第一回
それはよく晴れた日、城内はいつもと変わらぬ様子だった。午後の光が窓を通して回廊を照らしている。
「ルディオス様」
執事に呼び止められたルディオスは、歩みを止めて振り返った。
「何事だ」
「国王陛下がお呼びでございます」
特に驚くことでもなかった。イス王国の国王リーデン・カヴァエリテの第一子にして次期王位継承者、ルディオス・カヴァエリテ。それが彼の立場と名であった。
「わかった」
短く返事をして父親の部屋へ向かう。扉を叩くと「誰だ」と声がしたので「ルディオスです」と答えると、「入れ」と返事があった。
「父上、お呼びですか」
「うむ」
口髭と顎髭を長く伸ばしてはいるものの、僅かに口元を綻ばせているのが見て取れる。
「喜べ、ルディオス。お前の結婚相手が決まったぞ」
「父上、お言葉ですが、今はそのような時期とは到底思えませんが」
ルディオスは驚嘆した。その報せがあまりにも突然だったからというわけではない。イス王国は隣国と交戦中なのである。
「だからこそだ。サルテオのギューフ家のことはお前も聞いておろうな」
サルテオのギューフ家。
国政に携わる者であれば、その名を知らぬ者は無い。
「父上、ではまさか・・・・・・」
国王は頷くと、「ギューフ家の一人娘を、お前の妻として迎え入れる」と続けた。
相手がギューフ家の人間ともなれば、交戦中に結婚の話が出ても不思議はない。それからというもの家臣達と顔を会わせる度に満面の笑みで祝辞の言葉をかけられたことからほぼ異論が無いことが分かった。
ただ一人、弟のリドニアだけは別であった。
「父上、兄上。此度の結婚、本当にこのまま進めるおつもりなのですか」
定例会が終わり三人だけが会議卓に残っていると、毎日のようにこの質問が繰り返されていた。
「またその話か・・・・・・。十日後にはこちらに迎え入れることが決まっておる。それに、ギューフ家のことはお前も知っているであろう」
「勿論存じております。しかし、とても国益に繋がるとは思えません」
「どういうことだ」
「我が国は御爺様の代より軍事国家としての地位を築いて参りました。しかしサルテオのような軟弱な国の血が混ざるとなれば、我が国を担うに相応しいお世継ぎが生まれるでしょうか。聞けば今回もこちらが武力をちらつかせた途端に結婚を承諾したというではありませんか」
実を言えば今は亡き国王の妻、つまりルディオスとリドニアの母親も強大な武力を持たない国から嫁いできたのであるが、彼はそれを知る由もない。
しかしこれほどあっさりと結婚が決まったことは国王自身にとっても意外なことであった。自分の妻を娶ったときには屈強な抵抗に遭い、三百日以上の争いを経てやっとのことで向こうが折れたのだ。今回も多少なりとも戦力を割くことになるのはやむを得ないと覚悟していただけに、これは想定外の幸運と言えた。
「今は不要に戦を長引かせぬことが先決だ。生まれた子には充分な教育を受けさせればよい」
「しかし・・・・・・」
「長々と異論を述べる時間があれば、学問と剣術に励め。お前はまだまだ未熟だ」
リドニアは口唇を噛んだまま下を向くと、黙り込んでしまった。
「ルディオス、お前もだぞ」
「存じております」
ルディオスは一礼すると、「では、私はこれで」と部屋を後にした。
このところずっと城内が慌ただしいのは花嫁を迎える準備の為である。だから、召使い達が女向けの衣装や調度品を次々と客室に運び入れている光景を幾度となく目にしていた。
廊下で指示を出していた女官長は、部屋から出てきたルディオスに気づくと頭を下げた。
「これはすべて花嫁の為の支度か」
「左様でございます。まだ半ばではありますが、部屋の様子を御覧になられますか」
「そうだな、見せてもらうとするか」
半ばとは言いつつも、すでに客室には天蓋付きの寝台や象眼細工の衣装箪笥などの主要な調度品が設えられている。
「あとは装飾品か」
「ええ、壁には薔薇輝石の壁飾りとサヴェニ地方のタペストリー、調度品の縁にはゴネヴァ産のレースを取り付ける予定です。天青石の飾り石は全体の配置を確認した上で使うかどうかを判断します」
ルディオスは頷いた。
「充分だ。花嫁も気に入るだろう」
ルディオスは数歩歩きだしたが、つと振り返ると「女官長」と呼びかけた。
「はい」
「くれぐれも、不自由な思いをさせることのないようにな」
「はい」
ギューフ家の一人娘。
ルディオスはその顔も人となりも、まだ知らない。