飛行訓練をしよう 2
「厳しく、って……鉄拳制裁とか?」
「いえ、それはありませんでしたが」
正面から飛んできた質問に反射的に答える。
ということは彼のうちの食卓では、鉄拳制裁はアリなのか。
「女の子に拳を揮うのは感心しないな。せいぜい鞭だろう」
斜め前からまた物騒な意見が飛んできた。いいうちの『厳しい躾』って、コワイ。
「えーっ? 拳骨は揮う方だって手が痛むんだよ? だから説得力が増すんじゃないか」
「黙れ。食事時にふさわしい話題か、それは」
左上方から声が降ってきた。声は静かだが、苛立ちが滲んでおられる。
「す、すみません。妙な話題を提供してしまって…」
ソフィアが謝ると、大きな手がソフィアのは頭を撫でる。
「謝らなくていい。妙な方向に話を持って行ったのは、そこの脳筋だから」
脳筋では魔法使いにはなれまい、と思うのだが。……比較の問題だろうか。
……それよりも。
「あの、私はちびちゃんではないので、そんなにぐりぐりされると首が痛いのですが」
背が伸びなくなったらどうしてくれる、という言葉は飲み込んだ。さすがに大人気ないし。
「ああ、すまなかったな。触り心地がいいので、つい」
「……だから、そういう天然な発言は慎め。それともわざとか」
ソフィアが頬を赤らめたのを見て、寮長が注意を促す。
天然って。そういえば、さっきも似たようなこと言っていたな。
* * * * *
「……お前、それ、痛くないのか」
上腕にがっぷりとかぶりついたリンドブルムを見て、寮長が呆れたように言った。ちなみに、彼が現れるまでリンドブルムはソフィアの腕に抱えられていた。ほんの一瞬、気が逸れた隙にソフィアの腕を抜け出て、がぶりとやってしまったのだ。
「痛くないように見えるか、これが」
すみませんすみません、と、謝るソフィアを制しながら、リンドブルムの口をこじ開けようとなさっている殿下が、不満そうに言い放つ。
「また何か天然な発言したんじゃないか? ちゃんと言葉を理解するんだろう、そいつ」
妙にのんびりした寮長の発言の後半はソフィアに向かって言ったらしい。
だがソフィアは、それどころではなかった。
なにしろちびちゃんは、一撃でネズミの首を折るのだ。殿下の腕は、それよりも太いが、神経を傷つけでもしたら大変だ。
「ちびちゃん、だめ、あーんしなさい。あーん」
ひとこと、『ハウス』と言えば済むのに、それが思い浮かばない。まだ慣れていないせいか、焦りのせいか。
「何言ったか知らんが、お前がそいつに謝れば済むんじゃないのか?」
「ちびちゃんてば!ほら、あーんして!」
ソフィアはもう半泣きだ。
「お願いだから!」
お願い、とまで言われて、渋々といった様子でやっと顎の力を緩める。
ソフィアの腕に抱き取られたリンドブルムは、ふん、と鼻息も荒くそっぽを向く。
「もう! やたらに噛み付いちゃだめでしょ! ……あのぅ、お怪我は?」
リンドブルムを窘めたソフィアが、ほとんど間を措かずにそう尋ねたので、自分の腕を矯めつ眇めつしていた殿下は反応が遅れた。
「……ああ、治った、ようだな」
「治った?」
反応を返したのは、寮長だった。
「お前、治癒なんて高度な技、使えたっけ」
「……使えないけど」
殿下が不機嫌なご様子でお返事なさる。
「どうやらこいつが治してくれたようだな。ご親切に」
ソフィアが覗き込むと、なるほど唾液でべたべただが、傷の気配はない。
重ねて、よだれでべたべたにしてすみません、と謝る。
「普段はいきなり噛み付くようなことしないのに。まず威嚇が先でしょ!」
「威嚇なら、ずっとしてたけど」
ソフィアが少々ずれた窘め方をしたのを受けて、殿下が返す。
「うん、まあ、たしかにあまり男子には友好的ではないよね、この子」
寮長の半笑いにソフィアがまた、すみません、と謝る。
* * * * *
「天然とは失礼な奴だな。まるで何も考えてないみたいじゃないか」
「その発言が天然たる所以だよ」
殿下の反論に、寮長は一同に同意を求める。が、はかばかしい反応はない。
女子寮長はリンドブルムを撫でるのに忙しいし、副寮長は隣にいる人物の言葉には同意したくなさそうにしている。殿下は言われた本人だからもちろん同意などしない。
ソフィアは正面からの視線の圧力に負けないよう、トレイの上に必死で注意を向ける。
「……圧力をかけるのは、感心しないな。いくら同意を得られないからといって」
ソフィアが視線から意識をを逸らそうと、ほとんど空になってしまった皿の上の野菜をいじましくかき集めているのを見て、殿下が溜め息をお吐きになりながらそう仰った。
「で、こいつの訓練はうまくいっているのか?」
いきなりの話題転換にソフィアが固まる。
まだ長かった……!
続きます。




