第四話 食事と同居の始まり
「ん~!おいひ~!」
カセットコンロの上に置かれた大きな土鍋からグツグツと軽快な音が鳴り、白い湯気と共に鍋の中で鮭や白菜などの具材が揺れる。
お玉で鍋の中身を取り分けて少女へと差し出すと、少女はすぐにお椀の中身にがっつき、幸せそうに頬を膨らませて目を輝かせていた。
「…………」
「ホ、ホラ、メアも食えって」
瞳を輝かせながら箸を進める少女とは対照的にドンヨリとした表情をしたまま俯いて覇気を失った同居人の元へ鍋が入ったお椀を差し出す。
完全に意識を手放している訳では無いようで、差し出されたお椀を両手で受け取ってチビチビと口に運び始めた。
「そう言えば、まだ名前聞いてなかったんだけど……」
「……あっ!ほういえはほうはっは!」
「……飲み込んでからでいいぞ」
先ほどメアからも指摘されたが、流石にここまで名前を知らないのは色々と面倒だと考えて豆腐と白菜を頬張っている少女へと声を掛ける裕介。
しかし口の中に物を詰め込んでいるためか意味の分かる言葉が返ってこなかった事に苦笑いを浮かべながら、ひとまず飲み込めと促す。
「……!まだ教えて無かったね!私は稲穂かすみ!ご飯をくれてありがとう!」
口の中に入っているであろう鍋を何度も噛んでから喉をゴクリと鳴らして飲み込み、そしてニッコリと太陽の様に明るい笑みを浮かべたかすみが自分の名前を名乗った。
「まぁ困った時はお互い様だしな。俺は不知裕介。んでこっちがメア・フォーメルンだ」
かすみの名乗りに返すように、お玉から手を放して自分の名前と同居人の名前を告げる。
裕介とメアの名前を聞いたかすみが目をパチパチと瞬かせながら二人を見比べた。恐らくだが名前から察するに肉親関係では無い二人が同居している理由が引っ掛かっているのだろう、と考えた裕介が口を開くよりも先に、かすみが口を開いた。
「えっと…?二人は付き合ってるの?」
「うん?う~ん、いや、付き合ってると言うか……」
「付き合ってるさ!恋人同士さ!むしろ結婚すら考えてるさ!」
同棲もしているし独り暮らしを始めてから共にいる時間が一番長いのもメアだが、恋人と言うには少し違う曖昧な関係をどう言い表せば良いものか、と首を捻った裕介の言葉を遮る様に、突如復活したメアが大きな声を張り上げた。
自慢げにフンスフンスと鼻息を吐き、小ぶりな胸をこれでもかと突き出して胸を張っているその姿からはどことなくアホらしさすら感じてしまう。
「へぇ~!どっちから告白したの?」
「フフフ、ボクと裕介くらいになると告白なんて必要ないよ!生まれた時から運命が決まって」
「あ~、稲穂。俺とコイツはそんなんじゃない。ただちょっと両親同士が知り合いでな、その伝手で一緒に暮らしてるだけだ」
得意げにペラペラと口を動かすメアの言葉に興味深げに目を煌めかせて聞き入っているかすみの会話に、裕介が苦笑いを浮かべながら言葉を差しこむ。
実際には両親同士が知り合いどころがこの同棲そのものを裕介の家族は知らないのだが、目先の少女一人騙す分には十分だろう。
「へぇ~!じゃあ幼馴染?って感じ?」
「ま、そんなとこだ」
「ちょっと裕介!?ボク達の関係はもっと深くて強いモノだってこの女に……」
「それより、何だってあんなとこで行き倒れてたんだ?この街だって特別治安がいい訳じゃないんだし、危ないだろ」
「えっ…と、うん。話さなきゃだよね。うん……」
キッと眉間に皴を寄せながら体を前のめりに倒して不満げな言葉を並べるメアを受け流す様に、裕介はかすみの事情について声を零す。
一応何も知らない体で眉を寄せてはいるが、細かな詳細はわからずともおおよその事情は裕介にも察しがついていた。
未成年が食事や寝床に困って野垂れ死に一歩手前まで行く理由など、家出ぐらいしか考え付かない。そんな見切りをつけながらジッとかすみを見つめる。
すると、かすみも手に持った箸を動かしてカチカチと音を鳴らしたところで、目じりを垂れ下げながらもゆっくりと口を開いた。
「まぁ、何と言うか、父親?的な人と大喧嘩して、それで……」
「……」
視線を下げながら右へ左へと瞳を動かしながら、消えるような小さな震える声がかすみの口から零れ出る。
そして、それ以上言葉が出てくる事は無かった。かすみ自身も何かを言おうとしては口を小さく開いて、そして喉に何かが詰まっている様に一瞬固まってから、バツの悪そうな表情で口を閉じるのを繰り返す。
これ以上聞き出すのも無粋だろう、と考えた裕介が床に置かれていた大きなペットボトルのキャップを差し出して、かすみに差し出す。
それに気づいたかすみは視線を上げて小さくありがと、と口を開いて空になっていたグラスを差し出した。
「まぁ、深くは聞かないけど、その内仲直りしろよ」
「……うん。そうだね、うん。このままじゃいけないもんね……」
そう言ったかすみはグッと何かを考え込むような表情を浮かべて、注がれた麦茶をグッと喉へと流し込んだ。
その表情から察するにかすみが抱えている問題とやらは小さないざこざ程度では済まない物なのだろう。裕介がそんな事を考えてかすみの真面目な表情を見つめていると、不意に太ももに鋭い痛みが走った。
「いたっ…」
「……ボクの事は放って巨乳にデレデレかい?やっぱりキミも結局はおっぱいに惹きつけられるんだね?」
「そんなんじゃねぇよ……」
鋭い痛みに顔を顰めながら自分の太ももに突き刺さっている指を伝って視線を横へ向けると、そこには鋭い目つきでムスッとした表情を向けるメアの姿があった。
ジトっと視線に敵意を孕ませながら、小さく頬を膨らませているその姿からはありありと不満げなオーラが吹き出している。
「全くキミはそんなにおっぱいが好きか!こんな身近に魅力的なボクがいるのに、他の女に目を惹かれて!そんなにおっぱいが好きならボクのを好きにすれば良いだろ!?」
「ちょっ、おい!妙な誤解を生むような事言うな!」
「キミになら何をされたって……ハッ!そう言えば、以前リーナが好きな異性に胸を揉まれれば大きくなるって…!ほら、今から揉めばきっとキミ好みのおっぱいに育つからキミが……!」
「うおぉっ!?おい、あんまりくっついて来るな!お茶が零れるっ!」
何やら妙な事を言い出したメアが瞳をグルグルと回しながら、飛び掛かる様にして裕介の体にしがみつく。そしてジタバタと暴れながら裕介の腕を掴もうと手を伸ばし、その手から逃れるように裕介が体を伸ばすという泥仕合が十秒ほど行われたのち、明るく弾けるような笑い声がリビングに響き渡った。
「…ップ、ハハ、アハハハハ!」
笑い声の持ち主は勿論かすみであり、輝くような笑顔を浮かべながら華奢なお腹に手を当てて目じりに涙を浮かべながら笑い声を上げ続けている。
その笑い声を聞いて固まってしまったメアと裕介がポカンと間の抜けた表情を浮かべたまま、一度目の前の光景を確かめ合うように視線を合わせてから再びかすみの方へと向ける。
「アハハハ……!ゴメン、何か二人が、兄妹みたいで、おかしくって……!」
笑い過ぎで目じりに浮かんだ一滴の涙を指で拭い、息を整えるように深く息をしながらかすみが口を開く。
その笑い声に諭されるように裕介とメアの間で熱くなっていた空気が冷めていき、裕介が小さく咳払いをしてから引っ付いてきていたメアの体を引き剥がした。
流石に空気が変わった事を察したのか、メアもメアで抵抗はせずにすんなりと引き下がって渋々ながらも自分の席へと戻っていく。
「あ~、そんなにおかしかったか?」
「うん!何だか、ずっと一緒にいた兄妹みたいで、仲が良いなぁって」
クスクスと鈴を転がした様な声色で笑い声を零し続けるかすみを見て、言葉では言い表せないような無図痒さを感じてうなじへと手を伸ばしてカリカリと指先でうなじを掻く裕介。
「まぁ、ある意味兄妹みたいなもんだしな」
「ムッ、兄妹じゃなくてふう……」
「それはそうと、稲穂。お前この先泊るとこはあるのか?」
「えっ?……あっ、それは、無いけど…………」
メアからの抗議の声にわざと言葉を被せてかき消しながら、先ほどメアを話し合った内容をかすみに聞いてみる。
すると案の定かすみの表情は薄っすらと陰りを見せた。その表情だけで行き場所が無いと言っている様なものだ。
「まぁ、いつまでも、って訳にはいかないが、少しの間ならウチに泊まってくか?幸い同性のメアもいるし、男と二人でワンルームとかよりはよっぽど良いだろ」
「えっ、ほ、ホントッ!?いいの!?」
「まぁ、行き倒れられても目覚めが悪いしな。とは言っても少しの間だぞ。流石に永住されても困るからな」
「うん!ありがとね!裕介!メアちゃん!」
パァッと表情を明るめ、ローテーブルに寄りかかる様に体を前のめりにしてキラキラと瞳を煌めかせるかすみ。
自分の同居人をいきなり呼び捨てにしている事に何か感じたのかムッと視線を鋭くしたメア。
純度の高い善意の視線を浴びてまんざらでもないと言った表情を浮かべる裕介。
こうして、不知家の同居人が一人増える事になった。