chapter 1 よく思考する獣はさみしがり③
「はーい。でもこれ食べてからでもいーですかぁ?」
手に持ったサンドイッチを見せながら言う。色々な自分を使い分けてるよなぁとしみじみ思う。あたしを知る人物からすると「初対面の相手には絶対多重人格に見られるよ」と支離滅裂な口調アンド人格になっているらしい。確かに意識して女言葉を使ってたり、男口調になってたり、一人称も今はあたしで統一するようにしてるけど、前は俺とか僕とかも混同してたし。一辺倒な口調の人の方が少ないと思うけどそれは敢えて言わない。
「見ての通りのことになっちゃったから、最後まで食事付き合えないみたい」
「いえ、良いんです。付き合ってくださってありがとうございます」
サンドイッチを手早く食べ、「これどれぐらいなら食べてもいい?」と重箱をさして聞き、「この一段だけあれば……」と言われたのでそれ以外の残っていたものを全部食べた。
さ、さすがに食べ過ぎたかなぁ……。京姫に手を振って窓から校舎に入ろうとしたら、京姫に止められ、正攻法で職員室に向かうことになった。窓から行けば近いのに。かったるい。どうせ説教喰らうのわかってるのに行く俺様ってバカ? それとも優等生?
上履きに履き替え廊下を歩く。他の先生や生徒とあまりすれ違わなくて済んだのは良かった。なんだかよくわからないけど、かなりの確率で話しかけられるんだよね。
「あれ、迷羽さん、また職員室?」
ほら、ちょっと視界に入っただけなのに声かけてくれるんだよね。エンカ率くそ高ぇ。
「そう、また職員室」
「いい加減飽きないね、好きな先生でもいるの?」
その手の話題大好きなクラスメイトの質問をいつも通りのらりくらりと交わそうと思っていたら、こいつも職員室に用事があるそうで。面倒臭っ。職員室までの短いはずの道のりが長く感じた。なんて受け答えしたのかも覚えてないけど、相手は上機嫌だったし、別にいいよね。
扉の前に立ち「はぁ」と気づかれないようにため息をついた。よしいくかと引き戸に手をかけた途端勝手にスライドした。間抜けにもちょっと引きずられる。
「ああ、ごめん。大丈夫? 迷羽さんがいるとは思わなかったから」
「いえ、だいじょおぶですよ、センセ」
よろけた際に先生が支えるために腰に手を当てた。抜かりないなと思いつつ添えられた手をすっとどける。女生徒達に大人気の数学の宗方先生。通称ムナちゃん。いわゆるイケメンで宗方先生を慕う女性徒があとをたたないっていう。で、そんな先生とこんな場面をクラスメイトに見られるとあらぬ噂がたつと……
「(大丈夫、誰にも言わないよ)」
そういう風にしか受け取れないアイコンタクトしてきたクラスメイトが憎々しい。絶対誤解されたね。騒いでいるのがあたしだと気づいた担任があたしを呼ぶ。
「こっちだ迷羽」
やたらと机がくっつけられた空間は、いつも目眩がする。こんなに無個性を並び立てて気持ち悪くないの? 棚もこれでもかと置かれて狭くなった迷路のような室内を何も接触しないように気をつけて進む。書類でも倒したら余計な手間が増えちゃう。それは避けたい。
目的の机を一瞥しただけで職員室内の雑多な感じが伝わるだろうってぐらい色々なものが積み上がっている。あ、お菓子。その前に座る男性教師は訝しむ様子で話を切り出した。京姫のことなんだろうな。
「さっき中庭で一緒だったのは櫻宮か? お前いじめてたんじゃないだろうな」
「センセーはそんな風に疑うんですかぁ? 本題はそれなんですかぁ?」
ほらね。誰といても何をしていても悪く思われることが多いから特に気にはしていないけど。いじめてるように思われてるのは気づいていたし、そう思われたところでどうでもいいんだけど、こう言っておくことにした。あんまり無関心だと担任との会話回数が増える。勘ぐられるのは面倒だ。
「いや、それは本題じゃない。お前なんであの先生にあんな事をしたんだ」
どうやら話は誇大気味に伝わっているらしい。何をしたことになってるんだろう。胸でもつかんだ? おしりでもなでた? それとも****なことを浴びせた? 女であることを武器にしてる先生だからなぁ、この担任なんかイチコロだろうし。うーん。
「でもセンセ、本当のこと言うと怒る、でしょ?」
先生にだけなら本当のことを話せる! 先生を男としても頼りにしてる、そんな雰囲気を出して声に出す。目には目を歯には歯を。女には女を。ってなんだそれ。
「ふむ。その先生には話さんから先生に話してみなさい」
「少し前の話になるんですけど、あたし隣の席の子から消しゴムを借りたんです! それだけなのにあのセンセに叩かれたことがあって、それが今でもショックなんですぅ……」
ショックでも何でもないけど、かつあげしたように見えたとかで教科書で叩かれたのは本当。角はなしだと思う。危うくカウンターを繰り出すところだった。あの先生あたし個人を嫌いらしいんだよね、何でかは知りたくもないけど。
「えっと、それで、私……」
ここで堪えきれなくなった風で泣く。演技力なら負けないぜ(誰に)。全然関係ない別のことをまくし立てるように話した後に、しっとりと話すのがコツ。生徒でも女に泣かれるのは面倒だろうし、解放してくれるはず。
「はぁ。わかった、迷羽。もう教室に帰れ」
担任はあたしの話を信じ切ったみたいで女教師との間で揺れ動いてるようだった。青いよ、先生。あたしは残念ながらそんなにか弱くできていないんだよね。
面倒なことが一段落したので――まだ肩を落として歩くなどの演技はしつつ――職員室から出る。次の授業はどこでさぼろうか。
「迷羽さん、大丈夫でした?」
やっぱり最近のマイブームの理科準備室かな、他のクラスの時間割はどうだっけ。人体模型とかフラスコとかアンモナイトの化石のレプリカと過ごすのはなかなかオツなんだよね。
「め、迷羽さん?」
ん? あたし呼ばれてる?
「あ、京姫じゃん」
お弁当重箱はさすがに教室に置いてきたみたいだけど、待っててくれたみたい。律儀だなぁ。そこが行動の軽い生徒からは鬱陶しく感じるところになってるんだろうけど。長所と短所は表裏一体だもんね。
「だ、大丈夫でした?」
「あー、毎日通ってるし慣れっこ。というか、気にもしてないよ」
「迷羽、あんたはまた懲りずに」
姿は見えないけど声で分かる。イヌ科ならぶんぶん尻尾振ってる。溜息まで聞こえてきた。だから明らかにあたしをバカにした声に応戦する。
「いーじゃないの。あたしが愚者でも」
「思ってない癖に良く言うわよ」
「ばれた?」
あははははは。笑うあたしと呆然とする京姫の横に姿を現す。
「この人は迷羽さんの知り合いですか?」
「ああ、この人はね、友達じゃないのかな~多分」
「あれ? あたしあんたのお友達だった?」
おざなりな答えに更に素っ気なく返してくる。この頭の回転の速さが会話をしていて楽しく感じる重要なポイントの一つだ。辛口ではあるけど相手を傷つけるようなことは言わない。
「もうもう、照れてないで。あ、そうだ、明日あいてる?」
「一応ね。今埋まったけど」
「あたしんちに十一時に。京姫もね」
「え、私?」
「そう私」
「じゃあね、迷羽、あんた家ぐらい教えなさいよ」
「あれ、家に来たことなかったっけ?」
「ない」
「なら駅前のマスド前に十一時ね、二人とも」
ああ、そうだそうだ。呼ばないようにしてたんだっけ。今回は京姫もいるし例外ってことで。自分に言い訳しておこう。いや、さらに特例にしておこう。
「初めまして。櫻宮京姫です」
「私は新塚しぐれよ。よろしくね」
何やら二人で話が始まってる。あたしの発言を華麗にスルーしてもこうした約束はちゃんと守ってくれるしぐれだ、大丈夫だろう。にしても、京姫は天然系だったのか。がっつり話を持ってかれて腰を折られたぞ。
よし。この隙にサボりに行こう。しぐれにバレると厄介だからなぁ。気づかれないようにこの場から居なくなろうとかなり気配は消したつもりだったんだけど、しぐれに見つかり、教室で座ってるぐらいはしとけと窘められ、サボり損ねた。京姫とあれだけ話し込んでても見つけられるし見抜かれるし抜け目ないなぁ。とにかくすべてはこれからだ。この一週間は忙しくなる。明日二人に会ったときに話せばいいよな。
教室に戻る最中、どこかでしぐれを出し抜けないかと隙を窺ってたけどダメだった。あれで武道の達人とかじゃないんだからもったいない話だよね。でも格闘技でも始められたら大変なことになりそうだから興味は向かないままでいてほしいかも……。