第23話 ハンカチの男の子(8)
少し落ち着いたソフィアの横で、マティはニコラスの父であるフランドル侯爵家へ抗議文を書いた。次はソフィアの父、ブライト侯爵へ報告の手紙。ドレス業界の同業者にも注意喚起の知らせを書いた。
「二度と入れないようにする」
この店にも、他のドレス店にも。
マティが大丈夫だとソフィアの頭を撫でると、ようやくソフィアはぎこちない笑顔で微笑んだ。
翌日、抗議文を受け取ったニコラスの父であるフランドル侯爵は、ドレス店チャーチル・ジョンソン・オートクチュールへ謝罪に訪れたが、店内に入ることも店長のマティに会うことも出来なかった。
学園ではオリビアが綺麗なドレスばかりで凄かったと大声で話し、紹介状がないと入れない高級店へニコラスと行ったのだと自慢した。
王都のドレス店はチャーチル・ジョンソン・オートクチュールから受け取った注意喚起に従い、フランドル侯爵家の出入りを禁止に。知人の名を悪用して店内に入り、買う・買わないで揉めるような客はどのドレス店も来てほしくないからだ。
ただ、オリビアが行ったことは同行者の男性ニコラスの責任とみなされるため、オリビア・ホートンには何も制限をかけられなかったとマティはソフィアに謝罪した。
「……ィー、ソフィー」
手も止まり、ぼんやりしたソフィアはルーカスの声でハッとした。
「あっ、ご、ごめんなさい」
慌てて問題文を読み始める。
明らかに無理をしているソフィアの右手からルーカスはペンを抜き取ると、自分の左手をソフィアの右手に乗せた。
「ル、ル、ルカ様?」
「……休憩しよう」
「だ、大丈夫です」
問題文に目を移すソフィアにルーカスは溜息をつく。
乗せた手をソフィアの指に絡ませ細い手を握ると、動揺したソフィアが再びルーカスを見た。
「ソフィーの元気がない原因は、店に来た迷惑な客ですか?」
学園でオリビアが王都で一番のドレス店へ行ったのだと自慢して歩いていることをルーカスはソフィアに教える。
「ソフィアがここで働いているという話は出ていないので大丈夫ですよ」
ここは安全で、ドレスクチュリエールの夢が彼らに邪魔されることはないとルーカスが言うと、ソフィアの青い宝石のような眼が潤んだ。
この三日間ずっと不安だった。
ここで働いているとバレて、面白半分で学園のみんなが見に来るのではないか。
社交界で噂になり両親に迷惑をかけるのではないか。
もうここで働けなくなりドレスクチュリエールになれないのではないかと。
ルーカスはハンカチを取り出し、ソフィアの涙を拭いた。
「……好きですよ」
ソフィアの右手を握るルーカスの手が強くなった。
「ソフィーが好きです。……入学説明会の日からずっと」
右手に持ったハンカチでソフィアの涙を押さえ、左手はソフィアの右手を握ったままルーカスが告白する。
「入学説明会……?」
「転んで泣きそうだったソフィーに一目惚れしてから十年経ってしまいました」
「転んで……」
「……手から血は出ませんでしたか?」
優しくルーカスが微笑むとソフィアは目を見開いた。
手を怪我したことを知っているのは、ハンカチを貸してくれたあの男の子だけだ。
「ハンカチを……貸してくれたのは……」
「私です」
ルーカスの微笑んだ顔があの時の男の子と重なる。
黒髪茶眼で優しい口調の男の子。転んで、どうしたらいいかわからなくて、不安だったあの時に助けてくれた男の子。
ずっとお礼を言いたいと思っていた。
「私、ずっとお礼を言いたくて、ハンカチも洗って、いつか返したいと引き出しに、あ、ここにはなくて、」
纏まらない言葉で話すソフィアをルーカスは、うんうんと頷きながら聞く。
ソフィアは一回息をゆっくり吐くと、泣き顔でルーカスに微笑んだ。
「あの時は本当にありがとう。侯爵邸へ戻ったらハンカチを持ってきます」
お返ししますねというソフィアに、ルーカスは首を横に振った。
「ソフィーに持っていてほしいです」
大切に今まで持っていてくれたことがうれしいとルーカスが微笑む。
「学園にいるときはあなたを助けてあげられませんでした。でもこれからは隣にいさせてください」
ルーカスはそっと右手のハンカチでソフィアの涙を拭くと、泣き顔も可愛いですと本音を漏らす。
「ル、ルカ様っ」
心臓に悪いですとソフィアが苦情を言うと、ルーカスは嬉しそうに笑った。




