28年前
「着くのは2074年になっているのかー。宇宙船の中での年越しは人生で2回目だな」
「俺は初めてだよ。袴田は何回目になる?」
「私は4回目になるかな。2年連続で探査船の中なんで、奥さんがあまりいい顔してないよ」
「そりゃそうだろうな。息子もまだ小さかったよな?」
「いや、もう来年で10歳になるよ。時代は進んでいるんだよ」
「まじか?こういう仕事していると時間が止まってるんだか進んでるんだか―」
「おい、仲野。この中では一番の新人だな。今回は結構危ないミッションだけど…独身なんだっけ?」
「はい。ですけどこのミッションから帰ったらプロポーズしようと思っています」
「お!良いねー。7千万キロ離れても君のことは忘れなかったよってか?つまらない食事だけど、お祝いしてちょっと眠ろうぜ!」ガス、袴田、チャン、仲野の4人はコールドスリープに入り、3ヶ月後に火星の軌道上へ到達した。
「クルーのみなさま、火星軌道に到達いたしました。減圧解除、カプセル内の温湿度調整開始します」
この探査船はアメリカ、中国、ヨーロッパが中心となり温暖化対策のため、地球の軌道上に太陽光発電や軌道エレベーターを建設して半永久的なエネルギー開発を行うプロジェクトの下、太陽系にある数々の小惑星から資源を回収するために宇宙間を移動している。今回の資源回収の標的になる小惑星は火星へ衝突するコースを取っている。しかし、今までにないほど希少金属が豊富にあり、この資源を活用できればプロジェクトが大きく進行することは誰の目から見ても明らかだった。肝心の方法はというと、小惑星自体に探査船と同じ方式の推進エンジンをとりつけ、軌道を無理やり変更し探査船で牽引するというもの。この状態で地球の軌道までお持ち帰りし、そのまま掘削と資源利用ができる。
寝ぼけ眼の4人は着替えを済ませ操舵室の席についた。日付の表示は2074年を指している。探査船の前には赤褐色の火星が不気味な岩肌を露出させ浮かんでいる。足元もモニターになっていて、どこまでも深い黒の海が続いている。計算によると小惑星は木星により加速させられて火星へ向かっている。今までに経験したことのない速さの小惑星の捕獲のため危険なミッションとなっていた。まずは火星への衝突コースを微妙にずらし、火星軌道に留まるよう小惑星を操作する。今とどまっている軌道から少し離れた空間で2時間後にランデブーする予定だ。
「システムスリー、予定通りランデブーポイントへ。クルーは点検作業に入る」
船長であるチャンはAIへ指示し、ガスとチャンは推進エンジンの点検、袴田と仲野は捕獲用リモートマニピュレーターの動作確認にそれぞれ取り掛かった。
今回の探査船は歴代4機目になる。以前はガス、チャン、袴田の3人の他にケビンという仲野と同じ年の若者がクルーとして搭乗し金星と地球の中間地点周辺での捕獲作業にあたっいた。ケビンと袴田は小惑星に降り立ち、計算ではじき出された場所へむかい、地中深くにドリルを差し込んでエンジンを固定する作業を行った。その時ケビンはエンジン制御コンピュータに破損があるのを発見し、この程度の破損ならその場で対処できるだろうと、もう一つのエンジン点検に出ている袴田には伝えず作業を行った。作業は数分で無事に終了し、袴田も一方のエンジンの点検を終了したため、それぞれがもう一方のエンジンの点検にあたった。点検も無事終了し、小惑星に停泊中の乗用車より少し大きいくらいの小型船に2人は乗り移り、探査船へと舵を取った。探査船はガスの操縦するリモートマニピュレーターにより、小惑星をキャッチし牽引ロープを取り付ける作業を行っていたため、袴田とケビンは小型船内で一時待機していた。
「なんか、さみしいものですね。どこをどう見渡しても、人がいない。」分かりきってはいるが、改めて確かめるように仲野がつぶやいた。
「そうか?俺は現地の人たちにロケットの
取り付け手伝ってもらったことあるよ」
「えっ!それって、宇宙人がいたってことですか?しかも、そんなに友好的なんですか!?」
「冗談だけどね~。んなわけないよな~」
「まぁ、そうですよね~。少なくとも太陽系はないですね~」
などと雑談しているとシステムスリーに小惑星とのドッキングが終了したからと促され探査船へと戻った。チャンとガスはドッキング状態を確認して、4分後に小惑星のエンジンをスタートさせるシーケンスをシステムスリーにより始められた。
シーケンスのカウントダウンが開始され探査船の姿勢制御も開始された頃、何故かケビンは浮足立った気分にかられた。その原因は何かと考えた時に、制御コンピューターの修理を行った事が脳裏に突然ライトのフラッシュのように現れた。ケビンは鼓動が速くなるのを必死に抑え自分の工具ボックスの中を確認した。
(あれ?やばい。無いな。やっぱりない。ない、ない!)
修理に使用した配線用チェッカーが工具箱にはなかった。この工具がないということは、コンピューター基盤の近くにあるはず。そのままでいてくれれば良いのだが、推進エンジンのためかなりの振動を伴い、小惑星も軌道を変えるため、あらゆる方向から力が加わり推進エンジン自体が振り回される。必ず基盤そのものか、エンジン自体に影響を与えるだろう。ケビンは、居ても立っても居られない心地になった。
「チェッカーが無いんです!袴田さんに言わずに修理してしまいました!そしたら、忘れて来たかも」
ケビンは、3人に向い正直に話した。
「勝手な行動すんなよ!なぜ報告しない!?」
チャンは声を荒げた。
「軽微なもので、一人でできるしチェックが発生すると予定時間が狂うと思いまして」
「システムスリー、緊急停止」
チャンとは対照的にガスは冷静にシーケンスを停止した。何事もなかったように、探査船の各部スラスターや、小惑星に設置した推進エンジンも音こそは聞こえないが、表示のインジケーターや隙間から漏れていたイオンの光も目を閉じるように静かに消えた。続けてガスは
「ちゃんとチェックしたほうが予定通り行ったかもな」
と皮肉を口にし
「すみませんでした。ちょっと取りに行ってきます。あるとすれば2番の制御基盤のはずなんで…」
ケビンは申し訳無さそうにしながら、小型船に乗り込み、小型船は探査船から切り離され小惑星の方向へ移動した。
「なぁ、チャン。今2番って言わなかったか?配線チェッカーが起動したまま付いていたら…」
配線チェッカー自体も電力を発生し少しの動力になりうる。袴田は記憶の中に、今回の推進エンジンについてのエンジニアとの雑談を思い出した。かつてエンジニアのウィリアムは、3番の制御基盤がイオンで満たされている状態でシステムを停止すると、2番の制御系がすごく不安定になる事象が一度確認されたが、再現しようとしてもできなかったと言っていた。もう5年も前の話だし、エンジンもあれからアップデートされているため、万が一も無いとは思っているが
「なんか、前に話してたことだろう?全然何もなかったしなぁ。思い過ごしだろう。まぁ念の為、ちょっと時間置くか」
チャンは通信マイクに向かいケビンに伝えた。
「なぁ、ケビンその位置で少しキープしてくれ。ちょっとだけ心配なことがある」
「わかりました!大丈夫なら言ってください!」
小型船のエンジンは停止した。と同時に配線チェッカーを取りに向かうはずの推進エンジンの表示インジケーターや隙間からイオンの光が急激に目を覚まし、カウントダウンもせず、恐らく最大出力で稼働した。小惑星がゆっくりとだが力強く回転を始め、牽引ロープは安全装置がありすぐ外れたが、3本あるうちの1本のマニピュレーターに勢い良く接触し大きくマニュピレーターを回転させるほどだったため、そこから数百メートルのケーブルで繋がっている探査船も大きく傾いた。モニターの景色も星々が点で輝いていたものが一瞬線になり、よろけながらガスかチャン、もしくは二人が同時に
「システムスリー!緊急停止!停止だ!!」
「だいにえんじん、きんきゅうていしします」
「探査船もスタビライザー起動!」
今度は明らかにチャンが探査船の姿勢を整えようと指示を行った。しかし、暴走した推進エンジンは、噴射こそはしていないが、瞬きを止めないでいた。
回転しながら小惑星は徐々に探査船から離れ始めた。その時、小惑星から縦方向に光の筋ができて、小惑星の3分の1ほどが破壊され破片となった。一方の岩の破片が高速で小型船へ向かっている。
「ケビン!回避だ!上でも下でもどこでも良いから、全開だ!」
もう誰が発した言葉かもわからない。マイクに向かい叫んだが小型船の反応はない。もしくは反応している余裕がないのか。小型船のエンジンはフルパワーで動き始め、船首を下に向け動き出そうとしていた。しかし、岩の破片の速度が異常に早く、小さな破片が小型船の船尾にぶつかり、かなり高速だったため、下に向いていた船首が引き戻された格好になった。その後はぶつかる破片も大きくなり岩の粒が小型船を渡り鳥の群れのように通り過ぎた。その後、小型船のエンジンの光が消えたように見えた。小惑星からの散弾を浴びた形になり、ボロボロの小型船は探査船からは腹を見せながらヨロヨロと浮かんでいた。小型船からは何も反応がなく、ガス、袴田、チャンは一瞬だけ思考が停止していたがすぐに次の行動へと移った。
「システムスリーは救護カプセルの起動!ガスは救急セットの準備!袴田と俺はケビンの救出に向かう!」
チャンの的確な指示の元、3人は行動を始めチャンと袴田は宇宙服を着て、もう一台の小型船へ乗り込んだ。
コクピット部分のガラスもバキバキにひび割れていて中を伺うことはできない。パチパチとなにかの信号のように灯りが瞬きしている。出入り口のハッチは不自然なまでに無傷で、生体IDも機能していたため難なく中に入ることができた。洞窟のような通路はところどころ配管が折れていて垂れ下がり、冷却水やオイルが漏れている。電源もまだバチバチしており、今にもオイルに引火してしまうのではというほどだった。
「早いとこ連れて帰らないとな」
チャンは語りかけ、袴田は静かに頂いた。コックピットを隔てるドアは半開きの状態だ。2人はコックピットへ入ろうとした時、左から右へ担架に乗せられた負傷兵のように仰向けになりガラスの向こうの宇宙空間を眺めるようにケビンが浮遊していた。パチパチした照明に照らされコマ送り動画のように見えたが、一切体を動かすことはなかった。急いで袴田が上半身、チャンが下半身を抱き上げ袴田はケビンのヘルメットの遮光シールドを上げた。
「ケビン!おい!ケビン!?」
トントンとヘルメットを叩くとケビンは目を覚まし
「今どこですか?」
と発し続けて
「…宇宙人助けてくれなかったっす。案外薄情なんじゃないですか?…」
そう言うとまた目を閉じた。チャンに呼ばれ袴田が目を下半身に向けると
「結構やばいかもな、上から包帯を巻いて早く連れて行こう」
ケビンの右太ももの裏には、恐らく操縦用のレバーが突き刺さっていた。幸いなことに出血はそれほどではないようだ。後ろでは電源の火花が大きくなってきているようだった。
「袴田、行くぞ!」
2人は急ぎながら、しかし、ケビンを傷つけないよう細心の注意を払いながらボロボロの小型船をあとにし2人は乗ってきた小型船にケビンとともに乗り込み、一目散に探査船へと向かった。探査船ではガスが救急セットの医療用吸入器を片手に持ちケビンを待ち望んでいた。小型船のハッチが開くのと同時にケビンを抱えた2人が飛び出し、抱きかかえたケビンを無理なく乗せられるちょうどいい位置にガスは担架を用意していた。ケビンを担架に乗せた直後に外が一瞬明るくなり、軽い衝撃が船体をゆすった。すぐさまヘルメットを脱がせ医療用マスクを取り付けた。救急セットのAIが簡易的に状態を把握し、適切な医療用ガスがケビンへと送られる。宇宙服をカッターで切り、手足首に電極を取り付けそのまま救護カプセル室へと向かった。救護カプセル室に入ると
「けびんのあしをすきゃんします」
とシステムスリーがスキャンを始め、ケビンの右太腿裏に刺さっているレバーの引き抜き方、その後の処置を3人にレクチャーした。レバーを引き抜いたあとガスはすぐさま止血に取り掛かったが驚くほど出血がなかった。ガスのあまりの手際の良さに本場の医療スタッフよりも上手いのではないかと袴田は一瞬思ったが、そんな事考えている場合ではないとすぐ立ち戻り担架を押した。
「しゅっけつはとまりましたが、ふくぶをきょうだしています。ちんせいざいでおちついていますが、ばいたるはずっとひくいままなので、せいぞんがあやぶまれます」
システムスリーの淡々と喋る声に少々苛立ちながらも3人は地球への帰路を急いだ。幸いこの地点から地球へは2週間で戻られる。他のミッションに比べればかなり短い時間だが、今の3人にはどのミッションよりも長い時間になった。プリンターで作られる宇宙食は技術が発達していないため、お世辞にも美味しいものとは言えない。そのうえ、このような状況のために不味さに拍車が掛かる。声には出さなかったが、ガス、袴田、チャンはそれぞれ、なぜあの時にケビンを一人で行動させたのか、一呼吸おいて考えられなかったのか、安全に対してあぐらをかいていたのではないかと、起こった事態の深刻さから大きな後悔をしていた。ケビンにとってもこの2週間は長く、状態を悪化させるには十分な時間だった。宇宙ステーションにマニュピレーターを捨てるように引き渡し東京の宇宙港に到着した。ケビンはすぐさま医療チームに引き渡されたが、長かった後悔の時間とは裏腹にケビンの訃報は2日後にもたらされた―。
探査船のアップデートと共にAIもアップデートされ、型番はシステム4.0になるのだが、戒めも込めて呼び名はシステムスリーとしている。まず小惑星の軌道を変え火星の周回軌道に乗せるため、軌道修正用スラスターを小惑星へと打ち込む。チャンとシステムスリーの連携により完璧なタイミングで打ち込まれ、無事に軌道が変わり数十分後にまたランデブーできるようになる。小惑星の牽引方法は従来と変わらない。しかし、推進エンジンはかなりの改良が加えられ、安全性や操作性が大幅に向上されていて作業も3人で行うことになった。ガス、袴田、仲野がエンジンの取り付け、最終確認を行う。小惑星に降り立った3人は難なく作業を終え探査船に戻り、システムスリーによるカウントダウンが始まった。探査船と小惑星の姿勢が完全にマッチし、小惑星、リモートマニュピレーター、探査船の距離が徐々に近づいていく、小惑星の推進エンジン、探査機のエンジンが同時に点火して地球へ向けて動き出した。全て計算通り進行していることを確認したあと、4人は食事のため休憩室へと入り食事を摂った。プリンターでの食事も改良が加えられて少々美味しくなっている。袴田のいるチャンのチームではミッションが成功したあとは決まって日本製の再生ではなく本物の「和牛」を食べる習慣としている。このために仕事を頑張れていて、これがなければここまで危険な仕事は行っていないだろう。話題は決まって仲野のプロポーズについてで、いつものように年長者3人にからかわれる格好になったが楽しく食卓はお開きになり、システムスリーが誂えてくれた寝床に潜り込んだ。
長い時間を一睡で通り過ぎる予定で、目を覚ました頃には操舵室から見えるのは不気味な岩肌で褐色の惑星ではなく、コバルトブルーに輝く水の惑星が映るはずだった。
「減圧解除、カプセル内温湿度調整開始します」
目を覚ましてカプセルから起き上がり左右を見渡す。ガス、仲野、チャンがまだ眠っている。袴田はシステムスリーの気まぐれかと思い、一人着替えを済ますと操舵室へ向かった。静かな操舵室は完全な自動運転のため、フロントガラスはシャッターが閉じていて、足元のモニターも何も映し出していない。一足先に故郷の姿を見ようとシャッターを開閉し足元のモニターのスイッチも入れた。するとどうしたことだろう、眼の前に広がるのは黒く深い海と遥か遠くに星星が輝いている。袴田は慌ててシステムスリーに問いかける。
「俺だけ間違えただろ!あとどれくらい寝なきゃいけない?」
「間違えてはいません。外的要因により、スリープを解除しました」
「何だそれ。もう良いよ。バグっちまったのか?」
袴田は自分で原因を突き止めようと計器の座標を調べたが測定不能を示す表示がされている。船体に異常があるのではないかと、その他を調べたがエンジンは正常に動いているようで、それ以外のシステムも同様だ。探査船は間違いなく正常に稼働し前に進んでいるかに見えた。計器を調べる限りは。しかし、眼の前や足元を見る限り探査船が動いている実感がない。ふと、目線を下ろしてみると時計の表示も何もされていない。今は何年の何月何日なのか。ここはどこなのか。まるでわからないため少しの混乱に陥った。一呼吸おいて考え直そうとした時に体が浮くような感覚に陥った。重力装置が故障したかと思ったが、しっかりと足が床についている。だが確かに浮いている感覚だ。しかし、次の瞬間、無重力になり体が浮く感覚ではなく、自分の内側から外に飛び出すような自分自身が重力に打ち勝ったような感覚になった。感情も何もかも外にさらけ出し、大きな黒い海の中に袴田の心は吸われていく。その感覚の中、足元のモニターを眺めると遠くに輝く星星の光が点から線に変わって渦を巻き始めた。その中心にあるのは何かはわからない。ただただ黒いプレッシャーだけは感じられるものがある。袴田の心は徐々にその黒の中に取り入れられていく。袴田の全てが吸い取られていく頃、肉体のものか心のものかわからないが、もう一度目を見開くと見つめた中心に一つの強い光が見えた。その光は爆発的に大きくなり一瞬で白い世界が袴田を包みこんだ―。
「減圧解除、カプセル内、温湿度調整開始します」
ガス、チャン、袴田、仲野の4人は同時に目を覚まし着替えを済ませ操舵室へ向かった。
「予定通り月を通過し、あと6時間で、中央アフリカ宇宙ステーションに到着いたします」
4人は自分の持ち場に付き、船体のチェックに取り掛かった。チャンはフロントガラスのシャッター開閉の指示と足元のモニタースイッチを入れた。眼の前にはコバルトブルーの惑星が浮かんでいた。
宇宙ステーションに到着し、4人は地球への帰還用シャトルに乗り込んだ。運んできた小惑星は、すぐさまスキャンが行われ採掘ロボットによる作業が開始された。このシャトルは東京にある宇宙港と中央アフリカ宇宙ステーションとの往復用の自動運転シャトルのため、窓もなく向かい合った長いベンチがあるのみだ。袴田は、この時間だけが護送されている囚人のようで心地が悪い。いつも明るい話題を提供しようと考えているが、考える時間だけが過ぎ、その間に宇宙港に着いてしまう。
「子供が産まれたら、なるべく早いうちにステーションから地球を眺めさせてやりたいんです。」
「子供って、話が早くないか?これからプロポーズだろ?」
社交性は仲野のほうが優れているようだ。チャンはすかさず突っ込むと
「実はもう、7ヶ月なんですよ。ガラパゴスの宇宙ステーションはタイフーンが見られる時期に行きたいですね~。小さいうちから宇宙からの地球を見せてやりたいんすよ」
「っんだよ!100パーオッケーじゃねーか!」
ガスは笑顔を見せながら苛立ちの言葉を口にした。袴田も自分から発した明るい話題ではなかったが仲野を祝福した。シャトルは無事に宇宙港に到着し、ガスは中国、チャンは韓国、袴田と仲野は東京のそれぞれの家へ束の間の休息を取るため解散した。
仲野も袴田も方向が一緒のため空中タクシーを呼び旧東京駅跡地へ向かった。車中でももっぱら仲野の話題で持ちきりになり、お互いの子供も仲良くできればいいなと話した。移動はものの十数分で終わり、2人は3週間後に仕事でまた会おうと言葉をかわしそれぞれの家へ向かった。袴田の家はここから地下トレインで2駅だ。ゲートを抜けホームに向かうと、ちょうどトレインが到着しドアが開いた。袴田は止まることなくトレインへ流れ込み、平日の時間帯で全く混んでいない車内にぽつんと1人で座った。トレインが音もなく進み始める。進んでいると実感できるのは車窓から入り込む光の点滅が早くなっていることだけだ。車内へ右から左に光が流れるリズムが歩いてる時の心拍数から短距離走でのそれに変わった時、袴田は仕事の疲れから10分足らずで目的の駅にたどり着くにも関わらず寝入ってしまった。
一面に白の世界が広がり無音の世界に袴田は立っていた。そこに立って白い景色を見ているのか、立っている姿をどこからか見ているのかわからない。ただ一つの事実としてそこに立っていた。肉体はそこにはあるが、心はとどまっていない心地だ。心が浮かんでいるのか?すると、白の世界が大きな布の様にビラビラとゆらぎだし、遥か遠くにある黒い点へみるみる吸い込まれ、白から一点、黒の世界になった。その後、怒りや喜び、苦しみや悲しみ、考えられるすべての感情が心から溢れ出してきた。袴田はどうしようもなく、ただ涙だけが目から溢れ出した。溢れ出す感情に抗うこともできず、黒の世界に立ち尽くしていると、今度は世界が今までに乗っていたトレインの中となり、そこから一瞬にも永遠にもとれる走馬灯のように今までの現実の逆再生が始まった。トレインへ乗り込むホーム、仲野との別れ、シャトルでの会話、全てが脳内を駆け巡り、ある一つのシーンで逆再生は止まった。―探査船の操舵室に一人で立っている。足元のモニターには渦を巻いているであろう黒い海が広がっているがこんなシーンは覚えていない。記憶にはないが、だが確かに経験しているという不思議な確信だけがあった。袴田は確かに経験していると思った瞬間、逆再生で辿ってきた道のりが、今度も一瞬にも永遠にもとれる速さでトレインの車中まで戻ってきた―。ふと、目を開けると目的の駅だ。急いでトレインをあとにして家路を急いだ。袴田はその頃には先程の出来事など忘れていた。
袴田の家は東京都心のビルの70階に位置する。宇宙太陽光の増設に相まって、東京でも建設ラッシュが続いている。200階建ての高層ビルが乱立し、ビル同士もフロアが屋外でつながっていたりする。10年前くらいから繋がりだし、街全体がミルフィーユケーキのように折り重なっている。田舎と言われるところは、温暖化の影響で災害に見舞われることも頻繁にあり非常に住みにくかったため都心への人口集中が著しかったが、今は温暖化も快方へ向かっているため、一時期の都心の窮屈さはなくなった。玄関を開けると妻がお帰りと出迎えてくれた。玄関から見えるリビングの奥には10歳になる息子がゲームをしている。動いている姿を見ると誰かと剣のようなもので戦っているようだ。帰ってきたのは気づいているが、ゲームに夢中なことと、こちらの理由のほうが支配的だが、反抗期になりはじめ、父親との会話をしたがらないため、おかえりも言ってはくれなかった。これは少しの辛抱で落ち着くのか、はたまた長引くのか少々憂鬱になったが、袴田は妻が好物の料理を沢山作ってくれて待っている姿に機嫌を直しリビングへと向かった。
3週間もの長い休みをどの様に消化するか。チャンは家族で4泊かけて北米を回るらしい。袴田は休みの過ごし方を特には決めていなかった。妻も何も言ってこなかったため考えてはいなかったが、言ってこないだけで不満に思っているのではないかと思いはじめ、息子との関係も良い方向に進めようとチャンに倣って旅行を計画しようと考えた。そういえば仲野はガラパゴス宇宙ステーションからの景色を子供に見せてやりたいと言っていたが、地球にいる時間より宇宙に居る時間のほうが長い袴田は旅行で宇宙に出る選択はできなかった。北米へはチャンが行くため、休み明けの仕事での雑談で、お互いの休日の過ごし方の話題になったとき、チャンと同じ北米への旅行をしたとなれば、真似をしたんだと言われかねない。別に言われても平気なのだが、天邪鬼な袴田は選択肢から北米を省き、太平洋の島々を巡ろうと考えた。南の島で浮かれたふりをすれば息子とも打ち解けるだろうと、希望的観測のもとどれくらいの予定で旅行しようかと妻と相談に入った。
反抗期に入ったと言ってもまだ序の口のため、袴田の息子はまだ母親の話すことは受け入れてくれる。相変わらず袴田の問いかけには反応しているのか分からないが、明後日から家族で3泊かけて島々を巡ることを快諾してくれた。この素直と意固地のグラデーションをへて意固地へとシフトしていくのだろう。小学5年生ともなると大人でも手こずるような勉強を強いられている。学校単位でAIが導入され生徒自身の学習の管理をするようになった。恐らく『できの悪い』息子は休暇でも容赦はしてくれなく、他よりは多いであろう宿題を突きつけられて家に帰ってきた。エンジニアである袴田はここで宿題を手伝ってあげて親の威厳を取り戻そうかと画策したが、あまりのレベルの高さに手伝うのを躊躇した。まず声に出さなくて良かったとほっと胸を撫で下ろした。しかし、息子は偉いもので旅行の最中に宿題のことを考えたくないという理由から、出発の前日にすべて終わらせてみせた。こういう、いざというときの行動の速さは袴田も一目置いていた。
出発の日、まずは自動車で東京宇宙港へと向かった。トレインで向かうほうが効率が良いが、運転することの愉しみを見出している袴田は、どこかへ出掛けるときは迷わず自動車を選択する。反重力で移動できるタクシーやバスに倣って、自家用車も反重力を応用したものになるらしい。数年先だとは思うが、ゴムタイヤで走り、愛着か湧いている今の車を手放すことは無いだろうと袴田は考えていた。宇宙港は宇宙用と地球内移動用シャトルの発着場になっている。東京では海に面しているため、宇宙港に併設される形で高速船の発着場もある。ポリネシア行の高速船に乗り込み、5時間弱で目的地に到着した。シャトルを使えばあっという間に着いてしまうし、妻はいつも時間のかからない方法を求めてくるが、袴田は速い易いよりもなにか人間的なものを追い求めてしまう。この頃は父親には従わない息子も、袴田のこういった拘りには素直に従い付いてきてくれるため移動手段の決定については袴田は断然有利な立場にいる。妻はいつも何が良いのかわからないような言い方をするが、結局は道中も楽しそうにしているので、この拘りは悪いものではないのだなと袴田は感じていた。5時間弱の道中も観光気分で居られたため、あっという間に過ぎていった。現地ではホテルにチェックインする前に歌や踊りを愉しみ、袴田は踊りを鑑賞しているときは、周りの観客よろしく、柄にもなくテンションを上げ息子を煽り立てたが、テンションの上げ方が急だったのか中々打ち解けてくれなく彼の心の扉から一歩後退してしまった。また、普段は触れることのない自然を堪能し地球が自然を取り戻しつつあるのも、宇宙太陽光が着実に成果を上げていてクリーンなエネルギーを享受できるからであり、袴田はそのインフラ整備の一翼を担う仕事に付いていることを南の島の自然の中で誇りに感じていた。袴田は急激な進化を遂げている、宇宙での作業を請け負う作業用ロボットの設計開発に携わりたかったのだが、何故か資源回収探査船の仕事が板についてしまった。今ではこの仕事に意義を見出しているし、チャン、ガス、仲野のチームもかけがえの無いものになっている。
ポリネシアの島々では2泊し、残りの1泊はオーストラリアへわたり、エアーズロックの観光を行った。この岩は200年前くらいに探検家により発見されたらしいが、1万年以上前にはオーストラリア先住民がこの辺に住んでいて、この岩は彼らによりすでに発見されている。人類としては1万年以上前に発見されていることを探検家は確認したというのが正解なのではないかと、うがった見方をしてしまう袴田は、あたかも探険家が人類で初めて目にしたようになっていることに納得はしていなかった。しかし、このサイズの岩をみるとどうしても小惑星の姿が頭に浮かぶ。普段相手にしている小惑星はこの岩よりも多様な形をしており宇宙望遠鏡の観測からある程度、推進エンジンを取り付ける位置などが割り出される。しかし、それだけでは十分ではなく、実際にランデブーした時に人間の目による観察を行い、AIの計算の微修正を行っている。袴田の属するチャンのチームはその計算が優れていて、厄介な形状の小惑星の捕獲に駆り出されることが多い。先日はじゃがいもにブーメランが刺さったような形状の小惑星を相手にした。宇宙局のAIとシステムスリーの相性も良いようで、計算から現場での微修正完了までの時間は宇宙局の中でも1、2位を争うチームとなっている。袴田は観光先で宇宙太陽光や探査船での次の現場のことや仲間の顔が浮かび現実に引き戻されそうになったが、ポリネシアの島々やオーストラリアの大自然が、普段は機械や計器、配線など人工物ばかりの鬱屈した環境から袴田を解き放ってくれた。3泊は多いかと考えていたが、あっという間に時間は過ぎ去っていった。妻も大変満足だったと言ってくれ、父親には感謝の言葉など、遠の昔に捨ててきたような顔をしている息子も、妻が言うには今回の旅行は楽しかったようだ。シドニーの宇宙港から東京への帰路の途中で袴田は一人ほくそ笑んでいた。チャンも北米の大自然を満喫しようと旅行に出ていたが、渓谷や山脈を見るたびに、こちらも小惑星が脳裏をよぎったようだ。最終的には、マニュピレーターでどの様に岩を掴めば推進エンジン取り付けがはかどるか考えていたらしい―。次の現場の打ち合わせをする会議の中で、ガス、仲野とともに休日の過ごし方を話し、最終的には4人共が、小惑星探査の仕事に少なからず誇りを感じていることを休日の中で再確認したようだ。
袴田は、会議が終わり椅子にもたれ掛かりながら深い深呼吸を一度し目を閉じた。妻も仕事に出ており、息子は学校だ。この家には袴田1人しかいない。ピーンと耳の奥に静寂の音が入り込んでくる。すると、物凄い頭痛がしてきた。
(またか。間隔が早くなっているのか?)
先日の仕事を終えたあと、1日に一回程度頭痛が襲ってきていた。旅行中も漏れなく続いていて、急激に頭痛の間隔は狭くなっていた。袴田は気分転換に散歩でもしようと、ボトルに飲み物を入れ近くの公園まで歩くことにした。公園までの道すがら、また頭痛がやってきて今度は頭痛のあとから誰かの声が入り込んでくる。男でも女でもない、年を取っているのか子共なのか。確実に聞こえては来ているが耳で聞いている感覚ではなく、頭の中で直接話しているかのような感覚だ。どうにも苦しくなり、たまらず立ち止まって近くのベンチへ座り込んだ。その声は次第に大きくなり、まだ何者の声かはわからないが話している声の角が立ってきて聞き取れそうになって来た。袴田は頭を抱えながらもその声は何なのかを突き止めようと頭痛に耐えた。
「…なたたちは…」
「…適合するか」
―その言葉を聞いた瞬間、あれほど辛かった頭痛は見事に消え去った―。
エイチの父親は、エイチが12歳の時に亡くなっている。小惑星探査は危険が伴い事故で亡くなることも多いのだが、父親は幸い地球上の家族の元で最期の時を迎えられた。宇宙線の影響なのか、なぜその様になったのかが不明で、全身に腫瘍ができ除去してもすぐさま別の場所に腫瘍ができて完全に死滅させることができなかった。治せない病気はほぼ無くなった現代医療を持ってしても、全く原因が特定できなかったのだ。50歳という若さで亡くなってしまい、そのショックから生きる意欲を無くしてしまった母親は、それから半年後にエイチを自身の両親に預け失踪してしまい間もなく山中で首を吊っている状態で発見された。死因は違えどトースケもエイチが両親を亡くした年頃と同じ時期に母親を亡くしている。なぜ親子で同じ道を歩むのか。これが運命と言うなら酷過ぎるが、エイチは今のトースケの気持ちが痛いほど分かる、いや、それ以上に自分が感じた想い、まるでその当時の自分を俯瞰で見ているようで心が引き裂かれそうになっていた。
エイチの父親は生前に常々口癖のように話していたことがある。それを知ったのはエイチが父方の祖父母に預けられてから数年が経った頃だった。当初は母親の両親に預けられたのだが、母親が亡くなってからは、あんな形で娘を亡くして大変だろうと、父親の両親がエイチを育てることになった。祖父母はエイチが22歳になりルナエンジに就職するまで育て上げてくれた。当初は祖父母も孫を育て上げるので必死だったのか、エイチの両親の話はあまり語ったことがなかった。しかし、就職先も決まり大人になったエイチに改めて父親が闘病を始める前後の様子を語ってくれたのだった。―火星での小惑星探査を終えたあと、エイチも鮮明に記憶しているオーストラリア周辺への旅行に行った辺りから頭の中が掻き乱される衝動に駆られるようになったそうだ。この旅行はエイチも出来るなら父親と話したくもない時期に入りはじめ、隣で楽しそうにダンスを鑑賞している姿や観光地巡りをしているときのウンチクめいた話が、どうも気に入らず自分の心の中の複雑さとともにモヤモヤし始めた頃での家族の行事だったため強烈に頭の中に残っている。今思えば数少ない父親との時間を、自分の勝手な葛藤が邪魔をして十分に楽しめたわけではない。父親や母親はどうだったのだろうか。エイチも大人になり過去の出来事への振り返りを両親とともに行いたかった。しかし、今となっては当事者である両親は存在しないし話もできないため、エイチの心の中の後悔の大部分を占めている。
頭の中が掻き乱されるというのはどんな状況なのか。具体的なことは話してくれなかったそうだ。恐らく父親本人も何がどうなっているのか分からなかったのだろう。当初はひどい頭痛が襲ってきて何者かの声が聞こえていた気がしていたようだ。頭痛とともに声がハッキリしてきて、その声はまるで地球ではない何処か広大な宇宙からのメッセージを受け止めたようなものだったらしい。聞いてもわからないしイメージもつかないが、その後は近くにいる人々の声が断片的に読み取れるようになったらしい。口から発した言葉ではなく、おそらくそれぞれの人が頭の中で感じている事であり、単語として耳に入るような感じではなくイメージとしての塊が頭の中で膨らみ、言語や性別を超えて理解されるものとなる。病床に伏してからはその傾向は強くなり、概ね病院にいる人々の声が聴こえていたのだそうで、その中の殆どが同じような感情とのことだった。エイチの父親は自分の死を悟った時にふと、その聴こえる、見えるものはなにかを語った。
「人々の殺意を体の中に感じてしまう」
と。