第三十四回
すでに日暮れが近づいていた。
意識は取り戻さないもののエオーはまだ息をしている。
眼下には広がるのは一面の焦土ばかりだ。村はこれほど遠かっただろうか。
ラドは焦りに駆られていたが、それでもやがて木立が見えてきた。さらに近づくと、エオーが練習台として森の中に作った焦土も面積を広げてはいたものの、村へは届いていなかった。
しかしそれはニイドの力を以てしても完全に抑え込むことは出来なかったということだ。このままではいずれ村も飲みこまれてしまう。他の土地へ移る支度をするようにというニイドの指示を受けてか、すでに皆は荷物をまとめて村の中心部に集まっているのが見てとれたため、ラドもそこへ大鷲を着陸させた。
「ラド! 無事だったか」
ニイドと、エオーの両親が駆け寄ってきたが息子の無惨な姿を目の当たりにすると二人は息を呑んだ。ニイドは折れた魔杖を見ると目を見張ったが、それには触れずに「皆、支度は済んだ。あとはラド、お前だけだ。私はエオーを都に連れて行き医者に預ける。その間に支度を済ませよ」と告げた。
「はい」
ニイドは都に連れて行くと言ったが、徒歩や馬車で向かうわけではない。重傷のエオーを連れて行くのにそれでは時間がかかりすぎる。ラドにはまだまだ真似ができないが、ニイドほどの腕であればどんな場所でも一瞬で移動できる「道」を自ら作ることができる。
父も母も早くに亡くし、ラドは一人暮らしだった。家に戻ってきたものの、時間はあまりない。元より持ち物はそう多くないが、何を持って行くべきか。
へし折られたとはいえ魔杖を手放す気にはなれなかった。それ以外は、父の形見のナイフ、母の形見の首飾り、当座の着替え。それらを纏めながら、今までの思い出が蘇る。まだ幼かった時分、父のナイフに憧れて、到底ラドには手の届かない場所にしまわれていたそれを無理に取ろうと家具をよじ登ったときにナイフもろとも転がり落ちて腕に深い傷を作ってしまったこと。事態に気付いた母親がラドを抱きかかえ大急ぎでギューフ家に連れて行ってくれたときに、ラドの目の前でこの首飾りが揺れていたこと。
ラドは表へ出た。あとは土だ。
ラドはここで魔術の修練を諦めてしまうつもりは毛頭なかった。魔杖が折れてしまったからには一から修行のやり直しになることは避けられないが、それでも生まれた土地を離れる魔術師が皆そうするように土を持っていくつもりでいた。
家に背を向けると日が暮れていく様が目に入った。それもまたフェオを思い出させる。ナイフで怪我をしたときはフェオもまた幼かったため傷の治癒にあたってくれたのはフェオの父親だったのだが、フェオも心配してきてくれたのだった。しかし子どもがしばしば作る擦り傷とは明らかに違う出血に驚いたのか、ラドを一目見るなり泣き出してしまった。幼心にラドは気分を害したが、いま思えばフェオが泣くのも無理はなかっただろう。
そんなフェオも治癒を身に付け血を見て怯えることもなくなり、事あるごとに傷の手当てをしてくれた。
あの洞窟の土を持っていこう。ラドは駆け出した。
洞窟に着くとラドは僅かに土を掬い、掌にすっぽりと納まるほどの目の細かい布袋にそれを詰めると首から下げた。
ここからは村を見下ろすことができた。戻ってくることはもう二度と無い。父母と過ごした家も、ニイドの庭も、フェオの家も、この洞窟も、すべてが直に焦土に飲み込まれてしまう。
そもそもフェオがイス国の王室に嫁ぐことを承諾したのは、村や村人が被害に遭うことを恐れたためだ。どのみち村を棄てることになるのなら、最初からフェオを連れてどこか誰も知らない所へ逃げるべきだったのだろうか。
今となっては思い煩ったところで仕方がない。それはラド自身もわかっている。だからといって、それが慰めにも思いを取り止めるよすがにもなるはずがなかった。
せめてフェオと最後に見たこの景色をできるだけしっかり覚えておこうとラドは瞬きもせず外を見ていた。山際は徐々に色を変えていく。
名残は尽きないが、これ以上時間を割いては隣の村に辿り着くのが真夜中になってしまう。やむなくラドは洞窟を後にした。
村に戻るとすでにニイドが戻っていた。エオーの両親の姿は見えない。エオーに付き添っているのだろう。
「もう、良いのか」
「はい」
「それでは・・・・・・」とニイドが村長に目配せをする。村長は頷くと歩き始め、村人たちもその後に続いた。年輩者の中には涙を抑えきれない者もいる。
ラドは振り返った。夕陽を浴びて染まる、いつもと変わらないように見える村。
さよなら。
胸の内でひっそりとそう呟き、ラドは歩き出した。




