明かされた真
薄々は感じていたが合点が合うとはこう言うことかと納得させるくらいの出来事に、作業用ロボットの修理ではない嘘よりもエイチは感心が上回ってしまった。しかしなぜ自分なのだろうかと、シャトルに体を向けたままにしていると工藤がエイチの目の前にやってきて
「私達はあなたと同じルナエンジの人間ですがアメリカ宇宙局の依頼により仕事をしています」
「依頼されている事業はたくさんあるのではないですか?あなた達は違うと思いますけどこの開発だって―」
「依頼の中には公にされている物とそうでない物があります。私達は後者の方に属しています。あのロゴはゲート開発事業団の物です」
「えっ、あの昔からあるあれですか?」
ゲート開発事業団はエイチにも覚えがあり、むしろ覚えと言うより物心ついた頃には存在していた。何処かの金持ち達が投資した眉唾物の団体であり大筋は異次元との交流を目的とした技術の研究が目的だが、地球外や深海での新たな生命探索など、まことしやかに囁かれている事柄についてエンターテイメントの様相を色濃く出しながら探求している団体である。それが故にゲート開発事業団と言えば最初から『本気にはしない』風潮が出来上がっている。
「この団体を装っている方が都合がいいのです。今では水面下でルナエンジともつながっていますし。元々真面目な研究もしていたみたいです」
工藤は話を続け丘から下るよう手振りをした。時田とリュウはエイチを案内するように後ろを振り返りながら先に丘を下りはじめた。二人の後ろには大きな砂埃が立ち上がりサーチライトの光に照らされた砂粒は白く輝いていて、さながら吹雪の中を進んでいるような感覚になった。
隣の宿舎にはトースケよりも5つくらい年下の男の子がいる。課題提出の合間に息抜きでもと思いトースケはルナシティーを探索しようかと家を出た時に、外でホログラム忍者とチャンバラをしていた彼と目が会いお互いに軽く会釈をしたが彼は見るからに忙しそうなためその目はすぐに忍者へ向けられた。旧居住区とを結ぶゲートに向かい足を進め、しばらくすると先程のチャンバラ男子とおぼしき人物が話しかけてきた。
「僕はシンと言います。お兄ちゃんよろしくね」
「袴田トースケです。よろしく。子どもの中じゃ一番年上だと思うけど」
「この前まで13歳の人がいたけど今はみんな10歳くらい。お兄ちゃんも『頭の会話』できるんだね。この辺の子はみんな出来てるんだ。ゲームに忙しいからまたね」
シンはおしゃべりなのか一方的に話を終わらせトースケは会話をしながらゲートにたどり着いた。立ち止まり体のスキャンがされるとすぐにゲートは開いた。楽しくチャンバラをする姿を見たためかトースケの足は迷わずゲームセンターへと向かっていた。
入口も昔のままの作りのため丸いハンドルを手で回しロックを外すと、ガコーンという音がこだましドアが少しこちら側に開いた。墜落したステーションのためドアが歪んでいて工藤はリュウと力を合わせドアを開けた。暗い通路を進むと新たに作ったであろうゲートが現れた。ここからがルナエンジが建設しているのだろうかとエイチが思っていると
「もしもジャマーが機能しなくなってもバレないようにステーションの中に建設しています」
工藤はエイチの心の中を見透かしたようなタイミングで説明した。エイチはジョンソンが最後に残した言葉を思い出し工藤にぶつけてみた。
「数十年前に火星でワープの実験が行われていたようですが…、このステーションを包み隠していることと何か関係が…」
「スーツを着たままだと疲れてしまうので、まずは研究施設に入りましょう」
リュウがエイチの話に割り込み工藤も時田も頷いているように見えたため、エイチも話を切り上げ施設内に入ることにした。今度は近代的なゲートで工藤がそっと顔を近づけるとスーッと静かにゲートは横に開き、暗闇の中をサーチライトだけで歩いてきたためか異世界へ来たような一際明るい部屋に入った。どうやら減圧室のようで全員が入ったあとゲートが閉まり体が徐々に重くなった。目の前の扉がこちらも音もなく開き中に入ると両脇にスーツの収納棚がありスーツを脱いだ。ヘルメットを脱ぐと視界が広くなりこの施設の内部が細かく見えるようになった。
地球では人間のコントロールを借りながら季節を取り戻し気温の寒暖差があるが、それ以外のシャトルや宇宙ステーション、クレーターシティーもほとんどが『過ごしやすい気温』に調整されている。それに比べてここは肌寒い。見渡すと通路の先は広い空間が広がっていて壁から伸びている数々の配管が下へと向かっている。エイチたちの立っている場所を地上1階とするならば地下3階辺りの壁際にオフィスのようなものが見て取れた。時田とリュウはスーツを脱ぐまでは一緒にいたのを確認していたが、いつの間にか姿を消していた。またエイチの心を見透かしたように工藤が
「ジェネレーターは冷却していなければならないので施設全体が少々肌寒いですが、すぐ慣れますよ」
と言い、エイチを配管とともに下へと伸びるむき出しのエレベーターに案内した。2人はエレベーターへ乗り込み
「そろそろ、理由を聞かせてはくれないですか?作業用ロボットの修理じゃなかったら早く帰らせてはくれないですか?息子と2人きりなんです。昨日は一緒に夕飯食べられなかったので」
「はい、存じ上げていますよ。データベースからちょっと情報を拝借しました。袴田さんが選ばれたんです。」
「はっ?」
ルナエンジは社員のデータベースを持っているため、エイチは工藤に権限があるかないかわからないが閲覧されている事には驚かなかった。しかし『選ばれた』とは何を指しているのか。
「さぁ、ここになります」
工藤はエイチの反応など構いもせずに淡々と案内を続けた。エイチはもはやAIと話している気持ちになり予定調和と思われる場面を早く切り抜けたい思いで、工藤に言われるがまま行動し工藤の手招きを待たずに扉へと向かった。前にある扉はにはゲート研究室とだけ書いてある。例のゲート開発事業団のロゴマークはあしらわれていない。ほぼほぼの目的が秘密裏に研究開発するための『隠れ蓑』だったのだろう。さっと素早くゲートが開き目に飛び込んできた光景は数台のデスクが並び人間も4、5人ほどしか居ないとても殺風景なもので、エイチの中のイメージで秘密裏に作っている研究施設と言えば、部屋に得体のしれない機械が並び奥では人体実験をしているようなものだったが、それとはかけ離れている整然としたものだった。コントロールセンターのルナエンジのオフィスと同じくデスクの画面とにらめっこをしている研究員を横目に見ながら、奥にある恐らく施設長かそのたぐいの偉い人物がいるであろう部屋へと向かった。
「では私はここで」
工藤は時田とリュウよりは礼儀正しくあとを去った。先程と同じく音もなくゲートが開き中央に何かの機械の説明模型らしきものが置かれた部屋に入った。ひと目見て偉い人だとわかるように直立不動の人物が窓の外を見ながら佇んでいた。エイチにはその人物の背格好に見覚えがあった。一瞬頭をめぐらし答えが導きされたと同時に、その人物は答え合わせをするかの様に振り返った。そこにはいつかは痩せる日が来るとダイエットをせず、感性は15歳の少女であり素晴らしく方向音痴な別所が待っていましたと言わんばかりに立っていた。
「―なんでお前が此処にいるんだ?」
「驚かすつもりはなかったんですが、結果的にこのような運びになりまして…」
その人物は別所なのか。声や姿は彼そのものだがやけによそよそしい。エイチは別所がふざけているのだと思ったが、なぜここにいるのか検討もつかずに呆気にとられていると
「ここではマスターと言われています。地球にいる別所は能力が欠けたほうです。あなたのことは彼から聞いています。マザーの判断によりあなたが選ばれました」
「色々解らないことがあります。あなたのこともそうですし、ここを隠蔽している理由やルナエンジのこともそうですが」
色々どころでは無い。エイチには全てが解らなく、ここにつれてこられた意味だけでも知ろうと思った。同時に疑問に思っていることが全て繋がっていても自分に理解出来るのだろうかととも思った。
「まずは私について説明します」
マスターは椅子に座り椅子を左右に少しずつゆっくりと動かしながら話し始めようとしているようだった。まだ説明を受けていないが別所にも同じ癖がありエイチには話し始めていない今の一瞬を切り取れば別所以外の何物ではないように思え、ふと別所の心地よい清らかな音楽が脳裏に蘇った。
「私と別所はデザインベビー、遺伝子操作され生まれた命です」
音楽は一瞬でかき消されエイチは我に戻った。『デザインベビー』人が人を生産する行為は80年以上も前から技術的に可能だった。研究者達のあくなき探求心からしばしば生産され、その都度に倫理の議論が湧き上がり生産されたその多くは政府の厳しい監視のもと生かされていた。しかし、その多くは短い寿命の壁や疾患などから若くしてすぐに亡くなっていた。2050年に生産された通称『メビウス』は超人的な能力を持って生まれたが実験中に不慮の事故が起き犠牲になったとされている。それからは潜在的な倫理の問題もあるため、表向きには生産する行為自体が重罪とされるようになった。
「別所はそのことを知っているのでしょうか?両親は物心付く前に亡くなったと彼は言っていましたが…」
「別所は記憶を書き換え、ゲートプロジェクトの構成員の一人として地球で暮らしています。ラッキーだったのです。そこだけは優れた能力だったのかもしれませんね。―あらゆるネットワークに繋がり、あっ、知っていますでしょうか?メビウスのような超人能力を持った人間を作り出すべく、我々は数百の犠牲の上に産まれました。双子に生まれるのは想定外だったようですが、明らかに差があり私がここに座っています」
差があるとはどういうことか。たしかに別所は恐ろしいほどの方向音痴ではあるが、アニクやエイチにとってはかけがえのない友人である。マスターの言い草にエイチは少々苛立ちを覚えながら
「その…メビウスがどんなに超人的だったかわかりませんが、あなたはものすごい能力があるからそこに座っているのですか?その能力があることと、ここを隠蔽しているのは関係はあるのですか?」
「メビウスは脳の改変なしにネットワークに繋がれます。イコール私なのですが袴田家のコーヒーメーカーも操れますよ。遺伝子操作で寿命の問題を解決したのが私で別所は寿命も限りなく人間に近い状態で産まれました。私は理論上あと150年生き続けます。全てのネットワークに繋がりながら来たる『対話』と向き合うために大規模AIのマザーと共に新次元の入口を創造しているのです。あと1週間ほどで彼らはすぐ近くに来ます」
別所の形をしたゼウスもどきは立ち上がり窓の外を眺め始めた。恐らく下に伸びている配管の先には『新次元の入口』と『マザー』があるのだろう。月の裏側は昔、地球から観測できないため古くから眉唾な噂が流れていた。火のないところに煙は立たないというのはこのことか。これが軍事的なものかは分からないがアニクが言っていたことが当たった形になり、エイチはアニクのゴシップ好きに少々否定的であったため少し申し訳ない気持ちになった。マスターの話はまだまだ長くなるだろうと踏んだエイチは壁際に並ぶソファーの端に座った。月へ来てからというもの立て続けに行動していたため、エイチは座った瞬間にソファの重力に引き込まれそうな感覚に陥った。その疲れを察知したのだろうか、どこからともなくアンドロイドが現れドリンクを差し出してきた。エイチはそのドリンクに少しの怪しさを感じて手に取るか躊躇っていると
「ただのグリーンティーですのでご安心ください。こちら側には何のメリットもありません」
とアンドロイドは返した。そういった受け答えをすること自体に怪しさを感じてしまうが、エイチはアンドロイドの言う通りマスター側には何もメリットがないように思えたためドリンクを手に取り、もはやグリーンティーの味なのかも分からないくらい一気に飲み干した。大きくため息を付き少し落ち着きを取り戻したエイチは疑問が疑問を上書きする会話の中で原点に立ち返った。
「その…、なんか、入口?を隠す意味はどこにあるのですか。堂々とやればいいじゃないですか?あと、私はここになぜ呼ばれたのですか?」
「そもそも異次元との『対話』と聞いて混乱の一途を辿るとは思いませんか?準備を整えてから然るべき時に発表を行おうと考えていて今は整理の時なのです。―アンリさんは素晴らしいエンジニアでした。時に人間の発想は最高のAIさえも凌駕してしまうのです」
ゼウスも回りくどい言い方だったのだろうか。少なくともこのゼウスもどきの話は回りくどい。
(アンリは特別な存在だったのか?少なくとも私とトースケには特別だったが)
「あのエネルギー蓄電システムは革新的な発想のもとに作られていました。今のゲートの動力源に無くてはならない理論なのです。何度も断片的なデータから設計思想を導こうとしましたが数年かかる見通しなのです。核心部分はセキュリティが厳重なのですが、アンリさんの頭の中に鍵があります」
エイチがここに呼ばれた理由はゲート開発に必要なアンリの情報を引き出すためだった。テロ行為により亡くなっていて鍵を取り出すのを諦めていたらしいが、人々がテレパシーを手に入れだしエイチもその一員になったため月へ呼ばれることになった。
「計画が数年先になるところでした。袴田さんにアンリさんを呼んでもらい鍵を受け取れれば進行します」
「一つ教えてください。ジョンソンという古い友人が殺人を犯しました。彼は殺意がこみ上げてきたり見えたりしたのだそうです。時間が延びているのもそうですが、新しい次元とやらの影響ですか?」
「彼らの次元と我々の次元とでは時間の概念が違うのです。彼らが近づくにつれ時間の因子が引き延ばされ、恐らく最終的には一日は30時間ほどになるのかもしれません。時間の因子が引き延ばされると同時に、概ね13歳以上のある一定数の人間は殺意の感情も引き出されるようです」
マスターはアンドロイドを呼びドリンクを頼んだようだが、そのドリンクの色は赤茶けた色をしていて、離れて座るエイチにも感じ取れるくらいの生臭く少し溶剤めいた匂いを放っていた。到底人間が飲み干すことが出来ないであろう液体をマスターは一気に飲み干した。サイダーをこよなく愛していた別所とは姿形は似ているが中身はぜんぜん違い、超人的な力を得たものの代償なのかと思い、エイチは異質なものを見るかのような目線をマスターに送っていると
「この体を維持するために必要なのですよ。私にはとても美味いのですが。少々気分を害されたようなら申し訳ありません。今地球は『対話』のために人類を調整しています」
きつい匂いで頭の中がふらついたエイチだが思いもしなかった言葉に背筋がピンと伸びた。
仕事を終えオフィスから帰宅したアニクは、日課の筋力トレーニングをするためウェアに着替えるところだった。いつもこの時間は惰性でつけていたテレビからダイエットグッズの紹介番組が流れていたが、いつもとは毛色の違う声が聞こえたかと思うと画面が切り替わり、陽気に脂肪を燃焼していた人物とは違い堅い面持ちの人物がニュースを伝え始めた。
「速報です!インド洋の犯罪者収監所がテロ攻撃を受けた模様です。詳しい情報が入っていませんが施設の機能が停止した模様です」
外部から完全に遮断されている収監施設なだけに、一瞬で情報が揃う現代には珍しく続報を待つスタイルの速報に珍しさを感じながら、アニクはトレーニングマシーンに掛けようとしていた手を止めた。すると別所から連絡が入り目の前に小太りの男が現れた。速報のあとに連絡が入るなんて心配しすぎじゃないかとアニクは思ったが全く違う話題のようで不安気な態度を見せながら別所は
「酷い頭痛のあとに昔の記憶が蘇ったんだ。あっ、蘇ったってなんとなく感じるだけだけど。まだ夢のようでもあるし、なんとも。すごく不安でさ」
作曲だけではなく、ここでも乙女を出してきたかとアニクはツッコミを入れたくなったが、内容が重大そうだったため、そこは受け流して話を続けた。
「妄想?とかでは無いんだよな。脳のハッキングはあったのか?だとしても記憶を植え付けて何の得になるのかわからないが」
「そこなんだ。何故か本当だろうっていう確証めいた感覚はあるんだ。また急速に時間が延びてきているだろ?さっきもアナウンスあったし。あと収監施設の速報も物騒だったな」
ちょうどその時に先程のニュースの続報が流れた。人間統一連合がジャマーを突破し施設へ侵入して囚人たちを解放して回ったらしい。目的は人間の本質に目覚めた人々を不当に監禁しているというものだった。御託はどうであれ連絡用シャトルの事件といい完璧と思われていたセキュリティシステムがどんどんと破れ始めている。ようやく気候変動を抑え、エネルギー問題が収束して安定した世界に到達したと思っていたのに、世界は変動を求めているのか様相を変え始めている。別所の不安とはまた違った不安がアニクの中に芽生え始めていた。
「まだ飯食べてなかったらこの前教えた宇宙港西口近くのパスタ屋で食事しないか?」
ちょうど夕食をどうしようか悩んでいたアニクは渡りに船のような状況に、別所の不安が得体のしれないものだったが最短に近い形で食事にありつけた。
「ここも前に教えたヌードル屋みたいに小麦を使ったパスタなんだって。やっぱり風味が違うな。値段も。別所ちょっと痩せたか?」
自分の体を鍛えているだけあってアニクは頻繁に顔を合わせる別所の脂肪に覆われ少しの変化も掻き消してしまうような体つきの変化を捉えていた。
「流石だな。あの記憶について考えていると食欲があまりわかないんだ。AIも食事をあまり勧めてこないし」
「ほんとに悩んでいるんだな。お前が、しかもあのAIが勧めないなんて!」
今では別所より食欲があるのではないかと言うくらい別所家のAIは食事の話題をしてくる。プロテインチーズが大量にかかったトマトソースパスタの最後の一口を頬張り
「―ところで、確かな記憶なのか?子供の頃から施設で育ったんだよな。両親は居ないって。いつの記憶がもどったの?」
昔の記憶といっても、大人になってからの出会いのため別所にとってどの昔かアニクには分からない。
「施設にいたときからの記憶は本物だと確信が持てる。俺には両親がいないんじゃないかって―」
アニクはインド系の父とアメリカ人の母との間に生まれ、学生時代のほとんどをサーフィンに費やしてきた。子供の頃には厳格だった父親に成績のことで怒鳴られ殴られた記憶は今でも鮮明に残っており、自分の記憶を遡っていっても何も違和感はなく自分の記憶に疑問を感じたことなどない。別所の感覚はどこに置いたか分からなく探すのを諦めていたものの無くすまでの行動をひらめいた時のようなものか。
「―施設に入る前、多分5歳位なんだけど…、月から移住したみたいなんだ。ただ、初めから両親はいなかった」
「俺等の世代の月からって…まだ一般市民は移住していないよな。親は宇宙局か政府の人間なんだ」
「いや、プロジェクトメビウス…信じないよな…」
別所が発した言葉にアニクは覚えがあった。超人的な能力を持ったデザインベビーは実験中に死亡してしまった。人間を導くための長寿化を付帯させたメビウスをもう一度創り出すために発足したプロジェクトだった。ただ、現代においてデザインベビーを創り出すことは重罪であるため月の裏側で秘密裏に行われているゴシップとしてその界隈では有名な話である。そのような話の真っ只中に自分の友人が居ることを初めは信じ難かったが、別所が虚言を言う者ではないことや別所にはなんのメリットも考えられないため友人を信じることにした。
「あれか…。お前が言うんだから信じるよ!というか、疑うはずがないよ。ハカマも同じだと思う。ゴシップベースで話すけどさ~。デザインベビーってすぐ死んじゃうか外には出させてもらえないんじゃないの?」
「…時のリーダーによって方針がガラリと変わることはあるだろ?政治の話だよ。秘密裏に行われていたプロジェクトだけど国民が知らないだけで中国もEUもトップクラスには周知されていたようだ。何がどうなったかその時は人権が優先されたんだよ」
自分の生い立ちが何処か薄暗いものを感じるためか別所は投げやりな口調で続けた。
「そこでつけられた名前が別所ウィーレン。別のところに送るから別所。考えた人は本当センスないよ!」
知らぬ間にアニクの目の前にはワイングラスがあり、別所はいつも飲んでいるサイダーではなく赤ワインのキューブを放り込むとワインが出来上がった途端に一気に飲み干した。
月に住んでいても街が覆われているだけで地球とは何も変わらず、唯一は本物の食材がほぼないという点のみだ。トースケはこの前ふと訪れたゲームセンターが気に入りカリキュラムの間を縫って通っていた。部屋に戻る道中でまた時間が伸びたらしく、街のTV看板では発表の間隔が日増しに早くなってきたと何も答えを出さないコメンテーターたちが騒いでいるが、いつものことかと看板には目もくれず足早に部屋へと戻った。玄関を開ける瞬間に隣の玄関が開きシンが顔を覗かせた。その表情は何かを訴えたいが訴えるきっかけがないような鬱屈としているものだった。トースケは彼は何かあったのかと尋ねられたいかのような素振りのため、声に出そうとすると先に
「聞いてもらいたいことがあるんだ」
と頭の中に話しかけできた。ここの子どもたちは頭の中の会話のほうがやりやすいのだろうか?シンは部屋の奥に何やら大声で伝えこちらへ向かってきた。
「お兄ちゃん、時間あるよね。そこのベンチで話聞いてもらいたい」
一方的ではあるがこれといって用事もなかったトースケは話だけならと思いシンの要求を快諾した。居住者用に共用の小さな公園が用意されていて端にあるベンチに腰掛けた。
「急になんなんだい?恐らく君より勉強はできないぞ」
トースケは頭の中ではなく声に出して話した。
「えーとー…うちのお父さんのこと…なんだ…けど」
同じく声に出しシンは話し始めた。悩みがあるからなのかもしれないが、頭の中ではズケズケと話すくせに声に出すとモジモジと煮えきらない話し方だ。
「お父さんは人間統一連合なんだ。この前の収監所襲撃もセキュリティセンターの情報を地球に送っていたんだ…。初めはみんなのために頑張っているんだなぁって思ってたんだけど…」
「そうか、あれはどこに正義を感じてやっているんだろうね」
ほぼ初対面ではあるがシンとのやり取りはオブラートに包まない会話でも大丈夫のような気がして、トースケは他人の父親を半ば卑下した言い方をした。
「…うん。…そんな感じで。お父さんのやっていることは間違いなんじゃないかって」
収監施設のセキュリティは月に集約され管理されていた。シンの父?親も居住区プロジェクトに参画する企業に属していて、人知れずにセキュリティセンターの諜報活動をしていたようだ。人間統一連合はかつての自然保護団体の一部も合流しているらしいことを聞いているので、トースケはやはりその言葉を聞くと胸が騒がしくなる。
「なんで、初対面の僕に話すんだい?ずっと月にいる友だちがいるだろうに。」
「お兄ちゃん、辛い思いしてるんでしょ。心が読めたから。だけど恨みじゃなくて…これからお兄ちゃんが進んでいく道を見つけてるみたいだったから」
確かにトースケはアンリの死やケンタの死を経験した。アンリやケンタを死に至らしめた直接の実行犯や所属していた組織は計り知れないほど憎い。今でもこの手で殺したい。しかし、シンが感じたようにこの死の裏側にある背景や心情、社会構造などの要素は時間とともに少しずつ理解出来できて全てを俯瞰で見えてきている。だからといって犯罪を肯定などはしていない。憎いものは憎い。だが、その感情だけでは自分自身にとって何も生み出さない事も学習し、この事実と向き合い自分の人生の一部として生きていかなければならないと今では思っている。今ではアンリやケンタの意思とも繋がるすべを持っているし少なくともアンリの分まではこの肉体で生きていこうとトースケは考えている。
「人はそれぞれの正義を持って生きているんだと思う。少なくとも君のお父さんはお父さんなりの正義を持って行動しているはずだよ。もしかしたらその正義は違うんじゃないかって思い始めているんじゃないかな」
何故かトースケにはシンを通じて父親の心の中がぼんやりわかったような気がした。
「うん。なんか机の前で悩んでいるようだったのをこの前見たよ。お兄ちゃんの言うとおりかもしれない」
半ば想像で話したトースケは自分の話が的を射ていたことに少々驚いた。月の子供は全員テレパシーを扱えるとシンは言っていた。トースケと同じように、またはそれ以上に相手の心が見えるのかもしれないが大人たちにはその力が広まっていないのだろうか。この力が全ての人に備わっていれば、お互いをもっと理解でき、すれ違いや差別は無くなっていくのではないかとトースケは自分もこの力を持った事で考えるようになっていた。
「今度、どう思っているか聞いてみようかな」
突然シンはテレパシーを使って語りかけてきた。淀みなく話してくるし、こちらのほうが彼らのスタンダードかと思われるが、面と向かっている相手が口を動かさず話しかけてくるなんてテレパシー初心者のトースケとしては少々混乱してしまう。順応性が高く郷に従う性格のため少しの違和感を感じながらも
「きっとうまく行くはずだよ」
と口は動かさずに答えた。
空港に入って機内に座るまでに標準時間の変更が数回起きている。本当に当局は原因がわからないのか。地球では人間統一連合の揺動がなくとも市民は不安に煽られデモや暴動が起き始めている。その不安が引き金なのか殺人も増えてきた。それも今までは考えられなかった旧世紀に戻ったかのような方法で。そしてついに鉄壁と思われた犯罪者収監施設の開放もあり次は北大西洋の収監施設ではないかと噂が流れ始めている。地球は混沌へと向かっているようで、人々はお互いを疑い過剰な区別を始めている。中には心が通じ始めている人々もいるようだが、今の状況の中では残念ながら人類の区別や差別に拍車をかけている。エネルギー問題や環境問題が抑制され人類は争いの選択をしなくなったかのように思えたが表面上のものだけだったのか。人類が築き上げた平和な世界は、水面に落とされた一つの水滴が大きな波紋を立てながら全てに影響していくように、時間の延びによって潜在意識を露わにされた人類によって崩されてしまうのだろうか。地球では政府や法律は人々を押さえつける鎖の機能を無くしていた。
「宇宙港すごく混んでいたな。しかも治安対策部のゴロツキがいたよな。取り締まりにしては大げさではないか」
「今の異常事態で取り締まりが一掃きつくなっているんだろうけど治安対策部の連中が出てくるとはね…。中央警察が総動員ってことなのかな」
町中では中央警察のアンドロイドが目を光らせ宇宙港や主要な施設ではサイボーグ軍団まで動員されている。過剰なまでの取り締まりをしているが、洋上の収監施設も上手く機能しない中、仮収監施設もパンク状態との報道もある。取り締まられた人々は何処に送られているのだろうか。
「しかし、よくチケット取れたな。宇宙港の発着もだいぶ便が絞られているのに、一発で取れたんだろ?別所は本当に運がついてるよな」
地下からシャトルがカタパルトデッキに移動し、同時に機内は窓から夕日が強く差し込み座席に座っているアニクと別所の顔を照らし始めた。少しの振動とともにレールに乗ったシャトルは加速を始めた。外の景色は程なくして左から右に流れる線になりカタパルトを離れたシャトルは宇宙ステーションへ向け大きく舵を取った。
「何故か、事が上手いこと運ぶんだ。―本当に俺は運がいいんだ」
アニクに語りかけたつもりだが隣の彼はもう目を閉じていたため、別所の大きな独り言になってしまった。