衣更え
「夏だ! 衣更えだ!」
漆黒の髪を振り乱してそう騒ぐのは寮長だ。
「毎年そう言うが、夏服がそんなに嬉しいか? あと場所を弁えろ」
ここは一階談話室。時刻は夕食前。人目があるにもほどがある。
「当たり前だろう! あの分厚い上着に隠されてた二の腕とか胸とかが晒されるんだぞ! これを楽しみにせずにいられようか!」
……隠された主語は『女子の』だな。こいつには野郎の二の腕とか胸を見て喜ぶような性癖はなかったはずだ。だいたいそれなら、衣更えを待たなくても更衣室で見たい放題だし。
確かに夏服は上着無しだし、ブラウスは胸元が開いていて、半袖だ。が、しかし。
「冷気が操れる学生には関係ないがな」
だいたい、定められた衣更えの日に関係なく、暑いと感じていたら上着は脱ぐだろう。
「う」
そうしない、ということは、なんらかの手段で暑さをコントロールしている、ということだ。
「自力で操れなくても、使える学生に呪符を作って貰えばいいし」
ちなみに、俺にだって見た目だけなら、完璧にそれらしい呪符を作れる。
ただ、どうやっても呪符が作用しないのだが。
呪符の修復ならかろうじてできる、ということでかろうじて及第はもらえたのだが。今のところ、これが唯一の実習系の単位だ。
「ううっ」
「だいたい去年も一昨年も、同じこと言ってて夢破れてたじゃないか。学習しろ」
寮長がうなだれる。うっとうしい。
だいたい律儀に衣更えを守るのは、入って間もない新入生達だけだろうに。
「……どうせ卒業したら男塗れのところに突っ込まれるんだ。少しくらい夢見たっていいじゃないか」
寮長がうなだれたまま悔しげにつぶやく。
そういえば忘れていたが、こいつは一応近衛候補だった。学院を卒業したら訓練所行きが決まっているのだ。
「男塗れとは大袈裟な。近衛には女性もいるじゃないか」
訓練所の宿舎はずいぶん離れているが。
「近衛になりたがるような女なんか、気が強い腕っ節自慢に決まってる…っ!」
「だから場所を弁えろ、と」
気が強い女子ならここにだっている。
たとえば今彼の背後に立っている副寮長とか。
「なっつふくぅー、なぁつっふくぅー」
スキップでもしそうなご機嫌で歩いているのは、ソフィアだ。夏服一式を抱えているせいか、珍しくリンドブルムを背負っていない。
「んふふー。洗い替えのブラウスが二枚もついてるー」
衣更えに備えて夏の制服が支給されたのだ。母親に聞いた話では、夏冬各一着ずつと聞いていたから、洗い替えは諦めていたのに。実際、冬服セットにはブラウスは一枚しかついていなかったので、毎日授業が終わった後洗濯して部屋に干していたのだ。
「これで朝大慌てで湿気取りしなくて済むー」
寮監さんに預ければ、綺麗にアイロン掛けまでしてもらえるのだが、中一日開いてしまう。
そのことをフェイ先生に零したら、どうやら学校側に掛け合ってくれたらしい。
ソフィアは夏服セットをぎゅうっと抱きしめると、だらしなく頬を緩める。
入学時に支給された冬服と違って、一週間前に採寸された、ソフィアのサイズにぴったりと合わされた夏服。ソフィアの頬も緩もうというもの。(それを傍から見ると『蕩けるような微笑』に見えるのだから、土台がいいのは得だ)
「うぉわっ!」
ソフィアが上階に向かう階段に足を掛けたとき、食堂方面から何か重いものがぶつかる音とともに妙な悲鳴が聞こえた。
何事っ?
ソフィアが足を戻して角から覗き込むと同じようにして談話室の入り口の方を凝視する学生たちが数人。皆固まったように足を止めている。
(2012/11/21)誤字の指摘がありましたので、修正いたしました。ありがとうございます。




