四天王ストロング、転職を決意する。〜初めてのパンケーキ〜
「くそっ、なんて強さだ!」
『フハハハハハ! 口ほどにもないな!』
俺の高笑いが荒野に響き渡る。
勇者、戦士、魔法使い、聖女。人間どもの希望を一身に背負った精鋭たちが、今まさに俺の前にひれ伏していた。
俺は魔王軍四天王の一人、ストロング。最強と名高い男である。見よ、この鍛え抜かれた肉体を! 鋼のごとき大胸筋、丸太のごとき大腿四頭筋、そして何より、この上腕二頭筋!
右腕に力を込める。盛り上がる筋肉、浮かび上がる血管。今日も実に――
「こうなったら、〈召喚〉を使うしかない!」
勇者の叫びで、俺のポージングは遮られた。
ふむ、召喚。
異界より強大な存在を呼び出し、己の力とする禁断の秘術。軍議でも何度か話題に上がっていた。フハハハ、人間どもめ。俺の強さに、そこまで追い詰められたのだな。
「いくぞ、ストロンゲ! これが僕たちの切り札だ!」
ストロングな。俺はロン毛ではないし、そういう意味で捉えられているならストレートでもない。天然パーマだ。別にいいが。
『来い! どこの世界の何者だろうと、このストロングが真正面から叩き潰してやる!』
勇者は真剣な眼差しのまま懐に手を入れると、掌サイズの板のようなものを取り出した。
……何だあれは。片面が光っている。魔道具の一種だろうか。古代文明の遺物かもしれん。勇者はその板を指でなぞると、耳に当てた。
「あ、もしもし。いつもお世話になっております。勇者ですけど」
どうした。急に独り言を始めたぞ。あまりの恐ろしさに気でも触れたか。
「ええっ? そうなんですか! いやー、すみません、お忙しいところに。いえいえ、とんでもない。はい、またお願いしますね。はいー」
勇者は虚空に向かって何度も頭を下げていたが、ようやく板を耳から離した。魔法使いが尋ねる。
「なんて?」
「イフリートさん、娘さんの誕生日が明日なのにプレゼント買い忘れてたんだって。今イヨンモール」
「うわー、それはダメでしょ。他に来れる人いんの?」
イフリート? あの炎獄のイフリートか?
かつて魔王軍の侵攻を単独で食い止めたという、伝説の炎の精霊。その灼熱の拳は山を砕き、その咆哮は海を蒸発させるとまで言われる存在だ。
それが今、イヨンモールとやらに改名したのか?
「すみません、ちょっとお待ちくださいね!」
聖女が俺の視線に気づき、申し訳なさそうに両手を合わせてペコペコと頭を下げた。まあ、別にいいが。
勇者は板の上で何やら指を動かすと、再び耳に当てて喋り始めた。なるほど、誰かと会話しているのか。
「……ええ、ええ。それで四天王の人なんですけど。あっ、いけます? 助かります!」
四天王の人。俺は思わず胸を張った。どうやら、俺の実力を知っている強者が、わざわざ駆けつけてくれるらしい。
フハハハハ! よかろう、よかろう! この俺の相手を務めるのだ。それくらいの気概はあって当然!
俺が満足げに頷いていると、勇者は板を耳から離し、頭をかきながら俺に向き直った。
「あ、すみません。三十分くらいかかるみたいで……お待ちいただいてもよろしいですか?」
『……は?』
「いやー、今からちょっと向かってもらうんで」
『向かってる?』
「はい……三十分くらいで着くそうなんですが……」
勇者の声が、だんだん小さくなっていく。
召喚とは、そういうものなのか。詳しい仕組みは知らんが、切り札と呼ぶほどの強者を異界から呼び寄せるのだ。世界の壁を破り、時空の理に干渉するとなれば、三十分程度は誤差の範囲なのだろう。
腕を組んだ戦士が、呆れたように口を挟んだ。
「四天王が強いの分かってたじゃん。だから、あらかじめ呼んどいたらって言ったのに。段取り大事よ」
「ごめん……」
勇者がしょんぼりしている。
あらかじめ? 段取り? 俺はその言葉を脳内で転がした。確かに、事前に呼び出しておけるなら、それに越したことはない。だが、召喚した状態を維持するには、余分に魔力が必要になったりしないのだろうか。
「そこのカフェで待たせてもらっていい? お代は僕が出すからさ」
勇者が指さした先には、荒野のど真ん中に似つかわしくない、小洒落た建物がポツンと建っていた。
「いいよ、自分の分くらい払うから。まあ気を落とすなって」
戦士がそう言うや否や、聖女と魔法使いがすかさず口を挟んだ。
「せっかくですし、ここはみんなで甘えちゃいましょうよ。私はカプチーノが飲みたいです」
「はいはい! 私、ケーキセット頼んでいいかな!」
カプチーノ? ケーキセット?
何の呪文か知らんが、場違いなほど平和な空気が漂っている。つい先ほどまで命を懸けた戦いをしていたはずなのだが。
『……おい、勇者』
「はい?」
『戦いはどうするのだ』
「あー……召喚の方が来るまで……」
「いや、そうではなく!」
俺は声を張り上げた。
『貴様らは勇者一行だろう! 魔王様を倒すために旅をしてきたのではないのか!』
「だって、待ち時間ですし……」
『待ち時間!』
俺は天を仰いだ。戦場に待ち時間などあるものか。お前たちの敵が目の前にいるのだぞ。この、四天王ストロングが!
「そうだ。ストロンゲさんも、ご一緒にどうですか?」
勇者が気遣わしげに言ったが、ストロングな。さりげなく訂正したつもりだったのだが、伝わらなかったのだろうか。
それはさておき、俺は拳を握り締めた。ふざけるな。俺は誇り高き魔王軍の四天王だ。人間の軟弱な文化になど付き合っていられるか!
◇
『この、ブレンドというのはなんだ?』
「コーヒーですね」
『コーヒーとは?』
「豆を挽いて淹れた飲み物です」
轢いて入れる? 馬車で? 何に?
俺はメニュー表というものを閉じた。絵が描いてあるが、何が何だかさっぱり分からん。
『オレンジジュースで……』
「あ、ストロンゲさん、甘いのお好きなんですか?」
『べ、別にそういうわけではないぞ!』
「いいじゃないですか。僕も甘いもの好きですよ」
『勇者、貴様……』
こいつは本当に魔王様を倒すつもりなのだろうか。もっとこう、禁欲的で、己を鍛え、世俗の欲を捨てた人間であるべきではないのか。
ところがどうだ。こいつはメニュー表を開き直すと、パンケーキとかいう何だか軟弱そうなものを指でトントンと叩き始めた。
「これ、一緒に食べませんか?」
『軟弱はいらん!』
◇
三十分くらい経った頃だろうか。
勇者の持つ変な板から「ピロリン♪」と気の抜けるような音がした。勇者が板に目を落とすと、その表情が曇った。
「……謎の渋滞に巻き込まれてたって。もうちょっとかかるみたい」
「あっちゃー、なんかイベントやってんのかな」
戦士が顔をしかめながら窓の外を眺めた。イベントとは。
「今日お祭りやってなかったっけ?」
「あ、それです! 商店街でなんかやってるって聞きました!」
聖女が手を叩いた。
異界の強者が、祭りの渋滞に巻き込まれる。俺はパンケーキを咀嚼しながら、かつての侵攻作戦を思い出していた。
数万の軍勢が進軍するとき、道が狭ければ隊列を組み直す。地形を調べ、兵站を整え、障害物を排除する。
それが戦というものだ。なのに、こいつらは。
『……召喚とは、ずいぶんと俗っぽいものなのだな』
「まあ、今どきはそんなもんですよ。魔力の代わりにお金がかかりますし」
勇者が、空になったグラスの縁を指でなぞりながら、そう答えた。
今どき。俺はその言葉に、言い知れぬ不安を覚えた。
俺が魔王軍に入ったのは五十年前だ。その頃、人間はようやく火薬を使った大砲を戦場に持ち込み始めた。もっとも、戦場で顔を合わせる人間など、鎧を着て剣を振り回す連中ばかりだったが。
それが今では、変な板で異界の者と会話し、カフェで軟弱な注文をし、祭りの渋滞を嘆いている。人間というのは、戦い以外のことに随分と熱心な種族らしい。
『金がかかると言ったが……召喚とは一回でいくらくらいするんだ?』
「えーと、今回の人はコミコミで五万くらいですかね」
『ご、五万!』
俺は思わず立ち上がった。周囲の人間が一斉にこちらを見た。勇者が慌てて俺を座らせる。
「ちょっと、声大きいですよ!」
『五万だと! 一人呼ぶだけでか!』
「強い人ですからね。それに人件費とか色々……」
『人件費!』
俺は椅子に沈み込んだ。初めて聞いた人件費という言葉が、俺の心に深い傷を残した。
魔王軍では、誰かを呼ぶのに金などかからない。魔王様から命令されればすぐに馳せ参じるし、間に合わなければ罰を受ける。それだけだ。
……待てよ。もしかして、我が軍の労働環境は相当に悪いのではないか? いや、そんなはずはない。俺たちは魔王様に忠誠を誓っている。誓ってはいるが。
そういえば、先月の給与明細に「特殊戦闘手当」の項目がなかった。あれは少し気になっていた。
『……勇者』
「はい?」
『貴様らは、召喚する度に金を払っているのか?』
「そんな毎回呼ぶわけじゃないですけど、そうですね。あと、基本的には活動費から出してますよ」
『活動費?』
「国からの補助金とか。あとはクラウドファンディングですね」
『……何だ、二番目のやつは』
「みんなに少しずつお金を出してもらうんです」
俺は天井を見上げた。魔王軍も、そろそろ財務体制を見直すべきではないだろうか。そんなことを考えていると、勇者の持つ板から変な音楽が流れ始めた。勇者は慌ててそれを耳に当てた。
「はい、もしもし! あ、到着しました? えっ、駐車場が空いてない? とりあえず出ますね」
『駐車場?』
「乗り物を停める場所がないそうです」
『馬車で来たのか?』
「まあ、そんな感じです」
俺は思わず窓の外を見た。馬車のようなものが、何台も並んでいる。だが、馬がいない。馬車なのに、どこにも馬がいないのだ。
◇
「すんません、えらい遅なりましたー!」
俺たちがカフェを出ると、場違いなほど陽気な声が聞こえてきた。そこにいたのは、奇妙な三輪の箱に乗った、一人の男だった。
頭には丸い兜。タスキのようにかけた小さな鞄。足元にはサンダル。男は乗り物から降りると、俺たちを見回した。
「えーっと、四天王の人って……」
『俺だ』
「おお! すんません、お待たせしてもうて! なんか道が混んでましてねー!」
『……貴様が召喚された者か』
「はい。勇者さんから連絡もろて。すぐに用意しますさかい、もうちょい待っとってくださいね」
男は兜を脱ぎ、頭をかいた。
その瞬間、俺は目を見開いた。
『……えっ?』
男も俺を見た。
「……ん?」
数秒の沈黙。
『もしかして……ターちゃんか?』
「えっ……? 自分、スト坊? えっ、マジで? うわっ、めっちゃナツいやんけ!」
「あら、お知り合いですか?」
聖女が俺たちの顔を見比べながら言った。
「同中やねん! うわー、スト坊、何十年ぶりや! えらい立派になって!」
ターちゃんは満面の笑みを浮かべている。歳を重ねた今も、面影は色濃く残っていた。昔からどのクラスでも背の順なら不動の最後尾だったが、さらにデカくなったか。
『いやいや、ターちゃんこそ。こんなところに何の用だ?』
「せやから、仕事やがなー! 召喚の依頼!」
『召喚の依頼』
「せやねん。昔ちょっと魔法かじっててな。今は召喚派遣の会社で働いてんねん」
『召喚派遣の会社』
俺はただ、言われたことを繰り返すだけになっていた。何なんだそれは。異界から来た者を派遣する会社なのか。そもそも会社とは何だ。俺の知識は、今や完全に時代に取り残されていた。
『……そういえば、何だその変な乗り物は』
「トゥクトゥク! 知らん? 乗る?」
「あのー、すみません。依頼の方は……」
勇者が、両手の人差し指をつんつん突き合わせながら、申し訳程度の存在感で入ってきた。
「あー、せやせや。えらいすんません。ほな、積もる話は後やな。ちゃっちゃと終わらせよか!」
ターちゃんは俺から離れると、鞄からブレスレットのようなものを取り出し、左手に装着した。身に着けた者の腕力を底上げする類のアクセサリーだろうか。
「ほな、やろかスト坊! どっからでも打ち込んできーや!」
ターちゃんが身構える。
……まあ、いいだろう。ようやくまともに戦うことができそうだ。
俺は全身の筋肉に力を漲らせた。大胸筋が膨張し、背筋が隆起し、地を踏みしめた両足の下で、地面がパキパキと悲鳴を上げる。大気が震え、砂塵が舞い上がった。
『フハハハハ……! ケガをしても恨みっこなしだぞ!』
俺は地を蹴った。
爆発的な踏み込みとともに、地面が砕け散る。俺の身体は弾丸と化し、ターちゃん目がけて一直線に突き進んでいた。
対するターちゃんの左手に、膨大な魔力が収束する。周囲の景色が歪み、空気が軋むような錯覚を覚える。
そうか……あのブレスレット!
「っしゃあぁ! 見せたろやないかい!」
来る。異界の力が! 世界の理を超越した、恐るべき魔法が!
「――エクストラ・セービング・バリアッ!――」
ガキィィィィンッ!!
『なにッ!?』
拳が止まった。いや、違う。止められたのだ。
俺の拳とターちゃんの間に、いつの間にか一枚の透明な壁が出現していた。光を受けて、その表面が揺らめく。
「おー、スト坊! さすが四天王やわ、ええ腕しとるなあ! けっこうヤバかったで!」
拳に伝わる衝撃が、遅れて全身を駆け巡る。なんという防御力……! いったい、どれほどの魔力を注ぎ込めば、このような結界を維持できるというのだ!
『何だ、その技は!』
「積立式防御魔法や!」
『つみたて……?』
「毎月ちょっとずつストレージに魔力を貯めることで、いざっちゅうときに強力な魔法が撃てるサービスやで! まあ、限度はあるけどな!」
俺は愕然とした。半分くらいの単語が聞き慣れなかったが、とにかく貯めた魔力を好きなときに使えるわけか。そんな方法があったとは。
「しかも、年間契約で一ヶ月分無料!」
『無料!』
俺は叫んだ。
『そんな馬鹿な話があるか!』
「あるねんな、これが!」
ターちゃんが笑った。勇者たちが、うんうんと頷いている。
「ホント、最近は便利になったよな」
「そうですよねえ。昔はリソースの管理が大変だったんでしょう?」
「あっ、そういえば私この前、回復魔法のサブスク契約したよ!」
『さぶすく……?』
「月々定額で使い放題みたいな感じやね」
『使い放題!』
俺は膝をついた。
魔法が。魔法が月額制になっている。長年かけて研究してきた魔術体系が、月額制になっている。
『……もういい。俺の負けだ』
俺はがっくりと肩を落とした。
「えっ、始まったばっかやん。自分、めっちゃええパンチしとったで?」
『俺は五十年間、魔王軍の四天王として戦ってきた。腕を磨き、己を鍛え上げてきた。それなのに、お前は無料で俺の渾身の一撃を防いだ』
「無料なんは一ヶ月分やで」
『……俺は、何をしていたのだろうな』
しばらくの沈黙の後、ターちゃんは俺の肩を叩いた。
「まあ、スト坊。そう落ち込まんと。今からでも遅ないで」
『何がだ』
「転職」
『転職』
「せや。それでもう、お前と戦う必要なくなるやん。魔王軍の四天王なんか、激務やろ? 残業代出るん?」
『……残業代?』
「有給は?」
『……有給?』
「ボーナスは?」
『……棒茄子?』
「うわ、ブラックやん」
ウワ・ブラックとは何だ。誰か教えてくれ。
「ストロンゲさん」
顔を上げると、勇者と目が合った。
「転職しましょう。僕らも応援しますよ」
その表情は真剣そのものだった。他の者たちも、黙って俺を見つめている。
『いや、しかし……』
「ほな、まずは何がやりたいかやな! スト坊、このあと空いとるか? ちょっと付き合いーな」
『……まあ、構わんが』
「せやったら、トゥクトゥク乗りぃや。うまいラーメン屋連れてったるわ!」
『ラーメンヤ』
「チャーシュー山盛りで、ものごっつうまいねん!」
『チャーシュー』
ラーメンヤとは、チャーシューとは一体何なのか。誰か教えてくれ。
ふと視線を感じて振り向くと、魔法使いが勇者のものとは色違いの板を構え、こちらに向けていた。今度は何を召喚するつもりだ?
「ねえ、これ投稿していい? 四天王転職記念!」
「あらあら、絶対バズりますね!」
「やめとけ……本人に許可が取れるようになるまでは……」
この日、俺は初めて知った。世界には、鍛えた拳だけでは届かないものがある。そして、時代の流れというものは、どんな強者にも容赦がない。
俺は半ば放心状態で、ツクツクに乗り込んだ。
「ほな出発するで! 皆さん、おおきにー!」
「ありがとうございましたー! 請求書お願いしますねー!」
どういう原理かは分からんが、ツクツクが走り出した。勇者たちが手を振っている。
「ストロンゲさーん! お元気でー!」
俺は、ハッとした。もしかして、勇者は剛毛という意味合いで俺の名を間違えていたのではないか。それなら、すべての説明がつく。
◇
俺は、風を受けてもまったく靡かない髪を触りながら、ふと思い出した。
『ターちゃん』
「なんや?」
『召喚の料金、五万と聞いたが』
「内容にもよるけど、高くてそんなもんかなあ」
『……俺が行く場合も、五万なのか?』
「いや、新人はそこまでいかへんな。でも、スト坊くらい有能やったら、初月で三万は狙えるんちゃうか!」
『三万!』
俺の絶叫が、青空に響き渡った。
魔王様。申し訳ございません。
俺、転職します。




