どうも、婚約者より優先される病弱な幼馴染です。
どうも。
婚約者より優先される病弱な幼馴染です。
……いや、字面がひどい。
ひどいというか、もうほぼ有罪である。誤解を招くとかいう段階ではない。「どうぞ好きに揉めてください」と札を下げて歩いているようなものだ。
婚約者のいる男が、毎日のように部屋へ通ってくる。
薬を持ってくる。食事を持ってくる。熱を測る。具合が悪ければ眉をひそめ、少しましなら目に見えて安心する。
たいへんよろしくない。
しかも相手は騎士団長ヴィクトル。
部下に慕われ、民からの評判も悪くなく、剣を持てば強く、仕事をさせれば手堅い。おまけに顔までいい。神はときどき、設定を盛りすぎる。
その代わり性格に難があるのかと思えば、残念ながらそこもそれなりに良い。
ただし、病人の部屋に入ると礼儀が死ぬ。
「ルー、入っていいか」
返事を待たず、扉が開いた。
ほら来た。
問いかけと侵入がほぼ同時である。確認の意味がまるでない。
「入っていいか?じゃなくてもう入ってるよ」
ヴィクトルはそんなこちらのぼやきを気にする様子もなく、まっすぐ窓辺へ歩き、重たいカーテンを少しだけ開いた。春先の光が差し込み、閉め切った部屋の空気をやわらかく押しのける。
そのまま当然のように額へ手が伸びてきた。
「……熱は昨日よりましだな」
ヴィクトルは持ってきた包みを机へ置いた。ふわりと湯気の匂いが広がる。今日も食べやすいものを見繕ってきたのだろう。
「今日はこれを届けに来ただけだ。すまんが長居できない」
「いいよ。こんなところに来てないで婚約者に会いに行きなよ」
軽く言ったつもりだったが、ヴィクトルは眉を寄せただけだった。
「病人のお前を放ってはおけない」
だからその言い方がまずいのだ。
非常にまずい。
その台詞だけ廊下に落ちていたら、翌日には恋愛小説の修羅場直前みたいな噂に成長しているだろう。
「それを世間では火種というのだけれど」
「ん?なんのことだ」
剣筋は繊細なくせに、こういうところだけ驚くほど豪快である。
昔からそうだ。転べば拾い、熱を出せば薬を持ってきて、無茶をしようとすれば毛布ごと押し戻す。親切というより、もはや習性に近い。
ありがたい。ありがたいのだが、今の彼には婚約者がいる。
そこが問題なのだ。
「無理するなよ、ルー」
帰り際、ヴィクトルはいつものようにそう言った。
その「ルー」という呼び方もよくない。しかも妙にやさしい声音で言うから、なおよくない。
「はいはい」
手を振って追い返すと、ヴィクトルは一度だけ振り返り、それから部屋を出ていった。
扉が閉まる。
静かになった部屋へ、ため息がひとつ落ちた。
こちらは寝込んでいるだけなのに、外では“騎士団長が密かに通うルー”なる、大変ありがたくない存在に仕立て上げられつつあるらしい。
勘弁してほしい。
本当に。
そう思っていたところへ、コンコン、コンコン、と控えめなノックが響いた。
今度はたいへん礼儀正しい。
ヴィクトルではない。あれはノックの時点で、だいたい扉が半分開いている。
「どうぞ」
返事をすると、扉が静かに開いた。
入ってきたのは、美しい令嬢だった。
淡い色のドレスに、隙のない所作。まっすぐな背筋。やわらかな微笑み。けれどその笑みの奥には、きちんと腹を括ってきた人間の気配がある。
ああ、来るべき人が来てしまった。
ヴィクトルの婚約者、リリアである。
「はじめまして。リリアと申します」
「……はじめまして」
起き上がろうとすると、リリアはすぐに椅子を引いた。
「そのままで結構です。ご病気なのでしょう?」
声はやさしい。
ただしこのやさしさ、“逃がさない方のやさしさ”である。
「ありがとうございます」
礼を言いながら、内心で観念する。
これはもう、きちんと話すしかない。
リリアは寝台の脇に腰を下ろし、静かに室内を見回した。机の上の薬袋、湯気の残る器、さっき置いていかれた包み。そしてヴィクトルが忘れていった外套があった。
証拠が多い。
多すぎる。
「あなたが、“ルー”」
「……そう呼ばれています」
「ヴィクトル様が、近ごろ熱心に通っていらっしゃる方だと伺いました」
「そうなりますね」
「毎日のように」
「ええ」
問い詰める口調ではない。ないのだが、ひとつ確認されるたびに逃げ道がふさがっていく。
さすが騎士団長の婚約者である。静かだが強い。とても強い。
「気を悪くなさらないでくださいませ。ただ、私は婚約者ですから」
その一言で十分だった。
怒っているのだ。けれど、それ以上に不安だったのだろう。婚約者が、自分ではない誰かを優先しているように見えるのだから。
ここで曖昧にするのは、さすがに卑怯だ。
「リリア様。ひとつ、誤解があります」
そう切り出すと、リリアはまっすぐこちらを見た。
「ヴィクトルとは、そういう関係ではありません。幼い頃からの付き合いで、あの人が勝手に迷惑なほど世話を焼いているだけです」
「迷惑なほど?」
「ええ、はっきりいって迷惑しています」
思わず本音が出た。
すると、リリアの口元がほんの少しだけゆるむ。
「あの方らしいといえば、あの方らしいですわね」
そこで、もうひとつの誤解も解くことにする。
「それと、“ルー”という呼び方も紛らわしいのです。本名はルークと申します」
「……ルーク?」
リリアが、そこで初めてはっきりと目を瞬いた。
張りつめていた空気が、ほんのわずかに揺らぐ。
「はい」
「ルーク、様……」
その名を、リリアは小さく繰り返した。
視線がもう一度こちらの顔をたどる。長く伸びた髪、青白い頬、やつれた輪郭。病に伏しているあいだ髪を切る余裕もなく、気づけば肩を過ぎてしまっていた。それが余計に紛らわしかったのだろう。
けれど、名前を知って見直せば、印象は少し変わる。
リリアの表情が、ゆっくりほどけていった。
「……まあ」
驚いたように、目を見開く。
「もしかして私、とんでもない勘違いを」
「たぶん、かなり」
数秒の沈黙のあと、リリアは片手でそっと額を押さえた。
「なるほど……そういうことでしたのね」
その声には、驚きと安堵と脱力がきれいに混ざっていた。
「紛らわしくて申し訳ありません。病気でしばらく髪を切れていなくて」
「いえ……こちらこそ、早合点をしてしまいましたわ」
リリアは少しだけ照れたように笑った。
「でも、たしかにこれでは噂も妙な方向へ育ちますわね」
わかってくれる人がいた。
救いである。大変、救いである。
「ヴィクトル様も、事情を説明してくださればよろしいのに」
「あいつは女心に鈍いところがありますから。この状況を問題だと思っていないのでしょう」
「そうですわね……」
リリアはやわらかく目を伏せた。
「どうやら、腹を立てる相手を間違えていたようです」
「はい。大体あいつが悪いです」
そこでとうとう、リリアが声を立てて笑った。
よかった。どうやら剣ではなく言葉で方がつきそうである。平和は大事だ。
そうして空気がやわらいだ、そのときだった。
廊下の向こうから、聞き慣れた足音が近づいてきた。
重く、迷いなく、遠慮がない。
ヴィクトルである。
歩き方まで存在感が強い。できればもう少し忍んでほしい。
「……絶妙に間が悪いですね」
「いつものことです」
短く言ってから、ふと思いつく。
「少しだけ、隠れていていただけますか」
「隠れるのですか?」
「ええ。ちょうどいいので」
「何がでしょう」
「あいつをこらしめる機会です」
リリアは目を丸くし、それからふっと笑った。
「……少し興味がありますわ」
その返事とともに、彼女は窓辺の厚いカーテンの陰へ身を寄せた。淡い布が揺れ、美しい姿がすっと隠れる。
間に合った。
ほぼ同時に扉が開く。
「ルー、俺の外套を知らないか?」
入ってきたヴィクトルは、何も知らない顔でまっすぐ寝台へ向かってくる。
本当に、何も知らない顔だ。
少しくらい察してほしい。
「どうした。妙な顔をしているな」
「言いたいことがある」
体を起こし、じっと幼馴染を見る。
「ヴィクトル」
「なんだ」
「お前、浮気しているって噂されているよ」
ぴたり、と足が止まった。
一拍も置かなかった。
「そんなことするわけないだろう!」
即答である。
しかも本気で怒っている。
カーテンの向こうで布が小さく揺れた。たぶんリリアもびっくりしたのだろう。
「誰がそんな馬鹿なことを言った」
「屋敷でも町でも、わりと広がってると思うけど」
「浮気などするわけがない。する理由もない」
カーテンの陰で、息を呑む気配がした。
「リリアは素晴らしい女性だ。強くて、賢くて、気高い。まっすぐで、思いやりがある。女神のような人だ」
珍しく、言葉が止まらない。
これは本当に本音なのだろう。
ちょっと引くくらい、まっすぐだ。
「俺は彼女を心から愛している。彼女以上に愛する人はいない」
その言葉が落ちた瞬間、窓辺のカーテンがそっと開いた。
「……それを、最初から本人に言ってくださればよろしかったのですけれど」
姿を現したリリアを見て、ヴィクトルが固まった。
本当に固まった。
騎士団長ともあろうものが、剣ではなくカーテンに不意打ちされている。
「リリア!?」
「ええ、あなたの婚約者のリリアです」
リリアは頬を少し赤くしながら、きれいに微笑んだ。
ヴィクトルは口を開き、閉じた。
めずらしい。言葉が見当たらないらしい。
「……どこから聞いていた」
「“彼女以上に愛する人はいない”まで、しっかりと」
ヴィクトルが黙った。
耳まで赤い。
わかりやすい。
「……ルー、お前わざとか」
「もちろん」
即答すると、ヴィクトルが渋い顔をした。
「ヴィクトル様」
リリアがにこやかに続ける。
「先ほどのお言葉、もう一度お願いしても?」
「やめろ」
顔を真っ赤にして言った。
「なんだっけ。彼女は俺の女神だ、だっけ」
「二人ともやめてくれ!」
耳まで真っ赤にしている。いい気味だ。
リリアがふっと笑う。
「よかったですわ。浮気ではなくて」
その声音はやわらかく、さっきまでの不安はすっかり消えていた。
ヴィクトルも、それを聞いてようやく肩の力を抜く。
「……すまなかった」
短い返事だったが、十分だった。
完全に仲直りである。
***
帰り際、リリアはふと足を止め、こちらを振り返った。
「ルーク様。また、お見舞いに来てもいいですか? 次は幼馴染を問い詰めに来た婚約者ではなく、友人として」
一瞬きょとんとしてから、思わず笑う。
「もちろん。その方がずっと嬉しいです」
「お前たち、もう仲良くなったのか」
後ろから挟まったヴィクトルの声に、リリアと顔を見合わせる。
「共通の被害者ですもの」
リリアが楽しそうに言った。
それだけで、どちらからともなく笑いがこぼれる。
ああ、うん。
この人とは、たぶんうまくやれそうだ。
やがて、並んで扉へ向かう二人の背中を見送りながら、少しだけ笑う。
お似合いだと思った。
不器用で、まっすぐで、ちゃんと互いを大事にしている二人だ。
少しくらいすれ違っても、きっとまたこうして戻ってくるのだろう。
それなら、まあ、安心である。
(幸せになれよ、ヴィクトル、リリアさん)
***
どうも。
婚約者より優先された幼馴染です。
これからは友人として、幸せな二人を見守っていこうと思います。
たくさんの応援、評価、本当にありがとうございます!とても嬉しいです。
現在、続編を執筆中です。
次で世間の浮気の誤解は解ける予定ですが、代わりにとんでもないことが起きるかもしれません。
もう少しだけ、お付き合いいただけたら嬉しいです。
***
「異世界転生おばあちゃん ~王子を孫扱いしていたらなぜか溺愛されています~」連載中です。
人生80年の知恵と図太さで異世界を無双していくおばあちゃん(見た目は少女)のすれ違いラブコメディです。




