表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

どうも、婚約者より優先される病弱な幼馴染です。

どうも、婚約者より優先される病弱な幼馴染です。

作者: 伊見府めい
掲載日:2026/03/17

 どうも。


 婚約者より優先される病弱な幼馴染です。


 ……いや、字面がひどい。


 ひどいというか、もうほぼ有罪である。誤解を招くとかいう段階ではない。「どうぞ好きに揉めてください」と札を下げて歩いているようなものだ。


 婚約者のいる男が、毎日のように部屋へ通ってくる。


 薬を持ってくる。食事を持ってくる。熱を測る。具合が悪ければ眉をひそめ、少しましなら目に見えて安心する。


 たいへんよろしくない。


 しかも相手は騎士団長ヴィクトル。


 部下に慕われ、民からの評判も悪くなく、剣を持てば強く、仕事をさせれば手堅い。おまけに顔までいい。神はときどき、設定を盛りすぎる。


 その代わり性格に難があるのかと思えば、残念ながらそこもそれなりに良い。


 ただし、病人の部屋に入ると礼儀が死ぬ。


「ルー、入っていいか」


 返事を待たず、扉が開いた。


 ほら来た。


 問いかけと侵入がほぼ同時である。確認の意味がまるでない。


「入っていいか?じゃなくてもう入ってるよ」


 ヴィクトルはそんなこちらのぼやきを気にする様子もなく、まっすぐ窓辺へ歩き、重たいカーテンを少しだけ開いた。春先の光が差し込み、閉め切った部屋の空気をやわらかく押しのける。


 そのまま当然のように額へ手が伸びてきた。


「……熱は昨日よりましだな」



 ヴィクトルは持ってきた包みを机へ置いた。ふわりと湯気の匂いが広がる。今日も食べやすいものを見繕ってきたのだろう。


「今日はこれを届けに来ただけだ。すまんが長居できない」


「いいよ。こんなところに来てないで婚約者に会いに行きなよ」


 軽く言ったつもりだったが、ヴィクトルは眉を寄せただけだった。


「病人のお前を放ってはおけない」


 だからその言い方がまずいのだ。


 非常にまずい。


 その台詞だけ廊下に落ちていたら、翌日には恋愛小説の修羅場直前みたいな噂に成長しているだろう。


「それを世間では火種というのだけれど」


「ん?なんのことだ」


 剣筋は繊細なくせに、こういうところだけ驚くほど豪快である。


 昔からそうだ。転べば拾い、熱を出せば薬を持ってきて、無茶をしようとすれば毛布ごと押し戻す。親切というより、もはや習性に近い。


 ありがたい。ありがたいのだが、今の彼には婚約者がいる。


 そこが問題なのだ。


「無理するなよ、ルー」


 帰り際、ヴィクトルはいつものようにそう言った。


 その「ルー」という呼び方もよくない。しかも妙にやさしい声音で言うから、なおよくない。


「はいはい」


 手を振って追い返すと、ヴィクトルは一度だけ振り返り、それから部屋を出ていった。


 扉が閉まる。


 静かになった部屋へ、ため息がひとつ落ちた。


 こちらは寝込んでいるだけなのに、外では“騎士団長が密かに通うルー”なる、大変ありがたくない存在に仕立て上げられつつあるらしい。


 勘弁してほしい。


 本当に。


 そう思っていたところへ、コンコン、コンコン、と控えめなノックが響いた。


 今度はたいへん礼儀正しい。


 ヴィクトルではない。あれはノックの時点で、だいたい扉が半分開いている。


「どうぞ」


 返事をすると、扉が静かに開いた。


 入ってきたのは、美しい令嬢だった。


 淡い色のドレスに、隙のない所作。まっすぐな背筋。やわらかな微笑み。けれどその笑みの奥には、きちんと腹を括ってきた人間の気配がある。


 ああ、来るべき人が来てしまった。


 ヴィクトルの婚約者、リリアである。


「はじめまして。リリアと申します」


「……はじめまして」


 起き上がろうとすると、リリアはすぐに椅子を引いた。


「そのままで結構です。ご病気なのでしょう?」


 声はやさしい。


 ただしこのやさしさ、“逃がさない方のやさしさ”である。


「ありがとうございます」


 礼を言いながら、内心で観念する。


 これはもう、きちんと話すしかない。


 リリアは寝台の脇に腰を下ろし、静かに室内を見回した。机の上の薬袋、湯気の残る器、さっき置いていかれた包み。そしてヴィクトルが忘れていった外套があった。


 証拠が多い。


 多すぎる。


「あなたが、“ルー”」


「……そう呼ばれています」


「ヴィクトル様が、近ごろ熱心に通っていらっしゃる方だと伺いました」


「そうなりますね」


「毎日のように」


「ええ」


 問い詰める口調ではない。ないのだが、ひとつ確認されるたびに逃げ道がふさがっていく。


 さすが騎士団長の婚約者である。静かだが強い。とても強い。


「気を悪くなさらないでくださいませ。ただ、私は婚約者ですから」


 その一言で十分だった。


 怒っているのだ。けれど、それ以上に不安だったのだろう。婚約者が、自分ではない誰かを優先しているように見えるのだから。


 ここで曖昧にするのは、さすがに卑怯だ。


「リリア様。ひとつ、誤解があります」


 そう切り出すと、リリアはまっすぐこちらを見た。


「ヴィクトルとは、そういう関係ではありません。幼い頃からの付き合いで、あの人が勝手に迷惑なほど世話を焼いているだけです」


「迷惑なほど?」


「ええ、はっきりいって迷惑しています」


 思わず本音が出た。


 すると、リリアの口元がほんの少しだけゆるむ。


「あの方らしいといえば、あの方らしいですわね」


 そこで、もうひとつの誤解も解くことにする。


「それと、“ルー”という呼び方も紛らわしいのです。本名はルークと申します」


「……ルーク?」


 リリアが、そこで初めてはっきりと目を瞬いた。


 張りつめていた空気が、ほんのわずかに揺らぐ。


「はい」


「ルーク、様……」


 その名を、リリアは小さく繰り返した。


 視線がもう一度こちらの顔をたどる。長く伸びた髪、青白い頬、やつれた輪郭。病に伏しているあいだ髪を切る余裕もなく、気づけば肩を過ぎてしまっていた。それが余計に紛らわしかったのだろう。


 けれど、名前を知って見直せば、印象は少し変わる。


 リリアの表情が、ゆっくりほどけていった。


「……まあ」


 驚いたように、目を見開く。


「もしかして私、とんでもない勘違いを」


「たぶん、かなり」


 数秒の沈黙のあと、リリアは片手でそっと額を押さえた。


「なるほど……そういうことでしたのね」


 その声には、驚きと安堵と脱力がきれいに混ざっていた。


「紛らわしくて申し訳ありません。病気でしばらく髪を切れていなくて」


「いえ……こちらこそ、早合点をしてしまいましたわ」


 リリアは少しだけ照れたように笑った。


「でも、たしかにこれでは噂も妙な方向へ育ちますわね」


 わかってくれる人がいた。


 救いである。大変、救いである。


「ヴィクトル様も、事情を説明してくださればよろしいのに」


「あいつは女心に鈍いところがありますから。この状況を問題だと思っていないのでしょう」


「そうですわね……」


 リリアはやわらかく目を伏せた。


「どうやら、腹を立てる相手を間違えていたようです」


「はい。大体あいつが悪いです」


 そこでとうとう、リリアが声を立てて笑った。


 よかった。どうやら剣ではなく言葉で方がつきそうである。平和は大事だ。


 そうして空気がやわらいだ、そのときだった。


 廊下の向こうから、聞き慣れた足音が近づいてきた。


 重く、迷いなく、遠慮がない。


 ヴィクトルである。


 歩き方まで存在感が強い。できればもう少し忍んでほしい。


「……絶妙に間が悪いですね」


「いつものことです」


 短く言ってから、ふと思いつく。


「少しだけ、隠れていていただけますか」


「隠れるのですか?」


「ええ。ちょうどいいので」


「何がでしょう」


「あいつをこらしめる機会です」


 リリアは目を丸くし、それからふっと笑った。


「……少し興味がありますわ」


 その返事とともに、彼女は窓辺の厚いカーテンの陰へ身を寄せた。淡い布が揺れ、美しい姿がすっと隠れる。


 間に合った。


 ほぼ同時に扉が開く。


「ルー、俺の外套を知らないか?」


 入ってきたヴィクトルは、何も知らない顔でまっすぐ寝台へ向かってくる。


 本当に、何も知らない顔だ。


 少しくらい察してほしい。


「どうした。妙な顔をしているな」


「言いたいことがある」


 体を起こし、じっと幼馴染を見る。


「ヴィクトル」


「なんだ」


「お前、浮気しているって噂されているよ」


 ぴたり、と足が止まった。


 一拍も置かなかった。


「そんなことするわけないだろう!」


 即答である。


 しかも本気で怒っている。


 カーテンの向こうで布が小さく揺れた。たぶんリリアもびっくりしたのだろう。


「誰がそんな馬鹿なことを言った」


「屋敷でも町でも、わりと広がってると思うけど」


「浮気などするわけがない。する理由もない」


 カーテンの陰で、息を呑む気配がした。


「リリアは素晴らしい女性だ。強くて、賢くて、気高い。まっすぐで、思いやりがある。女神のような人だ」


 珍しく、言葉が止まらない。


 これは本当に本音なのだろう。


 ちょっと引くくらい、まっすぐだ。


「俺は彼女を心から愛している。彼女以上に愛する人はいない」


 その言葉が落ちた瞬間、窓辺のカーテンがそっと開いた。


「……それを、最初から本人に言ってくださればよろしかったのですけれど」


 姿を現したリリアを見て、ヴィクトルが固まった。


 本当に固まった。


 騎士団長ともあろうものが、剣ではなくカーテンに不意打ちされている。


「リリア!?」


「ええ、あなたの婚約者のリリアです」


 リリアは頬を少し赤くしながら、きれいに微笑んだ。


 ヴィクトルは口を開き、閉じた。


 めずらしい。言葉が見当たらないらしい。


「……どこから聞いていた」


「“彼女以上に愛する人はいない”まで、しっかりと」


 ヴィクトルが黙った。


 耳まで赤い。


 わかりやすい。


「……ルー、お前わざとか」


「もちろん」


 即答すると、ヴィクトルが渋い顔をした。


「ヴィクトル様」


 リリアがにこやかに続ける。


「先ほどのお言葉、もう一度お願いしても?」


「やめろ」


 顔を真っ赤にして言った。


「なんだっけ。彼女は俺の女神だ、だっけ」


「二人ともやめてくれ!」


 耳まで真っ赤にしている。いい気味だ。


 リリアがふっと笑う。


「よかったですわ。浮気ではなくて」


 その声音はやわらかく、さっきまでの不安はすっかり消えていた。


 ヴィクトルも、それを聞いてようやく肩の力を抜く。


「……すまなかった」


 短い返事だったが、十分だった。


 完全に仲直りである。


 

***


 帰り際、リリアはふと足を止め、こちらを振り返った。


「ルーク様。また、お見舞いに来てもいいですか? 次は幼馴染を問い詰めに来た婚約者ではなく、友人として」


 一瞬きょとんとしてから、思わず笑う。


「もちろん。その方がずっと嬉しいです」


「お前たち、もう仲良くなったのか」


 後ろから挟まったヴィクトルの声に、リリアと顔を見合わせる。


「共通の被害者ですもの」


 リリアが楽しそうに言った。

 それだけで、どちらからともなく笑いがこぼれる。


 ああ、うん。

 この人とは、たぶんうまくやれそうだ。


 やがて、並んで扉へ向かう二人の背中を見送りながら、少しだけ笑う。


 お似合いだと思った。


 不器用で、まっすぐで、ちゃんと互いを大事にしている二人だ。


 少しくらいすれ違っても、きっとまたこうして戻ってくるのだろう。


 それなら、まあ、安心である。


(幸せになれよ、ヴィクトル、リリアさん)


***


 どうも。

 婚約者より優先された幼馴染です。

 これからは友人として、幸せな二人を見守っていこうと思います。


たくさんの応援、評価、本当にありがとうございます!とても嬉しいです。

現在、続編を執筆中です。

次で世間の浮気の誤解は解ける予定ですが、代わりにとんでもないことが起きるかもしれません。

もう少しだけ、お付き合いいただけたら嬉しいです。


***

「異世界転生おばあちゃん ~王子を孫扱いしていたらなぜか溺愛されています~」連載中です。

人生80年の知恵と図太さで異世界を無双していくおばあちゃん(見た目は少女)のすれ違いラブコメディです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ルークが男だって判明したら、今度は貴腐人たちが新たなる噂を囁くのでは…という考えが頭をよぎった私は穢れてますね(笑) ヴィクトルとリリアとルーク、とてもステキな3人でした。ルークが快癒するといいなぁ…
男友達相手だとしても、いえ寧ろ男友達相手にしては珍しすぎるほど親身になってお世話していてヴィクトルさんいい人すぎると思いました。 きっと彼にとって凄く大切な幼馴染なんでしょうね。 二人の関係性が家族の…
確かに病弱だと線細くなるし、顔綺麗だと中性的になりますよね~。しかも相手が騎士だと対比で益々(笑) こんな感じにすぐほどける誤解はいいですね!しかもリリアさんが直接聞きに来る、潔くて素敵。 きっと二人…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ