魔法の絵本
あるところに、マー君という5歳の坊やがいました。マー君は絵本を読むのが大好きでした。そこで両親はマー君にスケッチブックを与えて言いました。
「マー君、これは魔法の絵本だ。マー君はこの絵本で思った通りのお話を作れるんだよ」
マー君はたいそう喜び、早速色鉛筆を走らせます。マー君はまずお姉ちゃんを描きました。マー君にはお姉ちゃんがいなかったので、ずっとほしいと思っていたのです。
マー君がお姉ちゃんを描きあげると、ポンっと音がしてお姉ちゃんがスケッチブックから飛び出してきました。
「わあ!」
マー君が驚きのあまりのけ反ると、お姉ちゃんは舌を出して笑いました。
「ごめんごめん、びっくりさせちゃったね」
「あなたはだあれ?」
マー君がおずおずと尋ねると、お姉ちゃんは太陽のような笑顔を浮かべて言いました。
「そういえばお互い名乗ってなかったね。といっても、私にはまだ名前がないんだけどね。そうだなぁ……、まずキミの名前を聞かせてくれないかな?」
「まさよし。みんなはマー君て呼んでる」
「マー君! マー君ね! 覚えた! じゃあさマー君、私に名前をつけてくれないかな?」
「え、ボクでいいの?」
戸惑うマー君にお姉ちゃんは胸を張って答えます。
「もちろんよ! だってこのお話は、マー君が作るお話なんだから!」
お姉ちゃんに背中を押され、マー君は一生懸命頭を捻ります。やがて一つの単語が頭に浮かびました。
「うーん、しおり! ……どうかな?」
「しおり! うん! 素敵な名前をつけてくれてありがとう!」
しおりはマー君の手を取り、ぱっと笑顔を咲かせました。その笑顔があまりに素敵だったので、マー君はどぎまぎしてしまいました。
「マー君は私と、どんなお話を作りたいかな?」
しおりは瞳を輝かせてマー君に問いかけます。マー君の中で答えは決まっていました。
「冒険! しおりお姉ちゃんと、冒険に行きたい!」
「冒険ね! さあ行こう!」
しおりはマー君の手を取るとスケッチブックの中に飛び込みました。マー君は思わず目をつぶります。
次に目を開けたとき、そこは一面真っ白な世界でした。かといって、雪が積もっている様子もありません。
「ここは?」
「ようこそ、魔法の絵本の世界へ! 私たちの冒険は、ここから始まるよ! ここではすべてが思いのまま! ねぇ、どんな冒険をしたい?」
「うーん、宝島で宝探し!」
「いいね!」
しおりは青の色鉛筆を取り出し、杖のように振りました。すると一瞬で空と海が出来上がりました。マー君はその様子にただただ驚くばかりでした。
「宝探しといえばやっぱり、海賊船だよね」
「海賊船!?」
マー君は目を輝かせます。しおりはこんどは茶の色鉛筆を取り出し、振りました。すると一瞬で海賊船が出来上がりました。
それからしおりは陸地を作り、草木を作り、島を作り上げていきました。マー君の期待は高まります。最後にしおりは海賊船にタラップをかけ、マー君に手を差し出しました。
「準備はできたよ。さあ行こう!」
「うん!」
マー君はしおりの手を取り、二人は海賊船に乗り込みました。しおりは帆を満帆に張って声を上げました。
「錨を上げろー! 宝島に向けて、しゅっぱーつ!」
「しゅっぱーつ!」
マー君も小さな拳を高く挙げて答えます。二人の船はゆっくりと宝島へ向けて進み始めました。
* * *
しおりは宝島の浜辺に海賊船を泊めました。そして満面の笑みでマー君に言いました。
「さあ、いよいよだね!」
「うん! 楽しみ!」
マー君はもう待ちきれません。二人は手をつないで海賊船を降りました。
浜辺に降り立ったところでマー君はしおりに問いかけました。
「どこに行けばいいんだろう? 地図とかないの?」
「あー地図ね! すっかり忘れてたよ」
しおりは舌を出して頭を掻きました。そしてクリーム色の色鉛筆を一振りしました。すると宝のありかを示した地図が現れました。マー君は笑みを浮かべて手を叩きます。
「さあおいで! 一緒に地図を見ようよ!」
しおりに誘われマー君は地図を覗き込みます。どうやら宝箱にたどり着くためには、うっそうとした森林を抜け、洞窟を抜け、深い谷に架かる吊り橋を渡らなければいけないようです。
「行けるかな……」
「大丈夫! 私がついてるんだから!」
不安がるマー君に対してしおりは胸を張ります。その様子を見てマー君は、しおりが本当のお姉ちゃんのように頼もしく思えました。
そうして二人は森林の中へ足を踏み入れました。森林の中は草木が生い茂り、足の踏み場もありません。それでも二人は一歩ずつ歩みを進めました。
二人が森林の中を歩いていると突然ガサガサと音がしました。マー君は思わずしおりに抱き着きました。藪から出てきたのは金色に輝くヘビでした。
「マー君、大丈夫。ヘビだよ」
「ヘビ?」
マー君はしおりから離れ、おそるおそるヘビの頭に手を伸ばしました。ヘビは大人しく頭を撫でられていました。
マー君がヘビの頭から手を離すと、ヘビは一度マー君たちを見上げた後、鎌首をどこか遠くへ向けて、そちらに這いはじめました。
「ついておいでって言ってるのかな?」
「行ってみよう!」
二人はヘビの後を追うことにしました。草をかき分けて進むと、やがてけもの道へと出ました。ヘビは鎌首で道の奥を指し示し、藪の中へと入っていきました。二人はそれを手を振って見送りました。
「へびさんありがとー!」
「じゃあ行こうか。せっかく道を教えてもらったんだしね」
「うん!」
二人はけもの道を教えてもらった方へ歩いていきました。やがて森林を抜け洞窟の入り口が見えてきました。地図によると宝箱は洞窟の先です。
マー君は洞窟の中を覗き込みました。一寸先は闇です。
「何も見えないね」
「ちょっと待っててね」
しおりは橙の色鉛筆を振りました。たちまち松明が現れました。しおりはマー君と目を合わせ、手を取って言い聞かせました。
「いい? 絶対に手を放しちゃだめだからね?」
「うん……」
マー君はしおりの手をしっかり握りました。二人は洞窟の中へと歩みを進めました。
洞窟の中は水が滴り落ち、その音が木霊していました。ところどころに水たまりもできていました。マー君はしおりにぴったりとくっついていました。
やがて二人は分かれ道にたどり着きました。
「どっちに行ったらいいんだろう」
「そうだね……」
二人が途方に暮れていると、洞窟の奥から一匹のコウモリが飛んできました。マー君が手を差し出すと、コウモリはその手に留まりました。マー君はコウモリを撫でてやります。するとコウモリは二人の上を一周し、分かれ道の一方へと飛んでいきました。
「案内してくれるみたい!」
「追いかけよう!」
二人はコウモリを追いかけて右へ左へ真中へと洞窟を進みました。やがて目の前に光が見えました。コウモリは再び二人の上を一周すると、洞窟の奥へと戻っていきました。
「あの光の方へ進めばいいってことかな」
「コウモリさんありがとー!」
二人は洞窟の奥に手を振り、光の方へと歩きだしました。はたして二人は無事に洞窟から出ることができました。
洞窟から出たところはがけ道でした。しおりは地図とにらめっこをして言いました。
「地図によると、こっちだね」
しおりは上り坂を指さします。二人は手をつないで坂を上り始めました。
しかし、しばらく行くととんでもない光景が目に入りました。
「うそ……。どうしよう……」
しおりは声を漏らします。なんと何者かによって橋が落とされていたのです。
二人が呆然としていると、遠くからウミネコの声が聞こえてきました。その方向に目をやると、十何羽ものウミネコがこちらに飛んできていました。
一羽のウミネコがマー君の肩に留まりました。マー君がそのウミネコを撫でてやると、そのウミネコは一つ声を上げます。するとウミネコたちは羽を広げ、谷に橋を渡しました。
「行こう!」
「うん!」
二人はウミネコの橋を渡りました。二人が渡り終えると、ウミネコはどこかに飛び去って行きました。
「ウミネコさん、ありがとー!」
「さあ行こう! もうすぐ到着だよ!」
そこからは森林を貫く一本道が伸びていました。いよいよ宝物を手にすることができるという期待で、マー君の気持ちは昂ります。
森林の開けたところに宝箱はありました。マー君はそれを目にした瞬間駆け寄らずにはいられませんでした。それを見て笑みをこぼしながら、しおりも歩み寄ります。しおりは金の色鉛筆を取り出して言いました。
「マー君、これが宝箱の鍵だよ」
「嬢ちゃん、その鍵をよこしな」
突然ドスの効いた声が横から響きました。はっと声のした方を向くと、一人の海賊が手のひらをこちらに差し出していました。
いや、一人だけではありません。周りを見渡すと十数人はいるでしょうか。マー君としおりは刀を構えた海賊に囲まれていたのです。しおりはキッと歯を食いしばり、銀の色鉛筆を構えました。
「俺たちと戦う気か? やめた方がいい。 多勢に無勢。お前らも分かってるだろ」
それでもしおりは銀の色鉛筆を刀に変えました。
「物分かりの悪いやつだ。ものども、やっちまえ!」
海賊たちが一斉にしおりに襲い掛かろうとします。マー君は咄嗟に口笛を吹きました。すると森林からは草葉の擦れる音、空からは何かが羽ばたく音が響いてきました。
「な、なんだ?」
海賊たちは動きを止めます。やがて現れたのはヘビ、コウモリ、ウミネコたちでした。
ヘビたちは海賊たちを絞めあげ、コウモリたちは海賊たちに噛みつき、ウミネコたちは海賊たちにフンを落としました。
「参った! 参った! 助けてくれ〜!」
海賊たちは一目散に逃げて行きました。マー君はへなへなと座り込んでしまいました。しおりはそれに気づいて駆け寄ります。
「マー君!」
「しおりお姉ちゃ〜ん、怖かったよぉ〜」
「よ〜しよし。もう大丈夫だよ。さっきは助けてくれてありがとうね」
しおりはマー君を抱き寄せ、優しく背中をさすりました。それはマー君が憧れた姉という存在のぬくもりでした。
マー君は落ち着きを取り戻し、そっとしおりから離れました。しおりは金の色鉛筆をマー君に差し出して言いました。
「はい! これが宝箱の鍵だよ! 開けてごらん!」
マー君はしおりから金色の色鉛筆を受け取り、宝箱の鍵穴に差し込みました。
箱を開くと、中にあったのは……
「これ、スケッチブック?」
「ただのスケッチブックじゃないよ」
疑問を浮かべるマー君にしおりは優しく答えます。マー君はスケッチブックを開いてみました。
「僕たちの冒険のお話だ! でもどうして?」
「思い出が一番の宝物、ということだよ」
しおりはウインクして答えました。マー君はスケッチブックをしかと抱えました。そんなマー君にしおりは優しく言いました。
「私たちの冒険も終わったことだし、ここでお別れだね」
「え、やだ! ずっと一緒がいい!」
マー君はしおりに抱きつきます。しおりはマー君を優しく抱きしめ返し、頭を撫でながら言いました。
「大丈夫、いなくなったりしないよ。マー君が魔法の絵本を開けば、ちゃんとそこにいるから」
「本当?」
「本当」
マー君はそっとしおりから離れました。しおりは白の色鉛筆をマー君に向けて言いました。
「それじゃ、マー君を元いた世界に戻すよ」
「うん」
マー君は涙を堪えて手を振りました。しおりは手を振り、色鉛筆を振りました。色鉛筆からまばゆい光が放たれ、マー君は思わず目を瞑りました。
* * *
気がつくとマー君は色鉛筆を握りしめ、カーペットの上で寝ていました。マー君は起き上がりスケッチブックを拾い上げ、開いてみました。そこには確かに、マー君としおりとの冒険のお話が書かれていました。
マー君は魔法の絵本を手に居間へと駆け下りました。
「お父さん! お母さん! お話できたよ!」