18話
「亀梨さんは単語は覚えてるんですね」
「そんなに難しくないので」
「単語の意味を覚えてるのと覚えてないのではだいぶ変わってくるので良かったです」
放課後、今は小淵さんが亀梨さんに英語を教えていて、並んで月雪さんと宵川さんも勉強している。
「白音ちゃん、これどうやったっけ?」
「…」
「白音ちゃん?」
「…」
「えっ、無視は酷くない!?」
「私で良ければ空いてますよ?」
「いえ、新川先輩の手を煩わせる訳には…あっ、先輩は数学の担当でしたよね?教えてください」
「なんで新川先輩には遠慮して俺には遠慮しないんだ」
「だって新川先輩より先輩の方が暇そうじゃないですか?」
「俺がやってること見えないの?」
「いや、見えてますけど。何やってるんです?」
近くまでくると手元を覗き込んでくる。
「これ、問題ですか?えっ、昨日作ってきたんですか?」
「まさか。去年の紅葉にやらせたやつだよ。今は今回の分だけ分けて答えを出してるとこ。また使うんだったら答えも残しとくべきだった」
「うわぁ…」
プリントを摘みながら変な顔をしている。
「どうかしたか?」
「先輩重い。重いですよ?問題まで作るなんてドン引きです」
「いや、そんな顔されても」
「普通そこまでしませんて」
「そのくらい大変だったからな」
去年の分は全て持ってきたものの、今回必要なのは大した枚数ではないので、答えも出し終わった。
「懐かしいなぁ、これ」
紅葉もプリントを手に取り眺めている。
「というか、昨日は使わないって言ってなかったか?範囲が違うとかなんとか」
「少しだけならあったのと、昨日妹が使うって言ってたからそれなら使うか、と」
「あー、名前未来って言ったっけ?会ったことないけど」
「一個下だからちょうど良くてな」
「ふーん」
紅葉はプリントを元に戻す。
「今見るとこんなもんかってなるな」
「1年経ってまだそんなこと言ってたら大変だろ」
あれだけ苦労したんだし。
「そろそろ交代しましょうか。次は誰にしましょう」
小淵さんが亀梨さんに尋ねる。
「数学で」
「なら、継野くんですね」
亀梨さんの視線がこちらへ向く。…あれ、なんか宵川さんに向けられたのと同じ感じだ。
『こいつ教えられんのか』と。失礼な。
「小淵さんはもういいの?」
「はい。亀梨さんは文法さえ覚えれば高得点取れるはずです。あとは、読む速さですけど、文法を毎日少しずつでも繰り返して、英文を読めば大丈夫なので、私ができるのはこれまでです。英語は案外教えられることって少ないんですよね」
「そうなんだ。英語は積み重ねだもんね」
返事をしながら亀梨さんのところに向かう。
「…お願いします」
「具体的に苦手なところとかありますか?」
「敬語はいらないです。今更ですし」
「…苦手なところある?」
「わからないです」
言いつつ問題を解いている。一問一問解答を確認しているし、間違ったところも消さずに残してある。ただ、公式の一部を間違って覚えていたり、単純な計算ミスをしていたりして勿体ない。
「亀梨さんは結構字が小さめだから、文字を大きく書いてみて。それで少しは計算ミスは減ると思う」
「字が汚くなるんですけど…」
「小さい字は歪んでるところも小さくなるから綺麗に見えるけど、たくさん書くと見辛くなるから多少汚くてもある程度は大きく書いた方が見栄えはいいよ」
「そうですか?」
「あとは細かく計算が合ってるか確認するしかないね。誰だって計算ミスはあるから」
「わかりました」
黙々と解いていく亀梨さんに細かい間違いなどを指摘したりしていると時間になった。
「そろそろ終わりにしましょう。今日できなかった教科は来週ということでお願いします」
小淵さんの言葉に帰る支度を始める。
「亀梨さん、去年使ったやつで悪いけどこれ、良かったら使って。時間があったらでいいから」
「さっき話してたやつですよね」
「うん。休み時間とかにできると思うから」
「…これ、休み時間にやるんですか?」
「一応作った時には休み時間内に終わるようにしたけど、無理にする必要はないよ」
「…なんか、休み時間のたびに勉強してたら今以上に浮くと思うんですけど」
「そうか」
そういうことは全く気にしていなかった。紅葉の時は俺も御崎さんもつきっきりだったから。
「あっ、なら、私もやりたいです!」
横から宵川さんが入ってきた。
「1人じゃなきゃ大丈夫ですよね?私も勉強しなきゃですし、頑張ります」
「あー、悪い。プリントがないわ。元のやつ」
「えー、なら、ちょっと貸してもらってもいい?すぐコピーしてくるから」
「…どうぞ」
「ありがとー!」
宵川さんは亀梨さんからプリントを受け取り走っていった。
「…」
「小淵さん、俺が戸締りしておくからいいよ」
「…そうですか?ありがとうございます」
鍵を受け取る。
「またね」
「はい。また来週に」
小淵さん達は帰っていった。それを見届けて再び椅子に腰を下ろす。
「あの、いいです。一緒に待ってもらわなくても。校門とかで待ちますし」
「えっと、一応部長だからね」
「意味がわかりません」
溜息をつきながら亀梨さんも椅子に座る。
「あの…気にしなくていいので」
無言で扉を眺めていた亀梨さんが口を開いた。
「あの時は取り乱しましたけど、もう平気です」
「でも…」
ずっと好きだったんでしょ、とか、俺たちが原因で、とか続けようとしたが、遮られる。
「本当に大丈夫です。寧ろ、あの時八つ当たりしてしまったことを謝りたかったんですけど、すみません。タイミングが掴めなくて」
「謝るのはこっちの方じゃ?」
「いえ、相談部の皆さんがしてくれなくてもいつかこうなってた筈ですから。いつまでも先延ばしにするよりずっといいです」
亀梨の表情は見えない。だが、強い言葉とは裏腹に、肩が震えていた。
「本当に清々しました。これで自分の好きなことできますし。ですよね?」
振り返った亀梨さんの目は潤んでいる。流れはしなかったが、それを見て、動揺してしまった。
「まだ、間に合いますよね?1ヶ月以上遅れてますけど、勉強も教えてもらってますし、後回しにしていた部活も決めないといけませんね!」
亀梨さんは笑った。
「急がないと、間に合わなくなっちゃう。3年間も一人で、なんて、耐えられません。これからはいろんな人に話しかけないと」
「ひとりぼっちで終わっちゃう」
「そんなことないよ!!」
扉が開き声の主が飛び入ってくる。
「私だっているし、白音ちゃんだっているよ?友達でしょ?」
「…だって、全然話したこともない…」
「なら、今から友達!握手!」
宵川さんは、亀梨さんの膝の上でとじられていた手を開き、握る。
「これからもよろしくね。桜ちゃん」
亀梨さんは、握られた手に一度視線を移し、そして宵川をみて、微笑んだ。
「うん、うん!ありがとう!」
亀梨さんの頰に一粒の涙が伝っていた。