日、
村ではヴァネッサのために盛大な送別会が開かれた。
この世界の不文律として、守護霊と契約した巫女(男性の場合は神官)は、産まれ故郷であっても、同じ場所に留まる事が許されない。
アガルタによって世界に産み出される「呪い」を消すため、旅をすることが義務付けられる。
旅の最終目的地は、アガルタの発生地点と言われている遥か遠い土地。
そこにある「呪いの根源」を浄化することができれば、アガルタは消滅するらしい。
村長の家で開かれた送別会では、主賓のヴァネッサが村人たちに囲まれていた。
「ヴァネッサ、やっぱり巫女になれたんだ」
「うん、ありがとう」
「10年前から呪われてた畑が浄化されたよ」
「良かったね、おじさん」
「きっとなれると信じてたよ。これで森に薬草を取りに行ける」
「うん。良かった」
守護霊になっても食事はできるらしく、出された食事を食べながら、
ヴァネッサと村人たちの会話を聞きながしていた。
■
しばらくして、ヴァネッサは酒場から退出した。
彼女は、明朝早くにこの村から旅立つ。
ヴァネッサは、送別会が行われている村長の家を出て、夜道をひとり教会に戻る。
彼女は子供の頃から、教会で一人暮らしをしているそうだ。
送別会は主賓不在となっても続いているらしく、酔っぱらいの歌声が遠くから聞こえてくる。
夜道を歩きながら、ヴァネッサが昔話を始めた。
「わたしのお父さんが神官だったの。
まだわたしが小さい頃、旅に出たんだ」
「そっか」
アガルタがまだ空にある以上、彼の旅は成功することなく終わったのだろう。
ここは、犬頭のような魔物が闊歩する世界。
旅の途中で魔物に殺されたか、もしくは途中で1年間の契約期間が切れたか。
守護霊の居ない元神官が、この世界で長旅を出来るとは思えない。
生き延びていたとしても、故郷に帰ることは難しいだろう。
「お母さんは、呪いから出てきた魔物に殺された。
孤児になったわたしを、村のみんなが育ててくれた。
でも、神官の娘だったからかな?
みんな、わたしが巫女になることを願ってて、いつもそればっかりだった」
ヴァネッサは、満天の星空を見上る。
既にアガルタは遠くに飛び去り、空を隠す雲も無い。
日本とは違う、澄んだ空気が月と星を一際綺麗に見せる。
ヴァネッサの言う事は、俺もうすうす気が付いていた。
送別会と言いながら、集まった村人たちは別れを寂しがるふうでもなく、呪いが浄化されたことを喜んでいた。
呪いが無くなってしまえば、巫女は用無し。
あそこで行われていたのは、送別会とは名ばかりの宴会であった。
誰も、ヴァネッサの事を見ていない。別れを悲しんでいない。
「タクヤさん、わたしのところに来てくれて、ありがとう」
■
翌朝、まだ日が昇る前にヴァネッサと俺は村を出た。
ヴァネッサの荷物は、ちょっとしたリュックサックに収まる程度。
見送りは誰も居ない。
それが、彼女のこの村での境遇を物語っていた。
未来永劫残る「呪い」を消せるので、巫女や神官は各地で歓迎される。
そのため、神官や巫女は、旅費には苦労しないらしい。
肌寒そうな朝もやの中、俺たちは世界に向けて旅立った。