変化
「多角レーザー、準備だけしておけ」
ファビアンからの脳通信により、オフィスにいた隊員に指令が入った。マザーを破壊した場合にステーションを消失させるため、爆撃支援ロボットを配置し、シャトルから放たれる多角レーザーでの誘導爆撃を行うためだ。レーザーでの爆撃は出力を調整しジェネレーターを破損させないようにするためだった。隊員は爆撃支援ロボットを起動させると、ロボット達はステーションのスキャニングをはじめ、効率よく攻撃するための計算を始めた。ステーション上の暗闇の中に出来た歪みは大きくなり漆黒の渦となっていた。爆撃支援ロボットのスキャニングの結果はリアルタイムでサイボーグ部隊に共有され、全員、脳内に映し出されるステーションの外観3Dデータを共有していた。計算が終わろうとしていた時に、突然ステーションの一部が動き始め、長い2本のアームを展開しステーション上部から移動を始める物体が3Dデータに映し出され、ファビアン始め隊員は突然の出来事に一瞬唖然としてしまった。
「すごい!動いた!動いたー」
トースケが喜びの声を上げている間、オペレーターロボットはより一層、ピコピコとなり始め、その音の多さに比例して作業用ロボットは暴れ出した。アームは周囲の爆撃支援ロボットまでも届くほどに展開し、ステーション上部のレールの砂に埋もれている部分まで勢いよく下った。スイスツールのように、アーム先端はあらゆるツールを外に出して上体もろとも、ゆっくりと力強く時計回りに回転して爆撃支援ロボット1体にアームが触れた。最初はよろけるだけだったが、2回目のアームはクリーンヒットして、半分がつぶれながら砂に埋もれた。2体目の爆撃支援ロボットにもクリーンヒットし、今度は小規模な爆発をして砂に埋もれた。こちらも時計回りに砂に埋もれながら、3分の1の爆撃支援ロボットがモグラ叩きのように埋もれていった。程なくして多角レーザーがシャトルから放たれたが、正確な誘導を受けられないため、作業用ロボットを通り越して墜落でえぐられた砂に数発が埋もれた。
無人のシャトルを操作するため、工藤とリュウの近くにいた隊員は頭の中の操作で一杯で、2人の拘束が疎かになった。そのすきを見て、工藤とリュウは頷きリュウは駆け出した。すぐさま隊員たちに気づかれ、拘束レーザーを発射された。1発はリュウの肩をかすめるだけだったが、次は右足を捉えられリュウは両手を伸ばした状態で前かがみでデスクに倒れた。外ではステーションを囲む砂の丘からシャトルが顔をのぞかせレールガンの銃口を作業用ロボットに向け2発発射した。銃弾は見事に作業用ロボットに命中し貫通した。爆発はなく、無数のロボットの破片が散らばり、一瞬ロボットに羽が生えたかのように見え、まもなくしてアームを振り回していたロボットは動かなくなった。
「申し訳ないです。―みなさんの友人には悪いことをしてしまいますが、政府のミッションですので、殺人にはあたりません」
ファビアンはそう言うと、サイボーグ部隊はジリジリとマザーに近づいていった。エイチもサイボーグ部隊を突き抜ける形ではないが、回り道をして、アニクに続いてマザーの下にかけていった。部隊に同行している反重力積載カートには何やら見慣れない機器が積載してあり、スナイパーサイボーグと、見るからに上半身を強化したトロルサイボーグが機器を起動した。
「あれも特大号で見たことあるな。どうなってるのか分からないが、何か巨大なシステムを再生するために使うものらしい。まあ、具体的には書いていなかったから、まったく分からないのが本音だけど」
迫りくるサイボーグ部隊を見据えながらアニクは呟いた。
「全部書いてあるじゃないか。もうちょっと色々知りたかったよ!今度その編集社教えてくれよ」
エイチもまた、サイボーグ部隊を見据えながら呟いた。この期に及んでも、どうやって彼らを食い止めるか全く頭には浮かばないまま、2人は小さなシールドと拘束銃を手に持ち、別所を守るべく立ちはだかっていた。
「すべてが終わるまでは動かないでくださいと伝えたはずですよ」
拘束レーザーをたぐり寄せながら隊員は言った。再び拘束されたリュウは工藤と目を合わせ、得意げな顔をしてみせた。
「エイチ、アニク、ありがとう。今度はオレの番だ」
迫りくるサイボーグ部隊に対抗する術がなく、何も考えずに部隊へ飛び込もうとしていたエイチとアニクに別所の声が響いた。その声は後ろでマザーとマスターも同じように話しているような、エフェクトのかかった声のように聞こえた。マザーが起動している音なのか、低く太い音はスイッチが切れたかのように鳴り止んだ。ホログラムディスプレイは一瞬ブラックアウトし、すぐに様々なウィンドウが大量に放出された。それと同時に白く光沢のある平たい壁や床、天井は至る所が迫り出し立体的なものになった。その全てにあらゆる武器が備わり、マザーを吊り下げている根本からも銃身を装備した2本のアームが伸びていた。
「―まじかよ。ないって言ってたじゃん…」
呆気に取られながらエイチは3歩前に出ただけで立ち尽くした。
「我々が使用できる武器を問われましたので。マザーが発動できるシステムなのですが、アップデート中は外部から我々も操作できます。と言っても今、アップデートが終わったようですが」
「雰囲気でわかるじゃん」
ため息混じりにアニクは呟いた。オフィスで拘束されている工藤とリュウだが、リュウはデスクに倒れ込んだ時に備え付けてある認証システムに手をかざし、遠隔スイッチを手のひらの中に収めていて、再び拘束される前に起動させていた。
「時田は残念でしたが、我々BPは最後までマザーをアシストしま」
工藤の声は途中で途切れてしまった。ただ拘束をされているだけではなく、手荒な扱いを受けているのがうかがえた。サイボーグ部隊は全員一歩下がり、防衛システムとのにらめっこを始め、嵐の前の静けさが一帯を包んだ。
「シャトルは直ぐ側までいるので、多角レーザーを使いましょうか?」
「だめだ。万が一、ジェネレーターにダメージが及ぶもしれん。ゲートにどんな影響があるかわからない」
もう一人のトロルサイボーグとファビアンは話し出した。出力調整できるレーザーでの攻撃は、完全なスキャニングが出来ていなく、マザーの下にあるジェネレーターを傷付けるかもしれないので、彼らは目の前にある防衛システムとの戦いを選んだ。
「あのサイボーグたちを、食い止められるか5分だけど、エイチ、アニクは後ろにいてくれ」
別所の優しい語り口とは裏腹に、見るからに剛腕な2本のアームの銃口はサイボーグ部隊に向けられた。エイチとアニクは大人に言いつけられた子どものように素直にマザーの背後へと移動した。静けさは直ぐにかき消され、2人のトロルサイボーグがマザーへ一直線に駆け出した。天井から多角レーザーが発射されたがトロルサイボーグは体を包むようにシールドを展開させ、レーザーを跳ね返した。しかし、レーザーを吸収するたびにシールドは消えかけ、ついに消失した。後方ではスナイパーサイボーグがライフルや見たこともない武器を展開させ、天井の多角レーザー門へと照準を合わせた。シールドのないトロルサイボーグ2人は、左右の壁際に展開し、両椀の回転式物理シールドでレーザーをかいくぐっていた。時間稼ぎだったようで、スナイパーサイボーグの後ろにファビアンが位置取り、もう一人のサイボーグがスタスタと前に出てきた。そのサイボーグは何というべきか、両肩と腰の後ろに機械部があり、顔は3分の2ほどが機械化されているが、見た目はほぼ人間であり身体つきからは全く能力が予想できない。マザーの床のレーザー門はスナイパーサイボーグに照準を合わせてレーザーのエネルギーを溜め始めた。前に出てきたサイボーグは勢いよくしゃがみ込み両手を床についた。エネルギーが溜め終わり、いよいよ発射される頃、サイボーグたちの前の床が盛り上がり、まるで魔法のように瞬く間に壁が出来上がった。
「なんだよあれ。エイチ分かるか?」
「―分からない。けど、無数のマイクロマシンを操っているのかも」
月へやってくる前、ルナエンジの開発会議に出た際に、実装には課題が山積しているため、まだまだ研究段階の話として聞いたことがある。複数のナノマシンを個人の意のままに扱えるように制御するには、あまりにも脳に負担がかかりすぎて、前頭葉、つまり理性に危険な影響があるとされていた。この様な恐ろしいサイボーグ化まで行ってしまうなんて、中央警察は軍隊と一緒になる前から、もう目的のためには手段を選ばない軍隊のようになっていたのかもしれない。
レーザーは大きな球体に凝縮され発射された。ナノマシンサイボーグの創り出した壁にぶつかると、爆発とともに壁の半分が崩壊したが、サッカーボールくらいまで小さくなったレーザーは軌道を斜め上に変えファビアン頭上の天井にぶつかり破裂した。小さな破片がファビアンの肩にチラチラと降り注ぎ、右手で左肩を払ったあと何かを呟いた。スナイパーサイボーグは背後にある装置から発砲したが、それは意志を持ったように折れ曲がりマザーの放っている多角レーザーを迎え撃った。マザーの放つ多角レーザーは尽く打ち消され、解放されたトロルサイボーグは1 体は壁際を走る配管を覆うように張り巡らされた鉄骨を腕力で剥がし取り、天井の多角レーザー門に向かって投げつけた。信じられないスピードで突き刺さり、沈黙した多角レーザー門は周囲が熱気に満ちたように揺らめき、まもなく爆発した。もう1体は床のレーザー門に向かって走り出し、マザーの根元についたアームからはマシンガンのようにレーザー弾が発射された。弾丸が徐々に走るトロルサイボーグに収束していき、回復したシールドに数発命中した。多角レーザーよりエネルギーが強いため直ぐにシールドは消え去り、トロルサイボーグの左肩に弾丸は数発撃ち込まれた。たちまち肩は複数の部品をまき散らしながら飛び散り、トロルサイボーグの左腕は破壊された。その勢いで回転しながらも進行方向へ進んだ彼は、発射しようとエネルギーを溜めている床のレーザー門に辛くもしがみつき、体の中心部が紫へにわかに光ったあと自爆した。その爆発とともにレーザー門の周囲の床は大きく凹み、きのこ雲を伴い爆発した。
「エイチ、アニク、シールドを展開させて!できるだけ離れて!」
優しい別所の語り口ではないことに、2人はギョッと目を合わせシールドを展開させた。きのこ雲は霧のように天井一帯に広がり、マザー側からサイボーグ側が見えなかったが、凄まじい轟音とともに稲妻の様なレーザーが霧に風穴を開けながら、まるでトロルサイボーグの仇討ちをする様にマザーの右側のアーム根元に命中した。アームはマザーから千切れ、床を一部陥没させながら落ちた。破片が2人の上にバラバラと落ち、アニクの頭上にかなり大きなカバーのような破片が落ちてきた。辛くもシールドで防ぐことができたが、アニクの鍛え上げた腕がなければ、押しつぶされてしまうほどだった。2人は急いでマザーから離れ奥の配管や機材が集中していて、少しでも身を隠せそうな場所に血相をかいて走っていった。
―目の前で起きていることに、エイチは夢の中にいる感覚で見ていた。それはまるで、ジョンソンがエイチの記憶の中に登場したときのような、現実なのか分からない状態で、マザーに触れたときと同じような、誰かとイメージを共有している感覚であった。アニクはどんな状態だろうと隣を見たとき、何やらアニクが叫び、飛ぶように覆いかぶさってきた。スナイパーサイボーグから放たれたレーザーがマザーに直撃し、シールドによって散らばったレーザーが飛び込んできた。間一髪アニクに助けられ、エイチの夢心地は解かれた。残っている1本のアームで連射しているが、ナノマシンサイボーグの作り出す壁に阻まれ、多角レーザーもスナイパーサイボーグの迎撃により半分以上打ち消されている。トロルサイボーグも1人だけになったが、床のレーザー門が一つ減ったおかげで、攻撃をかいくぐりながら、じわりじわりとマザーへ近づいていた。戦況は徐々にサイボーグ部隊に有利になってきていた。天井の多角レーザーは2門、床のレーザー門は1門にまで減らされていたが、ナノマシンサイボーグの作り出す壁の隙間をかいくぐり、レーザー門から放たれたレーザーがスナイパーサイボーグの武器を捕らえ、周囲にプラズマのようなものを放ちながら爆発し、たまらずスナイパーサイボーグとファビアンは後ろ側に吹き飛ばされた。
ステーション上は見渡す限り、暗闇の中の大海原のように大きなうねりとなっていた。刻々と時間は延び続け、何かがもう少しで、手の届くところまでやって来ることを知らしめているようでもあった。作業用ロボットは大破し、次の手は何かないのかトースケは考え倦ねて居ると、オペレーターロボットは
「サギョギョウヨウ、―ボットノ、Maintenanceヒツヨウ。アシストススーツ、デンゲンキョウキュウ」
と、突然話しだした。コントロールルームの中央に目を向けると、アシストスーツのあるらしき床下にはしごが伸びていて、ほのかに明かりが漏れていた。
「やるじゃん!白坊主ー。これで何とかしてみるよ」
トースケはオペレーターロボットに対し友達のように話しかけ、年代特有のAIやロボットと人間とを区別することない、分け隔てのない態度で接したが、残念ながら古い年代のロボットは感情プログラムを搭載していなく、ただただ、トースケを見てピコピコと音を立てていた。
「Chag…カンリョウシマシタ」
「ありがとう。またどこかでね」
中央に向かい、明かりの漏れる穴を覗き込むと、パイプの外骨格に覆われたロボットが立っていた。はしごを下り改めて見ると、中央に制御デバイスを備えたコックピットがあり、高さ3メートルほどである。作業用ロボットが進化するまでは、人間が手足のデバイスを使用して操るアシストスーツが主流であったが、トースケはこれについても、実物を見るのは初めてであり、やや興奮していた。ロボットの足元にあるボタンを押すと、上半身の前面が開いた。ステップを4段上がり、振り向いてコックピットにある腰当てに腰を当てると、自動的にベルトが巻かれ制御デバイスに両手と両足を入れた。ハッチが閉まり、キューンと密閉されるとガラスのウィンドウにアシストスーツの状態とバッテリー残量が表示された。試しにジャンプしてみると、思いのほかパワーがあり、コントロールルームの床に上半身まで飛び出てしまったので、そのままよじ登った。生身の5倍は力がアシストされているようだった。ぎこちない歩き方のまま、オペレーターロボットの脇を通り過ぎ、こちらもぎこちなく覚えたての動作のように、トースケはロボットに向かって手を振りながら帰路に立った。オペレーターロボットは相変わらずトースケをじっと見たまま、ピコピコピコと小さな音を立てていた。
スナイパーサイボーグのメインの武器は沈黙したが、マザーの攻撃が優勢になる事はなかった。スナイパーサイボーグの迎撃レーザーは迎撃だけでなく攻撃へと転じていた。ファビアンも大破した武器から小銃を取り出し、マザーへ続く配管への攻撃を始めた。トロルサイボーグは隙を縫って壁伝いにマザーへ突進した。配管の骨組みを引きちぎり、アームの根元へ槍のように突き刺した。刺さった槍はアームの可動域を制限して、ファビアンらの方に向けなくなっていた。アームの武器が入れ替わり多角レーザー銃に変わったが、レーザー弾より威力が劣るため、代替となるには心許なかった。ナノマシンサイボーグが前に走り出し、前方にジャンプして両手を付き着地した瞬間、今までとは比べ物にならないくらいの後方のファビアンまでを覆うかのようなドームを形成した。彼自身に相当な負荷がかかっているようで、両肩の機械と頭部が青白い熱気の様な物を出し、まるでオーバーヒート寸前の機械のようだった。彼の創り出したドームは強力で、マザーの攻撃はほぼ打ち消されていた。
「迎撃してないんじゃないか?」
「どうしたんだろう。嫌な予感がする」
アニクとエイチは、ピタッとサイボーグ部隊が沈黙した事に気持ち悪さを覚えた。するとドームの前方にポッカリと穴が出現し、すかさず閃光を伴って強力なレーザー弾が2つの天井の多角レーザー門に2発発射された。そのレーザーはかなり強力で、2つのレーザー門は一瞬砲身が解けたような様子を見せて直ぐに爆発した。防御の時間の間に、スナイパーサイボーグは多角レーザーを収束させ全てを2発に集中させていた。ドームが消えてなくなっていくのと同時に、自身のエネルギーも放出させたようで、後ろに仰向けで倒れ目の色を無くしたと同時に動かなくなった。トロルサイボーグはその隙にナノマシンサイボーグまで戻り、今度は自身のシールドを展開して後ろに回復したナノマシンサイボーグを従えながら床のレーザー門に突進した。2人は放たれたレーザー弾を見事にジャンプでかわし、レーザー門の目の前にたどり着くと、また、ナノマシンサイボーグがオーバーヒートを起こしながらレーザー門にしがみついた。頭を小刻みに震わせている彼からのマシン制御なのか、床のレーザー門はバキバキ音を立てながら徐々にマザーの方へと砲身を向けた。ナノマシンサイボーグは遂に機能を停止したのかと思えたとき、マザーに向かっている砲身からレーザー弾が放たれ、見事に槍の刺さっているアームの根元へ命中した。小さな爆発を2回ほどしてアームは力無く床へ落ちた。ナノマシンの制御が切れ、改めてサイボーグ部隊の方に向きを変えようとするレーザー門にしがみつくナノマシンサイボーグは体全体を青白く発光させレーザー門もろとも自爆し、レーザー門は破壊された。サイボーグ部隊もファビアンとトロルサイボーグのみだが、オフィスには数人、サイボーグが待機している。とうとうマザーは丸腰の状態になってしまい、なすすべがなくなってしまった。生身の人間であるエイチとアニクは、この状況をどうにもできずに立ち尽くしていた。
「犠牲が多かった。ここまで抵抗するとは思いませんでしたよ。どうか、平和的に終わらせましょう」
トロルサイボーグと合流したファビアンは戦闘中ずっと蔑ろにされていた積載カートの機器とともにマザーに近づいていった。
エイチとアニクは忍び寄るサイボーグに対抗する手立てがなく見つめることしかできなかった。サイボーグ越しに見える、分厚い壁に開いた穴から明かりが揺らいで見え、何かの物体がやって来るのが分かった。ダンダンダンとその音は大きくなり、穴と同じくらいの大きさの金属の物体が穴の端に擦れ火花を散らしながら突入してきた。それはバギーのようでもあったが車輪などなく、エイチやアニク、おそらくファビアンらも見当がつかなかった。それは直ぐに動き出し立ち上がった直後に、中央にトースケを乗せたアシストスーツだと分かり、トースケはアシストスーツを仰向けに倒して足からスライディングする格好で穴をすり抜けていた。トースケの順応は素晴らしく、アシストスーツを自分の手足のように自在に操っていた。トロルサイボーグはトースケを止めるため突進した。横を向いて立ち上がっていたトースケはすぐに気づき、左に体をひねりながら、左手でトロルサイボーグと組み手になった。力は五分のようで少しの睨み合いの後、トロルサイボーグが少し引いたところをトースケは何も考えずに前に進んだ。トロルサイボーグはまんまと左腕を取り、小手投げの形でトースケを前のめりで倒そうとしたが、なかなか反応のいいトースケは、左足でぐっと堪え、すかさず右手でトロルサイボーグのボディーを狙った。その手は押さえられたが、トースケは腕の内側から丸鋸を回転しながら飛び立たせトロルサイボーグの腹部をかすめた。1秒ほど火花を散らしたあと、トロルサイボーグは後に飛び、トースケも体勢を整え、2人は睨み合う体勢になった。
「あいつ、何も習ってないだろ?俺も何も教えたこと無いし」
筋トレの延長で格闘技にも精通していたアニクだったが、トースケの姿を見て驚いていた。エイチもトースケを長らく育てていたが、あんな姿、ましてや格闘など見たことはなかった。今こみ上げる感情としては場違いだが、息子の新たな一面を見て着実に成長し大人へとなっているのだなと感心していた。―センスは良いものの、格闘に慣れていないトースケは睨み合いに待ちきれず、間合いも考えないでトロルサイボーグに飛びかかった。トロルサイボーグは軽々躱したが、飛びかかったと思っていたトースケはそのまま走り出し、目の前にファビアンを捉えていた。意表を突かれた形になったトロルサイボーグは後を追ったが時すでに遅しで、トースケはファビアンに向かい丸鋸を突きつけた。
「なんか偉そうだから、あなたがリーダーなんでしょ?」
ファビアンの顔の前に丸鋸を突きつけながら、アシストスーツで自身がヒーローになった気分でトースケは得意げに話した。このような状況にも関わらず、ファビアンは冷静さを保ちながら
「中からは見えませんか?バッテリーが切れるようですよ」
その言葉にハッとし、高揚感で満たされていて気づかなかったが、トースケは改めてインフォメーションディスプレイを見ると、赤い表示でバッテリー切れのサインが出ていた。さすがに古い年代のアシストスーツのバッテリーは長くは持たなかったようだ。両手足がズシンと重くなり、ファビアンに突きつけていた丸鋸も段々と一つ一つの歯が見えるようになり、ついに回転を止めてしまった。駆け足で向かっていたトロルサイボーグは、ゆっくりと歩き出し拘束ベルトを取り出そうとしていた。
「クソっ!別所、どうにかならないのか?」
トースケがファビアンに向かった時に、堪らずエイチとアニクはトースケのもとに走り出していた。エイチは別所に対し叫んだが、昔のアシストスーツのためオフラインであり、ドックを離れてしまうと電源の供給も出来なく成すすべが無かった。ファビアンは動かなくなったトースケから一度離れ、拘束ベルトを持ったトロルサイボーグと共に、改めてゆっくりとした足取りでトースケの下へと近づいた。トースケも観念した表情で前面のハッチを開け、ベルトと制御デバイスを外した。エイチとアニクもトースケの下へ駆け寄ろうとしたとき、地震の前兆のような振動を感じた。間もなくして大きな振動になり、地下で大きな轟音が鳴ると同時に立っていられないほどの振動が一帯を襲った。床には大きな裂け目が現れ、息をなくしたナノマシンサイボーグの破片が飲み込まれていった。ちょうどトースケもアシストスーツから降りるところだったため、急いでアシストスーツから離れた。間もなくしてアシストスーツはファビアンらの方に崩れ落ち、トロルサイボーグが機体を支えたあと背負投の格好で投げ飛ばした。大きな振動と轟音は収まったが、小さな振動は続いていた。
「ジェネレーターは攻撃していないはずなのに」
ファビアンはそれまでの冷静さを少し失い呟いた。しかし、振動の原因は明らかに地下の加速路だとトロルサイボーグは答えた。エイチ、アニク、トースケの3人も何があったのか思考が追いつかずにしゃがみ込んだままだった。
「地下のジェネレーターが暴走したんだ。恐らくオーバーロードだよ。急いでゲートを開けすぎたようだ。オフィスの制御も無かったしね」
別所の声は少しの危機感をはらんでいたが、エイチとアニクには別所の普段の物言いからして、この語り口は相当大変な事が起きていると予想できた。古いジェネレーターのためマザーが完全に制御出来なく、オフィスの研究員たちがアシストを行っていた。小さな振動が続く中アンリの声がエイチの頭に響いてきた。
「危ない!気をつけて!」
「トースケ!アニク!何か起こるぞ!」
エイチはアンリの声に条件反射のように答え2人に伝えた。辺りが一瞬ブラックアウトし、遠くで爆裂音が鳴り響いた。ステーション上の漆黒の大きなうねりの中から雷のようでもあり、多角レーザーのようでもある赤い光が数本、幾重にも枝分かれしながら周囲に解き放たれた。その内の1本がサイボーグ部隊の一派が工藤らを拘束しているオフィスに到達し、ステーションを真二つにする様に駆け抜けた。赤い光が通った道筋は一瞬、光を追うように閃光を放ち、爆発とも膨張とも思える姿で月面もろともオフィスとステーション周辺を破壊した。破壊される轟音はマザールームへも空気の振動を伴いながら鳴り響いた。
「マルタ!サイトウ!どうなってる!?」
ファビアンは初めて冷静さを欠き、脳通信だが声に出るほど動揺した。様子を見る限り応答はないようだ。それと同時に工藤やリュウ、残されたオフィスの研究員も消滅してしまったのだろう。別所はステーションの周辺監視用カメラの映像をホログラムディスプレイに映し出した。そこには画面の上面いっぱいに赤く細い稲妻の様な光を出しながら波打つ漆黒があり、その下には半分が砂に埋もれていたはずのステーションの一部は見る限り、全てが破壊されたにしては少なすぎる破片を残し跡形もなく消え去っていた。
「マザーの計算をもってしても想定外だらけだよ。ゲート内で次元の摩擦が起きてる。何故かこちら側だけエネルギーが放出されているようだよ」
テレパシーではなく声に出して別所は周囲に伝えた。
「もう、別所、いやマザーを止める前にやる事が出来たんではないですか?」
エイチはファビアンに向けて質問した。
「―残念ですけど、その通りです。タスクの順位が変わりました。しかし、貴方方は取り締まり対象ですので勝手な行動は許しません」
取り乱したのは先ほどだけだったようだ。単調な口ぶりでファビアンは続けた。
「私達は独立機動隊として存在しています。応援がもうそろそろ来るはずなのですが、―ゲートの状態のせいでしょうか、通信がうまく繋がりません」
ゲートは先ほどのようなエネルギー放出は収まったが、赤い光はゲート周辺で燻り続けている。
「マザー、この『次元の摩擦』を収めて想定通り融合を果たすには何をすれば良いのか分かりますか?」
「ジェネレーターのエネルギーを減速させて、最後には止める必要があるかもしれません。バランスを取りながらゲートを開いてきましたが、こちらのエネルギーが過大になっています。想定外ですので、100%ではありませんが」
流石、警察のエリートであるファビアンは状況を正しく理解し、ゲートの安定化を第一目標に切り替えた。『勝手な行動は許しません』とし、拘束も何もしないのは、エイチ、アニク、トースケにはもう、この閉鎖された空間で、抵抗するだけの力は無いと判断してのことだろうか。地球からは中央警察の応援部隊がケーウェイ宇宙ステーションを目指し、時間は延び続けているが、あと40分程で到達しようとしていた。月に近づくにつれてファビアンからの通信は途切れ途切れになり、ついには完全に通信不能となっている。最後の通信は、ナノマシンサイボーグはじめ精鋭が次々と息を亡くしたとの連絡だった。月の裏側には波打つ暗闇が肉眼でも見て取れた。
地下にあるジェネレーターは過去の遺物だが、ゲートウェイプロジェクトには無くてはならない存在だった。当時最新の技術が使われていたが、その技術は安全性に重大な欠陥があり直ぐに使用は中止された。しかし、月でのゲートウェイプロジェクトに不可欠なものと分かり危険性をはらみながら稼働し、墜落時には幸運にも無傷だった。それを安定的に稼働するため、半ば職人のように、ここでは綱渡りのような運用を行っていた。その制御がないのだから暴走するのも自然な流れである。監視対象なので、エイチ、アニク、トースケはファビアン等に付いて行くしか無かった。地下へ続く通路を下って行くと、明らかに空気が重く温かいものとなった。ジェネレーターを冷やすために肌寒いと聞いていたが、この空気からもジェネレーターが大変なことになっていると伺える。すぐに辺りが開け広い部屋に出た。宇宙ステーションの様な綺麗な壁や床とは全く違い、エイチが子供の頃の記憶に少しだけある、配管や機器がむき出しの埃臭い部屋だった。目の前の大きな柱を躱すと、奥には配管が張り巡らされた大きなドーナツ状の構造物と、それを取り囲むようにあらゆる機器がピコピコと動き、見た目には異常のある状態にはみえない機械が鎮座していた。近づくにつれて空気はより一層重くなり温かくなった。ふと周囲にある計器と思われる機械に付いているモニターを見ると、遠目でよく分からないが、赤や黄色の文字が点滅したりしていて、システムが異常であることが伺えた。ガバガバガバガバと何処かで徐々に大きくなった音が止まると、ドーナツを取り囲んでいた配管の一部がちぎれて冷媒が噴き出した。同時にブザーや警報が所かしこで鳴り響き始めた。
「マザー。ここからどうするのです?」
「マニュアルで緊急停止させることが出来ます。と言ってもその機能があるわけではなく、無理やりマニュアルにしているだけなので…」
別所は何かバツの悪そうな語り口であった。何故その語り口なのかは、考えるまもなくすぐに判明した。




