第二十二回
それを聞いた瞬間、ラドはエオーに飛びかかった。一度はエオーを押し倒したものの、地面を転がるようにして攻守を逆転されてしまった。
「怨むんだったら俺じゃなくて自分を怨むんだな、ラド。全部お前のせいだ」
「どういう意味だ」
喘ぎながらもラドは尋ねた。
ラドも指をくわえて見ていたわけではない。フェオの父が娘をイス国に差し出すまいとして人を集めたときには、ラド自身も出征を志願した。結局戦いは起こらなかったが、それはフェオ自身が受け入れたためである。
「お前ならあいつを引き留められたはずだ。あいつを説得して、どこかに匿うことだって出来ただろ」
それはラドも考えた。それでも実行に移さなかったのは、やはりフェオの意志を尊重した結果だ。
フェオ自身は決断を下してからずっと、人を避けて屋敷に籠もってしまっていた。イス国への忠誠を示すためと聞いていたが、それは表向きに過ぎなかった。それを知ったのはフェオがイス国へ行ってしまう前日のことだ。
そのとき感じた無力感を忘れることは、一生無いだろう。
背中が痛い。何かゴツゴツしたものがあたっている。岩だろうか? 自分は仰向けに倒れている?
状況がつかめないままラドが目にしたのは、フェオの顔だった。心配そうな表情でこちらを見下ろしている。髪の毛の一筋一筋から襟ぐりの襞といった細かなところまではっきりとしている。とはいえ、フェオはあれからずっと屋敷に籠もりきりのはずだ。何度も話をしようと訪ねていったが、その度に衛兵に追い返されていたほどだ。会えるわけがない。
ずいぶん生々しい夢だな。
そう思った瞬間、
「ああ、よかった……気がついたのね」
と、フェオが手を握りしめてきた。
柔らかな肌と、温もり。
ラドはふいに悟った。これは夢ではない。
「……フェオ?」
ゆっくりと体を起こすと、周りの景色が目に入った。あの洞窟の中だ。背中が痛くなるのも当然である。
「賢者様から、あなたが怪我をしたって聞いたのよ」
思い出した。フェオに怪我を治してもらっていることを、エオーがからかってきたのだ。それだけならいつものことなのだが、今日はフェオのことまで由緒ある家柄なのにあっさり話を受けるのは誇りが無いだのなんだのと虚仮にしてきたので殴りかかってしまったのだが、そのままやり返されたのだった。
そこで初めて、ラドはエオーに殴りかかられたあとの記憶がないことに気がついた。そのまま気を失ったのだろうか。とはいえ、それほどのことだったというのに痛みはまったく残っていない。
「治してくれたのか?」
フェオは頷いた。
「気をつけてよ……これからはラドが怪我をしても、もう治してあげられないのよ?」
明日には、フェオは行ってしまう。
「誰にも会わないんじゃなかったのか?」
会えたことは、もちろん嬉しかった。しかし、どうしても悔しさが先に立ってしまう。
「……ごめんなさい。あなたが何度も来てくれたのは衛兵から聞いたわ。だけど、もしラドの顔を見たら、結婚を取りやめてしまいそうな気がして……」
その言葉にラドは耳を疑った。ここ数日の様子からして、てっきりフェオ自身は婚礼になんの異存もないものと考えていたのだ。
それはそっくりそのまま顔にでていたらしく、フェオは話を続けた。
「私がイスへ行かなければ戦争になるって話は、ラドも聞いたでしょ」
ラドはその光景を思い返していた。とても一晩で集めたとは思えないほどの人数と、その熱意。そして、フェオ自身が結婚を承諾したという予想だにしなかった報せ。
「この国の人たちは戦に出たことなんてないもの。本当に戦争になったら、みんな殺されてしまうわ」
「だけど、向こうはお前の力が目的なんだぞ? それに、みんなお前が金や立場に目が眩んだっていって……」
「わかってるわ。だけど、お父様が兵を集めようとしたとき、あなたも来てくれたのよね」
「当たり前だろ」
みすみす手をこまねいて見ているようなことができるラドではない。それならばいっそ、あがくだけあがいてイスの兵士の長剣に倒れるほうがずっとましだった。
「だからなのよ」
うつむいたフェオの視線の先、膝の上で服をつかむように握りしめた手が微かに震えている。
「私、あなたには死んでほしくないの」
顔を上げると、そうフェオははっきり言い放った。
これまでも、毎日のように二人は顔をあわせていた。何度も怪我をしてはそれを治してくれる度にフェオはラドを気遣っていた。しかし、これほどまで真剣な表情を見せたことがあっただろうか。ラドは言葉の意味よりも気迫に圧倒されて、しばらく言葉が出なかった。
「……ごめん、な」
やっとのことで絞り出すようにそれだけを口にして、ラドは顔を背けた。
フェオはラドのために人生をかけたが、ラドはフェオに何もしてやれないのだ。これまでも、これからも。
いっそ、このままフェオをさらい、二人で遠くへ逃げられないものだろうか。しかし、そんな真似をすればイスの追手に命を狙われるのは火を見るよりも明らかだ。そして、それはフェオがもっとも恐れていた事態でもある。
「いいのよ」
衣擦れの音がして、フェオが正面に回り込んできた。
「私、あなたと出会えて、本当によかった」
それが、二人の最後の語らいとなった。
「お前に何が分かるんだよ!」
その怒りは、エオーを跳ね飛ばすのに充分足りうるほどの力をラドに与えた。エオーにしても予想外の反撃だったらしく、尻もちをついた姿勢のまま茫然とこちらを見ている。
息が整わないながらもラドが体勢を立て直すのを見てか、エオーも、「・・・・・・分かるわけねぇだろ」と呟きながら立ち上がった。
「分かってたまるかよ! お前みたいな根性無しのことなんか!」
それに対してラドは再びエオーに掴みかかりかけたが、エオーが続けて発した言葉に思わず動きが止まった。
「お前のことは、絶対許さないからな。俺がお前ぐらいの魔術の使い手だったら、黙ってあいつを行かせたりしない。取られるぐらいなら、全部叩き壊してやる」
「エオー、お前・・・・・・」
思いもよらなかった話にラドは気をとられたが、その隙をつかれて再度エオーに殴り飛ばされた。血の味が口の中に広がり、背中の痛みがぶり返す。ラドは我に返った。
「・・・・・・お前の好きにはさせない」
立ち上がるラドを見下ろしながら、「俺に勝てると思ってんのか?」とエオーがせせら笑う。
ラドは叫んだ。
「あいつのことは、絶対に守る!」




