第8話 ~リーフと魔王軍~
「カルマーサ様、報告します! 王国軍が新たな動きを……」
「放っておけ、魔物どもを下手に動かすな。
どうせ牽制だ」
「は……?
し、しかしこちらへと進軍する動きが……」
「先日の交戦で消耗したばかりの向こうに、この短期間で再度進軍する余力があるわけ無かろうが。
こちらを煽って動かして、あわよくば網にかけようというだけの動きに過ぎん。
騙されるな馬鹿が」
ユリシーズ平原の中央部。
まさしく平原全体の、重心部分とも言えよう中央地点にて、馬を降りた汚い身なりの男が、魔王軍の上役に軍事的な報告を行っている。
どうやら東部のサイオーグ王国軍が不穏な動きを見せているらしく、哨戒兵である彼はそれを指揮官の一角に伝えるべく、ここまで早馬を駆けさせてきたところらしい。
この報告を受け取るのは、豹の頭をした獣魔族の男。
背丈は成人男性の中でも高い方だが、筋肉質な胸筋と腹筋が、その体をそれ以上に大きく見せている。
肩当と草摺から体前面の真ん中に伸びるベルトは、みぞおちの一点の輪で交差して、張りよく肩と腰を守る防具をその身に固定しているようだ。
腕を組んだまま、部下の報告を鬱陶しげに聞くその下では、ズボンの上からでも逞しいことがわかる太い脚が、その人物を大地に力強く立たせている。
「こちらも同様だ、まだ動くには早い。
連中がテリトリー内に踏み込んでくるなら迎撃しても構わんが、今は軍を積極的に動かすな。
戦局を動かすのはもう少し後だ、前列の連中にもそう釘を刺して来い」
「かしこまりました……!」
カルマーサと呼ばれた豹頭の男に、指示を受けた魔王軍の哨戒兵は、再び馬に跨って東の方へと駆けていく。
それを見送るカルマーサは、敵軍の駆け引きに翻弄されかけている部下に苛立ちつつ、努めて頭を冷やすべく深い息を吐く。
「まったく、そんな報告は要らんと言うんだ。
それよりも、もっと不確定要素となり得るものの報告こそ必要だと言うのに」
「グルルル……」
カルマーサのすぐそばには、背中を丸めて不機嫌な声を漏らす、大きな犬の姿をした魔物がいる。
風貌こそ犬だが、かなり大きな体だ。腹を地面に着けて休んでいる形でいて、背中がカルマーサの腰の高さまである。
体格のあるカルマーサだが、きっと彼がこの背に乗っても走れるだろう。それほど大きい。
ふと、その大きな犬が、耳をぴくりとさせて南の方角に顔を向けた。
カルマーサも、それに二秒遅れてながら、そちらに何らかの気配を感じて同じ方を向く。
「――カルマーサ様、ただいま戻りました!」
「ふむ、ケイテッドか。
待ち侘びたぞ」
これまた馬に跨って、カルマーサのもとを訪れたのは、サイオーグ王国兵の鎧に身を包んだ男だ。
リーフ達を、魔王軍の一団の輪の中に誘導した、自称王国兵の男である。
馬上からひとまずの挨拶を済ませ、馬から下りたこの男は、ケイテッドという名のようだ。
「連中の戦いぶりは見てきたか?
なるべく詳細に報告するように」
「は、はぁ……
何と言うか、信じられないと思われそうですが……」
カルマーサがケイテッドに命じたのは、赤髪黒刃の少年に魔王軍の尖兵を差し向け、その腕のほどを見届けて来いというものだ。
目にしたことを報告しろと言うカルマーサは、配下が赤髪黒刃の少年を討ち取れたかなど尋ねない。
漏れなく自陣営の兵が全滅したであろうことを前提に、如何にしてリーフがそれらを討ち取ったか、それのみに興味を持っている。
リーフ達から距離を取ったのち、回り込むようにして高所に移ったケイテッドは、安全圏からリーフ達の戦いぶりをすべて見届けていた。
それをこれからカルマーサに報告する立場として、彼が心配していることとは、それが本当のことだと信じて貰えないのではないのかという一点のみ。
それだけ、リーフ達の強さは、ケイテッドの価値観では目を疑うほどのものだったようだ。
「ふむ、容易かったの。
こりゃ敵方も、あくまで様子見ってとこじゃろな」
少しだけ、時を遡って。
襲いかかってくる魔物達の数がゼロになった元戦場で、アメリはぱしんと扇を閉じて、キレよく格好つけ気味にその扇を腰元に収める。
彼女とつかず離れずの位置に立つリーフは、ふうっと一息吐いたのち、終戦後の儀式的に木刀を一振りだ。
敵を斬り裂き木刀に付着した多量の血が、その一振りによって殆どが地に落ちる。
「フリジよう頑張った、偉いぞ」
「えへへ~、がんばりました」
敵がいなくなるや否や、褒めて褒めてとばかりにアメリに駆け寄ってくるフリージアを、察したアメリは手が届く位置に踏み込まれる前から褒めてやる。
自分を見上げる場所まで彼女が到達すれば、片手を膝に置いて中腰になり、もう片方の手でフリージアの頭をなでなで。
痛むかのように両手で自分の額を押さえているフリージアだが、アメリに頭を撫でて貰える嬉しさの方が勝つようで、その表情には幸せの色しかない。
「……フリージア、大丈夫か?
おでこ、ケガしてるんじゃないのか」
「へっちゃらです!
つばつけといたら治るのですっ!」
先の戦闘で、フリージアがやっていたことを思い返したリーフが、フリージアに近付いてきて心配そうに尋ねる。
フリージアは魔物達との交戦中、攻撃手段に頭突きを使っていた。それも、リーフには絶対に出来ない種類の頭突きだ。
むしろフリージアの方が死んだんじゃないかと思えるような光景であったし、数秒前まで魔王軍の連中を相手に冷血漢の顔をしていたリーフが、今はしゃがんでフリージアを、同じ高さの目線から心配する顔。
「唾つけといたらって……」
「リーフ心配せんでええぞ。この子は特別な体しとるからな」
「そうは言っても……ごめんフリージア、ちょっといいか?」
「うゆ?」
唾をつけておけばこんなの治る、という主張のとおり、フリージアは両手の人差し指と中指をぺろぺろ舐めて、その指で額をぬりぬりと撫でている。
まるで唾液を軟膏代わりに塗るかのような動きだ。
アメリはフリージアのこの様が、特別な体質を持つ彼女特有の仕草に過ぎないと平静だが、こんなことで痛みや怪我が治るわけがないと思うリーフは、フリージアの額に両手を伸ばす。
目を閉じて、静かに深い呼吸をするリーフの掌が、ぽうと優しい光を放ち始める。
アメリもその光景を見て目を見開き、リーフの手のそばに目があるフリージアも、不思議な光に包まれたリーフの手をまばたきせず見上げている。
不思議なものを見上げる目でフリージアが驚く中、数秒経ってリーフの掌が放つ光はおさまった。
「……まだ痛い?」
「あっ……ぜんぜん痛くないですっ!
おにーさん、痛くないようにしてくれたですか?」
「そっか、よかった。
ケガしたり、どこか痛かったりしたら、我慢せずに俺に言ってくれよ」
「……ぬし、それ、治癒魔法か?」
「ん……うぇ、なにっ、近い近いっ」
得意の魔法でフリージアの額の皮膚の下、じんじん痛んでいた原因をやわらげて、鎮痛の効果をも施したリーフに、両手に膝を置いて目線を低くしたアメリが話しかけてくる。
位置が位置で、声のした方にリーフが振り向いたら、目と鼻の先にアメリの顔があった。近すぎる。
びっくりしてリーフも立ち上がり、アメリもそれに合わせて立ち上がると、怪訝な顔で真正面からリーフの顔を見る。
「ぬしは治癒魔法も使えるのか?」
「ま、まぁ一応は、そんなに高等なものじゃないけど……
なに、そんな顔するようなこと?」
「いや、まあ……
珍しい方ではあるからな、白兵戦の手練かつ治癒魔法の使い手っちゅうのは」
言葉を選ぶかのように少し間を置いたが、アメリは当たり障りない言葉で返答した。
そういうものなのかな、とリーフは納得せざるを得ないが、引っかかるものも多少はある。
治癒魔法が使えて剣も扱える、そういう人物はそこまで珍しいものでもないのでは? というのがリーフの素直な感覚である。
リーフの考えそのものは正しい。治癒魔法が使える戦士自体は、そこまで珍しいものではない。
アメリは肝心な部分を省略して、当たり障りのない返答にしているだけだ。
口にしていない観点も含めるなら、アメリに言わせれば確実に、リーフはかなり珍しい"治癒魔法の使い手"である。
それを今ここで説明すると、リーフの機嫌を損ねるかもしれないとして、敢えてアメリは多くを語っていない。
「リーフ、どうする?
いっぺんさっきの場所まで戻るか? 時間使ってまうけど」
「そうだな。
急がなくていいよ、堅実な方がいい」
先の戦いで蚊帳の外だった台車は、何かに巻き込まれることもなく無傷で待ってくれており、リーフ達は足を失っていない。
この場所から東へ向かっても、ユリシーズ平原の東部には向かうことが出来る。道が舗装されていないというだけの話だ。
アメリはその同意をリーフから得ると、フリージアを抱っこして、行こうという目配せをリーフに送りながら台車の方へと歩きだす。リーフもそれに並んで追従する。
「しかしあれは魔王軍の連中とわかりやすかったが……
もしもサイオーグ王国軍の方々と遭遇したら、少々神経遣わなアカンな」
「わかってるよ、粗相があったら……」
「違うわ、相手が王国軍の方々か魔王軍の連中か、見間違えたらアカンっちゅう話しとるんじゃ」
台車に向かう中、アメリは後方で既に動かなくなっている、魔王軍の構成員達を振り向かずに顧みる。
あれは魔王軍の連中だとわかりやすかったが、今後もそうとは限らないと、リーフに釘を刺すためだ。
王国兵の皆様に会えば、無礼が無いよう努めようと、そればかり考えていたリーフは、アメリの箴言に言葉を失って、口をもごもごさせていた。
自身の考え至らなさを恥じつつも、意地を張って何かを言い返したく、しかし何も思いつかずに無言。
叱られた時の子供のように、無力にへこむその童顔は、つくづく敵を斬り落としていた時のそれとは、
まったくもって同じとは思えない。
平原の柔らかい土に浅い足跡を残し、台車へ向かって歩いていく三人。
その後方では、靴跡ではない大きすぎる足跡が、いくつも平原上に転がり落ちていた。
真っ二つにされた魔物や人間の亡骸、まさに死屍累々のその光景。
魔王軍を心底憎むリーフが歩んだ道には、いつだってそんな足跡が残されてきたのである。
「三人、か。
届けられた報告では、一人となっていたはずなんだがな」
「ともかく、連れが出来ていたようで……
赤髪のガキのみならず、あとの二人も恐ろしい強さでしたよ……」
ケイテッドから見てきたことすべてを聞き受けたカルマーサは、何よりも赤髪黒刃の少年に、旅の連れが出来ていた事実に苦い顔をする。
ケイテッドは彼自身の価値観から、リーフ達の戦場における戦いぶりを説明して、それが果たして信じて貰えるかどうかがまず心配だったのだが、カルマーサはそれに大きな反応を見せなかった。
細腕で戦う力も無さそうにすら見えた女、アメリ。
彼女はまるで、魔導士が杖を振るうかのように、扇を一振りさせるごとに風を起こし、襲いかかる魔物達を翻弄し、飛来する矢を追い払って無力化する。
素早い魔物の攻撃をひらりひらりと軽快にかわし、しばしば振り抜く扇から、風の刃を放って敵の骨肉を切断する。魔法による攻撃だろう。
それは四足歩行の魔物の足を切断したり、あるいは目を傷つけて無力化したり、角度次第では首を切り落として絶命させたり。
無傷で魔物達の攻撃を凌ぎ、風の刃で無慈悲な攻撃を浴びせ続けた彼女の最も恐ろしいところは、終始余裕の笑みを崩さずに、舞いを楽しむかのように戦っていたことだとケイテッドは語った。
あれは間違いなく戦い慣れた手練、魔法の使い手であり、差し向けた魔物達のレベルなど遥かに上回っている実力者だ。
ちんちくりんのガキ、フリージア。
猪突猛進、自らに突進してくる雄牛の風貌をした魔物に、彼女は逃げるどころか真正面から突き進んだ。
そして踏み切って跳んだかと思えば、自分の額を相手の額にぶつける、真正面の飛び込み頭突きで対抗して見せたのだ。
これで倒れたのが魔物の方だというのだから、ケイテッドにはその光景が現実のものとは思えなかった。今でも何か、手品の種があったのではないかと疑っている。
ともかくフリージアの石頭を物語るには、開戦すぐに生じたその事象のみで充分であり、その後も小さな体で機敏に戦場を駆け回った彼女は、頭を使って魔物達を滅多打ちにしていた。
物理的な意味でだ。噛みつこうと迫ってきた、狼の風貌の魔物の牙を避けると、額から思いっきり相手に飛びかかり、一撃で相手がぐらつくほどのダメージを与えたら、顎の下に潜り込んで突き上げの追撃。
引きつけた相手の頭部を、執拗に自分の頭で殴りつけるフリージアの凶暴さに、何匹の魔物が脳の奥まで破壊され命を落としたかわからない。
そして、最重要警戒対象とされていた少年、リーフ。
黒塗りの木刀が、敵の骨肉を断つものであったというのは、元より報告から知り及んでいたことだ。
問題は、その剣術の凄まじさである。実際に目にして、ようやくケイテッドはその恐ろしさを知ることになった。
彼に近付いた魔物達が、牙や爪を相手に触れさせることすら叶わず、次々と斬り捨てられていく光景は、まさに悪鬼に家畜が挑んで、無残な末路を辿るかの如し。
加えて恐ろしいのは、自分からも次々と魔物達に接近し、真っ二つにし、喉元を裂き、頭蓋を割っていくリーフの俊敏さ。
何匹もの魔物を征伐しておきながら、返り血すら浴びずに戦場を駆け抜けていったその事実だけで、嵐のような彼の速度が充分に説明できるというものである。
これがリーフ達に魔物を差し向けて、その戦いぶりを見届けたケイテッドの知る事実、すべてである。
ただただ強く、ケイテッド一人では一匹すら討伐ままならぬ凶暴な魔物達が、次々にリーフ達の手で、いとも容易く仕留められていったのだ。
思い出すだけで身震いするケイテッドは、もうリーフ達には関わりたくないと、己の欲求を固めている。
「やはり、恐らくはサイオーグ軍の門を叩く心積もりなんだろうな。
厄介な戦力を敵軍が得ることになりそうだ」
「とんでもない強さでして……あれが敵に回るとなれば……」
「まあ、今さら妨げられるものではないな。
それなりに動くとしよう、やるべきことはいずれにせよ変わらん」
ケイテッドは、カルマーサが今の報告を聞いて、苦い顔こそすれ焦りもしないその態度が信じられない。
やはり自分の報告を、夢妄想だとでも思っているのだろうか、と考えてしまう。
自分の言っていることが真実であるとした上で受け取ってくれたなら、恐るべき敵の登場に焦燥感を抱くのが当然だとしか思えないからだ。
だが、カルマーサにしてみれば、ケイテッドにとって規格外の怪物報告など、想像以上の話にはなり得ない。
カルマーサは、魔王軍の中でもそれなりの地位に立つ存在だ。幹部格とでも言い換えられよう。
ゆえに彼は、魔王軍の"上"を知っている。末端構成員のケイテッドには、知ることすら及ばぬ世界をだ。
多数の魔物をあっさり仕留めた、赤髪黒刃の少年をケイテッドは怪物と言うが、カルマーサに言わせればそれと同じことは自分にも出来るし、カルマーサが直属に仕える主君というのは、より容易に同じことを叶えるだろう。
カルマーサがケイテッド個人に対して思うのは、魔王軍という強大なる組織に仕えておきながら、ちょっと怖い敵を見かけたら後ろ盾の大きさも忘れて怯える、臆病で小さな人間という印象のみ。
ひいては、この男はこの程度のことで、魔王軍の恐ろしささえ忘れるのだな、という呆れに近い。
魔王軍の幹部カルマーサに、名前を憶えて貰えていることを、内心で自慢げに感じていたケイテッドだが、それが彼にとって良いことばかりとは限らない。
今後はリーフに関わるまい、として己の寿命を延ばそうと企んでいるケイテッドだが、使い物にならぬ奴だと烙印を押されている今、まさに現在進行形で寿命が短くなっている事実には気付けない。
長生きや成功は、目先の警戒対象から逃げているだけで叶えられるものではないのだ。
「まあ、いい。
ご苦労だった、あとは好きにしておけ。
来たるべき時には戦陣に並んでもらう、それまで命を大切にするように」
「了解っす……」
ほーっと一仕事終えられたことに安堵し、ケイテッドは肩を落とした。
案じてくれるかのような言葉を得られたので、任務は成功したということだろう。
今後も無難に仕事をこなし、魔王軍のお偉い様に取り入って後ろ盾を得る、安定した人生を歩めるとケイテッドは無意識の安心を得る。
戦況が常に変わり得るこの戦場、自陣営のためにすべきことは山ほどあるというのに、カルマーサはこの時点でケイテッドに次の仕事をすぐに与える、ということをしない。
期待していない証拠だ。来たるべき時に備えて死ぬな、という弁も、捨て駒がそれまでに死ぬなという言い回しでしかないのに、ケイテッドも鈍感なものである。
「……しかし、流石はカルマーサ様の作戦っすね。
あいつら、疑いもせずについて来ましたよ。
その知略ぶり、見習わせて貰いたいもんですわ」
「疑いもせずに……?
ふふ、そうかそうか」
あなたの作った作戦は上々のものでしたよ、とごまを擦ってくるケイテッドに対し、カルマーサは冷笑のみ浮かべて振り向きもしない。
おべっかは結構だが、つくならもっとましな嘘をついたらどうだと思う。
所詮は力ある者の腰巾着しか出来ぬ器だと、カルマーサの中でケイテッドに対する評価はどんどん下がっていく。
戦場で事切れたサイオーグ王国兵の装備をはぎ取って、山賊上がりのケイテッドに着せただけのあの扮装で、本当に王国軍の兵士だと騙しきれるわけがない。騙せたら相手が相当な馬鹿だ。
カルマーサが本当の意味で騙したのは、そうした格好で行けば赤髪黒刃の少年を騙せるはずだ、と嘯いた相手、ケイテッドの方である。
そうでなければこの臆病者、赤髪黒刃の少年との遭遇そのものから逃げようとして、与えた任務すら放り出して、逃げ出してしまうことさえあり得る。
自身の太鼓判を押して、赤髪黒刃の少年を騙すのだとケイテッドをやる気にさせることさえ出来れば、カルマーサとしてはそれでよかったのだ。
赤髪黒刃の少年は明らかに、魔王軍を過度なほど憎んでいる。そうでなければ旅の中、遭遇した魔王軍を手当たり次第に斬り伏せたりなどするまい。
ゆえに赤髪黒刃の少年が、"王国兵に扮装した明らかに魔王軍の男"が近付いてきて、"案内するからついて来い"と言えば、必ずついて行くだろうとはカルマーサにも推測できたのだ。
その行き先は、魔王軍の者達がいる場所である。赤髪黒刃の少年に対しては絶好の餌となる。
実際のところ、リーフはアメリの箴言もあってケイテッドについて行くことを決めたが、仮にリーフが一人旅で自分だけの判断であったとしても、ついて来た可能性は充分に高い。
アメリの"色々とチャンス"という言葉に、素直に納得していた時点で、リーフの中にも元々そういう発想はあったということなのだから。
魔物の集合地に赤髪黒刃の少年をおびき寄せれば、臆病なケイテッドのことだから、安全な場所からの観察に回るだろうし、報告役の彼が討たれる可能性も低い。
カルマーサの作戦は、彼の想い通りの結末に繋がった。
リーフ達の情報を得られただけで、カルマーサの果たしたかったことは成功だ。
ケイテッドは、カルマーサの作戦を見当違いの方向から褒め称えてご機嫌取りに勤しむが、カルマーサの耳にはケイテッドの的外れぶりしか伝わっていない。
「お前は優秀だな。
部下に引き入れて正解だったと思えるよ」
「へへへ、勿体ないお言葉ですわ」
カルマーサのそばで背を丸める、大きな犬の姿をした魔物に睨まれてびくびくしながら、それを刺激しないように小声でへつらうケイテッド。
確かに優秀だ。失っても痛くない駒として。
にやりと笑ってケイテッドを蔑むカルマーサの表情から、真意を読み取れないケイテッドは、悪党としては三流ということである。
非道をはたらく強大な組織に仕えることは、頼もしい後ろ盾を得られた上で心おきなく悪行をはたらける、秩序を無視した楽な人生を歩みたがる悪党の好みそうな環境だ。
それは、上の者に平伏さえしていればとりあえずは生きていける、そんな世界と果たして言えるのだろうか。
自分よりも力のある者が、いつでも自分を切り捨てられる立場にあって、それを出し抜くことなどそう簡単には出来るはずもないというのに。
いざとなれば逃げればいいと考えている者など、そもそも逃げられないよう始めから外堀を囲われていることに、全く気付いていないものである。
"賢く立ち回る能力さえあれば、どんな世界でも渡っていくことが出来る"
真顔でそんな理想論を吐く軽々しく者に限って、それが通用しない世界に迷い込んだ時に取り返しがつかない。