夏の祭
「ケンコクサイ?」
ソフィアが自分の担当教諭に聞き返す。彼女の育った高地では聞き慣れない名称だ。だが、それのせいで次の授業が休みになる、らしい。
「って、何ですか?」
可愛らしく小首をかしげるソフィアを見て、フェイが怪訝な表情になる。王国の人間で『建国祭』を知らない者がいるとは。いや、近隣国の者にもかなり知られた行事のはずだ。
「……知らないのですか?」
フェイが『建国祭』について説明すると、ソフィアがああなるほど、とうなずく。
「うちの方ではそういう祭りはなかったので」
そもそも高地では夏の季節は短いのだ。皆が楽しみにしている夏至祭だって時間を惜しんで一日で終わってしまう。その代わり、早朝から深夜まで騒ぐし、準備には時間を掛けるが。
ところで、その建国祭とやらは五日も続くのだそうだ。そして、その期間、学院の授業は無しになるのだとか。
より正確に言えば、学院自体は休みにはならないが、『教師の都合で休講・自習』が大半を占めてしまうので、『実質休み』というべきか。もっとも、学生の方でも『家の都合で休み』になる者も少なからずいるらしいので、お互い様、だろう。
そういえば、ここのところ、ちびちゃんの飛行訓練のメンバーも、同じメンバーばかりだったのではなかろうか?
「それで、先生もお休み、ですか?」
学院から教師がいなくなる理由はいろいろだ。式典や関連する行事に招待されていたり、この時期に合わせて王都に来る知り合いと旧交を温めあったり、商人と商談を交わしたり。……あるいは、単に祭の雰囲気を味わいたくて王都まで足を運ぶ、という者もいる。
「私は特に予定は入っていませんが。下っ端だし、手伝うような実家も、……この近くにはないし。でも、選択科目の先生はそうではないでしょう? それに合わせて私の実習ををお休みにすれば……」
ところどころつぶやくような言葉を挟みながらフェイが答える。
「ソフィアも祭見物に行けるでしょう? いやならば自習しててもいいし……」
実技実習のチェックリストを埋める手をふと止めて、ソフィアに目を向ける。
「そうですね。言葉自体知らなかったのだから、当然見たこともないわよね。だったら一度、見物に行ってみるのもいいかもしれませんね」
ソフィアが目を瞬かせる。
たしかに、興味はある。たが、王都で祭見物……いささか、いや、かなり不安がある。
「あの、私、王都は不案内なのですが……」
「ああ、そうだったわねぇ。王都ヘは一度も?」
あたりまえだ。辺境生まれの辺境育ちを嘗めてもらっては困る。だいたい王都までは早馬でも五日かそこらはかかるのだ。それも麓の集落から、だ。
抜け道があるとはいえ、山越えの事を考え併せれば、気軽に王都へなど出られない。
「入学する時に立ち寄ったりもしなかった?」
「…………そんな余裕、ありませんでした」
ソフィアが困った顔でそう応える。それに、と取ってつけたように付け加えて言う。
「入学してからだって、距離の事を考えれば、行って帰ってくるだけでも一日がかりでしょう? 気軽に王都見物なんてできませんよ」
「あら、職員棟と事務棟に王都に通じる転移法陣があるわよ?」
事務棟にあるものは王宮への直通、職員棟にあるものは王宮も含め、王都内のいくつかの場所が選べるように設定されている。
「でも、それって、学生が使っていいのでしょうか?」
そういう類のものがあることは察しがついた。
学院の門および『庭園』を通り抜けられる者はある程度魔法に対して親和性がある者に限られる。でも、学院内の施設を維持管理するにはそうでない者の手を借りなければならないこともある、と思われる。例えば、下水設備の点検・清掃とか、壊れた設備機器の交換とか。
実際にそういう業者の人を事務職員が案内しているところを目にしたこともある。
だがみだりには使えまい、という事も同時に察しがつく。一般に転移法陣は送り側と受け側の両方に術者を必要とするものなのだ。……ソフィアの通信筒は、どういう仕組みかソフィアが不在の時にメモが届いたりするのだが。
「申請を出して通ればね。この時期、利用者は多いんじゃないかしら」
建国祭の準備や打ち合わせで王都と行き来する教職員は多い。生徒もまた然り、だ。『建国祭』の開始まで、あと十日ほどしかない。だから、申請の手続きは速やかに行われると予想される。
「じゃあ、建国祭の期間は、もっと多くなるのでは?」
ソフィアの問いに対する答えは、それほどでもない、だった。
なぜなら それまで転移法陣を使っていた者達は、おおむね王都に行きっぱなしになるからだ。逆に言えば、事前に王都との行き来を繰り返すような者は、王都に寝泊まりできる場所を確保できる背景がある、ということだ。
だから、建国祭の間に転移法陣を使うのは、大方祭見物が目的の連中になるのだという。
「だから、大丈夫」
だからって、何がだ。
転移法陣のことか。
「……ええと、……あと、先生に、王都案内をお願いしても……?」
そう。王都までのアシの問題を解決しても、ソフィアには『王都で迷子』になるかもしれない、という問題がまだある。というか、確実に迷子になれる自信がある。
「ああ……そうね。案内は必要よね。学生の中に当てはない?」
どうやら何か都合が悪いらしい。あるいは休みの時までソフィアの面倒を見たくはない、という事か。
「それは、何とも……今聞いたばかりだし」
「……そうね。まだ時間はあるから、ゆっくり考えて。……ああ、それから、転移法陣の申請は、前日までにね」




