第32話 ~第一の挑戦~
夜明けとともに、駐屯地にて戦前最後の食事を取った王国軍は、いよいよモダン山地への進軍を開始する。
総指揮官リオンを中心とした一団は、彼の出陣合図を見受けて北上し始め、リーフ達もその中にいる。
「リオンどの、一応確認しておきたいんですが」
「ん?」
あと数分も歩けば、モダン山地のふもとと呼べる場所に至るという所で、アメリがリオンに声をかけた。
いよいよ間もなく開戦だというこの時、進軍のさ中には多少はあった無駄口も無くなった一団において、ここでのアメリの発声は近くの者を振り向かせた。
王国兵も傭兵も、些細なことに気を引かれるほど、緊張感を高めている表れだ。
「進軍の末に、敵将ギルコムのもとへ到達できたとしましょう。
その時、リオンどのが前に出て、ギルコムを討つべく一迅の矢となられる心積もりで?」
総指揮官リオンと、リーフやアメリといった戦果を最も期待される強兵を擁するこの集団は、敵将の首を獲るための最有力候補と認識されている。敵にも、味方にもだ。
強きギルコム、そしてそれがこの戦いにおいて用意していると予想される、何らかの切り札があるのだとすれば、それらを討つだけの実力を期待されるのはやはり、リオンかリーフに他ならない。
ここ数日は、リーフの活躍が鮮烈すぎて霞みかけていたことだが、リオンは元より王国軍最強の兵に数えられる人物だ。指揮能力だけを買われて参戦しているわけではない。
もしもリーフが王国軍に加わっていなければ、ギルコムを討てる者がいるとすればきっとリオン様しか、と、王国軍ではそんな声が多数挙がっていただろう。
リーフの参戦はあくまでも王国軍にとって、降って沸いた僥倖でしかない。
「そうだね。そのために、全力を尽くすつもりだ」
「……総指揮官様が、御身を危険に晒すことも厭わずに?」
あまり周りに聞かれるとややこしいことだと自覚した上で、アメリはこの質問だけリオンに顔を近付けて、ぼそりと小声で確かめた。
周りには聞こえないほどの声だった。ただし、リオンのそばにいたギナークとミーナにだけは聞こえたかもしれない。
「まあ、難しい話だけど……それが、僕の使命だから」
僭越承知で尋ねてきたアメリの表情も汲み取って、リオンは決意ごもった顔ながら、柔らかく微笑んで返した。
万が一にも総指揮官が、こんな所で討ち取られようものなら、王国軍のお先は真っ暗だ。
リオンは自分が討ち取られるリスクを、極力避けるべき立場であり、そうした観点から言えばいかに最も強い兵の一人とて、敵軍最強の駒に自分で立ち向かうことを事前に計画すべきではない。
そんなセオリーがいきなり覆されているのも、いかに王国軍が厳しい状況にあるかを物語っている。
察したアメリは、それ以上の追及をしない。
「承知しました。
御大将には傷一つつけぬ想いで、妾らも頑張ってみせますわ」
「うん、ありがとう。
リーフ君もアメリ君も、本当に心強い味方として頼りにさせて貰うよ」
「大丈夫ですよ、リオン様。
私達が、決してリオン様の手を煩わせるようなことには致しませんから」
色々と行間を挟んだ上で、アメリとリオンが笑い合ったすぐそばから、少しぴりぴりした想いを露骨にした声が発せられた。
戦前なりの緊張感に加え、僅かに不機嫌さをも擁したような表情と声で、ミーナがまるでアメリの主張を打ち消すかのように口を挟んできたのだ。
空気と声色から察するに、アメリのことなど頼りにしないで下さい、私達がいるのに、と言わんばかりとさえ感じられる。
「あ、ああ、うん……
ミーナ君も、ギナークも、よろしく頼むよ?」
「はいっ」
「まあ、俺はいつもどおり」
かりかりした空気を纏うミーナの姿は、戦前において別段特殊なものではなく、周囲に妙な空気だと感じさせる要因にはなり得ない。
まるでちょっと当てこすられるような立場になったアメリを除けばだ。
ずいっとリオンのそばに横並び、この人を支えるのは私だ、あなたじゃないとアメリに強調するかのようなミーナの姿には、アメリもいそいそとリオンのそばを少し離れていく。
「なんであんな嫌われたんじゃろ~……」
「わかんないけど、やっぱお前何かやったんじゃないの。
ホントに何も身に覚えない?」
「わからん。
自覚ないうちに何かやっとったら申し訳ないけど、マジで全く覚えが無い」
つっけんどんに接された心地にしては、アメリは不機嫌な顔を見せることなく、参ったという顔でリーフと並び歩く。
友軍同士の妙な感情的諍いは、悪い作用を生みかねないものだ。
誰しも誰とでも仲良く出来るというものではないが、こうも露骨に味方のミーナに睨まれている状況は、アメリとしても個人的感情抜きで少し肩身が狭い。
「アメリ、リオン様と何話してたんだ?
ぼそぼそ喋ってたけど、それがミーナさんを怒らせたとか無い?」
「いや、まあ、確かに内容はデリケートなもんやったけど……
それとこれとは別に、妾は元々ミーナどのには、こう、じゃなかった?」
「それはわかるけどさ。
で、何話してたわけ?」
リーフとアメリは顔を近付け、周りに話が聞こえないようにひそひそ。
同い年の綺麗な顔立ちの女の子が、すぐ目の前にあってもリーフが顔色を変えなくなった程度には、どうやらリーフもアメリとの付き合いにはすっかり慣れたらしい。
「いや、な? えぇと……
まず、総指揮官のリオンどのが、万が一にも討たれたらアカン立場なんはわかる?」
「まあ、そうだよね」
「その上で、こないだコービーケイフの都に入ってすぐのこと覚えてる?
リーフキレまくってたから、覚えてくれてんのか不安なんやけど」
「いや記憶は普通にあるよ。
都に入ってすぐって、関所くぐった時ぐらい?」
「そうそう」
アメリは口元に手で戸を立てて、周りに声が聞こえないよう、あるいは口の動きさえ隠す所作。
ちらちらと、自分の歩に合わせてとことこついてくるフリージアにも目線を送り、何も言うなという目配せを発している。
アメリお姉さんの気持ちは表情からだいたい察せるのか、子供ながら空気を察するかのように、フリージアはアメリの挙動をじーっと見上げつつも、両手で口を隠している。
「カルマーサは、単体ではそこまでの制圧力が無く、魔物を率いる能力が評価される敵。
対するファームは指揮能力より、個として兵力として有力視される敵。
この両名が二手に分かれて、奇襲とはいえ防衛能力もあるはずのコービーケイフの都に乗り込んで、まあまあ被害を生み出しとったわけじゃろ?」
「うん」
「リオンどのとミーナどのがカルマーサの方に向かい、ギナークどのがファームの方に向かった。
これ、さっきの理屈と照らし合わせるとおかしいの、わかる?」
「そういえばアメリ、逆じゃないのかみたいなこと言ってたな。
俺にはよくわかんないけど……」
ある程度は説明が省かれているが、アメリはやや簡潔に出題してくれた。
敵は目前、時間の余裕がどの程度あるかわからないので、ややアメリも早口で説明してくれている。
「だいたい魔王軍がどんな兵力を擁しているか、その内訳ゆうか内情は、これまでの対魔王軍戦争の中でもはっきりしてるはずじゃろ?
なのにカルマーサの率いる軍勢が、コービーケイフの都をある程度攻め落としかけていたのは、こっちがこれまでに見たことのないような、思わぬ兵を擁してることが予想されて然るべき」
「あぁ、そういえば……なんか気持ち悪い奴いたよな」
アルペルグのことを思い出すリーフだが、アメリが指しているものはまさにそれ。
あれはあの日、王国軍にとっても初めて見る、魔王軍の強力な駒に違いなかった。
そして、いかに奇襲であったとはいえ、それなりの兵力を擁するコービーケイフの都が、カルマーサ率いる軍勢にいいように攻められていた事実からは、そんな存在が元々予想できたはずなのだ。
大きな町にして王国軍の要衝の一つ、コービーケイフの都である。弱くなどない。
「そんな不確定要素の存在が予想される場所に、総指揮官がわざわざカチ合いに行くのはハイリスクじゃろ。
何が居んのか全然わからんねんど? 何か知らんけどヤバいのが居んのは、ほぼほぼ間違いない上でやど?
どう考えたって、敵の魔法に対処する魔法を使えるミーナどのと、強兵かつ決して討ち取られてはならない立場のリオンどのの組み合わせで、手の内知ってるファームの方に行くべきやわ」
「それで逆って言ってたの?」
「そらまあ、ファームの方にあのアルペルグ居った可能性も無いことないけどな。
明らかこっちの虚を突いた動きで動いてた、コービーケイフの都に攻め込んだ侵攻軍に、そこまで裏の裏ついた采配を読むのは読み過ぎやわ。
リオンどのを極力危険に晒したらあかん言う根底を揺るがさず、敵将の一角を討ち取ることも
叶えようとするんなら、普通はリオンどのの判断は逆なんよ」
短時間でリーフがすべてを理解するには、彼は戦術論に慣れた頭をしていないのだが、アメリの持論の概要は概ね理解できたような気がした。
要するに、状況を鑑みれば、あの日カルマーサの率いる軍勢には、これまでに例のない危険な存在が紛れている可能性が、事前に充分見立てられたはずということ。
それでいて、そちらにリオンが向かうことは、総指揮官を危険に晒すリスクが極めて高かったということだ。
そして論点は、事前にそうだとわかっているはずでありながら、リオンがその選択肢を選んだということ。
アメリとて、まさかリオン達がそんな簡単な予想すら立てず、考えなしにそんな采配を取ったのだとは思っていない。戦争屋を馬鹿にするなと。
その上で、そんな危険な采配を取ったリオンの本懐を想像すると、王国軍の苦境のほども見えてくる。
「なんで敢えてリオンどのがそっちを選んだか言うたら……
やっぱ、それが一番勝算があると見立てざるを得んかったんやろうな。
未知数の敵の存在を認識しつつも、それを討つべく立ち向かうとすれば、指揮官格という保護されるべき存在にあってなお、最強の駒とされていたリオンどのを向けるしかないと」
「…………」
「リオンどのも、決して自軍の兵を信用してないわけじゃないと思うよ? ああいう人やしな。
じゃが、緊急事態発生じみたあの戦況下、咄嗟に下した判断がそうだったっていうのは、それだけ王国軍の兵力に対する不安の表れやと妾は思う。
今は勢い付いて敵陣に乗り込んでるように見える王国軍も、決して余裕は無いということじゃ」
今は確かに流れが良い。
ユリシーズ平原の魔王軍を一度黙らせ、敵将ギルコムの本拠地に乗り込むところまで至っている。
だが、ここに至るまでの過ぎ去った苦境の数々は、きっと熾烈なものだったはずだ。
リーフ達が王国軍に参じる前から、魔王軍との厳しい戦いはずっと続いている。事実、魔王軍は国境を越えてサイオーグ王国領までの侵攻を、緒戦の勝利に始まって叶え果たしている。
「選択肢がいくつも取れる程度ででも余裕があるんなら、総指揮官が矢面に立つような大博打は打たんわ。
リオンどのは、そんな博打をいくつも打たんと、魔王討伐までの長い旅なんて乗り切れないことを理解しておられるんじゃろう。
総指揮官は確かに、決して討たれてはならん存在じゃが、指揮官可愛さに無為に兵を消費する戦いをしとってはバレンタイン王国までの遠征なんてとても叶えられん。
まだ本土内で侵略軍を退けようとしてる段階、序も序のこの段階で捨て駒しとったらハナから勝ち目ないし」
最強の兵をぶつけることで、敵兵で最も攻撃力、侵略力のある駒を早期に排除する。自軍への被害を最小限に抑える方法論の一つだ。
はっきりと大博打である。避けるべき一手に違いないだろう。
それでも踏み出し結果を欲張っていかないと、長い魔王討伐への旅に余力が残せない。それが王国軍の実状なのだ。
ギルコムですら、魔王の眷属とされ"最も強い敵の一体"に過ぎないのに、これの撃退すら余力を残して果たせないようでは、どのみち先は無いというのも一つの見解だ。
ギルコムみたいな奴が魔王軍にはあと三体いて、しかもその上には魔王と魔女もいるというのに。
「……多分リオンどのは、自分が死んでも代わりの指揮官はいくらでも居るぐらいに考えとる。
実際、冷たい目線で言うたらそうなんじゃろう。
指揮能力だけで言うたら、王国軍だってその道に長けた年長者は居るはずじゃ。
そういう意味ではきっと、リオンどのは自軍の味方を"信頼して"、自らを死地に投じとる」
「でも、それって……」
「軍事的な観点で言うても危ういよ。最強の兵をいつ失うかわからんねんから。
でも、自陣営で一番強力な駒だからこそ、お蔵入りにしとっても持ち腐れじゃ。
落とすつもりは勿論ないけど、ガンガン使っていかないかんって考え方も確かに合うとる。
きっと魔王軍という、大駒揃いの敵勢に対抗するには、それだけの博打も打つしかないんじゃろ」
賢明策を取らないのではない。取れないのだ。
軍を率いる資格を与えられた者が取る指揮や作戦にしては、ハイリスクローリターンが過ぎ、そして友軍の年長兵も、誰もそれを引き留められない。それが実状を証明している。
絶大なる武力を持つ魔王軍に立ち向かう、王国軍という挑戦者には、安全策の繰り返しで堅実に前進するという選択肢など初めから無かったということだ。
「こんなこと繰り返しとったら、いつかリオンどのは必ず死ぬぞ。
しかもきっと、こんなことが繰り返され続けるんじゃろう」
「うん……そんなふうに聞こえる」
「サイオーグ王国の最強兵として、果たさねばならん使命をあの人は背負っとる。
覚悟と言うたら美徳じゃろう。きっと正しい」
いつからか、アメリは発する言葉に熱が入ってきたのか、口元に立てた手の戸をはずしている。
小声には違いない。僭越な内容だから、周りの兵に聞かれたくないという意識は残っている。
事実周囲には聞こえていないが、アメリの表情が見やすくなったリーフの目には、語る中で心魂に火を灯したアメリの真顔がよく見える。
「そういうお人はおしなべて、自身が思とる以上に自らがいなくなった時、周りを悲観に暮れさせる。
指揮官か否かで、命の価値が変わるとか、そういう軍事的な考え方とはまた別に……こう、な?」
死なせたくはないよな、という言葉を、年上目上のリオンに対して発することに遠慮を覚えたか、アメリは最後だけ濁し気味。
ただ、なんとなくだが言いたいことを伝えてくれるのが、己の犠牲も厭わぬ者を憂いるアメリの表情だ。
軍事的な考え方とは別に、すなわち情の考え方での同意を、アメリは静かに求めている。
「まあ、頑張ろ?
復讐もええけど、それだけの戦いではないよ、きっと」
「……うん、わかった」
「よっしゃ! フリジも頑張ろな!」
「あいっ!」
リーフに何かを伝えるように、教えるように話していたアメリだが、本質的には彼女の方こそ、胸の内に抱えていたもやもやを吐き出した形になったのかもしれない。
やや静かな進軍勢の中にあって、空気を読まずに大きな声で気合を入れるアメリの声は、やはり何人かを振り向かせる。
ぼそぼそと連れと話していた最後、その一言で締め括る姿を見た者の多くには、さあやるぞという意気に満ちたアメリの心情が、正しく伝わっているはずだ。
まさにその時、モダン山地のふもとへと到達したのは、アメリやリーフにとって全てが噛み合った。
少し前を進んでいた友軍の兵団から、戦士の雄叫びが聞こえてくる。
先んじて魔物達と遭遇した遠めの前衛が、リオン達を後方に控えた形のまま交戦に至ったのだろう。
「リオン様!」
「ああ、始めよう……!
サイオーグ王国を蝕まんとする、魔王軍を駆逐する……!」
戦い始めた前衛に、一秒でも早く加勢したい誰もが、ほんの数秒を我慢する。
指令を待たねば何も出来ないわけではない。それでも、すぐに轟くであろう、総指揮官の声を待つ。
格上挑戦も同然の王国軍、心を一つに挑まねば勝機は遠しとわかっているからこそ、リオンの一声にて高々と吠えるその一瞬を大切にする。
士気を最高潮へ。
当たり前のように常に果たされるはずのそれが、いかに重要かを忘れてはならない。
「サイオーグ王国軍、突撃!
モダン山地を攻略する!」
前夜、王国軍の前進を察した狼の遠吠えの数々を、一人ぶんの雄叫びで上回るほどの声で個々の兵が吠えた。
山々の木々を揺らすような大合唱とともに、リオンを中心とした王国兵と傭兵が前へと突き進む。
そしてその中に身を置くリーフとアメリもまた、声こそ発さなかったものの豪傑に活力をもたらされ、一気に地を蹴り戦場へと参じていく。
「やるぞ、リーフ!
滅多斬りじゃ!!」
「ああ……!」
青白い炎を眼に宿したような、一瞬で代わり映えて殺戮者の表情と化したリーフに並び、アメリはともに突き進む。
今までと変わらぬ復讐鬼となったリーフの姿に、一抹の希望を託して。
ほんの少し前に話したあれで、僅かでもリーフが戦おうとする理由に、新たな意味を加えられたことを期待して。
モダン山地は血に染まるだろう。敵味方ともに、数多の犠牲は免れない戦いだ。
その果てに、次に繋がるものをいくつ獲得した上で勝利を飾れるか。それが両軍に課せられた、隠された課題である。