旅立つ子への注意事項
「着替え持った?」
「入ってる」
「書類は?」
「そろってる」
「通信筒は?」
「入れた」
通信筒、というのは、内部に転送魔法を封じた一対の魔道具で、母親のお手製のそれは、ぱっと見洋服を掛けるハンガーにしか見えないし、実際ハンガーとしても使える。
「……二人とも。持ち物はもう何回も点検しているでしょう? 明日は早いんだから早く寝たほうがいいですよ?」
娘が旅立つ前夜、母と娘は最後の点検に忙しかった。
「日常生活で必要なものなら、事務職員さんに申し出れば、揃えてもらえるから。基本的に無料だし。……業者を紹介された場合は別だけど」
忌々しげに付け足す母親の顔をちらりと見て、父親が窘めるように言い添える。
「お金なら、余分に持たせているから大丈夫でしょう。あと、休みの日とかに王都に行く機会もあるでしょうが、『お菓子をあげるからこっちにおいで』とか言われてもついていかないように」
娘は甘い物に目がないが、さすがにそんな甘言に乗ってどうこうされるほどコドモではない。……たぶん。
「お菓子以外の物でもダメだからね。特に男の人が服をくれるって言」
「ディア、その注意はちょっと早いのでは?」
母親が言い終える前に、遮るように父親が言葉を重ねる。
「早い遅いの問題ではないでしょう? 学院には今アレがいるんだから」
「……アレって何?」
苦々しげに『アレ』と言う母親の表情を見て、娘が怪訝そうに尋ねる。
娘の問いを受けて両親が、しまった、という表情で顔を合わせる。
しばし目配せしあったあと、父親が渋々、といった様子で口を開く。
「……学院にはかわいい女の子をぱっくり食べちゃう悪い龍が入ってくることがたまにあってね」
「……え?」
微苦笑する父親の言葉に、娘が、定位置にくっついているリンドブルムを、体の前に持ってきてしがみつくように抱きしめる。
「何それ。……退治されたりとか、しないの?」
「あー……『食べちゃう』っていうのは、物の喩えだから。本当に頭からバリバリやったりとかじゃないから」
「……本当に?」
母親の少しばかり投げやりなとりなしの言葉に娘が疑いの目を向ける。
両親がよく口にする『ものの喩え』に、ろくなものがあった例しがない。
「ホントホント」
父親が真摯な顔だが、妙な棒読み口調で母親の言葉を肯定する。だが、続けて口にした言葉は、やっぱり不穏だった。
「でも、龍にはくれぐれも気を付けるんですよ。うっかりすると、知らないうちに取り込まれてたりしますからね」
…学院とは何て恐ろしいとこなんだろう、と、娘は思わずにはいられなかった。