僕には小説が書けない
僕には小説が書けない。
「将来、小説家になる!」
そう宣言してから早8年。経済的に困難であることを知るまで1年、親が本当はその夢に賛成なんかしていなかったことを知るのにもう1年、自分に小説の才能なんかなかったことに気づくのに1年。そして、書くのをやめて5年。
そう、5年だ。
この5年間はあまりにも長く、退屈で仕方なかった。運動も勉強も友達作りも得意でなかった僕の唯一の特技こそ空想することや小説を書くことだったのに、それすらできなくなった。翼をもがれた鳥のように、地べたを這いつくばった。必死で居場所を作ろうともがいた。すべて裏目に出た。誰もが僕をひどく誤解した。居場所はなくなった。仲間をなくした。人は僕を危ない人間だと認知した。僕は、自分がだめになった原因が元をたどれば小説を書けなくなってしまったことであることにすら気づいていなかった。今更気づいた僕は考えた。ではなぜ書くのをやめてしまったのか。
考えればすぐにわかった。書くのをやめてしまった最大の原因は、自分の小説が自分で書いていて面白くもなんともなく、よって誰にも求められていないように感じてしまったからだ。
小説を書き始めたのは小学5年生のときだった。
以前国語の授業で小説もどきを書いて以来、書くことにずっと興味を抱いていた。そうしてようやく書き始めたのは、黒猫が自分の船で海を冒険する物語を読み、自分もこんなに面白い物語を書いてみたい! と胸を躍らせたからだった。初めて自分から手にとり、そして初めて夢中になった物語だった。暇さえあれば読んだ。そして、初めて二次創作まで作った。大好きな小説だった。やがて僕は、自分だけの物語を綴り始めた。小説家になりたい、と思い始めたのはそのころだっただろうか。だけど、心のどこかでうぬぼれていたのかもしれない。このくらいの物語、楽々書いて見せる、と。
確かにこのころは今よりもっと調子に乗っていた。しかし同時に、今よりもずっと書くことを楽しんでいた。会話文だらけでめちゃくちゃな物語を嬉々として綴った。自分だけの世界が作り上げられていくのが楽しくて仕方なかった。いつまででも書いていられた。休憩時間に書いた。授業中に書いた。家に帰って書いた。つらいことがあろうが、僕には小説があった。誰かに非難されようが、物語を綴れば褒められた。楽しくて、同時に認められたくて、僕は書き続けたし、実際に認めてもらえたと感じることができていた。
しかしここで最大の転機が訪れた。中学生になって小説投稿サイトに投稿を始めたことだった。僕は自分の小説の評価にこだわるようになってしまった。評価の高い作品でなければ面白くないのだと思い込むようになった。早い話が、小説を書くことに対する自信と興味を失ってしまったのだ。誰も自分のことを認めてくれないのだ。自分の世界なんて知ったことではないのだ。それは今思えば当然のことだけど、当時の僕としてはなかなかにショッキングで耐えがたいことだった。
それから何があっただろう?
何もなかったんだ。何もないまま、ここまで来てしまった。
僕は相変わらず小説を書くことを心から楽しめていないし、評価を気にしているし、自分の小説を面白くもなんともないと感じているし、だからこそ全くと言っていいほど書けない。駄文を書いてはいけないという、強迫観念に似た感情すら覚える。はたから見れば丘にしか見えないような短編というエベレストを、高山病にかかりながらも必死に登るような日々。
僕は自分の小説に価値を求め、結果として小説への興味と書くことへの自信を失った。
いつ立ち直れるかはわからないが、一つだけ言い残したいことがある。
好きだという気持ちを忘れてはいけない。評価にばかり囚われてはいけない。何のために書くのか、何のためにもがくのか、それを忘れて、腐りかけの死体みたいになってくれるな。