第十六回
ある日、ラドはいつものようにニイドの元へと修行に出かけた。するとニイドの顔つきがどこか険しい。
「先生?」
「おお、ラドか」
ニイドは表情を崩さないままだ。
「どうしたんですか?」
「イス国王が急逝したそうだ」
ラドは驚いた。さらにそこへ背後から、「へーえ、それじゃいよいよフェオも王妃ってわけだ」と、いつの間にか来ていたらしいエオーの声がした。
わかっていたことだ。いつかイス国王が退位し、その息子が国王の座について、フェオは王妃となる。ただ、それは「いつか」だと思っていた。これほどその日が早く来るとは考えてもみなかったのだ。イス国の王妃。その称号は改めてラドの胸に重くのしかかった。
「もう俺たちのことなんか眼中にないだろうなー」
エオーはちらちらとこちらを見てくる。明らかに、ラドの反応を楽しんでいる。
「エオー、何をしている。修行を始めぬか」
ニイドが割って入るとエオーは素直に「はい」と従ったが、去り際もこちらの様子を窺っていたのをラドは見逃さなかった。
少しの間があってラド自身も修行に来た立場だということを思い出し、「先生、俺も・・・・・・」とニイドに声をかけたが、ニイドの表情は変わっていなかった。
「先生」と再び声をかけると、やっとそこでニイドはラドに注意を向けた。
「ああ・・・・・・お前も修行に入りなさい」
何かがおかしい。そこまではラドも感づいた。詳細を尋ねようと口を開きかけたが、「お前は気にせずともよい」と制されてしまった。気がかりではあったが、ラドはそのまま修行を始めるより他になかった。
その夜、異変が起きた。
修行を終えて帰宅する途中の風のにおいがいつもと違う。確かめようともう一度深く息を吸い込むと、きな臭さを感じる。
ラドは風上へ目をやった。森の中にぽつんと灯が灯っている。いや、あれは灯ではない。
「火事だ!」
ニイドの家から距離がなかったのが幸いし、声に気づいたニイドが姿を現した。ラドの視線を目で追ったニイドは、森へ向かって駆けだした。ラドもその後に続く。
幸い、風の強さは大したことがない。民家に被害は及ばないだろう。
森に入ったニイドが素早く魔法陣を描き上げ杖を突き立てると、地面から壁のように水が吹き上がりそのまま火は消えた。いっぽうラドはといえば、やっと魔法陣を半ばまで描いたところであった。描き上げていたとしても、水力はニイドのそれの半分にも満たなかっただろう。やはり、先生は違う。改めてラドは感服した。
そうこうしているうちに、「何があったんだ」「火事ですって?」と村人が集まってきた。中には水汲み用の桶を下げてきた者もいる。
「心配ない。この通り、火は収まった」
「おお、賢者様・・・・・・。ありがとうございます」
「いや、私の力だけではない。ラドが気がついていなければ、もっと被害は広がっていただろう」
ニイドの口から名前が出たことに気恥ずかしさを感じつつも、「いえ、先生でなければあんなに早く火は消えないでしょう」と答えた。
その日はほどなくして全員が家路についたが、火事は翌日も、そのまた翌日も続いた。
いずれも小規模のうちに鎮火させることができていたため大事には至らなかったが、いまだかつてない事態に村人たちの間からは自警団を結成すべきだという声も聞かれ始めた。
皆一様に不安を募らせてはいたものの日々の生活に影響が出るようなことはなく、ラドもいつものように修行に励んでいたのだが、ある日森のほうから轟音が響くとともに地揺れが起こった。その拍子に転んでしまったラドが起きあがって森を見ると、煙が上がっている。それも今までの火事の比では無い。
「先生!」
ニイドも頷くと、「皆、ついて参れ」とその場にいた門下生を集めて森へ向かった。
現場に到着した一行が目にしたものは、それまで見たこともない光景だった。
炎こそ上がってはいないものの、村の半分ほどにも届こうかという面積がすっかり黒焦げになっている。一同は言葉を失った。
普通の火事であれば地揺れを伴うようなことはまず無い。それに、これほど広がるまでに誰も気がつかないということは考えにくい。
ふと見ると、ニイドが何かを探すように地面に屈み込んでいる。
「先生?」
ラドが近づいていくと、ニイドは動きを止めて声を上げた。
「これは・・・・・・!」
肩越しに覗き込むと、薄くなりかけてはいたものの地面に線が引かれているのが見て取れる。魔法陣の跡だ。
「皆、下がれ!」
ニイドの声とほぼ同時に、またしても地揺れが起こった。ラドは何とか転ばずに持ちこたえ再び焼け跡に目を向けたが、自分の目を疑った。
焼け跡が広がっているのだ。それも普通の火事で炎が燃え広がるときのような生半可な具合ではない。炎も上がらないまま、ほんの一瞬で新たに村の半分に近い面積が焼け焦げたのだ。
ニイドの号令に間に合わなかったと見えて、何人かが倒れたりうずくまったりしている。
「村に戻れ。儂はこれを食い止めねばならぬ」
気がかりではあったが、ニイドの言葉に従って全員村へ引き揚げるより他無かった。