世界の終わり
もし、世界が終わるとしたらどんな終わり方をするのだろうか。
隕石が地球上に墜落して地球が爆発するのだろうか。地球上が異常気象によって寒冷化もしくは温暖化し、人類が住めない気温になるのだろうか。それとも、コンピューターによって世界が支配され、人間が作ったロボットによって虐殺されていくのだろうか。
世界が終わる瞬間はいろんな考え方があると思えた。アイデアというべきかは疑問だが、考えれば考えるほど、世界の終わりの風景が広がって行く。
俺は、そんな宇宙のように壮大な物語の結末を考えながらコーヒーショップの店の外にあるベンチに座って、サンドイッチを口に入れコーヒーで流し込んだ。サンドイッチにはトマトとチーズとハムが挟んであり美味しかったのだが、コーヒーがまずかった。酸っぱすぎた。サンドイッチの旨さとコーヒーの不味さが相殺されイーブンとなっていた。
世界の終わりを考えるには短すぎた大学の休憩時間。一時間は短すぎる。ヨーロッパあたりでは、お昼のたびに家に帰るそうじゃないか。家族で団らんの時間はそこで十二分にとれるらしい。それがうらやましいとは思わないが。
腕時計に目をやると休憩が終わるまで、残り30分弱となっていた。30分で何ができる。昼寝すら満足に出来ないと思う。仕方なく、俺は大学に戻ることにした。なぜなら、このコーヒーショップから大学まで歩いて15分はかかるからだ。大学の近辺にコーヒーを売る店が無いことに気がついたのは入学してから一週間だった。俺は、缶コーヒーは嫌いだった。どうしてコーヒーだけ缶に入れられて大ヒットをしているのだろうか。しかも、この国だけで。海外に行くとそもそもコーヒーは缶には入れることは邪道で、作り立てが支流であるとネットかテレビかなにかで見たような気がする。故にコーヒーショップは町中に多くあるらしい。俺は、作り立てのコーヒーが好きだった。
大学の前の校門の前では、守衛さんが立っていた。しかし、その守衛さんの横には猫がいた。守衛さんはあまり気にしたそぶりを見せてはいなかったが、猫は守衛さんの脚に頭をこすりつけていた。たぶん、守衛さんの日課にその猫への餌やりが存在するのであろう。日頃の感謝の気持ちを猫なりに表現しているのだ。俺はそう思った。でも、いつかその守衛さんが転勤や退職したときにその猫はその場を離れる気もした。猫が可愛い鳴き声で近づいてくるときは大抵お腹を空かしている時だ。そんな理由でしか彼らは人間に媚を売ったりはしない。彼は彼らで誇り高い民族と俺は考えている。
階段を上るのが憂鬱だった。これから、始まる授業は単位のために取ったとはいえ、中国の歴史が今後の俺の人生に役立つとは思えない。だいたい、この大学の中国の歴史の授業を行う講師は中国人だ。なぜ、外国の歴史を調べる外国人の講師をこの大学は雇っている。ただの金食い虫のような気がしてならない。俺が、ひねくれているだけなのだろうか。
扉を開けると、教室内には数名の学生が座っていた。中には恋人同士のようなやつらが、放課後の予定はどうするか相談していた。
「もーエッチー」
女の方が言った。
「今夜は君だけを見ていたいんだ。だから良いだろう?今日は家に来なよ」
男の方が言った。
よくも、こんな人数の割に大きい教室で、教室全体に響くような声でこの男はそのような台詞をはけるものだと感心した。恋は盲目。たしかにと思えた。この言葉を考えたやつは天才なんじゃないかと。
俺が盲目カップルに感心していると、教室のドアを開けて講師が入ってきた。
「それでは、これより授業を始めます」
片言の日本語で彼は、そういって淡々と授業を進め始めた。
俺は、長い商店街のとおりを抜けて駅にに向かって歩いていた。商店街とは名ばかりで、大学までの商店街はシャッターが閉まっていた。学生が多いせいか地元の人間が寄り付かないのだろう。学生たちが文字通り幅をきかせて道を右端から左端まで一列に並んで歩いていたり、歩きタバコをしていたら自然とそうなる。学生街の活気とは無縁の地域なのだろう。大学に通い始めてから気づいたことでもあった。
自転車が路地から入ってきた瞬間、携帯電話をいじりながら歩いていた女子学生にぶつかった。女子学生はもろに自転車を腹にくらい、自転車に乗っていたおじいちゃんと共に路上に倒れこんだ。
商店街は騒然となっていた。たぶん、交通事故なんてこの地域ではそうそうに起こらないのだろう。不謹慎にも携帯電話のカメラを使って写真を撮っている輩もいた。
「救急車だ!」
このような言葉が、どこからともなくあがっていた。依然として二人とも路上に倒れている。俺は、知らないふりをして現場を離れようと人ごみをかき分けて駅に歩いた。
非道であるとは思わない。俺に出来ることは、救急車を呼ぶことくらいだ。その救急車も見知らぬ誰かの手によって呼んでいる。故に俺がやることはないのだ。事故にあった両者の命を案じてその場を去るのが、事を大きくしない最前の行動であると思ったからだ。
電子ICカードの定期を改札にかざしてホームに入っていた。ホームには学生たちがやはり多くいた。
俺は、ふとお昼に考えていた世界の終わりについて思い出した。今このホームにいる学生たちは、世界が終わるなんて考えてもいないのであろう。今日は金曜日だ。大方、お酒を飲む事で頭がいっぱい、もしかしたら夜の営みのことで頭がいっぱいなスケベなやつらもいるはずだ。今日で世界が終わったらどうする気だ。世界が終わった瞬間、自分はなんて滑稽な事を思っていたのだと恥ずかしく思わないのだろうか。
ただ、思った事もひとつあった。だとしたら、どんなことを考えて世界の終わりを迎えればいいのだ。どんなことを考えていれば、滑稽と思われずに済むのだろうか。いや、そもそもその「滑稽と思われる」ことを恐れているその姿こそが滑稽なのかもしれない。しかし、世界が終わってしまえばそんなことは杞憂に終わる。その人が考えていたことなど他人には知られないのだから。世界が終わった瞬間、集まって考えを発表するカンファレンスなんてものは開かれないはずだ。
今日は、やたらと世界が終わる事を考えてしまった。明日は、世界が始まる瞬間でも考えていたいものだ。
電車がくるチャイムがホーム内に鳴り響いた。しかし、鳴り終えた後、目の前が真っ暗になり、俺はその後の記憶がない。いや、正確にはホーム内での記憶以降、自分が脳を使って記憶を行うことはなかったのだ。
どうやら、世界が終わる合図は電車が駅に入ってくるときになるチャイムだったらしい。世界の終わりはあっと言う間に来てしまった。俺は、世界の終わりに世界の終わりについて考えていた。滑稽ではないだろう。ジャストミートだ。死にたくはなかったが、世界の終わりならば仕方が無い。これは、運命なのだから。こうして、俺の世界は終わった。
駅のホームでは、悲鳴が混じっていた。携帯のカメラで写真を撮る者もいた。駅員が慌ててホームから線路に駆け下りブルーシートをかぶせていた。駅のホームに、電車の発車をしばらく見合わせるとの放送が入った。
駅のホームが騒然としている中、一人の男子学生が人ごみに紛れて駅の改札を後にしていたが、気づく者はその時はいなかった。
少々、グロテスクだったかもしれません。この物語は、もちろんすべてフィクションです。書き終えて、なんて暗い話を書いたのかと少々後悔している次第です。