第43話 雪の妖精
うさぎの車は、火星の上空へ舞い上がった。
満月を横切り、シャンシャンシャンシャンと地球の重力へと引き込まれて行く。
雲を突き破った。
大地は青い海と茶や緑の陸があり、豊かさを再確認する。
「自然を侵食して行ったのは、やはり、人類の歩みなのが残念だよね」
オレは下を覗いていて、密流くんの手をぎゅっと確かめた。
よかった。
大人しいけど、いる。
人がいる街並みが見えたが、白く霞んでいる。
うさぎの車が降り立った所に、雪がふっさりと積もっていた。
「御者と跳んでくれた雪うさぎさん、お疲れ様」
「うさうさ」
五羽のうさぎ達は、車を天へと昇らせて行く。
「うさうさ」
白いうさぎの姿が雲に紛れて分からなくなった。
「密流――」
はっとした。
一瞬にして、オレの心は凍ってしまったようだ。
「繋いでいた手はどうした?」
いつの間にか、オレだけの地球になっていた。
アダムは一人ではいられないんだ。
「密流くん? 密流くん――!」
目を凝らしてもいない。
いつもみたいに、悪びれもなくひょこっと現れてくれないか。
――僕もとこしへに愛してる……。
うさぎの車で聞いた密流くんの心からの声を噛み締めていた。
「は! オレの首にも手にもゴールドパスがない」
密流くんと繋がっていた唯一の物で、元に戻れば要らないのに、心が寂しくなった。
「ここは、密流くんと雨宿りした所だな」
見知った喫茶店や書店の看板に救われた。
「密流くんと出逢ったときより、四季が二つは変わっているのだろうな」
もう冬なのだろうか。
こんなに雪が降るのは珍しいと思うが。
地下鉄時計城線で、時間が進んだのか巻き戻ったのか。
イグザスを見ようとして、不注意だった。
「痛っ。膝が当たったな」
足元に自転車が寝転んでいた。
もしやと思って、冷たい雪を払う。
まほろば大学の駐輪許可証とオレの書いた自身の名前があった。
「転んだんだよな。まほろば大学から逃げるように自転車を飛ばして」
懐かしさがオレの胸を締め付ける。
演劇部から逃げるまでの時間よりも密流くんと知り合ってからが長く感じられた。
「六月の初夏だった。涼しい午後で、葉を濡らす雨も滴って、オレはセンチメンタルになっていたっけ」
小さな水たまりで滑って横転すると、前輪が鼻先で空回りをした。
豪快に転んだものだ。
直ぐに立ち上がれなかった。
気持ちの問題が大半を占めていたが。
「天使が現れたんだよな。言葉も声さえもオレの中にある」
――真っ黒なお兄さん、どうしたのさ?
彼の声が聞こえた気がした。
「密流くん?」
あのとき、青い傘を差し向けてくれた少年がいない。
――僕は、密流だよ。
「密流くん、約束を果たしたから戻ってきて」
彼の全てが想い出となっていた。
――オレと彼を遮る車輪がからりと回ると、少年が極めて美しい面差しだと分かる。
「薔薇のような密流くんが、いつだって、そこにいるようだよ」
雪が降りしきる。
「書店の軒下で、一緒にブルーマウンテンを飲んだよね。寒くないかな」
オレの幻影なのだろうか。
書店前から一緒に地下鉄へ行くはずなのに、彼は先へ行ってしまう。
「行かないで!」
綺麗な青い傘は、高く放り投げられた。
「プレゼント・フォー・ユーだ。僕のことは秘密さ」
「待って! 待って……! 密流くん」
雪だらけの中、密流くんを追い求め、突っかかりながら歩く。
途中、自転車を払い除け、雪に足を取られようとも逃したくなかった。
「うわ!」
青い八角形が広がって視野を塞がれた。
雪を絡めてゆっくりと転がる傘を避け、前を向くが姿はない。
「密流くん……」
青い傘は雪を揺する風のせいか、まだ転がって行った。
「これが、お別れなのか! オレはまだ一ミリも恩返しできていないよ」
青い傘がコロコロコロと。
転がるのをやめたと思えば、誰かが拾い上げた。
すらっとしたブーツを履いている。
ベージュのコートがよく似合う女性だった。
ドキッとした。
走るような鼓動を自分自身が感じ取っている。
オレの脈拍はかなり天井だ。
「あの……。あなたは、オレが分かりますか?」
「初めましてかしら? 不思議な質問をするのね。新手のナンパかな?」
鳶色の瞳が美しい。
茶の長い髪が雪を被ってしまって寒そうだ。
ああ……。
オレは挙動不審かな。
「よかったら、使ってください」
「え?」
慌ててブラックジーンズのポケットから、白と黒とが飛ぶ千鳥格子のハンカチを差し出した。
「風邪を引くといけないので」
「いいわよ。大丈夫」
「綺麗な髪がしっとりと濡れています」
彼女は逡巡していたが、小さく頷いた。
「よろしければ、書店の軒下で、ブルーマウンテンでもいかが?」
彼女と軒下に入る。
オレが缶コーヒーを二つ買って渡した。
ぎりぎり足りた小銭よ、ありがとう。
大人しい方のようだ。
上品に青い傘をたたみ、髪を包むように綺麗にしていた。
「雪うさぎの妖精がいるのかな」
「あら、ロマンチストなんですね」
「綺麗な髪に宿っていると思って」
彼女は俯きがちに、頬を赤らめている。
雪の寒さか。
はたまた、期待してもいいのか。
「オレは、高塔秘です!」
「ええっと。私は――」
「オレは、お会いしたことがあるんですよ。中一でしたけど」
運命というものを感じた。
いい意味でだ。
下手な試練はない。
それは、ことわりきれないオレとは決別したからだ。
気持ちが雪の上でもふわふわしそう。
「将来、密流くんの苗字は高塔になると分かったよ……」
雪が放射線状に降り行く空に向かい、余韻に浸っていた。
「密流くん? 弟さんの名前ですか?」
「ん……。確かに血の繋がりもありそうなのですが、オレがいままで出逢った中で、一番大切にしたい方です」
駅のあった方を向くと、地下鉄などなく、白いタワーマンションがあった。
白さで大谷石を思い出すな。
「あの、高塔くんですか。向こうにある白いマンションに暮らしているので、傘を取ってきますね」
「オレのために? 傘はなくてもどうにか帰れますから」
彼女は美しい雪うさぎの妖精をまとった髪をふるふると振った。
「遠慮しないで。ハンカチも借りてしまったし、お洗濯もしていない。ブルーマウンテンも奢っていただきました」
「ハンカチは差し上げます」
オレは、まだまだ今夜も積もりそうな雪の原へ飛び出した。
「また!」
ほんの十九歳の小さな旅だったのかも知れない。
ただ、オレの旅のパートナーは彼以外いないだろう。
十三歳だったな。
密流くん、未来は明るいぞ。
「オレもささくれた道から脱するからな」
さっきの彼女とまた会える気がしてならない。
「アダムとイブになったけど、密流くんを待っているよ」
――僕と旅しようよ!
【ことわりきれない時計城 〈Boku Love = BL〉 了】
こんばんは。
いすみ 静江です。
ここまで、長い連載を追ってくださり、誠にありがとうございます。
密流くんと高塔さんの旅を味わっていただけたら嬉しいです。
今後もがばりますので、よろしくお願いいたします。




