第三十二回
ほどなくリドニアは城へ戻ってきた。
寝台に寝かされているリドニアは、ただ眠っているだけのように見えた。侍医の検分によれば、外傷は無く、ただ打ち所が悪かったとのことだった。そのことを裏付けるかのように、リドニアの顔つきはこの上なく穏やかだ。きっと苦しまずにすんだに違いない。それがただ一つの慰めでもあった。
夜明け前の急な出来事ということもあり寝台に並べる花はまだ集まらず、わずかに蝋燭が照らすのみだ。王族がその躯を横たえる場としてはあまりにうら寂しい。さらに言えば、状況が状況だけにすぐさま葬儀を執り行うわけにもいかない。リドニアの遺体はこのまましばらく安置しておくしかない。してやれることといえばせいぜい花を増やしてやることと防腐処理程度だ。兄としてはこの上なくもどかしかった。
窓からは、空が白み始める様が見てとれた。朝が来る。だが、リドニアが目を開けることはもう二度と無い。
「戻ろう」
ルディオスはフェオに声をかけると踵を返した。フェオは驚いたような表情を見せた。無理もない。あまりにも時間が短すぎる。
もしこれが普通の兄弟であればもっと長く弟のそばについていたことだろう。しかしルディオスは民を守り、国を治めなければならない。
部屋へ戻るころには、外は一段と明るさを増していた。
「何か動きはあるか」
ルディオスが問うと、即座に「民衆の間で騒ぎが起きた様子はありません。ですが、夜間にも延焼があった模様です」と答えがあった。
「どれほどか」
「アイネシドスの中心部よりやや東に当たります」
それは昨夜の予測よりも被害は少ないことを意味している。
「時間の経過により効力が落ちつつあるか、もしくは術をかけた魔術師自身が負傷したことで効力が弱まったのでしょうか」と、ラクミアンが発言した。勿論それも考えられるが、ルディオスは別の可能性を危惧していた。
「罠かもしれぬ」
「どういうことでしょうか」
「魔術の中には、故意に一度勢力を弱めて相手を油断させる術式もあるのだ」
いずれにしても、術式そのものの情報が少な過ぎる。
「フェオ」
ふいに名を呼ばれたためか、フェオはいつになく驚いた顔でこちらを見た。
「何か、知っていることはないか。・・・・・・いや、そなたを疑っているわけではない。術式について何も判らぬままではこちらも手の打ちようが無いのだ。あの魔術師達はまだ年若い。魔術について何者かの手解きを受けているはずだ。その者から何か聞き出せるかもしれぬ」
フェオはしばらくの間沈黙していたが、「話を聞くだけだ。危害は加えぬ」とルディオスが言い足すと「賢者様なら、何か御存じかもしれません」と答えた。
「その者の名は」
「ニイド=デュランタです」
「ニイド?」
その名にルディオスは聞き覚えがあった。家臣の間にもどよめきが広がる。
「ニイド=デュランタがそなたの郷里にいるのか」
「はい。賢者様を御存じなのですか」
ルディオスは頷いた。
フェオは知らないようだが、ギューフ家の力が国外にも知られていたようにニイド=デュランタの名もまた高名な魔術師として広く知られていた。国の中枢として重用されていてもおかしくない。中心都市から遠く離れた国境近くの村に彼のような人物がいたことは驚きに値した。
ルディオスはすぐさま「サルテオに遣いを出せ」と命じた。
「しかし、国境付近はとても足を踏み入れられる状態ではありません。城からの距離を考えますと先の魔術師のように鳥を使う事も難しいかと思われます」
「ならば第三国を経由して回り込め」
時間はかかってしまうが、致し方ない。
ルディオスは卓上の地図を見ようと視線を動かした。そのとき、視界の端でフェオが倒れ込む姿をとらえた。




