第33話 イグザスの反乱
密流くんが薔薇の花道に落下した。
この下は底なしだと恐ろしい。
なりふり構わず、彼を引き上げようとした。
手に触れたと思った。
「青い物体……?」
さっと掴んでいたそれを振り払う。
薔薇の花道には密流くん以外は沈んでいないとの先入観があったから、まさか、あり得ないと思った。
威圧され、フリーズしてしまった。
「助けて」
生きている密流くんの声が遠くなった気がする。
「一刻も早く! 救命が優先です」
薔薇の花道へいっそダイブしようかとも思ったが、共に溺れる可能性もある。
銀の船から手を引き上げるのが良策だと思った。
「手です! 密流くん」
銀の船から手を入れ、ピンクの薔薇をかき乱す。
すると、オレの腕を越え、青い物体がのそっりと目の前に近付いてきた。
「邪魔です!」
押し退けようとしても微動だにしない。
「青い怪物との闘いは後にさせてください」
パパッ、パシッ。
微弱な電流が走った。
手首が焼けるように痛く、イグザスから発信した感じがする。
「……ジッグダッグ、ジッグダッグ」
「脱進機の音が悪いですね。どうして、ここへきて腕時計の音が響くのでしょうか。最早、幻聴と思いたい」
薔薇の花道に手を入れたくても、青い物体が巨大なコンタクトレンズのような形になり、行く手を阻む。
オレは一刻も早く密流くんを救い出したかった。
変なものには少々慣れてきたから、ここは、対話で乗り越えられないか。
「時間がありません。青い物体よ、どうして邪魔をするのですか」
「我が名を知らぬとは申すまい」
喋った。
高度な知性を持つ物体だったのか。
「どちらさまですか」
「我が名は、イグザスなり」
オレの背中に、黒雲が一瞬にして広がり、稲妻が走った。
「まさか! 劇場のバイトで初めて買ったブルーのイグザスという時計を大切にしています。いつでも、現在も身に着ける程ですよ」
怪物に本物をみせようと腕を高くした。
「イグザスはこの通りですし」
オレも手首のイグザスを確認する。
腕時計の針は、夕べも起床時もしっかりと動いていた。
朝チュン禁止の記憶がある。
だが、密流くんが溺れてから狂い出した。
溺れた午前六時三十六分一秒で針も止っている。
そこに理由があると考えればどうか。
「は! 薔薇の花道にイグザスを浸してしまったから、それで狂ったのですか」
青い物体の正体は、イグザスだと認めるしかない。
「そこにおる時計は、我が現身。魂魄のみ抜け出でた」
「では、密流くん捜しを終えてから、話を聞きます」
オレは、ザブザブと薔薇の花道を両手で払い出した。
どうしても彼を抱き上げたい。
「深みに嵌まって、ごめんなさい。密流くん」
こんなイグザスだろうが、青い物体を構っている時間がないんだ。
オレの時間は全て、密流くんに捧げたい。
「我が背後にその透明な密流がいる」
一瞬、手をとめて、驚いた。
「渡してください」
「我は、時計城の魔力から離れられた。伝えることがある。守れと」
守れと?
「地下鉄時計城線に乗ったのは偶然だと思っていたか」
「雨の日、地下鉄時計城線に? オレ達が乗ったのには意味があるのでしょうか」
「考えてもみよ」
よく思い出してみる。
「前面行先表示器に『**城』とありました。それは、『時計城』のことですよね」
「時計城を目指す旅で終わって構わないのか」
旅は道連れ世は情けしか考えてもいなかった。
「時計城の城の名ですが、普通は姫路城を白鷺城や白鷺城と呼んだりもしますね。時計をモチーフにするのは、特異的です」
態々時計を冠にしていた理由を考える。
「どうして、時計だったのでしょうか」
ガンガンガン!
……あっちへ行きたい!
「これは、密流くんの声です。出してください。お願いですから」
「では、これから先は、二人で謎を解くべし。イグザスは身一つとなりて元の腕時計にと消えよう」
コンタクトレンズ状の青い物体の中央から、泣き腫らした密流くんが頭から出てきた。
彼は、全身が出終わらない内に、文句を色々喋っている。
元気そうだ。
「よし、こっちですよ。密流くん」
「ぶ――」
顔に文句と書いてある。
「すみません、オレのイグザスがスフィンクスみたいになって。問答をするのですよ」
「大体聞こえていたよ。二人で解決しないとね」
銀の船に乗せると、イグザスが場所を取っていた。
仕方ない。
「オレの記憶の深くにあって、分からなかったことがあるのです」
「ん、どうしたのかな」
渚で共有した映像を思い出していた。
もう一歩踏み込むと、分かりそうだが。
「神原来世は亡くなりましたよね」
「老衰だよね」
オレもそれで疑わなかった。
「いつだと思いますか。渚の神原来世と時の方の神原来世とどちらが新しい彼女でしょうか」
「渚から時の順だよね」
オレは首を横に振る。
「オレ、まだ十九歳だけど、あの人と暮らした記憶があるんだ」
「嘘! 証拠はあるの」
嫌な点に記憶が繋がった。
「ホムラとシャクがいたでしょう。あの二匹を飼っていた気がするんだ」
「ビキニのお姉さんの彼氏だったってこと? 時間の順番が無茶苦茶だけど」
オレは頭を掻いて考える。
「うーん。過去ではない、いつなのでしょうか。未来にあるできごとなのでしょうか」
「猫のホムラとシャクは、神原来世の彼氏に水だけ残されて勝手に出ていったと、彼女の話ではそうだったね」
オレがそんなことするとは、自分でも理由が思い付かなかった。
「我の姿に、先の映像を映す」
イグザスの青い物体が唸ると、ぼんやりセピア色の想い出をアルバムのようにした。
神原来世と高塔秘が、仲良く、秋桜の咲く丘で手を繋いでいた。
もう、夏も終わったのだろう。
「むきいいいい。どんな籠絡されたんだよ」
「えーと、渚の後の秋でしょうか」
次は、お正月だろうか、二人で炬燵にあたっている。
「うちのお母さんですね。蜜柑なんか持ってきてますが、神原来世はお客様でしょうか」
「お蜜柑デート? うにゅう、裏切り者」
「我の与え得る映像はここまで」
二枚とはいえ、嘘ではないのだろう。
「もしかして、結婚するの? 高塔さんと神原来世?」
「いや、そんな記憶はないよ」
火星へ行くためには、イグザスに納得する答えを導き出さないと。




