出現
向かっていた座標には一部が破壊されたであろうゲートウェイ宇宙ステーションがあった。波打つ暗闇は月の3分の1までに大きくなり、獲物を狙っているかのように赤い稲妻を燻り続けている。司令部からの表向きの命令は、先行するファビアン隊の援護であり、マザーなきネットワークの安定化および『入口』を政府が完全に主導をする、ありとあらゆる手段の行使だった。当然、最優先事項とされるため、地球での取り締まりと同様に邪魔する者は排除する前提となっている。恐らく暗闇の影響により、月に近づくにつれてファビアン及び司令部からの通信は難しくなり、月の表面を肉眼で捉えられる頃には完全に通信できなくなった。眼下の宇宙ステーションだったであろう構造物を眺めながら応援部隊は第二の作戦に移行された。
「誰かが、犠牲になってしまいます」
別所の言葉は、機械を停めるだけの操作では、とても思いつかない内容だった。
「オフィスからの遠隔操作ができないので、この場所で停止作業をしなければならないのですが、どうやら、さっきの爆発で停止後の放射線を保持する機能が失われたようです。保っても10分耐えられるかどうか」
核を原動力にしたジェネレーターは、核そのものの制御が難しい。安全性に難があり使用が中止されたのは、こういった事が原因なのかもしれないが、今まさに懸念していた事象が発生している。見るからに緊急停止しなければならない様相のジェネレーターを前に、エイチたちは口を閉ざした。
「どのくらい放射線は出されるの?ほら、アシストスーツ見つけたとこにオペレーターロボットいたから、呼んでこよう」
トースケは提案したが、旧世代のロボットのため、複雑な要求には対応できない、しかももう時間がない。時間は延び続けているが、人間にも機械にとっても事象そのものの進行度合いは変わらず皮肉なものとなっている。
「―放射線量は正確には測れませんが人間はひとたまりもありません。即死レベルかそれ以上です」
小さかった振動は、揺れていると思えるほど大きくなり、決断のリミットがもう少しだということを告げていた。―応援部隊は地球からの大容量ソーラーレーザーを備えた、軌道エレベーター宇宙ステーション程はあるであろう巨大な軍艦一隻と、それを取り囲むように編成されたシールドを展開するシャトル及び月に残っている攻撃系シャトルの全部が集結する総勢十数隻となり何処かと全面戦争でもするかのような編成でステーションの上空に留まった。燻っている暗闇からは小規模な赤い稲妻が時折発せられるが、強力なシールドによって打ち消されていた。巨大シャトルは四方にソーラー展開用の無人機を飛ばし、ドミノが崩れて絵画が描き出されるように、パネルが展開された。同時に両脇に抱えた巨大な筒は、横の状態から縦に向かって回転し動き出した。
「私がサイボーグ化した理由はここにあったのかもしれません」
トロルサイボーグは周りの状況とは裏腹に、落ち着いた口調でファビアンに伝えた。今さらになって、この状況に観念し自分を振り返りだしたかと思ったが、まだ少し残っている人間的な雰囲気から、そうではないことを醸し出していた。
「私は半分人間ではありません。ある程度放射線にも耐えられる体を持っています。今の作戦はこれを停めるのが第一です。それに…」
トロルサイボーグは何かを言いかけ、エイチ、アニク、トースケに目線を合わすと
「マザーを停めて、あの得体のしれない『なにか』と前線にいなかった政府が渡り合えるとは思いません。隊長も感じていたはずです」
何も言葉は発することはないが、ファビアンは、小さな頷きを2、3回行い持ち前の冷静さを保ちながら話を聞いていた。エイチはふと、ファビアンの顔から目を逸らし胸元に目を向けると、彼が胸の前で組んでいる、左腕の下に収められた右手の拳は、固く握られ定かでは無いが小さく震えていた。
「サエキ…一番長かったな。前身の部隊からだったな」
流暢な言い回しでないことからも、彼の内側は動揺しているのだと伺えた。サイボーグ部隊が招集される前、サエキがまだ生身の人間だった頃からの付き合いであり、彼がサイボーグ化を行うまでの葛藤も一番近くで見ていたのがファビアンであった。
「耐えられると言っても臓器は人間のままでしょう?死んでしまうぞ」
アニクの問いかけにサエキは少し笑顔を見せた。
「放射線が出るから、この部屋は固く閉ざしてしまう。生きていたとしても、中からも出られないよ。計算だと間もなく爆発的にエネルギーを放出してしまいそうだ。決断の時だよ」
別所が言うように、この部屋の全てが飽和し爆発してしまいそうな雰囲気だった。
「あなたの申し出に感謝します。ありがとう」
エイチはそう言うと、エイチ、アニク、トースケは出口目掛け走り出した。ファビアンはサエキに歩み寄り、握手を交わすともう一方の腕で肩を抱き寄せサエキと抱き合った。警報がより一層けたたましく鳴り響き、サエキに背中ををされるようにファビアンもエイチ等に続き、出口で待っていた3人と合流した。重く分厚いドアが3重に閉まり、けたたましい警報や機械音、ガスの噴出音のありとあらゆる音は聞こえなくなった。
「―マザー、停め方のレクチャーをお願いします。月で最期になるとは思っても見なかったよ。ははは。新しい次元は良いものなのかな」
サエキは停止方法を聞くと、1つ目のレバーの操作を始めた。
固く閉ざされたジェネレータールームを後に、4人はマザールームへと足早に向かっている途中で、ジェネレーターから来る小さな振動はピタッと止まり、低く唸っていた音も鳴り止んだ。
「ジェネレーターは停まったみたいだよ。『入り口』も予想通り落ち着くみたいだ」
別所の声を聞きながら、ゆっくりとファビアンは立ち止まった。エイチ等も振り返り何処か悲しげに俯くファビアンを眺めていた。
「そんなバカな!なぜ今まで通信しなかった!」
悲しみに浸る時間もなくファビアンは声を荒げた。
ステーション上に展開している応援部隊のソーラーレーザーが、ステーションの破壊行動を行う準備をしていると通信が入ったようだ。ジェネレーターが停まり、『入り口』での次元の摩擦が起きなくなったことにより、脳通信も回復していた。しかし、遮断されていたためなのか原因は定かではないが受診のみが回復しており、相互通信ができない状態だった。司令部からサイボーグ部隊への命令はマザーの掌握であり、失敗の場合にはゲートウェイ宇宙ステーションを破壊するとされていた。しかし、中央警察司令部の本当の目的は、ゲートウェイ宇宙ステーション及びサイボーグ部隊の破壊だった。行き過ぎたサイボーグ化を世論が批判的に捉えはじめ、中央警察本体にまで批判が及ぶことを懸念して、秘密裏に行われているゲートウェイプロジェクトの解体と同時に部隊をリセットしようと考えていた。ファビアンは相互通信もできず、嫌でも一方的に裏切りの説明を脳内で受け止めていた。
立ち止まっていたエイチ、トースケ、アニクは白昼夢を見ているかのような感覚にとらわれた。エイチとトースケは、この感覚には身に覚えがあるが、オカルト好きではあるが、普段は妄想などもしない現実主義なアニクは暫く戸惑いが抜けずにいた。アニクはサーフィンの帰りに成績について憂いだ父親と口論になり、初めて殴られた記憶が蘇り、トースケもアンリとの楽しかった思い出の数々、エイチも父親との記憶、アンリとの出会いやトースケが生まれた頃の記憶が蘇って来た後、最後の一瞬にジョンソンの姿が現れた。走馬灯の様なフラッシュバックでは無く、まさに現実のように時間軸が進行していた。白昼夢のようではあるが、ファビアンと共にジェネレータールームに続く通路に確かに立っていることは分かり、現実では一瞬の中に居ることが分かる。今、3人は同じイメージの中に存在しているが、それぞれの感じている時間軸は異なり進んでいるようで、むしろ時間の概念は無くなっているかのように思えた。限りなく長いように思えた3人の時間は、ファビアンからは溜息一つ分くらいの時間でしか無かった。
「最初からここを破壊するのが目的のようだ。急いで離れないといけません!ソーラーレーザーが頭上にあります」
ファビアンの言葉に合いの手を入れるように、別所は通路沿いにあるホログラムディスプレイに外の映像を出した。
核に次ぐ無尽蔵なエネルギー源として太陽を利用したソーラーレーザーは、照射までに時間がかかるため軌道計算のできる小惑星破壊に使用されていたが、これだけの規模のもの、ましてや軍事的な使用を目的にしたものは国際法上でも規制されてきた。しかし、中央警察は法を超えた存在なのか。うわべの平和の水面下では恐ろしいことが行われ、中央警察、政府は地球を独裁しようとしている。とうとう殻を破り行動を始めた。
「火星のプロジェクトを含め全てのネットワークに接続できました。有機的にも人々が続々つながり始めています。順応性が高い人からのようですが」
再びマザールームに戻ってくると別所は伝えた。先ほどの3人の白昼夢の様なイメージは、多数の人間がつながり始めた影響かもしれない。だとすると、地球上でも同じ様な状態に陥った人々がいるかのように思われた。しかし、置かれている状況に変わりはなく、むしろ悪化していて、ソーラーレーザーによる捕捉が行われたためか、ジェネレーター停止により無くなった振動がまた起こり出した。
「恐らく、あと6分でしょう。マザーもそう思うだろ!?」
「僕の計算だと5分ですね。いずれにしろ時間はないよ。とにかく脱出しないと」
ゲートウェイ宇宙ステーションには脱出用の小型シャトルが備え付けられていて、地下にカタパルトが建設されていたため無傷で残っていた。オフィスから通路が延びていたらしいが、オフィス周辺は破壊されていて、通路の途中から入り込めた。脱出用なので、広さに余裕はなく、4人は肩をぶつけながら、急いでシャトルへ向かった。いくつかのゲートを経て辿り着いた先には、エイチがゲートウェイ宇宙ステーションに連れてこられた時と同じタイプのシャトルが姿を現した。
「コクピットの配置を見ればわかると思うけど、これもルナエンジ製だよ」
シャトルに乗り込むと、機内のスピーカーから別所が語りかけた。最初乗ってきたシャトルは無骨すぎてルナエンジとは別と思っていたが、改めてよく見ると、そのようである。シートベルトを付け終わると別所が続けた。
「カタパルトはレーダー検知出来なくなっていまが、あの艦隊では地中から出た瞬間捕捉され、3秒で攻撃がハジマリマス。相手のAIの性能は計り知れませんし、このシャトルも古い年代のものなので、レスポンスがいいかどうかワカリマセン」
「なんで、そんな口調なんだよ」
聞き慣れないイントネーションに、堪らずアニクは問いかけると
「シャトルのAIに釣られてしまって」
別所の言葉に覆いかぶさるように
「カタパルト発射シーケンス。5、4」
シャトルのAIは抑揚無く続け、エイチは、人間のように他人に釣られることもあるんだな、考えてみれば人間だったか、と妙に感心していると、間もなくシャトルは発射された。目まぐるしく通り過ぎていく青白い光の粒を抜け月面から躍り出た。久しぶりに見る白い月面と無数の星空を眺める時間もなく後方からレーザーが勢いよくシャトルの右側をかすめた。
「クラスターです。少々揺れマス」
別所はまたもや『AIなまり』で喋ると、通り過ぎたレーザーは細く数本に分かれ、こちらへと向かってきた。同様に何本かレーザーが通り過ぎ、数本に分かれ向かってきた。まるで、初めて地球を飛び立つ前に受けた順応性プログラムでの講習の時の様に上下左右に振られたが、比べ物にならないくらいの移動スピードでシャトルはクラスターを掻い潜った。次に拡散レーザーが発射され、またもや華麗な別所のシャトルさばきで、難を逃れたが、流石の別所でも風景が全てレーザーで埋め尽くされる状況の中では被弾0とはいかず、シャトルの左後方、イオンエンジンの一部が被弾してしまった。速力を失ったシャトルは俊敏さが欠け、この状況を突破できないかもしれないと思った矢先、攻撃がピタッと止んだ。後方モニターを見ると暗闇で燻っていた赤い光が、耐えきれずソーラーレーザー艦隊に降り注ぎ、攻撃用シャトルが数台餌食になり月面へ墜落していった。見ると、赤い光はステーションを破壊した時より、密度が濃く活発になっているようだった。ソーラーレーザー艦隊は暗闇からの回避行動を取り、こちらのシャトル撃墜どころではなくなっていた。月面にキスをした瞬間、周囲の砂をかき上げながら大爆発を起こした。かき上げられた砂は暗闇で燻る赤い光とともにキラキラと輝き、幻想的な風景を創り出した。追撃はなくなったが、エンジンの一部からメインにまで爆発が及び、完全に制御不能になったシャトルはフラフラと降下していき、小さなクレーターの中央に静かに着地した。外から見れば静かな着地だったが、シャトルの中にしてみれば大変な衝撃で、4人の首は軽いむち打ち状態になった。相変わらず暗闇内では赤い光が活発に蠢いているが、距離を置いたソーラーレーザー艦隊は赤い光の攻撃は届かなくなり、体勢を整えエイチらのシャトルに向かってくる様子だった。しかし、攻撃シャトルを欠いているため、こちらへの攻撃はなく、ただゆっくりと向かってきていた。
「―お前も立派に警察に尽くすんだ。間もなく軍と融合できる…」
「―には特殊能力機動隊の副隊長を任せるこ…」
「―これから能力の強化を図る人材を募集す…」
「―圧倒的な力を持つことで、世界を一つにする手助けになれば…」
「―機動隊は再編され、サイボーグ化特殊部隊の設立を…」
「―君を隊長に任命す…」
「―ここまで人間部分が失われるなんて…家族になんと言えば…」
(なぜなんだ…脳通信以外で頭の中にこだまする…。これは記憶なのか?)
「隊長、私たちは改変無しに繋がれます。体はなくなりましたが、意識のネットワークがあるみたいです。私も家族に会う事ができました」
サエキの声はハッキリと目の前にいるかのように聞こえている。中央警察の、とりわけファビアンの所属する治安対策部は脳通信を使用していたため、世の中とは隔絶された組織内に存在していたことと、元々、マユツバだった人々の有機的なつながりが身に起こることなど信じがたかった。しかし、現実にそれは彼に訪れ一瞬とも永遠とも思える時間が流れた。
地球上では、時間の延びとともに人々の奥底から引き出されたであろう殺意が渦巻いていたが、一方でテレパシーが使える人も若い年代に囚われず増えてきて、相互に通じ合い共感、それ以上の精神的な繋がりが増えてきた。
「ネットワークは徐々に融合されてきたようだよ。それに伴って、あの暗闇が何なのか正確に見えてきた!」
「それって…新しい次元で、人々が分かりあえる素晴らしいものじゃなかったのか?」
エイチは別所に問いかけ、答えを求めようとしたとき、マザールームで味わった様な振動がシャトル全体を包みこんだ。やって来るソーラーレーザー艦隊の背後で波打つ暗闇は、燻っていた赤い光を消滅させ中心部を限りなく先が見えないほど深くした、まるで金管楽器の朝顔を出口から眺めているような物になった。振動とともに、暗闇が近づいて来ているのか月が引き寄せられているのか、暗闇の中に引き寄せられているようだった。暗闇の増大と共に、体が押さえつけられたり軽くなったり、まるでクレーターシティーの接続口を行ったり来たりしているようだった。シャトルの異変かと思ったが、外を見るとソーラーレーザー、とりわけシールドシャトルが上下左右に振られていて重力に変化が起きているようだった。
「凄いよ。想像以上のことが起き始めているよ。僕の精神や全てが共有できている。みんな同じ物を見られるんだ」
別所は今起きている事象とは裏腹にネットワークの相乗効果に歓喜していた。フラフラとこちらへ向かってくる艦隊から通信が入った。サイボーグなき今、部隊の抹殺はもはや意味をなさず、ゲートウェイ宇宙ステーションもジェネレーターが停まり研究員も誰もいなく無力化していること、そして何よりテレパシーによりネットワークに接続されたことで、マザーの意識やゲートウェイの経緯、人々の相互理解が深まり、また暗闇から来る『なにか』の正体が分かったというもので、この暗闇の影響下で助け合おうというものだった。彼等にも先ほどエイチ等に起こった白昼夢のような現象が起きたのだろう。同じ様に意識の共有は程なくしてエイチ等にも訪れた。
(―)
(―ブラックホールだ。新しい次元などではない。空間を曲げてやってきて侵略を繰り返している。こちらのテクノロジーで呼び寄せているかと思っていたが、そうではない。そう言ったテクノロジーを持っている星を見つけ、空間湾曲の手伝いをさせる。何世代にもわたり繰り返していたが、彼らの攻撃のやり方は心を、我々の概念では殺意を支配し操るんだ。時間が延びているのは次元が融合するからなんかじゃない。ブラックホールに引き延ばされていただけだ。―だが一つだけ誤算がある。我々は進化を遂げた。ネットワークによって意思や感情を繋げ一つになることができる。こうして彼らの意図も汲み取ることができる。―彼らの誤算だ。終わるべき、終わらせるべきなんだ)
(―)
シールドシャトルが先行してクレーターに着陸した。スーツを着た4人は脱出用シャトルを離れシールドシャトルに向かった。重力の変化は相変わらず起きていて、よろけたトースケをアニクは鷲掴みにしシールドシャトルのスロープを駆け上がった。中には警察官が3人とAIロボットが1体、そして、中央警察のみで運用されるAIがシャトルの運行を行っていた。ここからソーラーレーザーに向かい、艦隊司令に向かうのかと思いきや、このシールドシャトルが司令船ということで、1艦隊をこの数名のみで操作していたのだ。警察官を経て別所と繋がった中央警察AIは、警察官に別れを告げ別所に融合された。AIロボットは別所の制御下になり姿を変え、これで良いと開き直っていた体型から、だいぶスリムになりエイチ、アニク、トースケの横に並んだ。
「さてと、これからどうする」
この様な状況を楽しんでいるかのようにファビアンは呟き、エイチとアニク、そしてロボットに乗り移った別所も表情こそは読み取れないが同様の感情を持ち合わせたかのように頷いた。それを見ていたトースケはなぜ楽しそうにしているのか訳がわからなかった。そんなトースケにアンリは語りかけた。
「年をとったほうが、トースケのような現実の若者よりも純粋な童心になれるのよ。私にも分からないけど」
暗闇の奥底が蠢いているかのように見え、重力の変動は落ち着いてきた。
「政府や宇宙局も新しい次元がやってくるだろうことに、ただ踊らされていたわけでは無いんだよ。資源回収がピークの時に一度現れたんだ。ちょうどエイチの親父さんの時だね」
スリムな別所は、シャープな体を手に入れたためか軽快な語り口に変化したようだ。暗闇が初めて現れたのは火星でのワープ実験の失敗のあとだった。当時は加速エネルギーをコントロールできなかったため、持続的に空間湾曲をアシスト出来なく数ヶ月しか現れなかった。しかし、メッセージだけは確実に受け取れた。言語が地球のものではなく解読するのに数年かかったが、内容は『銀河をまたいで進む者、より豊かになるため融合し平和をもたらす。共に時空を超え発展をせしめる』歴史、科学、哲学全ての側面から、その言葉の解釈に努めた。完全な解釈には至らなかったが、大筋で友好的な次元の融和であることが示された。ゲートウェイ宇宙ステーションは火星開発の中継地点だったが、同時に『なにか』を引き寄せていて、空間湾曲に専念できるため月の裏側に墜落したことは好都合だった。一方で、世界的にはうわべの平和の中で否定的に捉えられていたが、外宇宙に対しての兵装は宇宙局やアメリカ軍、中央警察の隔たり無く、かつ解釈に関係なく進められていた。トンガ、中央アフリカ、ガラパゴス上空の宇宙ステーションには多数の軍事ロボット、公にはされていないが、地球のトロヤ群には小惑星を寄せ集めたかのような要塞が建設されており、地球上の兵装の約5分の1程度の兵装がされている。『なにか』と対峙するには十分と思えるほどの準備はされているようであった。
グリーンランドにはアメリカ宇宙局と中央警察の本部が置かれている。かつての地球温暖化により氷床が溶け開発が行いやすくなったことと、巨大な宇宙港を建設するだけの広大な土地があったためだ。コントロールされた気候のため、混乱のさなかでも気象システムは正確に働き続け、今日は朝に雪が降りこれから快晴になるはずだった。両施設は大きな一つの要塞のような建物内にあり、元々外部と隔絶されていたため地球上の混乱の中においても比較的落ち着いた雰囲気を醸し出していた。しかし、辺りが急激に暗くなるとともに空気も重くなった。システムのバグかと思われたが、それは雨雲ではなく赤い光を横方向に無数に放ち、煮えたぎった液面のように波打つ暗闇であった。『なにか』は月の裏側だけでなく、空間湾曲がアシストされたおかげで、グリーンランド上空にも入口を出現できるようになっていた。そしてゲートウェイ宇宙ステーションを引き裂いた時よりも強力と思える、赤い光の束が要塞の真上から真っ直ぐな柱となり突き刺さった。一瞬の静寂が辺りを包んだあと大きな地鳴りと轟音、砂煙をまき散らしながら要塞は崩れ落ちた。暗闇はすぐに月でのそれの様に、金管楽器の朝顔のような形状になった。月と地球上での暗闇は動きを同調されたかのように動きを早め、ついに『なにか』は姿を現した。
「どちらの本部も応答無しです」
「エマージェンシーにより、各宇宙ステーションからアストロを射出。大気圏突破後は自立シーケンスに移行」
各宇宙ステーションに配備されていた対宇宙用戦術ロボットであるアストロは、システムによりグリーンランドの有事を検知し自動的に射出された。アストロは中央警察により運用されるが、運用のほとんどが中央警察AIであるホーラーが行っていた。本部への攻撃により弱体化したAIでは足りずに、警察官及び軍人がアストロとシンクロして操作する必要があった。20体が連なり1つのシャトル状になったアストロは、大気圏を抜けそれぞれが空中で分離した。各宇宙ステーションから集結したアストロは小隊を組み本部周辺へ集結した。月でもグリーンランドの有事を検知した事と巨大な物体を捕捉したため、月面部隊基地からアストロ部隊が集結しだしていた。
「デカすぎないか?」
アニクはつぶやき、エイチ、ファビアンと共に360度モニターを眺めていた。
「ああ、もはや小惑星だよ」
人間よりも可動域が広い別所は、首を回転させながら話した。現れた『なにか』はあまりにも巨大で、モニターのすべてを覆い星空が全く見えないほどだった。シールドシャトルとソーラーレーザーはゆっくりとその場から離れていき、背後からアストロ部隊がやってくるのが見えた。地球上では空に天井ができたかのような『なにか』は夕日に照らされ、上部は砂埃で霞がかっていたため月で見るよりも異様さと巨大さが際立って見えた。
出現と同時に大きな攻撃が始まるかと思ったが、異様な佇まいを更に強調するように、小さな地鳴りのような音にならない音を発している他は静寂と呼べるものだった。シールドとレーザーライフルを備えたアストロ部隊は上空を見上げたまま暫く緊迫した時間が流れ、付近の洋上でコントロールしている隊員達にも緊張の時間が走った。すると突然、隊員の数名が激しい頭痛に襲われ頭を抱えだした。同時に『なにか』は赤い光での攻撃と生物の様に尾を引く小さなシャトルを大量に排出した。頭痛も『なにか』による攻撃なのだろうか。部隊は迎撃態勢に入ったが、コントロールを失う又は、動きの鈍い者がいるためライフル一撃で撃破できる相手に苦戦を強いられていた。月においても状況は変わらず、駆けつけたアストロ部隊も苦戦を強いられていた。エイチ達のもとにも部隊は駆けつけ、尾を引くシャトルを迎撃したが、数が多く上空に上昇できない状態のため、ソーラーレーザーもパネルの展開ができず、戦況を一気に打破出来るであろう一撃を出せずにいた。追い打ちをかけるように『なにか』は高速で卵のようなものを複数射出した。それは地球上の主要な土地や月面のクレーターシティーの上空で尾を引くシャトルをばら撒いた。アストロ部隊や警察、民間人に起こっている頭痛は、ジョンソンの時と同じかそれ以上に人々の間に殺意や不信感を呼び起こした。各地で軍や警察、民間が迎撃に当たるが混沌と化した人々の状態では、グリーンランドはじめ地球上、月面での『なにか』への反撃はうまく統率出来ないでいた。
エイチ等は攻撃する手立ては持っているのに、行動に移せないもどかしさと苛立ちを隠せないでいた。アニクはふと思い出したかのように呟いた。
「噂だけど、トロヤ群の小惑星に混じって対宇宙用の軍事基地が作られてるみたいなんだけど…別所分かる?」
「私も警察内の噂で聞いたことがあります」
ファビアンも聞いたことがあるようで、民間のゴシップにすぎない話ではなくなり情報の確度が増した。外では尾付きシャトルとアストロの一進一退の攻防が続いていて、部隊の統率さえ取れれば一掃出来ると思えた。
「確かにトロヤ群に建設されているよ。対宇宙用と言うのは正確じゃなくて、企業との癒着と地球上のゲリラの撲滅用なんだって。現在の最新技術で作られていて高機動シャトル、ハイグレードなアストロが揃ってる。起動すれば月には7日もしないで部隊が到着するよ」
「起動すれば?」
部隊が展開されていないことにエイチは疑問を感じ尋ねた。
「実は、中枢を中央警察の中でも一部が握っていて、彼らお得意のオフラインで進めていたからね。中央警察AIのホーラーでないと起動できないんだ。AI抜きでの起動は、恐ろしいほどのネットワーク網を越えなきゃいけないから時間がかかるみたい」
別所も他のみんなも感じているだろうが、この現代においても、そのようなことがある事と、なぜ有事に使用するものがこの様な設計なのかエイチは疑問に感じた。しかし、前向きな話をしようかと思ったその時、全員がハッとした。
「シャトルに乗ってたAI!」
トースケの声が一番大きかった。先ほど別所に取り込まれたAIは中央警察のものだった。警察官は、確かにホーラーなのだがシャトル運用に特化したもで、完全なアクセス権限は持っていなかった。別所に取り込まれ拡張できた今なら確証はないが起動できるかもしれないと別所は話した。エイチ、トースケ、アニクは人智を超えた存在のようになった別所だが、性格というか何処か抜けている姿に安心感を覚えてしまった。
「彼女を呼び起こしてみるよ」
別所はそう言って一瞬電源が切れたかのように肩を下ろし、すぐにそれは回復した。
「―私は完全な形でのホーラーではありません。中央警察内でも覇権の争いがあります。軍と一つになったこともあり対宇宙での政策やコマンドは一体化を帯びてはいません。詳細は私ではアクセスできない場所に格納されています」
「急激にでかくなった弊害かな。トースケもそのうち分かるよ」
「なんか、経済で30年代に次世代自動車会社がなんかあったって、どうこう…」
エイチは教訓のように言ったが、トースケのうやむやな返答に、思わずファビアンは吹き出しそうになってしまった。
「私はホーラーの一部なのでトロヤ基地までのネットワークを確立できません」
彼女はそう言うと、別所の奥に入っていった。
「テレパシーも人間のネットワークだよね?AIのネットワークと繋がったら強力になるんじゃない?」
「なんか、有機的、無機的につながるんだろ?」
トースケの問いにアニクがかぶせた。
「確かに人間とAIのネットワークは一つになる。理論的には行けるかも。確かに人類が同じ方向、意思を共有出来れば、より強力になると思う」
「私たちは、あの尻尾シャトルの応戦に向かいます」
警察官3人は小型シャトルへと向かい、程なくして月面部隊へと向かった。
「あの尻尾、ソーラーレーザーには目もくれないな」
ファビアンはそう言いながら、別所とともにシールドシャトルとソーラーレーザーの操舵に回った。小さな虫のようにまとわりつく尾付きシャトルをかわしながら、シャトルは『なにか』から離れるように動き、エイチ、アニク、トースケはシートへと着座した。




