学生寮
王立魔法学院は全寮制である。
寮の建物は外観上は一体に見えるが、男女共用部分である一階を除けば、男子寮と女子寮は別々に分かれている。無論、一階を経由せずに学生が両方の棟を行き来することはできない。
ついでに言うと、寮を含むすべての建物は、真夜中から夜明けまでの間、出入りが禁止されており、破った学生にはそれなりのペナルティが課せられる。
各学生に貸与される居室は、入学時から卒業時まで同じ部屋で、卒業時に原状に戻すことができれば、在学中はどんな変更を加えても構わないことになっている。
寮の部屋に案内されたソフィアが最初にしたのは、リュックをおろして、中に入っているリンドブルムを出すことだった。
「ちびちゃん、お疲れ様。窮屈でごめんね」
「……ちびちゃん?」
ソフィアを案内してきた女性が聞き咎めてそう問う。
よたよたと床を歩き回るリンドブルムを抱き上げて、「はい。この子の事ですが……何か、問題があるでしょうか?」とソフィアが答える。
おそらく、このリンドブルムが大きくならないのは、その呼び名のせいではないか、と女性教師は考えたが、「可愛い呼び名だわね」と言うにとどめた。今更呼び名を変えることは難しいからである。
「ちょっと、見せてもらってもいいかしら?」
飛べないリンドブルムに飛び方を教えたい、という一風変わった志望動機を入学申請書に書いた少女は、言われるままに自分が保護している生き物を女性に手渡した。
女性教師はリンドブルムの翼を仔細に点検した後、おもむろにリンドブルムを放り投げた。リンドブルムは慌てた様子で空中で数回羽ばたき、姿勢を整えてから、滑空して部屋の奥へ着地した。
「滑空することは、できるのね」
「はい、なんとか。うちの屋根くらいの高さ……ここだと、三階のベランダくらいの高さになるかな。それくらいの高さだったら、できるようになりました。でも、滑空のスタート地点をどんどん上げていくだけでは、飛べるようにはならないんじゃないかと思って」
空を飛ぶ幻獣にとって、『飛翔』と『滑空』は根本的に異なる。『滑空』は物理現象だが、『飛翔』は魔法によるものであるから。だから、強大な魔力を持つ幻獣ほど、翼はお飾りの要素が強い。そして、幻獣にとって、魔法を使うことは、本能にほぼ等しい。
「問題点が解っている、というのは心強いわね。まあ、探り探りだけど、頑張りましょう」
そう言って女性教師が手を差し出す。
「まだ確定ではありませんが、おそらく、私があなたの専任教授になると思います。入学したてから専任がつくのは特例ですよ。通常は一年から三年程度の基礎を終えてからでないと専任はつかないんです。……その代わり、忙しいのは覚悟しておいてくださいね」
「はい……ありがとうございます」
ソフィアが差し出された手を握り返しながら言う。
「……ところで、先生のお名前は?」
「あら? ……そういえば、名乗った覚えはないわね。フェイ・リンデル、と言います。よろしく」
一休みしたら寮の中を案内する、と言い置いてフェイは立ち去った。
ふう、と溜め息を吐いてソフィアがベッドに仰向けに倒れると、その横にリンドブルムが蹲る。
「……来ちゃったねぇ。ついに」
リンドブルムの頭をぐりぐり撫でながらしみじみとつぶやく。
『学院』のことは折に触れて母親から聞いていた。同世代の子がたくさん集まるところだ、と。
村の人数の倍以上いる、同じ年ごろの子たち。
受付に並んでいただけでも、かなりの数だった。ちょっと眩暈を感じてしまうくらい。
「……怖い龍、って、ほんとにいるのかな」
入学が決まってからこっち、聞かされる話は、不安を煽るものばかりで、正直入学を取りやめたくなった。注意してくれてた、というのはのは解るけど。
「ものの喩え、って言ってたし。たまに、って言ってたし。……出会うとは限らない!」
ソフィアは勢いをつけて起き上った。
「考えても仕方ないことは措いといて……とりあえず、荷物片付けよう!」
居室内の改造は自由だと聞いたので、とりあえず室内の壁面すべてを柔らかい布で覆った。リンドブルムが飛び回ったり走り回っても傷つかないように。壁もリンドブルムも。
必要な布は実家から持参してきた。母親が持たせてくれたのだ。
『破れたときの補修は、自分でするようにね』
思いつく限りの準備はするけど、壊したり失くしたりしたときのアフターフォローはしない、と明言されている。たいていのものは学院内で手に入れることができるから、というのがその理由だ。
持ってきた物を一通りしまい終えると、見計らったかのように扉を敲く音がする。おそらくはフェイだろうと思い扉を開くと、頭上から「キャアー」という悲鳴が降ってきた。
顔を上げると、学院の制服に身を包んだ金髪の女が顔を赤くして身悶えている。
「何これ、可愛いー!」
「りょ、寮長、落ち着いて!」
「最初が肝心! 最初が肝心!」
寮長、と呼ばれた女子学生を、同じ制服を着た黒髪と茶色の髪の少女が、左右から掴んで揺さぶっている。
ソフィアは黙って扉を閉めようとした。小さい、可愛い、と言って抱きついてくる相手はなるべく回避するように、と母親から言い含められているのだ。
が、一瞬早く何かが扉と扉框の間に挟まった。
「待って! 閉めないで!」
靴の爪先をドアの先に挟み込んだ黒髪の少女が叫ぶ。
「怪しい人じゃないから! 確かに言動は怪しいけど、アブナイ人じゃないから!」