発熱
目が覚めたら知らないところに寝かされていた。
知らないところなのに、妙になじんだ雰囲気の場所。見覚えのない白い天井、白い壁、白いカーテン。
辺りを見回そうと頭を傾けると、顔の前に何かが落ちる。拾い上げようと体を傾け、……その体が重怠いのに気付く。それに、喉が痛いし、なんだか暑苦しい。
自分の状況をぼんやりした頭でつらつら考えて、結論を出す。
「……ああ、熱が出てた、のか」
ソフィアは熱で寝込んだという体験がない。ちょっと悪寒を訴えたり、湿った咳が出たりという兆候が現れると、母親が『手当』していたからだ。まあ、物心つく前にはそういう事もあったのかもしれない。村の子供たちを見ると、赤ん坊というのは割とよく発熱するものだから。
ソフィアはゆっくりと頭をめぐらし、ここがどこか見当をつける。
施設案内ではドアから中を覗いただけだったが、……ここはたぶん、学院内にある施療院、だ。母親が、在学期間中、たぶん一番長くいたところ。だから、どんなところか話は聞いているし、怪我人や病人を診るための部屋は此処に倣って設えた、とも聞いている。
窓の外の明るさから察するに、今はもう昼近い頃、……もしかしたら、午後になっているのかもしれない。朝食を食べ終えた後の記憶は曖昧だが、施療院に運ばれている、ということは、頭をぶつけたか何かしたのかもしれない。
……初の王都行きはお流れになってしまった。
熱が下がれば、建国祭の期間中に行くことはできるだろうが、下がらなかったら無期延期だ。
ソフィアははあ、と、溜め息を吐いた。
完全になくなった、という訳ではないが、期待が大きかった分落胆も激しい。
「……ちびちゃん」
襟元から呪符を引っ張り出し、リンドブルムを呼ぶ。呪符が瞬くように光り、ソフィアの肩先に白い影が現れる。
仰向けの姿勢から横向きになりながら、リンドブルムを抱き寄せ、柔らかな腹部に顔を埋める。
最近はめったにやらなくなったが、入学した当初は夜寝付けなくてよくこうしていた。……熱のせいで少し気弱になっているのかもしれない。
不意に、後ろでドアが開いた。
「あ、起きてる?」
男の人の声だ。
聞き覚えのないその声は、高からず低からずの、これといって特徴のない声だったが、なんだかひどく安心できた。
ソフィアがゆっくりと寝返りを打つと、その間に近付いてきた男性が、サイドテーブルにトレイを置くのが見えた。トレイの上には、深皿に張ったスープと、スプーンが載せられている。琥珀色の澄んだスープには、具は入っていない。
「食欲はある?」
白いシャツの男性がそう尋ねる。
食欲も何も、ソフィアは朝食を食べたばかりなのだ、主観的には。だが、その男性はとんでもない事を口にした。
「丸二日、寝込んでいたから、食欲があっても軽いものしか出せないんだ。ごめんな」
「……まる、ふつか?」
ソフィアが聞き返す。熱のせいか、声が掠れている。
「……いったい……?」
どうしてそんなに寝込むはめになったのか。そんな兆候はなかった、と思う。
「この時期、転移陣の利用者が増えるからね。王都との往復で体調を崩すのが少なくないんだ。今日も一人、倒れたのがいるし」
「でも、わたしは」
転移法陣を使っていない、と言おうとして遮られた。
「うん、聞いてる。だから、たぶん誰かからうつったんだろうな。咳とかくしゃみとかしてるやつと一緒に食事とかしなかった?」
一緒に、ではないが心当たりはあった。前日(倒れた日の、だ)の朝食の時、斜め前に座っていた学生が、頻りに咳をしていたのだ。
ソフィアが小さく頷くと「たぶんそいつからうつったんだな」と男性が大きく頷く。
「同じ風邪でも、罹った人の状況によっては症状が重く出ることがあるんだ。まあ、運が悪かったと思うんだな」
そう言いながらソフィアが体を起こすのを手伝う。こういう事に慣れているらしく、手際良くソフィアの食事準備を整える。
ほんとに運が悪い。よりによってこんな時に。
ソフィアはスプーンを手に取りながら小さく溜め息を吐く。熱のせいかあるいは二日寝ていたせいかは判らないが、体を起こすだけで息が上がっていたので、溜め息はそれに紛れてしまったけれども。




