第5話 将来の夢(5)
急に変な時間に帰ってきた日から、ずっと体調が悪いと学園を休みはじめて今日で十日目。
母は静かにソフィアの部屋に入りながら溜息をついた。
医師も呼んだが体調不良の原因はわからなかった。
いつ部屋を覗いてもベッドの上だが、熱もなく食事はスープだけ食べる。
声も普通で喉を傷めている様子もない。
あんなに毎日やっていたミシンの音もまったく聞こえない。
この状況で思い当たることといえば、先日ニコラスの母と茶会をしたときに聞いた変な話しかなかった。
毎週土日、ソフィアは家でミシンをしているのに、ニコラスと街でデートしたと、ネックレスを買ったと言われたのだ。
その時はまだ見せてもらっていないとお茶を濁したが、ソフィアが学園へ行かなくなってしまった理由がそれだとしたら……。
「ねぇ、ソフィア。変なことを聞いてもいい? ネックレス……もらっていないよね?」
すぐにソフィアの目に涙が溢れてくる。
あわてて布団で顔を隠すソフィアを母は優しく抱き寄せた。
「つらかったわね。気づくのが遅れてごめんね」
ソフィアは泣きながら首を横に振る。
「何があったか聞いてもいい?」
ニコラスとのことは恥ずかしくて話したくないのだろうと勝手に思っていた。
土日にデートに行かないけれど、服作りに夢中なソフィアが断っているのだろうと。
ニコラスの誕生日には贈り物も毎年していたし、ソフィア宛に届かなくても学園でもらっているのだろうと。
まさか初等科一年の終わりから話もしていなかったなんて。
ソフィアは八年間もずっと一人で我慢していたのだ。
誰にも相談できずに。
テストの成績が良くて、夢中になれる趣味があって、ソフィアは順風満帆だと思っていた。
逆にソフィアの弟のロンドはちょっとぼんやりしていて心配で、いつも目で追うのはロンドの方だった。
私はソフィアの何を見ていたのだろう?
こんなに限界になるまで気づいてあげられなかった。
「ねぇ、ソフィア。ドレスクチュリエールになりたいのよね?」
母の質問に驚いたソフィアは思わず顔を上げた。
「私がお父さまを説得するわ」
婚約者が別の女性と一緒にいる学園に通いなさいなんて言えない。
このまま何事もなかったかのように婚約者と結婚させることもしたくない。
婚約破棄になった令嬢は世間から冷たい目で見られ、社交界にも出られない。
一生、屋敷に閉じこもり、誰にも会わない生活をするくらいなら、本人が一番幸せな時間を過ごせるようにしてやりたい。
泣きながらしがみつくソフィアのために、今更だが何をしてあげられるだろうかと母は思い悩んだ。
◇
母に打ち明けた数日後、父から応接室に呼ばれたソフィアは思いもよらない人物に驚いた。
「チャーチル・ジョンソン・オートクチュールのマティです」
軽くお辞儀をするマティにソフィアは思わず小さな声で『魔法使いのお兄さん』と呟いてしまった。
ハッとし、慌てて綺麗な礼をする。
どうして魔法使いのお兄さんがここに?
ソフィアは静かに父の横のソファーに腰かけた。
「店で働きたいと聞きましたが」
マティの言葉に驚いたソフィアは父の方を振り返る。
『ドレスクチュリエールになりたいのよね? 私がお父さまを説得するわ』
お母様はそう言ってくれたけれど、まさか魔法使いのお兄さんの店にお願いしてくれたの?
「朝も早く、繁忙期は一日中立ちっぱなしの日もあり、とても貴族のお嬢様が働くような環境ではありません」
丸まった布は重く、持つだけでも大変、冷たい水で布を洗うのも大変。
針で怪我をすることも、割れた装飾品で手を切ってしまうこともある。
ドレスは華やかだが、ドレス作りは地味で根気のいる作業が多いのだとマティはわかりやすく説明してくれた。
「働かせてください」
「……雑用でも?」
マティの少し意地悪な質問に、ソフィアは少し困った顔をしてしまった。
「いつかクチュリエールになれるように勉強させてください」
欲張りだろうか。
言ってしまった後にソフィアは後悔した。
働かせてもらえるかもわからないのにクチュリエールの勉強をしたいと言ってしまった。
ソフィアが膝の上でギュッと手を握ると、巻き込んでしまったスカートに皺が寄る。
「……クチュリエールになりたいの?」
「なりたいです」
ソフィアの回答にマティは手を口元に当て、少し考え込んだ。
「学園はどうなさるおつもりで?」
「辞めようと思っておりましたが、第二王子殿下が嘆願書を提出してくださいまして」
毎年十二月に行われるテストですべての教科八十点以上を取ったら卒業できるという特例を作ってくださったと父は言った。
初めてその話を聞いたソフィアは驚き、父を見る。
「殿下がそこまでしてくださったのだから、卒業を目指して勉強も頑張ってほしいと思っています」
「学園の勉強とクチュリエールの勉強……ですか。働くのは卒業してからでも良いのでは?」
気持ちが落ち着けば、また学園へ行きたくなるかもしれないし、働きたいという気持ちは本当だろうがまだ十五歳だと正論を言うマティに、父は何も答えることができなかった。
今にも泣きそうなソフィアの顔を見たマティは再び少し考え込む。
「何か自分で作ったことはある? 刺繍とかしたことあるかな?」
「この服は自分で縫いました」
ソフィアがワンピースのスカートを少し持ち上げるとマティは驚いた顔をした。




