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僕らは"勇者"になれますか  作者: 紫水
序章
3/78

第2話    ~歌姫との出会い~



「お、どうやらアレみたいだな」

「けっこう人集まってますね」


 耳を頼りに音の出所を目指して歩いていたリーフとキシュロは、間もなくしてとある店の前に、多数の人が集まっている光景を見つけた。


 多数の人と言っても、キシュロのように人ならぬ特徴を持つ、獣魔族の方々も多く含まれる人だかりであり、人々と称しては少し語弊があるとされるかもしれない。

 だが、人と魔族が共存するようになって久しい昨今では、魔族の方々を一人、二人と数え、性別がわかるなら彼、彼女と呼ぶことも普通に行われている。

 人と魔族がまばらに集ったあの群衆は、あの場所に集まった"人々"と表現しても何ら問題ない。


「酒場の前だな。酔客が歌芸でも披露してんのかね?」

「うーん、それにはちょっと時間が早すぎる気がしますけど」


 人だかりの向こう側から聞こえるのは、楽器の音と綺麗な歌声だ。

 酒場で酔って、いい気分になった誰かが、外に出て美声を披露しているのだろうか、とキシュロが推察するのは自然な発想だろう。

 一方で、まだ酔っ払いが出来上がるような時間ではないのでは、というリーフの意見も一理ある。


「なあ、みんな何見てんだ?」

「おう、キシュロか。

 すげぇぜ、あれ見てみろよ。歌も見事なもんだが中々見られるもんじゃねえ」


 人だかりの最後列にいた人間の男に、キシュロがひとまず話しかける。

 振り向いた男は上機嫌な顔であり、今みんなで見ているものがいかに良いものかを物語るかのよう。

 これは面白そうだ、とキシュロが人だかりの中へと割って入り、リーフもすみませんと周りに一声かけながら、群衆が見惚れ、聞き惚れる歌声の主の姿を確かめに行く。


「ゎ……」

「ほぉー、こりゃすげぇ……!

 あんな上玉、確かに滅多にゃお目にかかれねえな……!」


 キシュロは小声で、歌声の主の姿を見た感想を口にする。

 歌の邪魔をしないための小声なのだが、張りのあるその声は、感嘆の程を含めたものだ。

 そこにいたのは二人の女性だが、背の高い方が特にキシュロの目を惹き、リーフもまた同様である。


「~~~~~♪」


 背の高い、二十歳はまだ迎えぬといった年頃の女性が、マンドリンを奏でながら歌声を披露している。

 まず彼女が人々の目を惹くのはその恰好だ。

 胸元を覆う衣服、肘の下までの長めの手袋、お尻とその前側を包む逆三角形の履き物、膝下までのブーツ。

 それらはすべてシルバーグレーで統一されており、彼女の健康的な色の肌を際立たせるような色使いである。


 腰に鞘めいたものと扇を下げ、腰の後ろのポーチを固定するベルトをへその下に巻いているが、肝要なのは身に着けているものがそれだけということだ。

 要は二の腕も、肩も、くびれたウエストも、膝と太ももすらも風晒しであり、何よりまず男連中の目線を集めてしまうのが胸元である。

 形がいい上に程よく大きな果実二つ、その上半分と谷間を惜しげもなく晒すあの姿は、健全な男ならば誰でも幸せになれる光景だ。


 しかし、扇情的なその肢体にも勝り、その女性の最大の美点は首よりも上に集約される。

 蒼みがかった銀髪は腰元まで届くほど長く、絹のように風に揺れるそれだけでも美しいのだが、その髪の原点にあたるその小顔からこそ、リーフは目を離せなかった。

 きっと年のほどはリーフと同じぐらいの、17歳そこらという彼女の顔。

 それはそう推察した上で、それよりも大人びても見え、しかし汗を流して楽しげに歌うその表情は、垢抜けきらぬようにも見える。

 17歳のリーフから見て、大人びたお姉さんのようにも、無邪気な年下のようにも見えるその顔は、美しさと可愛らしさを併せ持った贅沢な芸術品。

 そんな彼女が、自らの歌声を楽しんでくれている人々の顔を常に見渡して、拝聴感謝の意を伝えるかのような笑顔を振りまくのだから、集った人々が心から楽しいのは当然だ。


 まさしく歌姫。そう形容するに相応しい。


「…………♪」

「っ……」


 ふと、彼女がリーフと目を合わせた瞬間、新しい来客者を歓迎するかのように、彼女はぱちりと片目を閉じて笑って見せた。

 ささやかなウインク一つが撃ち放たれただけで、彼女の魅力はリーフの胸元を強く貫き、思わずリーフは一歩後ろにたじろぎそうになったほどだ。

 マンドリンを鳴らしながら歌を止めない彼女は、新客のキシュロにも笑顔を向け、嬉しく手を振るキシュロの姿も誘っている。


 歌姫のそばには、鈴の五つついた小さな小楽器を、しゃんしゃか楽しそうに鳴らし続ける小さな女の子もいた。

 きっと、歌姫の連れなのだろう。

 だが、人々の目は今や、マンドリンを抱えて美しい歌声を披露する、歌姫の姿にばかり釘付けである。

 あのウインクを境に、胸がとくとくと強い音を立て始めたリーフは、皮鎧越しに胸を押さえる仕草まで無意識に取るほど、彼女の美しさに心奪われてしまっている。


 鈴の音を鳴らす伴奏者と共に、澄んだ高い歌声で人々の心を虜にする主役。

 この場に居合わせてから、彼女が今の歌を歌い終えるまでの僅か二分、リーフぽうとした顔のまま、彼女から目を離すことが出来なかった。






「はいっ、終わり……!

 ありがとうございました!」


 一曲歌い終えた歌姫は、終演とともに拍手が上がらぬ状況の中、息切れ気味の綺麗な声でそう宣言する。

 それで初めて、衆目から控えめな拍手が上がった。


 これだけ行きずりの人々を集めた歌声だ。良くなかったから拍手が起きなかったわけではない。

 みな、聞き惚れるがあまり、歌の終わりを終わりと認めにくかったせいだ。

 それは、悪しき支配者が幅を利かせる環境で、娯楽に飢えていた村人達という環境も一因である。


「よかったぜ、姉ちゃん。

 途中から聞いてたが、最初から聞きたかったな」

「あはは、ありがとうございます」


 熱唱明けで汗を流す歌姫は、拍手とともに賛辞を送ってくれるキシュロに、マンドリンを片手に抱えたまま手を振ってくれた。

 とても可愛らしい笑顔だ。その笑顔に釘付けのリーフは、ぽうっとした表情のまま、周りの拍手の音に合わせて手を叩いているのみ。

 リーフの観点、あんなに可愛い女の子はなかなかいないのだ。ただただ見惚れる。


「さて、もう一曲いっちゃう?

 さっきの曲を、途中からしか聞けなかったお客さんもいるみたいだし」

「わーい! おねーさん、もう一曲!」


 拍手がなかなか鳴りやまない中、歌姫は自分の足元の小さな女の子に呼びかける。

 その目と首の動きで初めてリーフは、歌姫の連れをはっきりと視認したが、それがまあ歌姫の腰の辺りまでしか背丈のない、ちっちゃなちっちゃな女の子である。

 歌姫の顔にばかり目を奪われていたリーフには、視界の下方過ぎて目に映り込んでこなかったわけだ。


 歌姫をおねーさんと呼ぶ小さな女の子は、見たところ5歳か6歳というほど幼い姿で、その前提でも短い手足も相まって、ちんちくりんの全容だ。

 褐色肌で、藁色の髪をツインテールに纏め、その細長いツインテールは頭の左右から少し上向きに伸び、弧を描いて先端を下向きに垂らすという妙な髪形である。

 歌姫の、もう一曲いこうという提案に喜んでいるが、まるでその感情に合わせて動くかの如く、ツインテールがぴょこぴょこ跳ねているのが不思議な動き。

 まるで感情表現を兼ねる触覚だ。もしかしたら、あの女の子は魔族で、あれは髪ではなく、あるいは髪であると同時に触覚めいたはたらきを為す体の一部、なのかもしれない。


 見たところ、歌姫が保護者の立ち位置にある旅の連れと見えるが、その保護者に倣うかのように、彼女の恰好も露出が多い。

 黄土色の前掛けめいたものは、体の前面を覆い隠して股下で逆三角形に収束しているが、どうやら上に着ているものはそれだけらしい。

 前掛けは脇の下から、首にかかる輪の紐に向かって三角形だから、肩口から腕にかけては露出しているし、前掛けの下部は下半身を覆わないから太ももから下も全露出である。

 歌姫の方を向いて、リーフ達には体の側面を向けている女の子だが、どうも体の後方には布一枚すら纏っていないと見える。

 後ろから見ると、前掛けを固定するための黒い紐が肩甲骨の下に一本横断しているだけで、下半身に一枚履いた小さな面積のショーツも丸出しで、ほとんど素っ裸の背面だ。

 正直なところリーフの観点、女の子としてあの恰好は不健全なんじゃないのと思う。


「それじゃあ、もう一曲お聞き下さいね。

 次は……」


「おい、もういい。

 下手糞な歌をこれ以上聞かせてくれなくて結構だ」


 歌姫のもう一曲を期待する顔の聴衆と、それを見届けてもう一曲を決め込んだ歌姫の空気が一致したその時だ。

 楽しい空気を打ち破り、荒っぽい声が少し遠くから聞こえてくる。

 少し離れた場所からでもはっきり聞こえるぐらいだから、かなり強い声だ。


「おい、どけ」

「きゃ……!?」


 歌姫を囲むように集まっていた観客の一角、質素な服装の村娘の肩を何者かが握り、乱暴な手つきで後方へと引いてどかせる。

 強引に自分の立ち位置を奪われ、道を譲らせられた女性がふらつく横を、いかにもがらの悪い男達が三人歩いていく。


「お前、余所者だな?」

「…………?

 はい、今朝この村に来たばかりですが、皆様は?」

「余所者が勝手なことをしてもらっちゃあ困るな。

 ここは俺達のシマだ、下らねぇ歌をでけぇ声で歌われちゃ迷惑なんだよ」


 がらの悪い男達の一人が、ずいと歌姫の前に出て、問いに答えを得ても相手の問いには答えない。

 見るからに、話の通じない大人というやつである。

 また、彼らの登場によってなのか、さっきまで歌姫の周囲に集まっていた人々も、距離を取るようにいそいそと後退する。


「へたくそじゃないですっ!」


 周囲が無条件に三人の男達を恐れているかのような空気の中、歌姫は乱暴な言葉を向けられ、怯むどころか少し目を細めて、不快感を顔に出していた。

 だが、彼女以上に明確な不快感を抱いたのが、歌姫の連れの女の子だ。

 抗議の一声を上げるや否や、おねーさんの悪口を言う男の足元へと駆け込んでいく。


「おねーさんの歌はくだらなくなんかないですっ!

 へたくそなんかじゃ……」

「うざってぇ」


 男の足元まで行ったらば、ぴょんぴょん跳ねて、自分を見て話を聞けとばかりに大声を放つ女の子。

 元気で強気で恐れ知らずな女の子に、周りの大人達が絶句する中、なんと男はその足を思い切り振り上げた。

 自分の足の前にいた女の子を、まるで容赦なく蹴り飛ばしたのだ。


 あまりの行為に周囲が悲鳴を上げる中、女の子は蹴り飛ばされて歌姫の足元近くに背中から落ちる。

 そのまま地面に叩きつけられて頭を打つかと思ったら、こんころりんと三回転ほど後ろへと転がった。

 最後はうつ伏せの姿勢で止まったが、あんな小さな女の子があんな乱暴に蹴飛ばされては、もう今日は立ち上がることすら出来ないのではないかと周囲も凍り付く。


「うー! けったー!

 おねーさん、あのひと蹴ったー!」

「…………」


 だが、心配した大人たちの不安を解消し、同時にそれ以上の驚愕をもたらすほど、あの小さな女の子はあっさりと立ち上がった。

 蹴られた痛みに泣くでもなく、ぷんすか怒って大きな声をあげ、とてとて歌姫のそばへと駆け直る。

 保護者の足元で、自分を蹴った大人をがるると睨みつける女の子だが、その上では美しい顔立ちの歌姫が、きゅうと細めた両目で悪漢どもを睨みつけている。


「あぁ? なんだよ、その目は」


 反抗的な眼差しに怒りを覚えた暴漢は、ずかずかと歌姫へと歩み寄る。

 胸ぐらを掴むかように伸ばした手は、衣服の殆ど無い歌姫の首元辺りに向かっており、顎でも掴むために伸ばしたものだったのだろう。


「ぎゃ……!?」


 だが、歌姫の手の方が早かった。

 迫り来る男の顔面めがけ、迷わず掌をひゅっと振り上げた歌姫の前で、暴漢は顔をのけ反らせて両目を押さえた。

 歌姫の指先が暴漢の目を軽く撫でた目潰し(サミング)は、その速度も相まって抜群の不意打ちを成立させたようだ。


「フリジ、仕返し。あの辺」

「あいっ!」


 小さな女の子をフリジと呼び、男の下半身の辺りを指差した歌姫の指示に、女の子は元気いっぱいの声で応じた。

 軽くであれど両目をこすられた男が、目元を押さえて後ずさる姿へ、女の子が目を光らせて駆け寄っていく。


「ふぶ、っ……!?!?」


 近づいたら、踏み切ってジャンプ。頭を相手の方へと突き出して、まるで自分の体を矢に見立てて発射。

 走りながらの女の子の飛び込み頭突きは、両目を押さえていた暴漢の股間に直撃だ。

 隙だらけのそこに、こんな一撃をくらわされて、立っていられる男なんか一人もいないだろう。

 目潰しされて開きづらかった目をも大きく見開いた男は、膝から崩れ落ち、後退した女の子の目の前で、股間を押さえて崩れ落ちていった。


「おねーさんっ、やりましたー!」

「よしよし、いい子いい子♪」


 この村において、あってはならない出来事に、残った二人の悪漢も、周囲の人々の時間も止まっている。

 そんな中、保護者の元へととてとて舞い戻った女の子は、満面の笑顔で勝利報告だ。

 頭を撫でる歌姫は、話の通じぬ鬱陶しい男を黙らせてくれた相棒に、実に満足いった顔である。


「っ、てめぇ……!

 俺達が魔王軍の使いだって聞いても、そんな態度でいられるのかよ……!」

「へぇ、それがどうしたんですか?

 口喧嘩したいのなら受け付けますよ、自信ありますから」


 周囲が歌姫と女の子の行動に凍り付いている理由は、この三人の立場に由来する。

 支配者側にある彼らに逆らえば、彼らには苛烈な仕打ちや贄への指定が待っている。

 良き歌と楽しい時間を提供してくれた旅人に、理不尽に絡む連中が現れても、誰一人歌姫の味方を出来なかったのはそのせいなのだ。


 魔王軍という単語を耳にすれば、普通はこの村の村人に限らずとも、誰もが喧嘩を売ってはいけない相手だと知り慄くもの。

 しかしこの歌姫、一歩も退きやしない。

 それどころか、ばららんとマンドリンの弦を鳴らして言い返すという、挑発味いっぱいの返礼である。


「口喧嘩で済むとでも思ってんのか……!

 俺達に逆らうとどうなるか、その身を以って教えてやる!」


 悪漢二人は腰元のナイフを抜いて、歌姫の斜め前方二方向の位置に移る。

 90度の挟み撃ちといった立ち位置だ。

 別方向から刃を向けられるという、プレッシャーある立ち位置を取ることで、この男達は生意気な女を怯えさせようとしているのだ。


「まったく……

 これだからワルの底辺は……」


 はぁ~っと溜め息をついて周りを見渡し、自分に味方してくれる村人など一人もいない現状を確かめた歌姫は、改めてこの村の現状を確かめてうんざりする。

 助けてくれる人がいないことを残念がっているわけではない。

 こんな小物どもの言われるがまま、好き放題を許さねばならない村人達の心境を慮ってだ。

 人々の恐怖の真因は、魔王そのものでしかないというのに、それの億分の一の力もない小悪党が、権力者の名を借りて偉そうな(つら)をしている現状がつまらない。


 自分自身にたいした力もないくせに、偉い者の下に就いているというだけで、まるで自分が凄くなったかのように増長して、誰に対しても強気になる奴。

 この歌姫は、とりわけそんな奴が大嫌いである。


「来るならどうぞ。

 口喧嘩で済ませておいた方がよかったって、そっちが後悔することになりますよ?」

「言ったな、てめぇ……!

 覚悟……」


「おい」


 そして、暴漢二人に強い不快感を覚えたのは歌姫だけではない。

 ある一つのキーワードを聞いた瞬間に、赤茶の髪がぶわりと浮くかのような、それほどの激情を一瞬で胸に沸かせた少年が、暴漢の後ろに立っている。

 腰元の木刀を抜き、ひたりとそれを背後から、暴漢の肩に乗せてだ。


「お前今、魔王軍って言ったか」

「ああ!?

 それがどうし……」


 頭にきているところ、後ろから据わった声をかけられた暴漢は、怒り任せに素早く振り向いた。

 だが、その瞬間に暴漢の目の前にあったのは、大きく木刀を振りかぶった姿の少年だ。

 この一瞬、その瞳以外のすべてが真っ暗に見えるほど、両の眼が激しい憎悪の炎に満ち溢れていた少年の表情には、暴漢は山で(ひぐま)に出会ったかのように凍り付く。


 その映像を最後に、頭蓋を横から凄まじい威力で殴り飛ばされた男の意識は、ぷっつりと途絶えて今日一日失われたままとなった。

 リーフの木刀は、持ち主よりも背の高い男の体ごと吹っ飛ばし、一瞬で失神した男は無茶苦茶な姿勢で地面に転がり倒れていく。

 最初、暴漢に蹴飛ばされた小さな女の子が、受け身混じりに転がっていた姿とは全く異なり、がらくたが投げ捨てられて無抵抗に転がるかのうような無残さだ。


「お前も魔王軍なんだよな?」

「は、はぁ……!?

 だ、だったらどうだって……」


 殴り飛ばした男のことなどもう目もくれず、リーフはもう一人の悪漢へと言葉を投げかける。

 容赦の無さすぎる一撃に驚かされた悪漢も、木刀を握った細腕の少年の姿を改めて目にすると、こんなガキに怯んでどうするとばかりに強気な返答だ。

 自分だってナイフを持っているのだ。生意気な子供になど、腰を引けさせていられない。


 だが、強気な返答が最後まで発されることはついに無かった。

 悪漢の真正面、離れた位置にいたはずの少年は、少し体を前に傾けた瞬間に、ひゅっと消えるかのような速度であっという間に悪漢に接近する。

 悪漢にしてみれば、指一本動かす暇もなく、気付いた瞬間にはすぐ目の前に、木刀を振り上げた少年がいるというこの光景。

 何が起こったかもわからなかったこの男には、何が起こったのかを後追いで考える時間も与えられない。


 リーフの振り下ろした木刀は、がすりと悪漢の額を割る衝突音とともに、一撃で大人を昇天させるに至っている。

 周囲すら、リーフの行動には目と頭が追い付いていない。傍から見ても、一瞬で悪漢に距離を詰めたリーフの速度を、目で追えた者など一人もいなかったのだ。

 ただ人々が認識できたのは、冒険者見習いのような恰好をした少年が、村の平穏を脅かす魔王軍の手先どもを、あっという間に二人失神させたという事実のみである。


「あ、あら~……

 助けてくれたのは嬉しいけど……」

「おにーさん、すごーい!」


 周囲の人々が完全に凍っている空気の中、歌姫が苦笑いを浮かべ、フリジと呼ばれていた連れの女の子が無邪気な声を上げている。

 それにリーフが振り返りもしない中、女の子の声ではっと目が覚めたかのように、キシュロがリーフの方へと駆け寄る。


「ばっ、馬鹿野郎……!

 お前、自分が何をしたのか……」

「こいつら、魔王軍なんでしょ?」


 後ろからリーフの肩を掴んだキシュロは、直後ぞっとすることとなる。

 振り返ったリーフの顔は、ほんの少し前に無垢な顔を自分に向けていた、幼びた少年の面影をすっかりと失っていたのだ。

 冷徹で、無慈悲で、今しがた打ちのめした連中が死んでいようと、一片の憐憫すら抱かないであろう冷たい目。

 けして気の弱い方でない大人のキシュロが、実年齢以上に幼い顔立ちの少年の表情を見て、掴んでいた手も離して後ずさるほど、今のリーフの表情には背筋が寒くなる。


 まるで、死神と対面したかのような。

 断じてキシュロに向けられた殺意など存在していないはずなのに、キシュロがこの眼を見て自らの死さえも想像してしまうほど、リーフの眼差しから感じ取れる殺意の残り香は恐ろしい。


「おうおう、随分と規律のわからねぇ奴がいるみてぇだな」


 だが、キシュロ達村人にとっては、現状リーフよりもずっと恐ろしいものがある。

 今の騒ぎは、その光景を遠巻きに見ていた、悪しき連中をも呼び寄せてしまったようだ。

 今度こそ本物の死神の声を聴いたかの如く、この場に居合わせた人々は一斉に声のした方を向き、それを見て一目散に逃げだしてしまう。


 現れた男もまた、先ほどの三人と同じ、がらの悪い奴である。

 自分よりも少し背の小さな、取り巻き三人を引き連れて。

 そして何よりも、彼が村人達に一瞬で恐怖心を蘇らせたのは、自身や取り巻きの数によるものではない。


「魔王軍に逆らう奴は、贄に選ばれると相場が決まってるんだがねぇ。

 どうやらお前さんは、その程度の罰で済むような立場じゃねえようだ」


 にまにまと下種な笑みを浮かべる悪漢のそばでは、おぞましい風貌の魔物が涎を垂らしている。

 獅子ほどの大きな体格を持つ、三つ首魔犬のような風貌のそれは、通常この世には自然発生しない"ケルベロス"と呼ばれる魔物の特徴を持っている。

 しかし、皮膚の一部が腐り落ち、所々から腐肉と骨を覗かせるその姿が、その異形さに拍車をかけている。


 これは、異形の魔物の魔物を人工的に作り出す、邪悪な力の持ち主が、ただでさえ異形とされる魔物を不完全な形で創造した、極めておぞましい存在だ。

 獰猛で、三つ首の牙と力強い体躯で獲物を惨殺するケルベロスを、半ば屍のような姿でこの世に顕現させたこの魔物は、俗に"デッドケルベロス"と呼ばれていっそう恐れられる。

 完全な形で世に生まれさせられたケルベロスの凶暴性をそのままに、腐肉が生み出す猛毒が、牙に貫かれた者をいっそう苦しめた上で引き裂くという、より恐ろしい魔物として在るからだ。


「っ……待ってくれ!

 こいつは、この村に来たばかりで何も知らねえんだ!

 裁きを受けるなら、俺が代わりに受けてやる! だからこいつは、見逃してやってくれねえか!」


「……キシュロさん?」


 魔王軍の手先であるあの男が、魔王軍にはっきりと逆らったリーフに、デッドケルベロスを差し向けてくることを悟ったキシュロ。

 その行動は誰よりも早く、憎しみいっぱいの目で悪漢を睨みつけたリーフの前に立ち塞がったのだ。

 据わった目こそ消えはしなかったリーフだが、自らを助けるために命すら惜しまない大人の背中を前にして、キシュロの名を口にするリーフの声には、先ほどまでより幾許か感情の色が戻っている。


「いいんだ……!

 どのみち、あんな連中にへつらうばかりの人生なんぞもうまっぴらなんだよ……!」

「キシュロさ……」

「うるせえ! ガキは黙ってろ!

 大人にだって、色々あるんだよ!」


 半ばやけくそめいた言葉を放つキシュロの腕を後ろから掴んだリーフだが、キシュロは乱暴にそれを振り払い、リーフに顔を向けて怒鳴った。

 そこには、キシュロの突然の行動に驚くとともに、死神めいた表情の色を失ったリーフの顔がある。

 鬼の形相でリーフを睨みつけるキシュロだが、再び見たリーフの顔色が、家に招いた時の少年の顔に戻っていたことには、何故だか無性にほっとする。


「……娘を託せる相手も、もう探してあったんだ。

 どうせ、残り少ない短い時間だ。好きなようにやらせてくれ」


 決意ごもった声でそう言うキシュロの内心は、リーフに計り知ることが出来ない。

 ただわかるのは、キシュロは自分を守るために、身代わりになってくれようとしていることのみ。

 同時に、そこにあるキシュロの言葉には、自分よりも年下の少年の命を救おうとする気高さよりも、自らの人生に既に絶望した過去を感じ取れてしまう。


 大人にだって色々あると、きっと一言では説明できない何かを、キシュロはリーフに口走った。

 正義感のみではなく命を捨てようとするキシュロの姿に、そんな彼を強いる悪の存在を想起したリーフは、再びぶわりとその目に憎しみの炎を宿す。

 当然、決して、目の前のキシュロに向けたものではない。

 

「どいて下さい」

「お前……っ!?」


 立ちはだかっているキシュロの脇腹に腕を添えたリーフが、ぐいっと彼を押しのける力を加える。

 道を譲るつもりなどなかったキシュロだが、想像を遥かに超えた力に、思わずよろめいてリーフに道を与えてしまったのだ。

 あの細腕の、どこからあんな力が出るのかと、触れたキシュロ以外にはわからないだろう。

 知らぬ者の傍目には、がたいのいいくせにあんな少年の力によろめくのかと、キシュロの体格が極度の見掛け倒しに思えるほどの光景と映る。


「おい」

「……生意気なガキだな」


「お前も、魔王軍なんだよな?」


 デッドケルベロスを引き連れた男に向け、リーフは声変わりしていないような声ながら、聞く者の耳が震えるほど重い声を放っていた。


 魔王軍。それが、彼の強い憎しみを呼び起こすキーワードだ。

 改めて、家に招いた時の純粋無垢な少年が姿を消し、目の前の命を殲滅する死神の後ろ姿へと変わったことに、キシュロは身動き一つ取ることができなかった。

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