第九話 もう一人の巫女
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翌朝。遅めの朝食を食べていると、国王が側近を何人か連れて、俺たちの部屋に顔を出した。
「おう、飯時にすまねぇな」
「どうした?国王さま」
クラリネ爺さんが横からちゃちゃを入れる。
昨日、さんざん話のネタにされたのを根に持っているらしい。
「来たばかりなのに悪いんだが、アガルタが出た。
南のほうのオアシスが呪いにやられたらしい」
「行きましょう!」
国王の言葉を遮って、ヴァネッサが立ち上がり、拳を宙に振り上げる。
「そういうとこは、ヴァン譲りだなぁ。話が早くて助かる」
国王は、半ばあきれ気味に笑う。
「場所は何処だ?」
「イズミールだ」
「イズミールなら、火の神殿への道中だな。足と旅行用品を用意してくれ。すぐに立とう」
「勇ましき義弟殿ならそういうと思ったぞ。すでに騎乗部隊の精鋭を準備させている」
「よし、10ふ……」
クラリネ爺さんが俺たちの方を振り返って、言葉に詰まる。
視線の先には、越冬期のリスのように、口いっぱいに朝食を詰め込むヴァネッサの姿があった。
「20分で支度しろ」
クラリネ爺さんが、ため息をついてから言いなおした。
■
イスタルの北は、獣人の住む広大な「黒森」が広がる。
だが、南に向かうと、徐々に乾燥していき、やがて砂漠にぶち当たる。
イズミールは、砂漠の中の複数のオアシスを結んで作られた街。
さらに南に向かうと、火の神殿がある。
そういった地理的条件にあるため、今回用意された乗り物はラクダ。
数人の騎兵たちが、20頭のラクダを従えて、王宮の正門前で俺たちを待っていた。
半数のラクダの背中には、荷物がぎっしりと詰め込まれている。
残りの半数には、ラクダ用の鞍が結びつけてある。
騎兵の中から、一人の男が前に進み出る。
「自分は、南方光輝騎兵隊、1番隊隊長 カミルと言います
クラリネ様、巫女様に同道出来て光栄であります!」
直立不動の体勢で、敬礼をする。
爺さんは軽く敬礼を返すと、一頭のラクダの手綱を握った。
「これに乗るのは久しぶりだな」
そのまま、かるがるとラクダに跨り、かるくラクダの腹を叩いて立ち上がらせる。
「え!?乗れませんよ」「乗れない……」
それを見た、クレアやヴァネッサがしり込みする。
「皆さまはこちらにどうぞ」
何人かの騎兵が進み出て、彼女たちをエスコートし、二人乗り用の鞍に乗せた。
ラクダの速度は、自転車よりも遅い。
朝早く起きて歩きだし、日中の暑いときは日陰を探して休む。
クレアは、ここでも【浮遊】を駆使。
進むのは、広い、ただ広い砂漠。
日中、日差しを避けて日陰に避難して、昼食を取る。
「こんなにゆっくりでいいんですか?その街の人は苦しんでいるのに……」
「焦るな、ヴァネッサ。焦ると無駄な体力を消耗する。
消耗していては、魔物と戦えん」
クラリネ爺さんが落ち着いて諭す。
「そうだ!タクヤさん、風のマテリアで空を飛べば」
「やめとけ、ヴァネッサ。この日差しだと、すぐに倒れちゃうよ」
まぶしく光る太陽を見上げながら、ヴァネッサを説得する。
ワシの姿で多少飛行したとしても、行ける距離はたかが知れている。
「でも、なにか、したいです……」
「大丈夫ですよ、巫女様。我々砂漠の民は、魔物には負けません」
ヴァネッサの隣に座っていた女騎士が、笑いながらヴァネッサに熱いお茶を差し出す。
彼らは、この国を魔物から取り返した民の末裔。
「それにさ、火の神殿には、カリマって巫女が居るんでしょ?
うちらが着いた時には、その娘が終わらせちゃってるかもね」
「そうだと、良いんですけど」
それから4日後、野宿を繰り返した俺たちは、オアシスの街イズミールへとたどり着いた。
イズミールには、巨大な湧水の泉が5つあり、それぞれの泉を中心とした区画の町を作っている。
その5つの区画を中核に、イズミールという巨大なオアシスの街が形成されている。
アガルタは、そのうちのひとつの泉に呪いを落として行った。
だが、町の人々は力を合わせて、泉の間に張り巡らせた水門を閉めて水路を遮断し、他の泉への影響を阻止。
一応の安全確保に成功していた。
街をまとめる古老たちに会って話を聞く。
「救国の英雄、クラリネ殿が来られたとは、これは風が我らに向いてきたぞ!」
「「おぉー!!」」
爺さんの出現で、砂漠の戦士たちの士気が一気に上がる。
ここまで有名人だと、爺さんが昔、いったいなにをしたのか、正直気になる。
とっくに、アガルタは居なくなっているので、今は出現した魔物の掃討作戦をしているところ。
だが、やっかいな魔物が発生しているらしい。
イズミールの人たちは、10人単位で部隊として編制し、部隊ごとに索敵・掃討を行っている。
1部隊では相手にできないような魔物が居たら、即座に呼子をならして、周辺の部隊と連携を行う仕組みだ。
「だが、その部隊の人員が、全員忽然と消えたのだ」
「10人もの人間が?」
「あぁ。掃討作戦は2時間程度で撤収のドラを鳴らす。
だが、ドラを鳴らしても、帰ってこない部隊があったのだ。
他の部隊で呼子や不審な音を聞いた者は居ない」
古老たちは話を続ける。
「実は、他にも姿を消しているものが結構居るのだ。
知ってのとおり、魔物は人間を襲うが、その大半は死体を食べるわけではない。
オアシスに引き込まれたか、魔法を使われたか。
何か、強力な魔物が出たと判断して、10人体勢に変えたのだ。
だが、彼らが消えた区画に行ってみたところ、巨人等の大型魔物の足跡や、
魔物が大規模魔法を使ったような痕跡は無かった」
「氷の魔法を使ったのなら、この暑さで跡形もなく溶けちゃうのにゃ」
パルックが横から話に割り込んでくる。
「それはないよ、パルック。
氷の魔法だと、氷そのものは溶けるだろうけど、死体は残るだろ」
「ならば、大地の魔法で流砂を作れば、効果範囲の人間を痕跡なく消せる……
いや、逆に全ての痕跡を消してしまうか。現場にそういった不自然な所は無かったのだろう?」
元、大地のマテリア持ちのクラリネ爺さんが尋ねる。
街の長は、無言で頷く。
「じゃ、水の中に引きこんだ とかは?」
ヴァネッサが手を上げて発言する。
「一人二人なら出来るだろうけどねぇ
さすがに、クラーケンのように足が10本あっても、10人を一気に引き込むのは難しいと思うさ」
クレアが腕組みして考え込む。
「【飛行】や【浮遊】という手もあるだろうけど、呼子を鳴らせないわけでも無いからねぇ」
「短時間で複数人を倒す手段を持った魔物か。情報が少ないな。対応のしようが無い」
クラリネ爺さんもお手上げのようだ。
「じゃ、俺が見てくるよ。俺なら魔物に攻撃されても、平気だし」
俺は守護霊なので、魔物の毒だろうが魔法だろうが、怖くは無い。
「なにか解ったら戻ってきてくれ」
「倒してしまっても構わんのだろう?」
ヴァネッサの手前、ちょっとだけ格好つけてみる。
「こないだのイカみたいに逃げられるなよ」
「うっ……」
時間切れだけは気を付けないとな。
「タクヤ!かなり小さいけど、魔物がたくさん居るみたいに感じる。
囲まれるとヤバいから気をつけなよ」
クレアの注意を頭に刻み、俺は街へと向けて走り出した。
ヴァネッサに【具現化】してもらって、砂の町に踏み込む。
町は封鎖されているので無人だ。人の姿も魔物の姿も見当たらない。
道なりにしばらく歩いていくと、木々や緑が増え、オアシスが見えてきた。
このあたりは、まだ呪いから遠いせいか、瘴気の存在は感じない。
オアシスの中心は、生え茂るこけや背の高い水草で視線が届かないが、水は綺麗に澄んでいる。
カエルが何匹も泳いでいるところを見ると、呪いの汚染度合いも低いのだろう。
時刻は既に夕方に近く、夕焼けが周囲を赤く染める。
耳をすませば、あたり全体から、カエルの大合唱が聞こえた。
かなりの数のカエルが生息しているようだ。
オアシスに面する道を歩くと、カエルを踏まないように注意する必要がある。
もし、この世界に自動車があったら、この道はかなり悲惨な事になるだろうな、と思いながら歩く。
しかし、なんでこんなにカエルが多いんだ?水の無い砂漠なのに。
俺の足元にいるカエルは、あるものは俊敏に、あるものはのたのたと逃げていく。
試しに、動きの遅い、太ったカエルを、前足でつっついてみた。
すると、カエルは盛大に白い煙と爆音を出しながら、太ったおっさんに変わる。
「も、戻れた!守護霊様ぁ~助かった~」
おっさんは、汗と泥で汚れた顔で、俺に頬ずりしてきた。
その時、オアシスのどこかで、何かが水に飛び込んだような音がした。
ぴちゃぴちゃという、水を掻くような音がこちらに近づいてくる。
「おっさん!その辺のカエルを2,3匹捕まえろ!」
「へ、え?」
「速く!」
「は、はひぃ」
おっさんはあわてて、這いつくばり、その辺のカエルを捕まえ始める。
このあたりのカエルは、きっと大半が人間だ。
下手に戦うと巻き添えにしてしまう。
おっさんがカエルの捕獲に手間取っている間に、オアシスの水の中から魔物が現れた。
水の中から出てきたのは、紫色をした全長2mの巨大なカエル。
背中にたくさんのいぼが乱立し、薄気味悪さを感じる。
だが、その動きは遅く、のたのたと水から這い上がってくるのにも手間取っている。
「つ、捕まえましたぁ」
俺はおっさんの返答を聞くとすぐに、狼からワシに変化。
「カエルを握りつぶすなよ!」
そして、おっさんをかぎづめで掴むと、一目散にみんなの待つキャンプへと戻った。
■
おっさんを抱えてキャンプに戻る。
なんとか、陽が残っているうちにキャンプに辿り着くことが出来た。
古老たちが集まる大き目のテントに通される。
おっさんを降ろして、おっさんの口から、仲間や古老たちに経緯を説明させる。
「逃げようとしたとき、紫のでっかいカエルの化け物が現れて、
口から変な黒い液体を吐き出したんだ!それを被ったワシは、カエルになっちまったんだ。
でも、この守護霊様が人間にもどしてくれたんだよぉ」
「本当か?タクヤ」
「あぁ。俺が触ったら、カエルから人間に戻った」
「このカエル、魔物の魔力を感じるね。
小さい魔物がたくさんいると思ったんだけど、これがその正体かぁ」
クレアが、かごに入れられたカエルを紅く光る右目で観察している。
おっさんが捕まえた2匹のカエルは、俺が触れると2人の住民に戻った。
住民は、おっさんと同じように、狂喜乱舞して俺に礼を言う。
「守護霊の力で、魔物の魔法が浄化されて、もとにもどったんだね」
元に戻った町人は、兵士たちに連れられて外で食事を振る舞われる。
「これで、対抗策は考え付けたな。
盾のようなものでヤツの毒液を防げば、カエル化せずに済む」
古老が後ろを振り返り、指示を出す。
「職人や女たちに盾を作らせろ。大きければ大きいほどいい。
戦士たちに伝えろ、明日、攻め込む!」
「待って下さい!まだカエルになっている人たちが居るんですよ!?」
ヴァネッサが古老に向かって叫ぶ。
古老はゆっくりと息を吸い込み、よく響く声で応える。
「我らは、誇りある砂漠の民。同胞は見捨てん!」
「「おぅ!!」」
テントの中のトルクゥール人たちが、人間も獣人も、男も女も一斉に唱和する。
「ここは、そういう場所なのさ。過酷な自然の中だからこそ、全員で助け合って生きている」
クラリネ爺さんがヴァネッサの肩を叩く。
明日の作戦は、救出作戦。戦える者はほとんどが出撃する。
盾を装備した戦士が周囲を警戒し、他の者がカエルを片っ端から捕獲していく。
捕獲したカエルは大事にかごに入れておき、あとで俺が魔法を浄化して人間に戻す。
もし、魔物が現れたら、足元に注意しながら、オアシスからできるだけ引き離して叩く。
次の日から、早速作戦が開始された。
徹夜で用意された、即席の盾が配られる。
5人1組で、警戒と盾役が一名、残りはカエル収拾役になる。
第一作戦は、真昼に行われた。
空から、灼熱の日差しが降り注ぐ。
初戦は、カエル魔物が出ないであろう時間を見計らった様子見である。
人間側も熱射病の危険があるので、小一時間ほどで撤収のドラが鳴る。
普通のカエルもあまり活動していないようで、なんとか十数匹のカエルが集まった。
俺が具現化して、それらのカエルに触れると、10人の人間が呪いから解放される。
「行けるぞ!」住民たちの間に笑いが広がる。
その後、第二班、第三班がカエルの捕獲を行い、さらに30人くらいの人間が解放された。
本物のカエルは、作戦の邪魔にならないよう、別のオアシスにリリースされる。
解放された人間の中に兵士がおり、彼らの部隊とカエル魔物との戦闘を詳しく語ってくれた。
カエル魔物に出会った彼らは、オアシスから上がってくる姿があまりにも鈍重であったため、自分たちだけで倒そうとしたらしい。
だが、いきなり吐きかけられた毒液で、半数がカエル化。
残った兵士たちは、長く伸びたカエルの舌で絡め取られ、動けなくなったところに毒液を振り撒かれたらしい。
「注意すべきは、毒液だけでなく、長く伸びる舌もあるのか」
「だんだん、情報が集まってきたね」
最後は、今日の最終の第四班。俺たちもこの班に配属されている。
この班は、夕暮れ時に出撃する。
この暑い砂漠では、カエルの活動が最も活発になる時間帯である。
今までの班の成果もあって、オアシスの周りに、ほとんどカエルの姿は無い。
時折這い出てくるカエルも、片っ端から捕獲されていく。
ここでは、クレアの呪いの眼が大活躍。
的確に元人間のカエルをみつけては、周囲の兵士に指示を出す。
パルックも猫族の俊敏さを生かして、競うようにどんどんカエルを捕獲していく。
クラリネ爺さんは、木の枠に何重にも布を張り巡らせた即席の盾を手に、周囲を警戒する。
陽がどんどんと落ちて、あたりが薄暗くなってきた。
足元も暗くなり、うっかりすると、カエルを踏みつけてしまいそうだ。
「来た……ね」
クレアがそういった時、オアシスの方から、大きな水音がした。
数人の兵士たちが、カエルの入ったかごをもって一目散にキャンプへと戻っていく。
「まだ、カエル化した人間がそのへんにいる。町の中心にひきつけて」
クレアの声に、その場の全員が頷く。
昨日と同じように、カエル魔物は水音を立てながら岸へと上がってきた。
薄暗い中で足元のカエルを警戒し、誰もが斬りかかることが出来ない。
「うにゃ~!」
パルックが大きく踏み出して、鈍重なカエル魔物の脇腹に蹴りを入れる。
そして、そのまま大きく後ろに跳び下がる。
体重差もあって、それほど効いたようには見えないが、カエル魔物の注意がパルックに集中する。
「パルック、足元、あしもとぉ~」
泣きそうな声でヴァネッサが叫ぶ。
「このくらいの光があれば、あたしには真昼とおなじだにゃ~」
答えるパルックの瞳が、きらりと光る。
カエル魔物は、足元を気にして動けない周りの人間よりも、パルックを当座の敵と見定めたらしく、彼女の方に大きくカエルジャンプする。
パルックはカエル魔物のジャンプをひらひらとかわし、魔物を町中へと誘導していく。
200mほどオアシスから引き離たところで、パルックは立ち止まる。
「クレア、この辺で良いかにゃ?」
「良いよ。このあたりには、カエルにされたひとはいない」
パルックは、短剣を懐から取り出し、姿勢を低くして戦闘態勢に入る。
それは、猫が狩りをする姿を思い起こさせた。
「盾をかざして、バリケードにしろ。ヤツをオアシスに戻すな!」
クラリネ爺さんの指示で、盾部隊が即席の盾を重ねて、カエル魔物の逃げ道をふさぐ。
追いついたヴァネッサが、俺を狼に具現化させる。
足元に不安が無いのであれば、こっちのものだ。
俺は戦闘態勢を取りながら、ヤツに近づいていく。
カエル魔物は、俺の気配を感じ取ったのか、くるりとパルックに背を向ける。
背を向けられたパルックの集中が切れ、ふぅっと、息を吐き出す音が微かに聞こえた。
それを狙っていたのか、カエル魔物の背中のいぼが何個か弾け、中からバスケットボール大のカエルが跳びだす。
カエルの卵から産まれ出た、ちびカエル魔物。
それは、不意を突かれたパルックに向けて、黒い毒液を吐きかける。
毒液に触れたパルックは、小さなカエルになってしまった。
「パルック!」
俺は、あわてて彼女のもとに駆け寄り、前足で恐る恐るパルックに触れる。
すると、パルックにかかっていた変化の魔法が解け、彼女は元の姿に戻った。
「アイツ、かえるにかえるにゃ~!」
せき込みながら、パルックが叫ぶ。
まぁ、今さら言われなくても見てればわかる。
俺は、足元のちびカエル魔物を踏みつぶしながら、親玉のカエル魔物に向き直る。
背中のいぼは、まだ無数に存在する。これは、やっかいな持久戦になるかもしれない。
「タクヤ、ヴァネッサ、魔力切れに注意しろ。
クレア、氷の魔法で足止め、そのあとは周囲の確認を頼む。
パルックは、後ろに下がってろ」
「おう」「はい!」「わかったにゃ~」
爺さんの指示が飛び、俺たちは再度動き始める。
カエル魔物の動きは鈍い。
クレアの氷魔法でけん制されたところに、爺さんの大剣が突き刺さる。
「ぐぇ~っ」
カエルは口を大きく開き、長大な舌を伸ばして爺さんを絡め取ろうとするが、爺さんは盾で舌を受け流す。
ネバついた液体が急ごしらえの盾の上を滴っていく。
舌を出して無防備になった口のなかへ、クレアの火球の魔法が炸裂し、肉の焼ける嫌なにおいが、辺りに漂う。
怯んだカエル魔物は、伏せの姿勢をして、爺さんに背中を向ける。
その隙を逃さず、俺は一気にとびかかって、前脚でカエル魔物を踏みつけて動きを封じる。
「【停滞】」
氷の魔法を解き放ち、カエル魔物のいぼを凍結させる。
そのまま体重をかけて踏み抜くと、カエル魔物は穴の開いた風船のようにしぼみ、消えて行った。
爺さんとクレアは、散開したちびかえる魔物たちを追いかけて、掃討していく。
「はぁ、カエルは苦手なんですよねぇ」
ヴァネッサが【具現化】を解除し、俺は元の霊体の姿に戻った。
「ヴァネッサ、危ない!」
パルックの呼びかけは一瞬遅く、茂みの中から飛び出してきた生き残りのちびカエルが、ヴァネッサに毒液を吐きかける。
ヴァネッサは毒液をまともに浴びて、カエルになってしまった。
パルックは、間髪入れずにちびカエル魔物を踏みつぶす。
潰された魔物は黒い液体へと変わり、すぐに消えて行った。
「あちゃ~、タクヤ、ヴァネッサを戻してあげてにゃ~」
霊体であるが、自分の顔が青ざめてくるのがわかる。
「どうやって?」
「さわって……、え!?」
周囲のちびかえる魔物を殲滅し終わった爺さんたちも戻ってくる。
「どうした?」
「ヴァネッサが……」
「ケロケロ」
全員が無言になる。ヴァネッサはパルックの手から飛び降りて逃げ出した。
「あぁ、待つにゃ、ヴァネッサ~」
逃げるかえるを追いかける猫。
昔、見たことのあるような光景がそこにあった。
■
「これでいいのにゃ~」
ヴァネッサかえるは、入れ物に入れられ、背中に「ヴァネッサ」と書かれている。
万一逃げたとしても、判別がつくように だ。
「これは、急いで火の神殿に行って、カリマに助けてもらうしかないようだな」
「そうね……。巫女の先輩としては、超かっこ悪いけど」
「頭が上がらなくなるにゃ~」
全員の視線の先には、一匹のカエルが居る。
キャンプのテントには、今日捕まえられたカエルたちもたくさんいる。
砂漠の民たちは、困惑した顔をしながら、カエルたちに餌をやっていた。
「不幸中の幸い、火の神殿にはもう一人巫女様がおられます。
夜中の砂漠は、慣れているものでないと危険です。明朝に立たれると良いでしょう」
イズミールの古老が、暖かい笑顔で俺たちを包んでくれる。
だが、その屈託のない笑顔が逆に重い。
「すまぬ、その言葉に甘えさせてもらう」
「いえいえ、魔物は倒れましたので、こちらは何とかなりますよ」
俺たちは、精神的な疲労で、倒れこむように横になった。
翌朝。砂漠の朝は早い。
まだ、日が昇らぬうちから人々は活動を始める。
避難所と化しているキャンプ地には、周辺の無事だったオアシスからの援助物資が並ぶ。
避難している人たちとボランティアでやってきた人たちが、一緒に朝食を作って食べる。
彼らのうち、幾人かはもう一度あの町に入り、カエルの回収を続行するはずだ。
俺が起きた時には、既にたくさんの人が活動を始めていた。
朝早いので、仲間たちはまだ眠っている。
「うぁ~っ 魔物だ!昨日のやつがまた出たぞ」
声の方を見ると、いつの間に現れたのか、昨日のやつよりも一回り大きなカエル魔物が居た。
背中のいぼもしっかりとある。
「爺さん!昨日の魔物がまだ居た!クレア起きろ、パルック!」
俺たちにあてがわれたテントの中に駆け込み、必死になって彼らを起こす。
魔物がカエルジャンプをしたのか、外から地響きが聞こえてきた。
仲間たちがごそごそと起き出したのを見て、もう一度テントの外に走り出る。
カエル魔物は、朝食が並んでいた大テーブルの前にせまっていた。
そこには、何人かの逃げ遅れた人たちがいる。
「ぐぇ~っ」
あれは、カエルが舌を出すときの音。
「爺さん!クレア!パルックでもいい 速く!」
テントに向かって必死に叫ぶ。
時間が止まったような世界の中で、俺は、聞きなれた呪文を聞いた。
「【具現化】」
呪文を唱えたのは、長く黒い髪を後ろで束ねた少女。
この国の民族特有の褐色の肌。服装は、軽装で纏めている。
口元はきつく結ばれ、意思の強さとともに、口数の少なさを表している。
彼女の呪文に応え、守護霊がこの世界に実体化する。
それは、二本の剣。
刀身が波打つ炎のように見える、フランベルジュと呼ばれる種類の片手剣だ。
少女が手を伸ばし、実体化した炎の剣を握る。
次の瞬間、その姿は残像を残すほどの速度で動いた。
人間離れした速度で、カエル魔物との距離を詰める。
カエル魔物は、伏せの姿勢をして、背中の卵を破裂させ、無数のちびカエルを空中にばらまく。
だが、少女の剣が目に見えない速度で煌めき、ちびカエルたちは斬り伏せられて消えた。
起き上がろうとしたカエル魔物の喉笛に、少女の剣が突き刺さる。
その剣は、槍のように長く伸び、カエル魔物を貫き通して背中に刃が突き抜ける。
「【発火】」
剣は炎を発し、カエル魔物は全身を燃やし尽くされて消滅した。
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「私が、巫女のカリマです」
国王と同じ浅黒い肌。鋭い目つき。
叔父姪の関係だけあって、国王とおも立ちが似通っている。
15年前、クラリネ爺さんがこの国に居た頃に、赤ん坊だったそうなので、
今は16歳のはずだが、大人びた口調が実年齢よりも年上に感じさせる。
この国の王族は、美男美女ぞろいだな と感嘆し、少しうらやましく思う。
「こっちが私の守護霊。
彼女は、目も見えず、耳も聞えず、話す事もできない。だから、私は名前も知らない」
カリマの傍らに立つのは、彼女の守護霊。
全身が血で薄汚れた包帯に包まれている。
包帯の外に出ている部分は無く、シルエットから女性であろうことだけがわかる。
だが、それ以外の事は何も解らない。
カリマの「剣」で触ってもらうことで、ヴァネッサの魔法は解除された。
「ひ、酷い目にあったぁ……」
カエル化の魔法が解け、目を回しながら、ヴァネッサが元の姿に戻る。
「ありがとう」
「礼には及ばない。私は国王のもとへ急がねばならないので、これで失礼する」
俺たちに礼を言う間も与えず、カリマはラクダに乗ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ちなよ。このイズミールには、まだ魔物が居るかもしれないんだよ?」
クレアがカリマのラクダに駆け寄って、行く手を阻む。
「それは、国王の命令に無い」
「待て。ワシは王の弟、クラリネだ。ワシの命令は、王に準ずる重さを持つはずだ。
逃げ遅れた人々の救出と魔物の掃討、呪いの浄化を行うぞ」
「あなたがクラリネ老?以前に絵姿を見た事がある。命令に従おう」
少し考え込む様子を見せてから、カリマはラクダから降りた。
「よし、二手に別れるぞ。
ヴァネッサとタクヤ、パルックは、火の神殿に行って、火のマテリアを取ってこい。
神殿は、ここから1日でつく。騎兵に案内させよう。
ワシとクレア、カリマはここで魔物退治と呪いの浄化、それから変身魔法の解除をする」
「わたしも、一緒の方が良くは無いですか?」
ヴァネッサが爺さんに異議を唱える。
「いや、ヴァネッサ、爺さんに従おう」
「タクヤさんまで……、どうしてですか?」
ヴァネッサは怒ったような顔で聞き返す。
実際、魔物に困っている人を見捨てようとしたカリマに少し怒っているのだろう。
「不意打ちで、二人同時にカエル魔物にやられてしまうのが一番ヤバイ。
どうしても、それを避けなきゃいけない」
「それは、そうですけど……」
ヴァネッサは、頭では納得しているが、心情としてはすっきりしないのだろう。
「どっちにしても、火の神殿には行かなきゃならないのにゃ。はい、支度支度にゃ」
パルックに背中を押され、俺たちは急いで旅の支度を整え、キャンプから出発した。




