なろう小説と一般小説の最大の違い。
とうとう筆者は気付いてしまった。
なろう小説と一般小説との最大の違いに……。
ただ、ここでいう「なろう小説」とは、ファンタジーや悪役令嬢、ミステリーなどの人気ジャンルに、とりあえず限定しておく(必要ないかもしれないが)。
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なろう小説と一般小説との最大の違い。
それは作者から読者に向けられた「メッセージ性」「哲学」の有無である。
まずは、なろうでこれまでにヒットした作品群の「内容」を思い出してもらいたい。
「面白い作品」は数多く存在するが、「作者オリジナルの視点」からくる「哲学」を持った作品を思い出すことが出来るだろうか?
筆者も自分が好きな作品をザックリと眺め返してみた。
変わった設定と分かりやすい展開、テンプレに沿った読み飛ばしてもいい会話。
読者に何を伝えたいのかは、巧く説明されていても「何を訴えたいのか」は、そもそも訴え自体が見当たらない。
訴えがないというのは「読者に問いたいこと」が何ひとつない証拠でもあり、「問いのない作品」には作者なりの哲学も、もちろん存在しない。
「テンプレを使っている時点で哲学がない」などと言ってしまえば、身も蓋もないが、テンプレを使いながらも、読者を巧妙に誘導していく作品というものにも、今のところ筆者は出会えていない。
少なくとも読者に対し「問い」を持つ、「考えさせる」作品は「なろう読者にはまったくウケない」と多くの作者が高を括ってしまっているのも原因だろうか。
それこそ「そんなものは、なろうでは誰も求めていない」というのが正解なのだろうが、ヒット作の中にも、作者なりの哲学が巧妙に仕込まれているような作品が、ひとつやふたつくらいはあってもいいのにな、と筆者的には不満も出てくる。
もう一度、筆者が好きな作品群を眺め返す。
うん、好きだけど、問いも哲学も、なにひとつないな。
ストーリー上、雰囲気的にヒューマンドラマ風な場面 ―― 使い古されたお決まりのポージング ―― はあっても、読んでいてハッとさせられるような視点、批評を含む作品との出会いは、今のところまだない。
うん、まあ、そういったものはここでは求められてはいないし、商業化もされないのだろうが、さすがにこのままでは、その「ファストフード的な消費」もそろそろ終わりのサイクルに入り、mixiみたいな末路を迎えるんじゃね、とも思えてくる。
ひとつ、自分なりに「違和感の正体」が言語化でき、ちょっと良かった日曜日の夕飯前。
とはいえ、筆者が訓練的に書いている作品にも「哲学があるのか」といえば、同様に見つけることが出来ないのかもしれないので、これはあくまでも「読者としての視点」での話。