chapter 4 感情のままに吠える獣の強がり②
携帯が鳴る。鞄の中から兄貴のバンドの着信音が聞こえてくる。この曲はしぐれからだ。
「もう、人が落ち込んでるのに。はいはい、今出ますよ~って。何、しぐれさま? ちょっ、怒らないでよ。え? 叶里奈のやつが? あたし近くにいるから今から駅前の本屋に向かうわ」
叶里奈が京姫を呼び出したらしい。昼間学校でしぐれは叶里奈と京姫が話しているのを見かけた。一応叶里奈がどんな人物かを知ってるしぐれは、最初は大丈夫だろうと思っていたんだけど、たまたま交友範囲の広いしぐれは叶里奈の友達から叶里奈のしようとしてることを知ってあたしに電話をかけてきたみたいだった。しぐれとの電話を切ったところでまた着信。今度は京姫からだ!
「京姫! あんた大丈夫? 何かされてない?」
「……ぐず…………いい……キモチに……」
京姫の声は聞こえないのに男の声が聞こえてきた。叶里奈のしそうなことはあたしにはわかるよ。昼間、京姫に叶里奈が接触してたってしぐれが目撃してくれていたのと、しぐれが敵のない人で助かったよ。状況把握が楽。
病院から駅前近くまで戻ってきてた上に全力で走ってきたからそんなに時間はかかってないはず。でも、本屋前には姿が見えない。
「……いや! 離して!」
「うるさいな、口にナニをぶちこまれたい?」
かすかに聞こえてきた声のする路地へと走る。聴力にも自信があるから間違いないはず。いた! 男数人で寄って集って京姫の胸やお尻に手を出しているのが見えて完全に頭に血が上った。
「お前、ここで何してるんだ? こいつは俺の女だ、手ぇ出すなよ」
思い切りドスのきいた普段誰にも聞かせたことのない声で自分の怒りを表現する。とっとと消えろと。わざわざ威嚇してやったんだから実力の違いに気づけと。
「いきなりあらわれてなにほざいてんの? ああ、もしかして姉ちゃんも加わり――」
わかりました、と言わなかった時点でお前の言葉は一切聞かねぇ。顔面に一発喰らわせる。鼻の骨ぐらい折れたって文句はいえないよね?
二人が加勢に来るが俺は一人の腕をてこの原理で逆方向へと折る。
「殺されたくなかったらとっとと、どこかに消え失せろ」と自分では言ったつもりだけどただ咆哮になっただけだったかもしれない。
この間の叶里奈の友達とは違い、倒れた一人を抱えて消えてくれた。楽できてよかった。
男は堅いし殴ってても楽しくないんだよね。
「め、迷羽さん……?」
「京姫ちゃん! 大丈夫だった!?」
「し、しぐれさん!」
「京姫ちゃん、何もされてない? 怪我とかしてない?」
「あ、はい、大丈夫です」
「ごめん、しぐれ、京姫を家まで送ってあげてくれない?」
しぐれは何か言いたそうにしてたけど、黙って京姫を連れて行ってくれた。しぐれが来てくれて良かった。あのままだとあたし京姫に何しようとしてた? しぐれの声を少しだけど聴けてちょっと冷静になってきた。
あれ? だめだ、泣いてる。このあたしが? もう終わりかもしれない。
何が終わりよ。いいじゃない、生き方を変えるぐらい、大したことないわよ。
そんなんじゃない! 生き方なんか何度も……。
嫌われる、きっと嫌いになる。あたしの一番嫌いなコト。
しぐれ、あんたにしか頼れない。あんたにしか頼りたくない。だけど、一番打ち明けるのが怖い相手。
もう支離滅裂だね、あたし。
いつの間にか、家に帰ってた。泣こう。体中の水分が消えてしまうまで。
喚き散らしてやる。声も出なくなるまで。でも喚けなくて声なんか出し方が忘れたように出なくて。そんな中、死神の足音のような呼び鈴が聞こえて。出てなんてやるもんか。と思いつつ体は違う反応をしていた。足音だけで誰が来てるか体はわかってるらしかった。
「誰?」
「私よ、しぐれ。開けなさいよ」
やっぱりしぐれなの? どうして来たの? 来てくれて嬉しい。こんな時に来ないで。
「嫌、今の自分を見せたくない」
「我儘言ってんじゃないわよ。あんたには私しかいないじゃない」
しぐれの言うとおりだ。意地を張るのは止めにしてドアを開けた。
「……あがって」
「どうしたのよ、あげてくれるなんてあんたらしくないけど」
しぐれはドアを閉めるとそう口を開いた。
「京姫ちゃんなら大丈夫よ、ちゃんと家まで送り届けてきたし、ちょっと体を触られたぐらいでまだ何もされてなかったらしいから。お手柄ね、あんた」
珍しくしぐれがあたしを褒める。元気づけてくれてるに違いない。来てくれたのもあたしの様子に気づいて心配してくれたからなのかもしれない。こんなに心配して元気づけてくれてるしぐれに黙り続けるのはよくない。
「京姫、のことはよかった。でも、あたし……」
「あんな奴らなんだからあれぐらいいいんじゃない? 京姫から聞いたけど、そうとう暴れたらしいものね。……一体何があったの?」
「……セックスチェックって知ってる?」
「知らないわね」
「平たく言うと、セックスチェックっていうのは男か女かを判断することなんだけど、あれ、性別検査ってやつ」
きょとんとしている。そりゃそうだろう。突然こんなことをいわれても戸惑うに決まっている。
「……DNA、遺伝子が男なんだって。外国では例があるらしいけど日本では珍しいって驚かれた。大分前から体にもそれが現れていたから……ってそんなのはどうでもいい。性別なんかはあたしは気にしていないから。あたしが男だろうと女だろうとかまわない! あたしはあたしだから! だけど、こんな普通じゃないやつは嫌われる。すべてのものに嫌われる」
「かわいそうに、なんて言わないわよ」
「ありが……と?」
抱きしめてくれるの? 言葉よりも嬉しい。優しくて、暖かい。
「嫌わないの? こんな体だよ? 胸もあるのに男性器も――」
しぐれの手を自分の下半身に触れさせる。きっと実際に感じていないから優しくしてくれてるだけだって疑心暗鬼になってるあたしは。でもあたしの言葉を遮ってしぐれは……。
「前にも言ったでしょ。男でも女でも気にしないって。それにその方があんたらしくていいじゃない」
しぐれはあたしに握られたまま触らされたままの手で優しく撫でてくれた。性的な快感より心が喜んだ。触り方が性器に触れても変わらなくて、しぐれがショックを受けている感じがしなくて。
「よかった。すごくよかった。この体でも好きでいてくれるの?」
「当たり前。大好きだから安心して」
「ねぇ、少し寝てもいい? 最近あまり眠れてなくて」
「いいよ」
「手、繋いでてくれる?」
「わかった、おやすみ」
何も茶化さないし、変に事態を悪くみないでいてくれるし、これなら気持ちを切り替えられそう。これからはまた、俺っていうようにしてみることから始めよう。
しぐれありがとう。しぐれがいなかったら崩れてた。