迷う
ソフィアが施療院を出ることができたのは、建国祭が終わってからの事だった。
発熱とともに手のひらや口の中に発疹が現れ、『ただの風邪』よりも幾分タチの悪い病であることが判ったからだ。
それゆえに発疹が出ている間、見舞は禁じられた。そればかりでなく、万が一の事を考え、リンドブルムを呼び出す事も禁じられた。ソフィアにとってはこれが一番堪えた。
発疹が治まって面会が許可されると(もちろん最初に現れたのは白いリンドブルムだ)、ソフィアの枕許には大層な量の見舞品が集まった。小さな花束、砂糖菓子や焼き菓子、お見舞いのカード類などなど。時期的にいって王都土産も多かった。
熱も発疹もなくなれば施療院は出なくてはいけないのに、どうやって持ち帰ろう、と、ソフィアが思案していると、院長(白衣を着ていないととてもそうは見えない)の指示で、嵩張るものは持ってきた者がそのまま寮に持ち帰り、ソフィアの帰寮後、部屋に届けられる事になった。
施療院は学院の中でも端の方、『門』から事務棟方面へ向かう道を、少し外れたところにある。
どういう仕組みになっているのか定かではないが、施療院の前で十字に交差し、緩やかに曲がりつつ木々の中に消えている道は、時折現れる分岐点を適切な方向に、適切な回数曲がれば、学院内のあらゆる施設に行けるようになっている。
ソフィアは、その道を歩いていた。寮までは二回曲がれば着く、と言われており、その通りにしたはずなのだが、いっこうに寮の建物が現れないのだ。
「……まさか……迷った?」
そんなはずはないのだ。たかが二回の曲がる方向を間違うなんて。
だとしたら。
何物かが道を惑わせている。
『庭園』と呼ばれる、学院を囲む森には、『魔力を持ったモノ』がうろついているのは知っている。それも、そこそこ力の強いモノが。それが複数なのか単数なのか、いまいち把握できないのだが。
ソフィアは天を仰いだ。耳を澄ませて周囲の気配を探る。大小様々なモノがこちらを覗っているような気配を感じる。
……単体ではないのか。
ソフィアが呆れたような溜め息をつく。
「ちびちゃん」
リンドブルムを呼び出し、道案内を頼む。無理矢理に転移術を使って寮まで帰ることも、たぶん可能だろうが、病み上がりの身でそんな大技を使うとろくな結果にならない。……と、聞いている。
リンドブルムはきょろきょろと辺りを見回し、おもむろに左手の生垣に飛び込んだ。
「えっ」
まさかショートカットしようとは思っていなかったソフィアはたじろいだ。
「ちびちゃん、私一応、病み上がりなんだけど」
ソフィアが抗議するような声をあげると、リンドブルムが生垣から顔を出し、隙間をこじ開けるように体を左右にこすりつけた。
強引な、と、ソフィアはつぶやき、生垣の中に足を踏み入れた。
生垣を越え、一歩道を外れると、そこは思ったほどには荒れていなかった。適度に陽が射し込んでいるし、下生えも掻き分ければ歩ける程度におさまっている。
この季節、これだけの陽射しがあって人手が入っていなかったら、草ぼーぼーになっててもおかしくないのに。少なくとも、ソフィアの知っている森では、そうだった。
ソフィアは首を捻ったが、キュー、というリンドブルムの鳴き声で我に帰った。三歩ほど先にリンドブルムの白い背中が見える。
白いリンドブルムは鬼気迫る様子で草生垣を切り拓いている。まっすぐに進むその様子は、目的地までの最短ルートをとっているようだ。
「……寮長が見たら、きっと引く、よ、ね」
自分の進行方向にある障害物を、迷いもなく食いちぎり、踏みにじる様子には、可愛げの欠片もない。その様子は、ここ一年ほどはないが、年に数回、森の奥に入り込みすぎて迷子になることがあったソフィアにはおなじみの光景だが、『可愛いちびちゃん』のイメージが固まった者が見れば、ちょっと怯えそうになるくらいの迫力に満ちている。
体が小さいとはいえ、やはり龍族なのだ。
一心不乱、といった様子で道を作っていたリンドブルムが、ふと足を止めた。
中空を睨んで小さく呻る。
何か不審なモノでも察知したのだろうか。……それとも……?
「ちびちゃん?」
ソフィアの呼びかけで何か考え事をしていた様子だったリンドブルムが、ふんっと不機嫌そうに小さく鼻を鳴らし、再び足を進め始める。
「……いつの間に、こんなにガラが悪くなったんだろう……?」
呪符に封じてしまったから、もう野生に戻すのは難しいから、行儀は良いに越したことはないのに。
ソフィアは若干的外れなそんな感想を心に浮かべながらリンドブルムの後をついていった。




