3-3 「初陣」
案ずるより生むが易しとは言うが。
「どうも、こんちわ~おでかけですか~?若いっていいですなぁ」
ハンプティ・ダンプティみたいなまるっちい異形に声をかけられながら、立也は馬鹿馬鹿しいやら、ほっとするやらで忙しかった。異形の連中は、確かに中には、眉根をよせざるを得ない不思議なやつや、正直気味の悪いものもいた。しかし、なんというか、みな普通なのだ。外国では道行く人同士がちょっとした挨拶をするなんてことがあるらしいが、なんだかそんな感じで、互い互い平々穏々に通行している。まぁ、さすがに映画の最中批評をぼそぼそ言ってるのには閉口したが。
「どしたの?さっきからきょろきょろ」
出掛けの隠々滅々とした表情が嘘のように朗らかになった立也を、歩は不思議そうに眺めている。
「ううん、なんでもない。歩ちゃん・・・ありがと」
「えっ?な・・・・・・うん・・・っていうかお礼言うの遅いから!この私がデー・・・・・・いや、映画誘ってあげたってのに!」
歩にいつもの元気が復活したのを感じて、立也もいよいよ復活する。帰ったら守にも元気が戻ると思うと、早く帰りたい気がして早歩きになりかけるが、もう少し歩と歩いていたいと思って、歩を緩める。そうしながらも着いてしまった別れの曲がり角。
「じゃ、明日、いつもの場所でね」
「うん。あの、ホント、その、ありがと」
「ば、ばーか!・・・・・・バイバイ」
「うん、また」
照れ隠しの悪口が耳に心地よく残る。「ひゅーひゅー」とはやし立てるカラスの異形は無視だ。さぁ帰って父さんを安心させよう、と走って帰ろうとしたそのときだった。
『止まれ』
と誰かに言われた気がして、立ち止まる。次の瞬間、
ドガーンッ
飛んできた、目の前通過した、ブロック塀に当たって転がった。自動販売機が。
「・・・・はっ・・・・えっ?」
驚いて飛んできたほうを見遣ると、そこにいたのは、二足で歩く犬というか、犬の顔をした人間というか、まさに異形だった。カラスの異形は「ひゃーひゃー」言いながら飛び去った。立也は自分に翼がないことをかなり本気で恨む。
犬の異形はゆっくり近づいてきた。ゆらゆらまっすぐ歩かない様はまるで酔っ払い、というかゾンビみたいだった。「あの、なんですか」「じ、自販機投げるなんてすごいですねぇ」とかいろいろ話しかけるが、犬の異形には全然応える気がないようだった。
ようやく直感が危険を告げ、立也は走り出す。すると犬の異形は四つんばいになって追いかけてきた。どうやら基本は犬らしく、その方がずっと動きは俊敏で立也は簡単に回り込まれた。逃げることは難しいようだ。
「ねぇちょっとあれ・・・」
「でか!警察警察。いや保健所?」
「ねぇ、あの子まずくない?」
「よせって、警察に任せよう。隠れてないと、俺たちも危ないって」
通行人が話すのが聞こえて驚く。犬の異形は立也以外にも見えているらしい。だが、犬の異形は通行人には目もくれず、飽くまで興味があるのは立也だけのようだった。警察を呼んでくれたようだけれど、間に合うとは思えない。さっきから少しずつ間合いを詰められており、犬の口がガオーと・・・いや、
ガバーーーーーっと
開いた。カバの欠伸なんてかわいいものだ、ネズミを丸呑みする蛇なんでレベルじゃない。口を開く予備動作がなければそれとはわからないような、短絡的にドでかい虚空が広がっていた。これに喰われれば死ぬなんてもんじゃすまないとさえ思ってしまうほどの異様。
犬はそのまま、前足に力を込め、おびえる獲物に襲い掛かった。立也は立ち尽くし、目を見張り、零と父、それに一際強く、歩のことを思った。虚空が立也を飲み込む一瞬前、
「『光』」
立也はさっきの声が再び胸で鳴ったのだと思ったが、その実、言葉を発し、空気を揺らしているのは立也自身であった。それに気づくも間もなく、立也の胸から凄まじい閃光がほとばしる。
「きゃうん」
と犬が犬みたいな声で鳴き、たじろぐ。
『蹴っ飛ばせ』
声に言われるまでもなかった。今の今まで自分の命に牙を突き立てていた敵に立也は無意識で思いっきり右足を振り、犬の顔真正面にぶち込む。
「ぎゃわん」
犬はすさまじい勢いですっ飛んで行き、30メートルくらい向こうの突き当たりのブロック塀に嫌な音を立てて衝突した。死んだのが一発でわかる。
「な・・・なに・・・」
気味の悪い衝撃音で瞬時に我に帰り、目の前の状況と、それを引き起こした数秒の行動が喚起される。自分のしたことが信じられず、目を疑い、足を疑い、怖くなって、駆け出そうとしたが、立也の足は空転、いやそもそも足は動かなかった。
意識を失う最後、背後に誰かがいるという気配は感じた。