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僕らは"勇者"になれますか  作者: 紫水
序章
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 プロローグ



 "バレンタイン王国"の西の果て、キュエギ霊山。

 山頂に構えられし神殿に、魔王が居を構えるこの霊山を、今や好んで立ち寄ろうとする者は殆どいない。

 この国、バレンタイン王国が平穏であった頃は、年に一度の祭事のたびに尊ばれたこの山も、今や恐怖の象徴として高々とそびえている。


 その中腹には、山を切り拓いて建てられた、小国の城にも相当する大きな砦がある。

 広大な地下牢獄を擁するその砦は、魔王に捧げられる"贄"を数多く収容し、地上階層は多くの魔族と魔物が闊歩する、魔王に遣えし者達の根城である。

 今や魔王殿とも呼ばれし、キュエギの砦と呼ばれるそこは、東の野の末にバレンタイン王都を見下ろしつつ、後方山頂の魔王を崇める悪の巣窟だ。


 主君を魔王とする魔王軍にとって、王が山の頂におわす中、キュエギの砦に玉座の間は存在しない。

 それに代わるかの如く、砦の最上階層、城に例えるならば謁見の間に相当する広い空間は、魔王を崇める魔女の私空間となっている。

 赤い絨毯の果てに玉座無き、平坦なるその一室の中心には、禍々しい魔法陣のようなものが黒ずんだ血によって描かれ、ここには魔王や魔女に仕える魔族ですら、その空間の瘴気を忌避して近寄りたがらない。


 魔女は、この日もそこにいた。

 新月が高く昇る真っ暗な夜、魔法陣の周囲に蒼い火を灯し、ぶつぶつと呪詛のような詠唱を繰り返す。

 魔族にあらず、人間にして、この砦にいる限り寝食の時を除いて、ずっとそれに徹する魔女の姿は、悪行に慣れた魔族達ですら一目見てぞっとする。

 憎悪、怨念、それらを呪詛に乗せて口走り続けるこの魔女は、齢50を迎えんとする人間の女性でありながら、二十代後半のまま止まったような若々しき顔立ちだ。


 若さゆえの感情的さ。

 それを眼差しに残したままの如く、憎む対象を思い浮かべる眼は、今日も毒々しく燃えている。


「――エリアス様、ご報告に上がりました」

「…………」


 この一室の扉を叩き、入室に至った度胸ある魔族は、悪魔的な顔と大きな翼を持つ、金の肌をした上級魔族である。

 ガーゴイル種の最上位、バルログと呼ばれる魔物の血をその身に流すその者は、魔族達の中にあってはヒエラルキー上位にある存在であり、大概の者を一睨みで怖気づかせられるほどの風格を持つ。

 それが、ただの人間に過ぎないはずの"魔女エリアス"に敬語を使い、その後ろ姿に跪くほど、魔王を崇めし第一人者たるこの魔女の威圧感は大き過ぎる。


 呪詛を中断した魔女エリアスは、訪れたバルログ族の魔族を振り返らない。

 バルログ族の魔族の首筋を、つう、と冷や汗がつたうのは、呪詛を遮られた魔女の怒りに触れたのであれば、今ここで己の命が潰えるやもしれぬという恐れによるものだ。


「キゲッシュ地方にて、またも"贄"を募った我が軍が、たった一人の少年に殲滅されました」


「……それは、赤毛の、黒刃の少年か?」

「はい。

 この報告も五度目になりますが、すべてその少年の手によるものです」


「またも、一人の少年の仕業であるというのだな?」

「……はい」


 微動だにしない後ろ姿でありながら、明確に不機嫌を声色に表した魔女の様相には、バルログ族の魔族とて気が気でいられない。

 彼もまた、気に入らぬことがあれば、不機嫌に任せて他者を殺める横暴さの持ち主だ。

 理不尽を当然のように遂行することに慣れた悪党こそ、己よりも大きな力を持っている巨悪には、同じ不条理を想像して怯えねばならない立場にある。


「それは、キゲッシュ地方の東方か?」

「はい」

「……かの者の刃が初めて我が魔王軍に傷をつけたのは、キゲッシュより西のハーナッツ地方であったな」

「仰るとおりです」


「…………」


 シンプルな地理から導かれる推測を、魔女が脳裏に想い描く。

 バレンタイン王国から東へ進めばハーナッツ地方、さらに東へと進めばキゲッシュ地方。

 また、そこからさらに東へと進むなら、現在魔王軍にとって重要な交戦地帯であるサイオーグ王国へと至る。


 赤い髪の黒い刃を手にした少年。

 それが初めて魔王軍にその刃を向けたことが確認されたのはハーナッツ地方。

 その少年とやらが魔王軍と接触した場所は、情報ごとに少しずつ東へと移動している。

 魔王軍に刃向かう若き不届き者が、東へ向けて歩く道すがら、目の当たりにした魔王軍を斬り捨てていくという姿は、魔女エリアスにもバルログ族の魔族にも容易に想像することが出来た。


「サイオーグ王国を侵略している"ギルコム"に、急使を遣わせよ。

 そうした者が東へと向かっていること、そして警戒すべき対象であると伝えよ」

「かしこまりました」


「報告がそれだけならば直ちに去れ」

「はっ……」


 跪いたまま一礼したバルログ族の魔族は立ち上がり、無礼なき速さで、しかし最大限の速度で魔女の私空間から立ち去っていく。

 人類よりもずっと長いはずのこの寿命が、たった数十秒の語らいのみで随分と縮められた心地だ。

 やがて魔女から遠く離れて、自室に帰り着いたバルログ族の魔族は、そこでようやく椅子に腰掛け、天井を仰いで深く息を吐けたものである。


 再び独りになった魔女は、魔法陣を目の前にして呪詛を再開する。

 一日に数時間、年間に千時間、バレンタイン王国を手中に収めた二十年近く前から数えるなら、もはや数万時間にも至る長き呪詛。

 魔王とともに、このバレンタイン王国を侵略し、そこに住まう人々の命を魔王への"贄"に捧げ続けるほど、魔女エリアスはこの国を深く怨み、憎み、歪み果てている。


「……バレンタイン王国に、呪いあれ」


 長き呪詛の一区切りごとに挟まれる、捻じ曲がった魔女の魂が放つ禍々しき一節。

 きっと彼女が命ある限り、その黒き呪怨は晴れることなく、バレンタイン王国を永劫苦しめる。

 ならびに、贄を求める魔王の欲により、魔王の支配下に置かれるようになった他の地方や国家をも。


 この大陸は今、まさしく暗黒時代にあったと言っていい。

 人々は、この暗き時代の根源たる魔王と魔女を討ち果たしてくれる、そんな勇者の降臨を、何年も前からずっと待ち望んでいた。

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