殿下の積年の憂い
「魔力の、流れ、ですか……?」
生チーズの塊をせっせと口に運びながら建国祭で行われる儀式や行事のあれこれを、律儀に一日目から順に説明していたアドルフが、不意に考え込む様子を見せたかと思うと、多分にためらいを含んだ様子ででソフィアがどのようにして魔力の流れを感じているか、と尋ねてきた。
「……そういえば意識したことはないですねぇ」
「……やっぱり、そうなのか」
ソフィアの応えを聞いて、アドルフががっくりとうなだれる。
「そう、って?」
スプーンを口にくわえた、いささかお行儀の悪い態度でソフィアが首を傾げる。
「……なんでもない。入学早々専任教師が付くような学生はやっぱり違うんだなあ、と思っただけ」
ソフィアの眉間に皺が寄る。
「殿下? おいしいものを食べている時に、嫌味はやめていただけますか?」
「いや、嫌味のつもりはなかったんだが……むしろ愚痴というか泣き言というか……その……」
ソフィアの膨れっ面に、うなだれていたアドルフがしどろもどろに言い訳する。
「……だが、気を悪くしたのなら謝る」
さっきの言葉のどこが泣き言なのか、問い質したい気持ちが湧いたソフィアだったが、お土産をもらっておいてその相手を詰る、というのは人としてどうか、と思って堪えた。
「気を悪くした、という訳ではありません。ただ、王族の方に特別扱いを指摘されると、……なんていうか、……居心地が悪いんです」
ソフィアにも特別扱いを受けている、という自覚はある。だが他人からそれを指摘されたくないし、王族にそれを言われるのは……心苦しい。
なにしろ王族は学院の後ろ盾なのだ。学費や生活費が要らないのも、制服が無償提供されるのも、全部王族が肩代わりしてくれるからなのだ。
ソフィアは入学が決まった時に、父親から言い含められている。
学院の学生は、将来的に王族に役立つ事を期待されているのだ、と。
だが、ソフィアは母親同様、卒業後は故郷に戻るつもりでいる。だから心苦しいのだ。
だがアドルフはそう受け取らなかったようだ。
「……そうか、王族には言われたくない、か」
「そういう意味じゃありません!」
王族といえば、特権階級の頂点だ。『特別扱い』が当たり前の人々である。そのような立場の者に『特別扱い』について揶揄めいたことを口にされる謂れはない。
アドルフの吐いた思い溜め息は、彼がそう解釈したことを示している。
だが、学院では王族といえども、魔法が使えなければただの人扱いだ。いや、時と場所によってはそれ以下の扱いだ。
ソフィアにも目の前の青年の成績がはかばかしくない、但し、魔法の実技限定で、という噂は届いている。
「……それで、殿下は?」
「は?」
「殿下ご自身は魔力をどう【感じ】ているか、です。話の途中で突然押し黙ったかと思うと、そんな質問を投げてくるんですもの。建国祭の間に、よりいっそうそれを意識させるような出来事があったのでしょう? 違いますか?」
「…………違う、とも、違わない、ともいえるな」
ソフィアが焦れるほどの沈黙のあと、アドルフが重い口を開いた。
「魔力の件については、常々頭の端にあるし、魔法を使う行事がある度にその事を再確認してる」
「……その、事?」
「ああ、つまり、どうして魔力を知覚できないか、について」
それはそんなに重要なことなのだろうか、とソフィアは内心首を傾げる。そして、口元に運んだカップの中身が少し冷めているのに気付き、ためしに魔法を使ってみた。目を閉じて、普段気にかけたことのない『魔力』に注意して。
作用対象は、カップの中身、液体。
作用は、加熱。温めすぎると香りが飛んでしまうし、熱くて飲めなくなってしまうのでほどほどに。
ソフィアは両手に包んだカップに意識を集めた。
……
ちゃんとカップの中身は温まった。が。
「んー……やっぱり、『魔力』としては判りませんね。母もやはり普段は魔力を意識しない人ですけど、疲れている時に魔法を使うときには、外から魔力を補給することを意識する、って言ってましたが」
同時に、ソフィアの場合は、いつも一緒にいるリンドブルムが魔力を補填してくれるからソフィアには魔力不足が意識できないのでは? とも言っていたのだが。
ソフィアが伏せていた眼を上げると、目の前の青年が驚愕の表情を浮かべていた。
「……殿下? どうかなさいました?」
「今……光ってなかったか?」
「……はい?」
アドルフが言うには、カップを包んでいた手が淡く青白い光を発していたらしい。
「熱が見える、という訳ではないですよね。それならば今も光って見えているはずだし……」
ソフィアがしばし考え込む。
考えながらも無意識に手が動いて、スプーンを口に運んでいく。
その様子を眺めながらアドルフがカップを口に運ぶが、中身が空なのに気づいて元に戻す。
「……ほかのひと……」
「ん?」
「他の人の魔力なら見える、とか、そういう事はありませんか?」
「さあ……どうだろう? ……ああ、無論、【明かりを灯す】時は当然光って見えるが」
それはそうだ。『光らせる』事が魔法の効果なのだから。そしてその光は、魔法が使えない者にも認識できるはずだ。
今の発言が冗談だったのか、本気でそう言ったのか判断に困ったソフィアは微妙な顔をした。
「じゃあ……気のせい、とか?」
そういう事にしてしまおう。その方が面倒がないに違いない。
ソフィアが話をいきなりたたみ始めたので、アドルフは食い下がった。
「じゃあ、ほかの魔法、やって見せてくれないか? 【明かり】以外で」
せっかくそれらしいものが見えたのだ。逃すつもりはない。




