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翼の主  作者:
初夏
34/36

殿下とお出かけ

「進級のお祝いに、何かおいしいものを食べに連れてってくださる、という方がいらっしゃるんですが……外出許可をいただけますか?」

 少女が許可を求めている相手は、彼女の指導担当教官である、若い女性だった。外出の許可を与えるのは、教職員でありさえすれば、別に彼女でなくても構わないのだが、指導教官は自由時間以外のほとんどの時間、少女につききりなので、少女にとっていちばん身近な教職員でもあるのだ。

「相手と場所によるわね。誰と、どこへ行くの?」

 その申し出をしたのが誰であるか、それと思しき人が視界の端をうろうろしているので、うすうす察しがついているにもかかわらず。指導教官は少女にあえてそう訊ねた。

「場所は……詳しくは教えてくださいませんでしたが、王都だそうです。相手のか」

「却下。王都は広いのよ。あなたのような若い女の子が足を踏み入れるべきでない場所だってある。漠然と『王都』だけでは外出許可は出せません。下手をすると、あなたの方がおいしくいただかれてしまいますよ」

「……おいしく、ですか…?」

 少女が自分の手足や体に目を落とす。

「あまりおいしそうには、見えないんですが」

「王都みたいなところにはそういうのを好むケダモノ中のケダモノも棲息しているの。注意するに越した事はないわ」

「……はあ。ここの学生では、盾にはなりませんか?」

「そういうケダモノも、見た目だけは紳士だったりするからね。ここの学生だからって安心はできないのよ?」

 一体どんな基準で学生を受け入れているのか、という疑問がわきそうな答えだ。

「……そんな輩でも、ここの学生になれるんですか?」

「入学審査の時には、人間性までは解らないもの。あまりにもケダモノの度が過ぎると、それなりの処分はするけど」

「処分?」

「最悪の場合、手枷足枷首輪口輪をつけたうえで、放校。……まあ、中には放校にしたくてもできないのもいるけど」

「手枷足枷って……」

「ものの喩えよ。本当にそんな事したら、飢え死にしちゃうでしょ?」

「ああ、なるほど」

 つまり、魔法の行使に制限を掛ける、という事だろう。

 ……でも、『放校にしたくてもできない』って、どんな学生?

「とにかく、王都への外出許可は出せないって、そこに隠れている方にもお伝えしてね。……そういえば、あの方には、非公式にだけどあなたに近付けてはいけない、って警告が出てたんだわね」

 そうつぶやくが早いか、女性教師は物陰に隠れていた男子学生のところへ歩を進める。

「……殿下。私の生徒にちょっかいを出さないでください、と繰り返しお願いしたはずですが」

「え? いや、別にちょっかいなどは…」

「隠しても無駄です。進級のお祝いを申し入れたのはあなたでございましょう? 王宮も王都にあるのには違いありませんものね」

「……前半は合っているけれど、後半は考え過ぎです。あの細くて、同年代の他の子よりも小さい体をみてたら、もう少し栄養をつけてやりたいなあ、と思ったまでで……別に他意はありません」

 少女の体格が細くて小さいのには、ちゃんとした理由があって、別に食べ足りていない、という訳ではないのだが。

「他意は無い、……ね」

「お疑いでしたら、先生も一緒にご招待いたしますが」

「いえ、結構」

 舌の肥えているであろうこの学生の言う『おいしい食事』には興味が無い訳でもなかったが、食べざかりの食欲につきあってはいられない。

「……わかりました。楽しい食事会になるといいですね」

 と、奇妙な言葉を残し、女性教師はその場を離れた。

「なんとか、許可は取り付けたよ。何か食べたい物は、ある?」

 女性教師が立ち去るのを見送る少女に向けて、殿下、と教師に呼びかけられた男子学生が声をかける。

「特に、これといって……好ききらいもありませんし。ただ、着るものを選ぶような、改まった場所へのお誘いは、勘弁願いたいのですけど。そういった場所にふさわしい服の持ち合わせがありませんので」

「服くらいなら、贈っても構わないが?」

「……殿方が『服を贈る』と言うのは、何やら下心があっての事だと伺いましたが?」

 男子学生が天を仰ぐ。

 誰だ、そんなことを教えたのは。

「下心なんて、ない。誓って。……解った、そんなに警戒されるなら……そうだ。明日、ちょっとだけおめかしして出ておいで」




 王都の中心部には、広大な広場があって、いくつかの国家行事はここで行われる。

 だが、それ以外の時は、この広場は一般に開放されていて、定期的に市が立つ。そうでない日でもそれなりに賑わっているが。

「うっわー……話には聞いてたけど……実際に見てみると、すごい。ここまで来る間も人だらけだったけど……」

 少女の感嘆の声を聞いて、男子学生が満足げにうなずく。

「市の日に限らず、王都には国内外から人が集まるからな」

「随分と誇らしげですが、殿下がこれだけの人を集めた訳ではないでしょう?」

「……前々から思ってたけど、君、俺に対する態度だけ、他と違わないか?」

「だって、先生から『要注意人物』と指摘されているのは、で…」

 『殿下』と言いかけて言葉を切り、辺りを見回す。

「……他にはいませんもの」

 そんな少女の様子を見て、普段よりも幾分砕けた服装の青年が、少女の頭に手を置き、ぐしゃぐしゃとかき回す。おめかし、と言われてせっかく綺麗に梳いて背中で緩く編んだ髪がもつれてしまった。

「なにもあたりをはばからなくたって、誰もこっちの事なんか気にしちゃいないって」

 それは希望的観測だろう、と少女は思ったが、口には出さずにいた。さっきからこちらを気にしている風情の通行人は一人二人ではないし、王都の門を入ってからこっち、つかず離れずこちらを窺っている気配が、少なくとも三人分、ある。害意はなさそうだから、多分青年につけられている護衛なのだろう。青年がそれを気にする様子が無いのは、慣れているせいなのか、鈍くて気付かないからなのか定かではないが。

「……まあ、気付いてる奴は、見て見ぬふりしてくれてるのかもしれないがな。……行商人にまで面が割れてるとは思いたくないが」

 どうやら開き直っての上の事らしい、と判った少女は同情の表情を浮かべる。

「有名人は大変なんですね」

「まあ、半分は子供のころからの蓄積なんだけどね」

 どうやら幼少の砌からお忍びでこういう場所に出没していたらしい。なんだ、同情をして損した、と少女はあきれた表情になる。

「市を一回りすれば、結構食べ物を出す店もあるし、テーブル席をしつらえている店もある。改まった店よりは、こういう場所の方が警戒されないかと思ったんだけど」

「……おいしいもの、という保証は?」

「うーん……保証、と言われると困るけど、場の雰囲気で五割増し、おいしくなる気がしない?」

「五割は増やし過ぎでしょう。いいとこ三割です」

「……なかなか評価が厳しいね」

「でも、改まった場所に連れて行っていただいたとしても、緊張してしまったら味が判りませんので……確かに、こちらの方が気が楽です」

 少女がにっこりと笑って連れの青年の方を見上げる。

「……ところで、私お財布の中身が乏しいのですが……」

「任せなさい。この市の商品全部、というのは無理にしても、それなりの予算はある。だいたい、あまり高額な商品と言うのは、こういう市で扱っていないし、仮にあったとしても、人目につくようなところには置いていないものだ」

 だから少女がおねだりするくらいは大丈夫、と青年は快活に笑った。

「とりあえず、どんな店があるか、一通り回ってみようか?」

 王都の定期市は、広場の管理者にいくばくかの金を支払えば、商人に限らず、誰でも店を広げる事ができる。但し、広くて良い場所はそれなりの値段がするので、大手の商人に予約されていることもしばしばだ。

 誰でも店を出す事ができるので、扱う商品も様々だ。近隣の農家が持ち込む農産物やその加工品、はるばる海を越えてもたらされたと称する香辛料や宝飾品、王都に点在するさまざまな工房でつくられる工芸品、などなど。少数ではあるが、商品ではなくて自らの芸を人に見せて稼ぐ大道芸人や楽師の姿もある。

「めまぐるしくて、頭がくらくらする……」

 広場を突っ切って反対側の端まで来た時、少女が早くも音を上げた。

「……一生分の人間をみたような気がします」

 広場のこちら側を区切っている堀割の欄干に寄りかかって溜め息をつく。

「一生分とはまた、大げさな」

 少女の横に並んで欄干に凭れた青年が苦笑する。

「大げさじゃないですよ。私にとっては」

 少女が欄干に背を預けて空を仰ぎ見る。

「学院に入学した日、一日だけで、それまでに見た人数以上の人を見ました。……その晩は、なかなか寝付けませんでした。あまりに多くの人を見たので、興奮したのだと思います。……そして、今度はこれ。……今もちょっと熱が出そうです」

「えーと……よく判らないけど、それは、喜んでくれてるのかな?」

 少女が桜桃色の唇を尖らせ、青年の方に視線を戻した。妙に色っぽい仕草だ。

「つまらなそうに見えましたか?」

 青年は、反応が薄いな、と思っていたが、それは、少女の見かけが幼く見えるせいで、無意識に子どもの反応を予想していたせいだと気がついた。……いや、同年代の少女でも、もう少しはしゃぐものだが。

「……もしかして、人が多くて、疲れた?」

「そう言ってるじゃありませんか。……あ、でも、静かなところへ行って休もうとかは決して」

 なぜか頬を染めて慌てた様子で少女が言い募る。

「……『下心』を誘発するような言動は避けていた訳か。よほどの危険人物と思われているらしいな」

「危険だと思っているなら、ご一緒したりなんかしません。……人気のない場所には、人攫いが出るんですよ? ご存じありません?」

「ああ、人身売買組織、か。門番詰所の壁にあったな。潰しても潰しても、根絶できないらしいね、ああいうのは。需要があるから、だろうな」

 まだ日も昇りきる前の、人で賑わう広場で口にするには不穏当な単語を、青年はこともなげに口にした。この青年が、ただの『育ちのいいお坊っちゃん』ではなく、いずれは国を背負って立つ身である事を、少女は改めて認識した。

「……だけど、それとどういう関係が?」

「どういう、って……私人攫いに攫われるのはいやです。……香料商人の露店のあたりからひと組、揚げ菓子の屋台のあたりからもうひと組、剣呑な雰囲気の人たちがついてきてるんですが」

「……ああ、引っ掛けてきちゃったのかー。警備は何してるんだろうね?」

 物騒な話を聞いた割にはのんびりした口調で青年が言う。

「たぶん、別口の後始末で忙しいのだと思います。軽業師の露店のところで、捕り物があったみたいですから」

 少女の口調もどこかのんびりしている。

「という事は……自力で何とかしなきゃならない、って事か?」

 と面倒臭そうにつぶやいた青年は、続けて、「振り切る? 立ち向かう?」と少女に訊ねた。

「私一人でしたら、有無を言わさず『逃げる』方を選びますが……『おいしいもの』を食べずに逃げるのは、残念です」

「……じゃあ、『立ち向かう』方向で? 場所の選択は任せてもらっていいかな?」

「お任せするしかないでしょう。私はここの事は全くわからないんですから」


 二人が堀割に沿ってゆっくり歩き出すと、いくつかの人影がその後を追って動き始めた。堀が広場から離れ、運河へと通じる水門の前で、二人は足を止めた。水門の脇には、水門を操作する装置を風雨から守るための小屋が設置されていた。その小屋に入る扉に、青年が手をかけた時、二方向から足音が近づいてきた。振り返ってみると、ざっと五・六人の、あまり人相風体のよろしくない男たちに取り囲まれている。

「……何者だ? おまえたちは」

 返り討ちにする気満々の青年が、そのそぶりを隠し、少女を後ろにかばいながら誰何した。

「……何が目的だ?」

 少女が脅えた表情を作って、口元を手で隠しながら、呪文の詠唱を開始しているのをちらりと見て、時間稼ぎに質問を追加する。

「いやぁ? 兄ちゃんがこれからお楽しみなようなんで、ご相伴させてもらおうと思って、なぁ」

 少女が信じられない、といった表情で青年を見上げ、一歩下がる。その途端、小屋の扉が大きく開き、中から伸びてきた手が、少女の腕を掴んだ。

 少女が声にならない叫びを上げるのと、男たちが青年に襲いかかるのとは、ほぼ同時だった。

 青年が、襲ってきた一人目を躱して首筋に手刀を叩き込み、二人目の鳩尾に蹴りを入れて、三人目の右腕を掴んだ時、少女が呪文の詠唱と周囲の探索を終えた。

 後をつけてきたもうひと組が、どうやら離れたところで様子を窺っているらしい、と判断した少女は、奥の手を出すのは見合わせ、正攻法で拘束から逃れることにした。具体的には、大きく息を吸って急にしゃがみ込み、体のばねを使って相手の腹部に頭突きをくらわす、という方法で。自分の体格では威力不足だと感じたので、相手の胸部に向けて、小さな衝撃波もおまけしてやった。

 少女が自分を捕まえていた相手を沈めて振り返った時、青年は最後の一人が逃げ出すのを追いかけようと立ち上がったところだった。少女はとっさに足元に落ちていた石を拾い、衝撃波に載せて逃げる男に投げつけた。小石は貧相な男の背中にぶつかり、その勢いで男は倒れた。

「……お見事」と青年がつぶやき、その場にへたり込んだ。

 少女が青年に駆け寄ろうかどうしようか、と逡巡しているところへ、第二弾が現れた。

 人数こそ四人と、さっきよりも少ないが、服装や身のこなしから、さっきの連中よりたちが悪そうに見える。

「別口の登場か? 同じ質問をしていいものかな?」

 青年の軽口に対する返事は無かった。

 男たちのうち三人は、細身の剣を抜いて青年の方へ向かい、残る一人が短剣を手に少女の方へ走り寄ってくる。青年が上着に仕込んだ刃物を手に取るよりも先に、少女の唇が歌うように一連の命令を紡いだ。その場にいる人間でその言葉を理解できる者はいなかったが、理解できる『存在』はいた。それらの存在たちは、それぞれ自分にできるやり方で命令を実行した。

 男たちを取り巻くつむじ風が巻き起こり、足元の小石を巻き上げて男たちの体に激しくぶつかる。それが立ち去ると、運河の方から風に乗って細かいが鋭い氷の粒が男たちにぶつかり、彼らの衣服や肌を切り裂く。最後に、見えない何かが男たちの上にのしかかり、彼らを押しつぶす。最後の一人が立っていられなくなったところで、『存在』たちの攻撃は終了した。

 だが、第二弾にはもう一人いて、男たちの様子を窺っているのを、少女は知っていた。その一人は、さっき探知した場所から動かなかったが、最後の一人が倒れたのを見て、その場を動いた。

「ちびちゃん、追いかけて」

 少女は、奥の手を繰り出す事にした。

「もし逃げるようなら、元の大きさに戻ってでもいいから、連れてきて。こっちに来るようなら、死なない程度に御馳走させてもらって」

 少女が身に帯びている小さなメダルから光の矢が飛び出して、見えない場所にいる敵を追った。

 最も信頼する存在に後始末を命じた少女は、へなへなとその場にくずおれた。

 完全に地面に倒れる寸前に、青年が駆け寄ってきて、少女を抱きとめた。

「随分気前よく力を振舞ってやったものだな」

 青年に支えられて、体勢を立て直した少女が、揶揄とも称賛とも取れる青年の言葉に応える。

「……ちょっと度を越したのは否めませんが……場所もあまり私向きではありませんでした」

 なので加減ができなくて、と言い訳のように口籠る。

「向き不向きがあるんだ?」

「……向き不向き、というか……魔法を使い易い場所、というのはあります。私にとって、ですが。……殿下にはありませんか?」

「んー……残念ながら、あまりないなあ。見てのとおり、魔法使うより、手を出す方が得意だしね」

「せっかく強大な幻獣が憑いてらっしゃいますのに?」

「それこそ『向いていない』んだろうな。……だから、いまだに卒業できない」

「そんな、ご謙遜……」

 その時、空の一部が陰った。かと思うと、一人の男が空から落ちてきた。このまま地面に激突したら、命が危ういので、少女が勢いを殺してやる。

「お優しい事だな」

「墜落死した死体を目の当たりにした後で、ごちそうが喉を通るほど、神経が太くありませんので」

「……なるほど」


 青年が襲撃者たちの手足を拘束する、という作業に勤しんでいると、ようやく警備隊が現れた。

「遅いぞ。せめて片づけてる最中に来れないか?」

「……お手数をおかけします。ですが、今日はやけに逮捕者が多くて……」

 責任者と思しき人物が申し訳なさそうに答える。他の者たちはそれぞれ散って男たちの捕縛にかかる。

「こういう日には、仕事を増やしてくれる奴が多く出るのは解りきってるだろうに」

「それはもちろん。ですが今日は、夜勤明けの者も帰れないほどの忙しさで」

「ほーお? ……今日の市では、犯罪組織の競技会でも開かれているのか?」

 警備隊の責任者が頭を抱えたそうな顔をした。

「殿下……御冗談でもそのような発言はお慎みください。士気にかかわります」

「冗談だと解っているなら、問題はなかろうに」

「警備隊には融通が利かないくらいの真面目な性質の奴が配属されがちなんです。そんな奴に聞かれでもしたら……」

「真に受けられでもしたら、困る、か? そういうヤツがいるんだ?」

 相手が困った顔をするのを見て、青年は話題を切り替えた。

「……ところで、何か食べる物、持ってないか? 補給食でいいんだが」

「食べ物なら、ちょっと歩けば手に入るでしょうに」

「そりゃそうだけど……連れがあそこでへたばっててね。もう歩けないっていうんだ」

 そう言って水門前の小屋を示す。

「お連れが……? ああ、そういえば、今日は随分とお可愛らしい方を連れてらしたとか? ……学院の方で?」

「ああ。そこの奴らは彼女が片付けた。おかげで一歩も動けないとさ。どこか近くに、休ませられるところはないか? 座れる場所がありさえすればいいんだが。……できれば、広場の周辺で」

「注文が多いですねえ。近さからいえば、この堀割のすぐ向こうにお宅がおありでしょうに」

「……正門までどれだけあると思ってる? 通用門はさらに離れてるんだぞ?」

 苦い顔をする青年に向けて苦笑しながら警備隊の男は言った。

「とにかく、その方からもお話は伺わないといけませんからね。どこかをお借りすることになるでしょうね」

 そう言いながら二人で小屋の方に足を向ける。

 小屋の扉の陰で、少女とリンドブルムが、一緒に丸くなってうずくまっていた。規則正しい寝息が聞こえる。

「……殿下。王族の方の嗜好に苦情は申し上げにくいですが、これは……」

「あのな、一緒にいるっていうだけで、あらゆる年齢の女をそういう目で見るんじゃない」

「冗談ですよ。殿下のお行儀が比較的よろしいのは存じております。……そちらの方面に関しては」

「……比較的、ね……」

 青年がやや不貞腐れた様子で少女を揺り起こした。

「んー……何……?」

 少女が目をこすりながら顔を上げる。青年の顔を認めると、一気に覚醒した様子で起き上がる。

「あ……殿下。えーと……?」

「ようやく警備隊のご到着だ」青年が後ろを指さす。「話が訊きたいんだって」

「……あ、はい。どこからお話すれば……」

 少女が背筋を伸ばして座り直し、リンドブルムを手元に引き寄せる。

「あ、書類を作成いたしますので、詰所の方までいらしていただけると……」

「……何だ? さっきと随分態度が違うじゃないか。さっきはその辺で話を聞くだけで済まそうとしてたくせに」

「いいじゃありませんか。ここは冷えますし、書類を作成する必要がある事には違いはないんですから。えーと、ところで、そのリンドブルムはお嬢さんのですか? 幻獣が持ち込まれた、という報告は受けていないのですが……」

 どうやら彼が問題にしているのは、少女よりも、彼女と一緒にいる幻獣の方らしい。

「あ……門のところで訊ねられませんでしたので。……申告しないといけないものだったんですか?」

「それだけの大きさのものを見落とすとは思えないんですけどねえ……」

「……普段は封じておりますので。……こうして」

 少女が幻獣の頭に顔を寄せて何事かつぶやく。途端に幻獣の姿がかき消える。

「幻獣使いでいらっしゃる? お小さいのに……」

「これでも十五歳だ。身長も一年前入学した時に比べれば、大分伸びてる」

 青年の言葉を聞いて、警備隊の男が言葉に詰まる。

「子ども扱いされるのは慣れておりますし、……それを利用することもままありますので、気にしてはおりません。……詰所の方にご案内願えますか?」

 気にしていない、と言いながらも、幾分むっとした表情の少女が、おもむろに立ち上がる。

「歩けない、とか言ってたのに、大丈夫なのか?」

「ちび……リンドブルムに少し力を分けてもらいましたから、少しの間なら」

 そうは言うものの、足元が危うい。

「……やれやれ」と青年がつぶやいて、少女を抱え上げ、左腕の上に座らされる。

「きゃ……何を……」

 少女が驚いて足をばたつかせる。

「詰所まではだいぶ距離があるんだ。おとなしく抱えられとけ。……それとも別の抱えられ方が好みか?」

「…………いえ、これで、いいです」

 一連のやり取りを黙って見ていた警備隊の男が苦笑する。

「殿下。あなたの方がよっぽど子ども扱いしているように見えますが?」

「……レディ扱いして無駄に警戒されるより、ましだ」

 青年が低くつぶやく言葉は、ちょうど起こった機械の動作音にかき消された。




 警備員詰所に着くと、青年と少女は別々の部屋へ案内された。少女には班長の指示で、携帯食のビスケットと温かい香草茶が出された。

 あっという間にビスケットを平らげた少女は、たっぷりの糖蜜が入った香草茶で満たしたマグで手を温めながら、質問に答えて行った。

「……それで、彼らの顔に見覚えは?」

「……少なくとも、今日、王都の門をくぐるまでは会った事のない方だと断言できます」

「断言。それはまた……」

 記録を取っていた係員は、疑わしげに少女の方を見た。

「私が学院に入学するまでに会った事のある人は……せいぜい、百人をちょっと超えるくらいの人数ですので、皆覚えています。彼らが学院関係者でないのは、明らかですし」

「……なるほど。それにしては、あなたが叩きのめした連中は、ひどい目にあっているようですが?」

 少女の目が、ちょっと泳いだ。

「それは……刃物を持った人と対峙したのは初めてなので、逆上してしまったのではないか……と思うのですが。……加減ができないような力を揮うのは、やはりまずかったでしょうか?」

 少女がしおれると係員が困ったような顔をした。

「……それは、私には何とも。とりあえず、怪我は酷いですが全員息があるので、ひどいお叱りを受けるような事にはならないと思いますよ」

「……そうでしょうか……?」

 少女がカップ越しに係員の方を上目づかいに見る。身悶えしたくなるほど可愛らしい風情だが、係員は役割上(こら)えた。

「まあ、あくまで希望的観測ですがね。……ではこれを読んで、間違っている個所があればそこを示してください。……無ければ、最後の……」

 書類綴りの最後のページを示す。「ここの欄にご署名を」

 少女が手渡された書類を読み進める間、係員が香草茶のお替りをマグカップに注ぐ。

 途中、用語の意味について何回か質問したが、明らかに誤っている個所はない、という事で、ペンを手に取って署名した。

「はい、おつかれさま。長い事時間取って、すまなかったね」

 受け取った書類を用箋ばさみに挟んだ係員は、ドアを開けて少女を部屋の外へ送り出した。

「……お疲れ様。ずいぶん時間がかかったね?」

 先に調書を取り終えていた青年がドアの外で待っていた。

「あ……書類の見直しに、手間取って。あと、現場までたどったルートの確認に、意外と時間が」

「それだったら俺に連れられて歩いたから良く判らない、でよかったんじゃ?」

「ああ、そうですね。……でも、どこから彼らが後をつけてきたのか、というのは、覚えてらっしゃいます?」

「んー……それを言われると自信が無いなあ」

 青年が腕組みをして首を捻る。

「まあいい。それより、当初の約束を果たさないとね。昼をだいぶ過ぎてしまったから、店じまいしちゃったところもあるかもしれないけど」

 そう言いながら青年は、少女を促して詰所を出た。



「どうしたんですか? 地図を睨みつけて」

「いや……まさか、とは思うんだけどな。……今日捕まった奴ら、ほとんどが、殿下達の通ったルートで捕まってるんだよな」

「それは……殿下の周辺には、警護がつかず離れずしてるから、……他よりは見つかりやすいのでは?」

「それにしても、あの数は異常だぞ?」

 警備隊長の机の上に積み上げられている報告書の数は、午後を回ったばかりだというのに、既に普通の一日分の三倍はある。今日休みを取っている隊長が、明日出てきたら、どんな顔をするか、見ものだ。

「だったら……いっそのこと手の空いた者は殿下の後をついて回るようにしてみてはいかがですか?」

「バカ言え。そういう無粋なまねは近衛の仕事と相場が決まってるだろうが」

「……そういえば、殿下が直接手を出されたという事は……近衛の連中はどうしてたんでしょうね?」

「さあね。こっちと同じように忙しい思いをしてるのかもな」



 そのころ、青年と少女は、食べ物屋台の売り上げに甚く貢献していた。既に一軒、豆菓子の店を(残りが少なかったとはいえ)売り切れ閉店にした少女は、戦利品を片手に、次の店を物色していた。

 そして一軒の煮込み料理の屋台の前で鼻をひくつかせて足を止め、傍らの青年を見上げる。小さく溜め息をついた青年がうなずくのを見て、少女が店主に話しかける。

「小母さん、ここのお勧めは何?」「じゃあそれちょうだい。二人前」「ありがとう。……ちょこっとおまけしてくれると嬉しいな」

 同じセリフを、既に七軒の店で繰り返している。

「…………君の胃袋は、異空間にでもつながっているのか?」

 二軒目までは少女の食事につきあった青年が、うんざりしたように言う。ここまですべての店で二人分注文しているが、三軒目からは、味見に一口もらう以外は、すべて少女が二人前平らげている。

「……ああ、そういう手には気付きませんでした。今度から、食べる時間が無い時は、それ使わせてもらおう」

「という事は、だ。あれ全部その腹に入ってるんだな? 少しは重くなったか?」

 青年がおもむろに立ち上がり、少女の後ろにまわって、椅子代わりの樽の上から、ひょいっと持ち上げた。

「……あまり増えてないようだが?」

「石食べてる訳じゃありませんから。……下ろしてください」

 匙を握りしめたまま、少女が文句を言う。

「食べ物屋の店先で口にしていい言葉じゃないと思うなあ。『石食べてる』なんて」

 青年が少女を樽に座らせながらからかうように言う。

「誰が言わせてるんですか。食べ物の価値は重さじゃありません。……あ」

 青年が吹き出す。そしてそのままテーブルに手をつく。

「……うん。そう、だね。…………ごめん。……ゆっくり召し上がれ」

 そう言って青年は少女から顔をそむけて俯くが、その肩が細かく震えている。

「……言い間違えました。『食べたものの重さがそのまま体重になるわけじゃない』と『人間の価値は体重じゃない』が混じりました」

「……うん、解説しなくても……判った、から、……ごゆっくり……」

 立ったまま忍び笑いする青年の横で、少女は眉間にしわを寄せたまま食事を続けた。

「ごちそうさま。おいしゅうございました」

 眉間にしわを寄せたまま、少女が匙を置いた。そのしわを指先でつつきながら、ようやく笑いを収めて座り直した青年が少女をからかう。

「そんな顔してたら、本当においしいと思ってるか疑わしいぞ?」

「……ちゃんとおいしかったですよ。相席の方が失礼でなかったら、もっとおいしかったかと思いますが」

「失言を笑ったのは、謝る。でも、それだけで失礼って言われたんじゃ、立つ瀬がないなあ」

「……では、『失礼』は撤回します」

 店を出て、ゆっくり歩きながら青年が少女に話しかける。

「それにしても、君の鼻は大したもんだなあ。今までのところハズレの店に当たってない」

「……失敗をごまかしてる匂いのしない所を選んでるだけです。傷んだ野菜や肉の臭いとか、物の焦げる臭いとか。……ここの市では、明らかにそんな匂いをさせている店はありませんが」

「食べ物屋台はちゃんとした宿屋や食堂からの出店が多いからねえ。そういう店は信用にかかわるから、そんな物は出さない」

「ふうん……勉強になります」

「なに? 将来そういう店を開く計画でも?」

「そういう訳では……ただ、自分があまり詳しくない分野の情報は、どんな些細な事でも、いつ役立つ日が来るかわからないから、って、両親が」

 ふうん、と気のない相槌を打った青年が露店の商品を眺めていると、傍らで何かが砕けるくぐもった音がした。既に何度も聞いた音だ。

「まだ食べ足りなかった?」

「……いえ、そういう訳では。店を出るときは、確かにお腹いっぱいな気がしたんですけど」

 噛み砕いた豆菓子を嚥下しながら、恥ずかしそうな顔で少女が答える。

 ……少女の後方、五メートルほどのところでは、店先で客の荷物をかっぱらおうとした男が、なぜか足が動かなくなって店主に見つかり、取り押えられていた。

「まあいいか。……食欲旺盛なのは結構な事だし。……せめて身長だけでも年相応に育ってくれないと、連れて歩くだけでも妙な目で見られるもんなあ……」

 青年が密かにこぼすと、少女が怪訝そうな表情で見上げる。

「どうかなさいましたか?」

「……いや、なんでもない。……そうだ、食事の他にお祝いの品」

「殿下自らが王都をご案内くださる、というだけで十分すぎるほどです」

 青年の言葉を遮った少女が一旦言葉を切り、いたずらっぽい表情を浮かべた。

「……それとも、殿下がお祝いしてもらいたい、とか?」

 青年が虚を衝かれた表情になった。

「それは……考えた事もなかったな。前例もないし。……卒業祝いならともかく」

「前例って……そんな大げさなことなんですか?」

「……昔、卒業するまで二十年以上かかったのがいてね、ようやく卒業できたときには、それはそれは盛大なお祝いをしたんだそうだ」

「にじゅう……」

 少女が絶句して足が止まる。

 普通、五年通ってみてものになりそうでなければ、学院を去るものだが。少なくとも、少女が聞いた限りでは。

「それは、進級を祝う、どころではありませんね」

 通路の真ん中で立ち止まるのは通行の邪魔になるので、青年が少女を通路の端へ寄せる。すると、ちょうどそこは食べ物屋台の前だったので、条件反射のように少女が店主と会話を交わし、またその流れで青年が代金を支払う。

「さすがに在籍十年を超えると、いろいろと公務が発生するんで、籍だけ置いて、身柄は実家(うち)の方に戻し、教師が派遣されたそうだ。つまり、これつけて生まれてきたからには、何としてでも使えるようにならないと一人前とは見做されない、ってわけだ」

 青年が少女の目の前に手のひらを開いて見せる。代金を支払うときにはなかった金色の丸い痣のようなものがそこにあった。

「それは……なんというか、大変そうな……」

「そういう訳なので、下手すると、君の方が先に卒業する羽目になるかもな。さすがにその時、卒業祝いを贈ろうって気になるかどうかは保証できないな」

「……そんなに、危ないんですか? 卒業」

「実技が壊滅的でね。どうも勝手が解らなくて」

「……こんな芸当ができるんだから」

 少女が青年の手のひらに指先でそっと触れる。

「勝手が解らない、とは思えませんが」

 少女は珍しそうに青年の手のひらにしばらく指を滑らせていたが、突然はっとしたように手を引っ込めようとした。が、逆に掴まれてしまった。

「……すみません、許しも得ずに」

「小さい手、だな」

 青年が少女の手を掴んだままつぶやく。

「……はい?」

「武骨な武器など持たずとも、身が守れるように、あんな力があるのかな? ……あれには驚いたぞ」

「あれは……慣れない場所なのと、武器持った人が相手だったので、加減ができなかったんです。獣が相手で、身を守るだけが目的なら、もう少し加減します」

「人は、往生際が悪いからな」

 青年が、少女の手を両の手のひらの間で弄ぶ。もうその手のひらは元に戻っている。

「……だがな、少しはこっちにも見せ場を作ってくれても良かったんじゃないか? 自分よりも小さい女の子に守られただなんて、他人に知られたら……」

「最初の人たちはご自分で片付けられたじゃありませんか。それに……後始末もお任せしてしまって。申し訳なく思っております。それに……」

 少女が言葉を切ったのは、青年が少女の手をおもむろに自らの口元に運んだからだった。あっけにとられていると、赤い舌がぺろりと指先についたソースを舐め取る。

 少女が言葉を失っている間に、青年は少女の指先を丹念に舐め、あまつさえ、口に含みまでした。

「あの……で、殿下?」

 指先に感じる舌と歯と唇の感触に顔を赤くして、少女が消え入りそうな声を出す。

「そういった行為は、こんなまだ陽の高いうちからするようなものでは……じゃなくて、えーと、私のような見かけの者に対して行うと、ケダモノ呼ばわりされ……でもなくて、えーと……」

 少女がうろたえて言い淀む様子を見て、青年がにやりと笑う。

「そうか。こうすれば君はうろたえるのか。……初めて見たような気がするぞ、うろたえるところ」

「あの……お願いですから、手を放してください……」

 目を伏せながら、周囲を憚って、消え入りそうな声で、少女が言う。店が混む時間帯は過ぎているので、他の客はいないが、店主の目がある。

「……中身まで、見かけどおりではない、というのは解っている。……だから、せめてもう少し見た目も成長してもらいたいものだな」

 青年が手の力を緩めるが、自分からは離そうとはしない。

「……無茶言わないでください」

「では、やはりこうして時々栄養補給に連れ出した方がいいのかな?」

「…………」

 少女が困惑の表情を浮かべる。

 街に連れ出されるのは、楽しい、と思う。けれどこうやって困らされるのは……

「うーん……下心なんか無いつもりだが?」

 さしあたりは、と青年が心の中で付け加える。

 将来が楽しみな美少女ではある。だが、その『将来』は自分の目の前で至るのだろうか? 今のままでは、幼いまま、自分の前からいなくなってしまうのではなかろうか。

 蕾の内に摘んでしまおう、とまでは思わないが、……知らないところで咲いて、誰かに摘まれてしまうかもしれない、と思うと、『残念』以上の黒い感情を胸の底に感じる。

「……でも……その度にこんな事をされるようでは、困ります」

「こんな事、って?」

 青年がからかうような顔で訊ねる。

「……その……私の指を……舐める、とか」

「舐める以外なら、いいのか?」

「……何をお考えかは判りませんが、できればそれ以外、も慎んでください」

「……わかった。親が子供を連れて歩くような心積もりで接するよう、心がけよう」

 そう言って青年が少女の手を放す。

 自分の手を取り返した少女は、それを自分の胸元に強く抱き寄せ、上目遣いで青年の方を見上げた。

 王族男性に対する世間の評判(タラシ)の意味が、ようやく解った、と思う。安全な距離で接する限りは、人好きのする、多少顔立ちの整った青年でしかないのに……

 手を掴まれた時、一緒に心臓までわしづかみにされたかと思った。力を入れて振りほどこうと思えばできそうなのに、それができなかった。指に触れる唇の感触に、体の芯がとろけそうになった。

 ……それともこれは、自分がこの青年に『好意以上』のものを抱いているせいなのか?

 …………あの時、魔法が暴走してしまったのは、確かに、刃物を見て逆上したせいだけど、それが、この青年が傷つけられるのを恐れての事だった、だなんて、口が裂けても、言えない。間違っても、この人には。

「……親子、ほどは年が離れていないと思いますが?」

「だから……そう言われたくなければ、もう少し大きくならないと、な」

 そう言って、青年が少女の頭に手を置く。

「だったら、頭に手を載せるのはお控え願います。……背が伸びなくなるような気がします」

「そりゃ悪かった。……食べ終わったなら、そろそろ出ようか? お土産にするおやつは買い足した方がよさそうだな」

 いきなりのコドモ扱いだ。……だが、その前の行動も、傍から見たら、コドモ扱いしているように見えなくはなかったか? 目付きがコドモに対するものではなかったが。

 少女は胸の中で「この悪党」とつぶやいたが、口に出したのは違う言葉だった。

「……何かお勧めはありますか?」

 そう言ってすり寄ってくる少女の唇の端に付いたソースを指先で拭ってやりながら、青年は「この小悪魔め」と心の中でつぶやいた。

「……それはどんな店がまだ出ているかによるな。時間があるようなら、もう一周してみるか?」

「財布の方は、まだ大丈夫ですか?」

「任せろ、と言っただろう? ここをどこだと思ってる?」

「……王都、ですね。殿下のご実家のある」



その日、市に出ていた食料品店は大いに潤い、王都警備隊長の机の上には、検挙者の報告書が山積みになった。

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