第七話 闇夜の誓い
ギルドでの謎の大騒ぎは幕を閉じた。
その発端となった女、イースは俺の隣で寝ていた。
ちなみに、色気だとか、そういったピンク色の意味でなく、大の字になって寝ていた。
正直邪魔だ。
何故わざわざ広いこの畜舎で俺の近くで眠るのか。
人肌が恋しいのかもしれない。
しかし、魔族が人肌を恋しがるというのもなんだかおかしい気がする。
夜になって、何の音もしない暗闇の中にいると、いやに思考が回りだす。
元々俺は、草木の眠る丑三つ時であろうがお構いなしにギターの音が下から右から聞こえてくるような場所に住んでいたので、むしろこの静寂はこそばゆい。
むかむかと心の内から不安が押し上がってくる。
ひとまず、適当に頭に浮かんだ歌を大声で歌い、歌詞があんまりにあやふやで、鼻歌で誤魔化し、誰も聞いてはいないのに顔を赤くした。
これではいかん。あまりに無駄で、不毛。
せっかく思考がくるくると巡っているのだから、今のうちに現状を整理して、明日の糧としようと考えた。
明日ではなく今日かもしれないが。
まず、そもそも俺がなぜ干し草に体を埋めて、胸の前で丁寧に手を組んでいるのか。
それはひとえに隣で寝返りを打とうとして、自身の角が邪魔で支えている女の仕業である。
わざわざこの世界にこの俺を召喚しておいて、どうしたらわからない、勇者を倒せだのの無茶苦茶を押し付けてきたのである。
しかも、俺が選ばれたのは偶然。
これはもう、交通事故に遭った後に運び込まれた病院で医療ミスを喰らうようなもので、たまったものではない。
そういえば、あの森での出来事の中で気になっていることがあった。
俺がイースを不本意ながら押し倒してしまい、その片角をへし折ってしまったのだ。
角にまで痛覚はきっちりと通っていたのか、ぎゃあぎゃあと大喚きをしていたが、今思えば酷いことをしてしまったのかもしれない。
魔族の誇りだとも言っていた。
その時、畜舎から入る隙間風がひらひらと俺のまぶたに干し草を運んできた。
払い除けて、なんだか自分に対しても腹が立ってきたので、立ち上がった。
イースに対しても腹を立て、自分に対しても腹を立てたとなれば、これはもうついでにもう一つ立てるしかないだろう。
そう、勇者である。
そもそも勇者さえ存在しなければ、俺がこんなところに呼び出されて、夜の畜舎をくるくる歩き回ることもなかった。
よくわからん植物に全身くまなく舐め回されることも、空から落ちてきた隕石に圧殺されそうになることも、なかったわけだ。
まだ会ったことも、その名前すら知らない相手に対してこれだけの怒りが湧いてくるというのは、理不尽であるかもしれない。
だが俺はその何倍もの理不尽を受けたのだ。
だからそれをおすそ分けして何が悪いか。
そう思えば、なんら問題は無い。
この世界において魔王を倒した勇者であろうと、俺からすればろくでもない状況を作り上げた敵であり、倒すべき存在だ。
思えば、俺は勇者を倒すことに対してあまり乗り気ではなかった。
というか、本日は冷静になるまでほとんど忘れていた。
俄然、やる気が湧いてきた。
かなりマイナス方面のやる気ではあるが、想いに貴賎無し。
勇者を一発殴ったら、なんとしても日本に帰ってやる。
勇者の情報を集めるついでに日本への帰還方法も探らねばならない。
いつの間にか畜舎から出ていたらしい。
見る夜空は、星空ではなかった。
月も無い。これは残念なことだ。
またも、勇者に対しての文句が増えたと確信した。
「おや、どうしましたか」
視界の端っこから、ぼうとした灯りと共に、声がかかった。
その方を向けば、銀色の髪と赤い瞳がゆらゆらとした光に照らされていた。
シショーである。
その手には小さなランプが握られていた。
「ちょっと寝付けなくて」
「私も同じく。近くの川で水浴びでも嗜もうかと思っていました」
この近くには川があるのか。
朝、顔を洗う際にその流れをいくらか拝借するとしよう。
しかし、少し肌寒いくらいのこの気温の中で水浴びを決行しようとするのは、いささか不思議だ。
「あなたも一緒にどうですか?」
「いえ、遠慮しておきます」
「緩やかな流れが体を過ぎていくというのは、中々に心地よいものですよ」
シショーの提案を一度は跳ねのけた。
されど、意外にも食い下がってきた。
俺と共に水浴びをするというのは、すなわち裸の付き合いをするということになるのではないのか。
なるほど、そこまで裸の付き合いがしたいのではあれば、付き合うのもやぶさかではない。
俺はシショーに了承の意思を示し、共に川へと向かった。
決して、彼女の裸に期待しているわけではない。
少々心臓が荒れてはいるが、そんなことはない。
***
「気持ちいいでしょう」
「はい。良いものですね……」
「足だけを浸けても、しゃっきりとした気持ちになれますね」
「はい、そうですね」
シショーはまるでその白のローブを脱ぐことはなかった。
裾を少し捲って、小川の縁に腰を下ろして、足を流れに任せただけだった。
まあこれはこれで良い。
不健全な交友を出会って二日目の男女がするというのも、いけないことである。
足を小川の流れがすーっと撫でていく。
外気の冷たさに応じるように、あるいはそれ以上に、流水は冷ややかだった。
足元からだんだんと清水の如き、綺麗な感覚が上ってきていた。
「ところで」
しばらく水音だけが支配していた空間に、シショーが声を鳴らした。
「勇者に関する情報は何か集まりましたか?」
「いえ、全然」
俺は首を横に振った。
心許ない光源が照らしたシショーの顔は、少し悲しげだったように見えた。
目の錯覚かもしれない。
「そう簡単にはいかないものですね」
「そもそも、俺は勇者の背格好すら知らないんですけど……いや性別も」
「おや、そうなのですか」
「シショーはご存知で?」
「ええ、勇者はおおよそ私の顎の辺りまでの背格好の金髪の女です」
シショーの顎の辺りまでというと、結構身長は低い。
俺が百七十センチメートルであるので、それより少し低いくらいがシショーである。
つまり結構背の低い女であると推察できる。
「勇者は少女なんですか」
「そうですね。可憐でした。青い瞳もつぶらで可愛らしかったと記憶しています」
シショーの口ぶりから察するに、シショーは勇者と対面したことがあるようだ。
勇者のことを話している時のシショーは、少し物憂げな顔をしている。
つまり、いつもと変わらない。
「そうだ。名前はわかってるんですか?」
「わかりません。彼女自身も自分を勇者とばかり形容していて、本当の名を知ることはできませんでした」
再び、静寂が場に訪れた。
シショーが足をぱたぱたと動かしているらしく、向こうから小さく水の跳ねる音が聞こえる。
「何はともあれ、私はあなた方二人を応援しています」
シショーが、急に俺との距離を詰めてそんなことを言った。
そうは言っても実験動物と考えているんだろ、信じられない。なんて無粋な言葉は今はしまっておく。
「それではそろそろ戻りましょうか。眠くなってきました」
シショーのその言葉を皮切りに、俺は水中遊覧から足を引き、畜舎へと戻った。
***
畜舎へ帰り、とっとと眠ろうと姿勢を低くすると、ある違和感に気づいた。
その違和感は何であるか。
そう、眠るイースが先程とは違い、うつ伏せになって寝ていたのである。
角が支えて寝返りは打てないはずでは、と思ったが、すぐにその疑問は解消された。
俺が片方の角をへし折っていたので、寝返りの敢行に成功したのだ。
別に、角を折ったことを謝る必要もないかもしれない。そう思って俺は干し草に倒れた。
そんな訳はないので、翌朝すぐに謝罪した。