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別所

父親の部屋は特別な理由がない限り入るなと言い聞かされていた。時々疑問には思っていたが、子どもの疑問はすぐ過ぎ去って行くし重要なこととも思っていないので今に至っている。しかし、あんな出来事があったり自分の父親が関わっていることを知った今ではなんとなく意味がわかる。やはり、崇高な志を信じているとは言っても何処か後ろめたいものがあった為ではないだろうかとシンは考えるようになった。母親も当たり前のように、父親が部屋にこもっているときはドアをノックする事さえしない。当然AIも無言だ。だが今日、今父親と話がしたい。シンは思いの向くままに扉をノックしたが何の反応もなく外から家の中にまで聞こえてくる都市内環境維持システムの低く太い音がヴウーンと小さく響いているだけだ。


「お父さん、ごめん、入るよ」


何故か躊躇いもなくドアに手を触れられた。トースケに打ち明けたことがシンの決心の後押しになっているようだ。もしかすると初めからかもしれないがドアは鍵もかかっていなくスッと開いた。まるで予見していたかのように父親は地球の草原が映し出される窓に向かったデスクの椅子にこちらを向きながら座っていた。




どれくらい振りだろうか。シンが物心ついたときから父親は人間統一連合の構成員だった。つい数ヶ月前の地球にいた頃は月に一度くらいは集会やデモに加わるため家を離れた。しかし、この手の集団に属していれば家族や親族までを勧誘するのが通常かと思われるが、父親はシンや母親にそのようなことは一切強要しなかった。父親なりのポリシーがあるのか、家族を巻き込みたくないと思っているのか、父親は多くを語らないため真意はわからないままになっている。


「シン、こっちに座ってくれないか?」


父親は顎で目線の先にある小さな背もたれのない椅子を指し座ることを促した。聞こえるか聞こえないかの返事をしてシンは椅子に座り父親を見上げた。これほどまっすぐ目を合わせたことが無かったが普段のイメージにある父親とは少々違った印象で、今までしっかりと父親の顔を見ていなかったことに気付いた。つい半年前にテレパシーを手に入れるまではシンも父親譲りで口数は少ないほうだ。父親はまだその力を手に入れていないのだろうか。


「シンは手に入れたのか?どうやら若い人たちは手に入れているようだね。時間が延びると言い始めてから世界がどんどん不安定になっている。大人たちは心の底を掻き立てられる人が多くなったようだ。ついこないだも会社の同僚が人殺しを働いたようだ。―まただよ」


とても疲れた様子で話す父親に、シンは自分の想いをぶつけるため口を開こうと思ったが、中々声が口の中に上がってこない。


「お前も疑問に思っているんだろう。私が連合であること、この前の事件の関与をだ」


「あ、お父さんも頭の中の会話出来るの?」


シンが言い出す前に本題を出されたため、中々口の中に上がってこない言葉を出し抜いて別の言葉が上がってきた。


「いや、別に。頭の中で繋がらなくても何となく分かるんだよ。君の父親であり家族なんだから。―シンにはまだちょっと早いかな」


自分の言葉が照れくさかったのか。話したあと少しだけはにかみ、テレパシーも使えないのに父親はシンの心の中を見透かしているようであった。シンにはその言葉の意味が理解できなく少しの時間が流れた。




「―今はもう間違いだなと思えてきた。連合は行き過ぎている。インフラのセキュリティにまで手を出してきた。これじゃかつての自然保護団体と同じだ」


「―僕もお父さんが最近悩んでいるのを見て心配だったよ。やっぱり今のそこは変なんだよね?」


シンは父親が人間統一連合であることで、友達の中には父親を悪く言う者も居た。月に来てからはそのようなことはなくなったが、シンの周りも地球の時のように家族に白い目を向けるものがでてくるのは時間の問題だろう。


「シンと母さんには辛い思いをさせたかもしれないね。今はこの団体に志は見られない。セキュリティセンターの件だって脆弱性を政府に進言するためなはずなのに、何だかわからない理屈が表立っている」


世間的にもテクノロジーを批判する集団と曲解されている部分が有るが、テクノロジーを批判するのではなく、テクノロジーの裏側にある危険性を世の中に提言し広めていくと言うのが本来の姿だった。シンは父親の人間統一連合の本質を貫き自分のあるべき姿を信じて行動している姿を誇りに感じ友達の心無い言葉にも耐えられた。父親は半身だった体を正面にして椅子に座っているシンと向き合い、椅子から降り立ち膝になった。するとシンの両手を掴み胸の前に持ってくると


「シンが部屋に入ってきたことで離れる決心がついたよ。後押ししてくれてありがとう」


と連合を脱退することを心に誓ったようだ。シンは父親の部屋に入ってから脱退を促すようなことは一切話していない。父親は一人で導き出した答えだろうが、テレパシーが使えないはずの父親は何故シンの心の中がわかったのだろうか。『シンにはまだ早い』という言葉の通りに時間が経てばシンにも理解ができるのだろうか。疑問が払拭されず両手を握られ恥ずかしくもあるが、何故か父親の言葉に大きな安心と、テレパシーが使えないはずなのに口でも頭でもなく心が繋がっている表現しがたい感覚になった。




『対話』のために人類を調整している…。


「たしかに鍵は持っているけど本当に信じられる?あなたも同じことを思っているのかしら」


(今は何処にいるんだっけ。月に来てからシャトルに呼ばれて…工藤さんたち何処行った?マスターって別所じゃないよな)


「なぁエイチ、君ももう少しで殺意が湧き上がってくるんじゃないか。彼らの望み通りに適合した一部になるんだよ」


頭の中がザワザワとした雑踏の中のようだったが、その中でも際立ってアンリとジョンソンの声が響いてきた。今は寝ているんだろうか。聞こえてくる会話に理解が少しずつ追い付いてきて自分の状態が分かるようになってきた。


「ルナエンジは今回の件にどのように関わっていた?僕の見立て通り…」


「鍵を使って扉を開けたら世の中は良くなるの?トースケやあなたにとって良い未来がやってきているの?」


「―ルナエンジは宇宙局とゲートを作っているよ…別所はデザインされていて…マスター…」


「今地球は『対話』のために人類を調整しています」


他の言葉を掻き消すように、その言葉は大きな残響音と共に目の前にやって来てエイチは眠りから開放された。周りを見渡すと応急処置セットなどが置いてあり医務室のようであった。反対側に顔を向けると診断アンドロイドが何も言わず佇んでいたため夢から覚めたときと同様にハッとさせられてしまった。




「やっぱり変なの入ってたんだな。もう頭の中弄ったのか?」


「すみません。経緯を共有します。―疲労で意識を失われたようです。グリーンティーに何も入っていません」


診断アンドロイドは情報を共有しソファから立ち上がろうとしたときに倒れたこと、かなり栄養状態が良くないので点滴を行ったことを説明した。たしかに地球を出発してから息をつくまもなく月の裏側までやってきたため、かなり疲弊していたようで今ではすこぶる体調がいい。体を起こし血色の良くなった両手のひらをぼんやり眺めながらアンリに鍵を渡したのか聴いてみた。言葉が頭の中に響くことはなかったが渡していないと意志だけがイメージとして現れた。気配を感じ後ろを振り向くとマスターと恐らく工藤がベッドの横のミーティングデスクのようなものに腰掛けていた。エイチは2度目の驚きとともに


「驚かせないでください!いつから居たのですか?」


「ずっと此処にいましたよ。袴田さんとアンドロイドの会話も聞いていました」


マスターはそう話すと工藤とともに立ち上がった。


「具合は回復しましたか?もしよければマザーまでご案内します」


工藤の声は何処かマスターに似ていて一瞬どちらが話したのか分からなかった。するとマスターは


「時田とリュウそして工藤は、言わば兄弟です。あと5年くらいの人生ですが」


どれほどの犠牲の上にマスターは立っているのだろう。工藤はこのことについて何も思うところは無いのであろうか。人の思うがままに操作され産まれた自分がいて、しかも隣に立っているマスターの副産物であること、自分の寿命が短いこと、自分はまだいい方で人々に認識もされずに終りを迎えた命たちがいること、それと別所の存在は知っているのだろうか。彼はどんな環境で、どんな教育を受けたのであろうか。エイチは返事もしないで考え込んでいると工藤は勝手にセリフでもあるかのようなタイミングと口ぶりで


「お連れしますので上着を着て頂けますか?マザーが居るところは寒いので、着ていないとまた此処に戻ってきてしまいます」


そう言って、自分の着ているジャケットと色違いであるようなものを差し出した。良く見れば工藤もマスターも同じ上着を着ている。ただマスターの方は自分は偉いのだぞと示したいのか左胸に何の図柄か見て取れないがバッジを付けている。




医務室のドアを開けると、先程のオフィスになり向いにはマスターの居る部屋になっている。オフィスを抜け先程乗った、むき出しのエレベーターで上昇した。振り出しに戻るかのように入口付近へ戻り、もう一方の通路に案内された。程なくするとまたエレベーターが現れたが、今度はむき出しではなく動物の檻の様な柵に囲われたものになっている。3人で檻の中に入り工藤は行き先も告げずエレベーターに指示した。このステーションのエレベーターは2つしかないらしく、オフィスとマザーとやらの居るところにしか行き先がないようだ。地下何階になるかわからないが、時折姿をくねらせる配管と共に降りていった。エレベーターが到着し入口であろうところは、口をぽっかり開け極太のヌードルを4、5本食べている様なドアも何も無い空洞で機械むき出しの色気も何も無い建設現場にしか見えない。檻にもドアはないため着くなり真っ直ぐに口の中に入ると、急に肌寒くなった。確かにこのジャケットを着ていないと数分で体が凍えてしまい医務室のお世話になりそうだ。配管とともに数十メートル進むと天井が開けた場所にでた。壁と天井は白く光沢のあるもので、見上げると小型シャトル1機分はありそうな大きな黒いミラーボールのようなものがぶら下がっている。今まで旅をともにしてきた配管たちはそのミラーボールへと伸びていた。そのミラーボールは動きこそはしないが時折チカチカとランプのような光が何の規則性もないように各部で点滅している。


「こちらがマザーです。新しい次元との融合を目的として、未来予測、情報整理、そしてアメリカ政府を動かしています。マザーを補完するため私が作られています」


そう言うとマスターはマザーに手をかざした。


「こんにちは袴田さん。どうか鍵を受け取ってくださいね。もう少しで新しい次元がやってきます。収監施設の開放は少し想定外でしたが人間の調整も順調です。政府も後押しに取締を強化しています」


マスターを介して話してきたようだ。頭の中に響く声は女性と男性が当時に話しているような声だった。


「どうやら時間の伸びがまた加速したようです。彼らはもうすぐです」


工藤は少し嬉しそうに話した。新しい次元とやらの住人は良い奴なのだろうか。エイチには殺意が引き出されること、時間の延びとともに社会が不安定になっていることから、とても良い世界ができるとは思っていなかった。


「世界が一つに繋がり、人々は有機や無機を問わず通信できるようになります。新しい人間へと進化をするのです」


マスターもまた少し嬉しそうな顔をしてみせた。


「今より良い未来がやって来るのでしょうか。鍵を渡さなくても、どのみち解析が終わりゲートは開いてしまうんですよね?これからも殺人が横行する社会のままですか?」


「今の状態は、言わば過渡期です。次元の融合が行われる頃には無くなるでしょう。人々が繋がりお互いを知り、痛み苦しみまでも共有出来る社会がやってきます。すれ違いや差別がなくなる世界がやってきます。鍵が無ければ先延ばしになりますが、この状態を伸ばしたところで良いことは無いはずです」


マザーは各部の点滅が若干早くなったように見えた。新たな次元がやって来て人間が融合するのは、もはや避けられない自然の流れなのかもしれない。エネルギー問題が無くなり紛争はなくなった。しかし差別やすれ違いによるテロ行為は絶えない。人々がわかり合える世界が出来るのなら、うわべだけでなく人間の本質から支えられる社会が出来上がるのではないかとエイチは感じ始めていた。




中央警察はテロ行為の根絶のため人間統一連合の一斉取締を始めた。本音は制御できなくなった地球の治安をねじ伏せたい思いでいっぱいだった。治安対策部を総動員しサイボーグ部隊もどんどん増設している。月へも大規模な部隊を送り込んでいた。アニクと別所は月のステーションに着き、別所の記憶のままに、まずはクレーターシティーへと足を伸ばしルナエンジのコントロールセンターを目指した。


「思いのままに来たけど、此処から先のあてはあるのか?付いてきた俺も俺だけど…」


バスへと乗車した後にアニクは訪ねた。


「月へ来る途中でどんどん記憶が鮮明になったんだ。僕には使命がある。ルナエンジのデータベースをちょっと書き換えて、ハカマのサポートということにしておいた。頭の中で全て出来てしまったよ」


別所の言葉に驚きと信じがたい思いであったが、アニクはここまでの道中も迷いなく進んできて、別所の皮を被った違う人物と行動をともにしている感覚でいた。バスはクレーターシティーの接続口に接続され、2人が重力により体が重くなったとき、3番の接続口から黒塗りの集団がぞろぞろとやってきた。近くなるうちに体の一部、またはそのほとんどが金属のような光沢を帯びた人物たちでありサイボーグ部隊である事が分かった。


「月でも人間統一連合の掃討作戦か。殺人が止まらないからテロ対策を持ち出して、またそれに抗議が殺到…、スパイラルに陥ったな」


アニクがボソッと声を漏らした。サイボーグ部隊は2人とは違うエレベーターに乗って去っていった。サイボーグ部隊を見送りながら別所は


「この状況を変えなきゃいけない使命があるような気がする。俺が地球に送られたことにも意味があるはずだ」


別所はそう言うと、また迷うことなく足早に歩を進めた。2人は月へ来たからにはエイチやトースケの様子も伺いたいためコントロールセンターでエイチの居場所を聞き出したが、エイチはトラブル対応をしている様だったのでまずはトースケに会いに行った。トースケが居るかどうかも分からなかったが、教えてもらった家へと向いベルを鳴らした。聞き慣れた声の袴田家のAIが快く玄関を開け、2人の目線の先には何やら古い機械をいじっているトースケが片手を上げ会釈をした。




―「地球よりも高価な水ですので、きっと美味しいですよ」


そう言ってAIが準備した水のグラスを両手に持ちテーブルに置いた後、トースケはゆっくり椅子に座りながら話した。


「月に来てからすぐ呼ばれたみたいで、1日たちましたよ」


2人はエイチがトラブル対応に出掛けっぱなしなことより、トースケが大人びていて何処かよそよそしい素振りで話していることに成長が見て取れ関心していた。ケンタのことはアニクも別所も承知していた。トースケが意気消沈しているかと思ったが元気なようで安心した。ケンタのことについて話していると


「自由にとは言わないけどケンタ兄ちゃんと通じることができるんだ。母さんとも。いつも自由な時間できるわけじゃないけど、たぶん父さんも出来る。話すことないけど」


「そうか、ハカマもねぇ。別所も出来んだろ?」


「そうだね。人とは無いけど、ルナエンジのデータベースを操作出来た」


「―それはまた、ちがう能力なのではないでしょうか」


すかさずAIがツッコミを入れた。




「鍵はあなた達に渡します。―でも、あなた達が声高に言っていることに共感したと言うより、現状の混乱を終わらせたいからです」


マザーたちの言っていることは理想だが、エイチも同じようにそういう方向に人類は進まなければならないとも考えている。それより、時間の延びとともに不安定化する社会の中で政府も真実を市民には伝えていないく『人類の調整』とかフザけた事を言っている。少なくとも理想に近づいていくのなら、鍵を渡して今の状態を早く止めたい。エイチはそんな思いから鍵を渡すことを決めた。と言っても鍵はアンリが待っているが。


「ありがとう袴田さん。準備ができたら教えてください」


マザーが言い終えるとマスターはかざしていた手をおろした。エイチは家に帰るため時田とともに、やってきたシャトルでクレーターシティーへと向かい帰りの道中に時田へ疑問をぶつけた。


「マスターを作り出すために時田さん達が生まれてますけど、置かれた状況に不満はないのですか?」


少々不躾かと、言ってしまった後に思ったが時田は表情を一つも変えずに


「これが普通として生活していますので、不満とは思いません。我々が作られた大義の前では個人の感情など取るに足らないと思います」


まるでアンドロイドだ。別所と『故郷』は同じはずなのに教育や環境が人の形成を大きく変える。マスターは彼とは違う教育や環境を与えられたように見えるが、別所のように外へ出してもらえなかったのか。微動だにせず計器を見ている時田を横目に窓の外を見ると、暗闇の中に光の塊とともにクレータシティーが現れた。




「これ、エリア外になるとアラート出るんじゃないか?」


「アラートが出たらイオンエンジン止まったちゃうんじゃない?」


「カットできそうな機体を選んでみたけど、本当にできたな。このAIとは相性が良いみたいだ」


別所は言うとレンタルバギーの速度を上げた。ナビは地図のない場所を指している。バギーは4人乗りの小さなものでクレーターシティー周辺を散策するために使用されている。タイヤで駆動しているため速度は遅めで乗り心地は悪い。そのため行けるところは限られており、クレーターシティーの周囲20キロ以上は行けない事になっている。それ以上エリアを逸脱するとドローンが起動し確保されてしまうらしい。らしいというのは誰もみたことがないからだ。別所はそのシステムすらも制御してしまったらしくドローンは起動していないようで、何処かわからない目的地に向かって砂をかき上げるタイヤの走行音とイオンエンジンの低く唸る小さな音だけが、3人の周囲を囲っていた。トースケも本当か嘘か課題の提出の合間の息抜きとして同乗している。


「なぁ、別所。お前どうしちゃったんだ?AIシステムを制御できるなんてまるで…言っていたことは確実なんだな」


アニクは変貌してしまった別所に幾ばくかの恐怖を感じ、友人としての別所までは変化しないでくれと願うと同時に、トースケと別所が新たな能力を得ているのに自分だけ取り残されている感覚に陥っていた。


「トースケ。AIに聞いたぞ彼奴等が来ていることも。課題もそれほど進んでないんじゃないか?」


(あのAIめ…べらべらと)


なにかぶつぶつと下を向いているトースケにアニクが不思議そうな顔でいると、エイチが説教とともに絡んできたと面倒くさそうに報告した。その光景を尻目に別所は自分の頭の中の地図を頼りにバギーを走らせていると、後方からバギーのものではないイオンエンジンの低い唸り声がかすかに聞こえてきた。




父親と母親そしてシンが揃っての食事もまた、どれくらい振りだろうか。AIもこの状況を嬉しく思い、普段作っている料理より3段階レベルアップしたものを作ると意気込んだ。初めからレベルアップしてよと母親は嘆き、シンと父親は嬉しそうに笑った。父親は来週地球へ行き人間統一連合本部で脱退の意思を示そうとしていた。


「シン君!サイボーグ部隊が一斉取締だって!うちの近所もグチャグチャになってる!」


シンの学校の友達の一人が頭に訴えてきた。程なくしてシンの家の周辺にも部隊が来たようで、複数のイオンエンジンの音が都市内環境維持システムの音を飛び越えて聞こえてきた。治安を維持する部隊のはずなのにグチャグチャになっているという事とはどういうことか。月ではデモも起こっていない。何事か理由も分からずに食事を中断し、リビングの奥のソファーへと3人は腰を下ろした。


「ネットワークの情報では、表向きは人間統一連合の取締ですが地球の混乱を制御できていない苛立ちをぶつけているという見方もあるようです」


AIは淡々と『機械らしく』語った。確かに過激派の存在こそあるが、組織全体が犯罪を犯しているわけではなく、シンの父親も恐らく人間統一連合の過激派に騙された形になっている。捕まったところで説明すれば直ぐに解放されるだろうから安心しなさいと父親は話した。外からドローンのサーチライトが差し込み、光の筋はシンの家に真っ直ぐ入り込んだところで止まった。ドーンと言う音が響いてきたが、どうやら近くの家で鳴ったらしい。手当たり次第ガサ入れしてあらを探しているのだろうか。玄関ドアがシュッと開いた。中央警察のバッジのホログラムを前面に出しながら2人の警官が入ってきた。一人は人間の出立だが、もう一人は明らかに上半身をサイボーグ化している。


「人間統一連合の過激派としてセキュリティゲート事件におけるスパイ行為で逮捕します」


人間のほうが淡々と語った。父親はセキュリティ情報を盗み出したことは認めるが、過激派に騙されたこと、それを裏付ける記録が全てあることを説明した。


「S級行為となりますので地球へ送還いたします」


続けて話された言葉は父親の言葉など全く聞かずに台詞のように発せられていた。小さな抵抗にも全く微動だにせずサイボーグのほうが拘束ベストで父親を拘束しまるで子犬を掴み上げるように父親を外へ連れ出した。先程の説明を何度も繰り返し訴えたが、耳が無いかのように反応しない。シンも必死で訴えたが反応せず、母親も泣いているばかりだ。右の足には知らぬ間に父親と同じように電磁式の拘束バンドが付けられていた。


「3分もすれば拘束は外れますので我慢してください」


人間のほうもそう言って外へ出た。外の様子を伺っていると他の人も連行されているらしい。『逃げるな』と声が聞こえた後、外は一瞬騒然とした。少しして拘束が外れシンは外へ飛び出したが、ドローンが飛び立った後で外はひたすら都市内環境維持システムの低い唸り声だけがこだましていた。その後何度も中央警察への問い合わせを試みたが重要案件のため答えられないと跳ね返された。後に飲酒場所の逸脱や交通違反でも同じ扱いを受けてることがわかりAIの言った通り治安の悪化を制御できない苛立ちからの取締だった。




「お兄ちゃん、酷いよ…サイボーグがお父さんを連れて行っちゃった」


シンは動揺を隠せないようで、自身も一瞬拘束され、今まさに父親はドローンで連れ去られた後のようだった。話を詳しく聞くと中央警察の過激な取り締まりがあったようで、月全体にも広がりトースケたちにも中央警察の手が伸びてくることは容易に想像できた。後ろからは低い唸り声が響いてくる。ドローンではないようだが、この遅いバギーは直ぐに捕捉されるだろうとトースケは思い、アニクと別所にシンに起きた出来事を話し別所は半ば諦めバギーの速度を緩めた。上から怒鳴るようにスピーカーで


「トースケ!アニクと別所も!」


そのシャトルは中央警察ではなく、時田とエイチの乗っているものだった。携帯端末でAIの話を聞いてすぐ、クレーターシティーの接続口には乗り入れずにUターンをしていた。―3人は減圧室を出てスーツを脱ぐと目の前にはエイチが立っていた。


「2人とも、どうしちゃったんだよ。何処に向かおうとしてたんだ?」


エイチは驚きよりも心配な様子で聞き、コックピットへと案内した。コックピットの手前で立ち止まり、アニクと別所はここまで来た経緯を、エイチと詳しく話していなかったトースケへ説明した。プロジェクトメビウスで誕生したこと、何かの使命を感じ月へ来たことを一通り話し終わりコックピット内に入ると時田が立ち上がり


「とうとう来ましたね。シグマ…」


誰のことか分からなかったが明らかに別所の顔を見て話しているようだった。


「こいつは別所で、私含めてエイ…袴田の同僚です」


アニクはとっさに訂正しょうとしたが


「今の一言で支えが取れたようで全て思い出しました。タウのもとへ行かなければなりませんね」


「何いってんだよ。別所…?」


アニクは心配そうな口調ではなし、エイチも同様だった。


「アニク、ハカマ、トースケ。俺は向かわなくちゃ行けないんだ。BP12…時田といるということは、ハカマはマスターのところへ行くんだね」


別所は今までとは違う彼になっていた。貫禄の薄れた身体と、方向音痴が一切出ない記憶の正確さ。そして何よりAIや他のインフラシステムに繋がる頭を持っている。


「なぁ別所。タウってマスターのことなんだな。お前は何をしなくちゃいけないんだ?」


エイチは、語りかけながらアニクの方を見ると、彼は話の筋が見えているかのようにゆっくりと頷いていた。


「僕達は双子でシグマとタウ、表裏一体なんだ。マザーと繋がり世界を導くために創られたが、研究が進むにつれて人間が制御できない領域の力に恐れが出始め、人権みたいな話も持ち上がったもんだから、フルスペックの力が出ないように引き離されたんだよ」


「え、じゃあな…」


エイチは疑問を投げかけようとしたが


「なんで今戻っていくの?そのまんまで良かったんじゃない?」


しっかりした口調でエイチの言葉をかき消しトースケは疑問を投げかけた。


「―その時の研究者の一人が、未知の次元がやって来た時に覚醒するプログラムを仕込んでいたんだ。対話のために。太陽系外にある昔の探査機が次元に裂け目があるのを見つけていたらしい」


「…今の自分は、…怖いか?」


友人の変わっていく姿を隣で見ていたアニクは問いかけた。


「怖いと言ったら嘘になるね。いきなり自分が人類の最前面に躍り出たような感じだからね。だけど、それを超越して使命感が湧き上がっているんだ。僕には成し遂げなければならない仕事がある」


アニクはずっと動きっぱなしだったから少し休もうと促し4人は磁石に吸い付かれたかのように椅子に座った。時田は、もうそろそろマスターの元へ着くと告げると同時に別所の言っていた『使命感』というものを裏付けるように話をはじめた。AIの無機的なネットワークと人類の有機的なネットワークを融合させ、人類と人工物全てが繋がる世界の筆頭にマスターと別所がいること。心までも繋がることで、真の平和が訪れることを藤田の時と同じように少し嬉しそうな顔で話した。しばらくすると小高い丘が見え始め、5人はスーツを着て減圧室へ向かった―。


「凄い!残ってたんだ」


トースケが声を漏らすと同時に


「ゴシップってのは信じ抜くことなのかな?」


アニクは少し違う感動を覚えていた。砂埃を上げながら丘を下り、エイチと時田がエスコートする形で古びた宇宙ステーションへ向かった。




「ジャマー検知。推定座標位置にゲートウェイ宇宙ステーションを確認しました」


「政府の意向で身動きが取れなかったが、軍隊と一つになった中央警察は世界を正せる。フフッ、このままの速度を維持!全員ネットワークをローカルにセット。あくまでも人道的に動け!」


世界の混乱に乗じて中央警察が秩序の安定化を大義にした過剰な取り締まりを行っている。主な目的は、時間の延びによる人類の不安定化に乗じて、少ないながらも台頭してきた人間統一連合内の過激派や世界中に散らばっているゲリラ組織の撲滅だが、それだけではなく、飲酒場所の逸脱や窃盗等に加え目についた小さな犯罪までも強固な姿勢で取り締まっている。しかも政府の中でも『なにか』がやってくるに連れ軍備強硬派の勢力が強くなり、とうとう中央警察とアメリカ軍の連携が実現された。警察の体を取っているが中身は完全に軍隊になり、アメリカ軍事政権となってしまった。軍備強硬派の一派はアメリカ軍はじめ経済団体、今では日本自治区政府にまでおよび、予てからマザーによるコントロールを良く思っていない人間が大半を占めていた。中央警察は元々マザーの居所は掴んでいて、今の世界の状況になることを虎視眈々と狙っていた。うわべの平和が崩れ人間の本質が剥き出しになった世界と新しい次元は無事に融合できるのだろうか。

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